氷の令嬢は断罪を笑う 〜婚約破棄した元婚約者が泣いて縋ってももう遅い、私は本物の愛を知ったから〜

sika

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第27話 王城へ帰る日

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夜明け前の空は群青に沈み、風は清らかで冷たい。戦の影が去り、長い緊張の糸が静かに解けようとしていた。  
リディアは戦場の丘の上に立ち、遠くの地平線を見つめていた。浅く白んだ雲の向こうに王都の輪郭が見え始めている。  
アレンがその隣に立つ。兜を脱いで風を受ける姿は、穏やかなのにどこまでも凛々しい。  

「戻る時間ですね」  
「ええ、ようやく、ですね」  
リディアは深く息を吸い、胸に残る重さを確かめた。  
激しい戦でいくつもの命が燃え落ちた。しかし犠牲と涙の中にも確かな希望があった。  
レイベルとグランベルの両国は講和に合意し、反乱軍は解散した。戦乱の炎が完全に消えたわけではないが、民の間には安堵が広がっている。  

アレンがゆっくりと馬に跨る。  
「この丘を越えたら、もう戦場ではなく、国を治める道だ」  
「……戦の後に残される本当の試練ですね」  
「そう。壊されたものを戻すことの方が、血を流すより難しい」  

二人は並んで馬を進め、緩やかな坂を下った。  
途中ですれ違う兵たちが敬礼をする。その顔には疲労と、それを上回る解放の笑みがあった。  
リディアはその一人ひとりに頷き返す。  
戦が終わった後でも、人は生き、働き、笑う。  
それがこの国の強さなのだと改めて知る。  

王都に近づくにつれ、街の景色が変わっていった。  
焼け落ちた屋根には新しい木が組まれ、人々は瓦礫の中にも花を植えている。  
子どもが遊び、老人が微笑む。その小さな日常が、何よりも重い願いに思えた。  

「見るたびに思います。人はこんなにも立ち上がれるのですね」  
リディアが呟くと、アレンは頷いた。  
「彼らが歩き続ける限り、国は滅びません。王でも公爵でもなく、民こそが王国を支えている」  

その言葉は彼自身にも向けられているようだった。  
かつて王族と名乗ることを拒んだ男が、今はそこに生きるすべての命を背負おうとしている。  
リディアは静かにその背を見つめた。  
「貴方の肩を支える人が、もっと増えますように」  
「もう支えてもらっている」  
「え?」  
「君がいてくれる。それだけで十分です」  

街の入り口に着いたとき、鐘が鳴り響いた。  
王都の民が門前に集まり、二人を迎えた。  
「リディア様!」「公爵様!」  
声が重なり、歓声となって広場を包む。  
リディアは恥ずかしそうに笑い、アレンに視線を送った。  
「この歓迎には、どう応えたらいいのでしょう」  
「笑顔で十分です。貴女の笑顔は、この国で一番の光ですから」  

王城の前にはジルベルト王が立っていた。  
新しい王冠を身に着け、彼の背後には新政の旗が翻っている。  
リディアとアレンが進み出ると、彼は深く頭を下げた。  
「よくぞ戻られた。二人の決断がこの国を救った。兄上――アーヴィンも、静かに罪を務める覚悟を決められた」  
「彼が自らの足で立ってくれれば、それで十分です」  
アレンの声にジルベルトは頷いた。  
「王国再建に際し、再びお二人の助力を願いたい。もはや貴族でも王族でもなく、我らは同じ民として国をつくり直す」  
「承知しました。私たちは、名よりも志を選びます」  

ジルベルトは少し微笑み、特別な書簡を差し出した。  
それは「絆の契約書」と呼ばれる新憲章。  
すべての人が立場を越えて共に立てる国を目指すための、最初の誓いだった。  

広間に人々が集まり、調印が行われる。  
ペンを取る手が震える。  
リディアはアレンを見やり、ささやくように言った。  
「……これは私たちが始めたものですね」  
「そうだ。貴族も平民も関係ない、“心で結ぶ契約”だ」  
一人、また一人と署名を終える。  
最後にリディアが名を記した瞬間、重なる拍手の音が鳴り響いた。  

日が傾くころ、リディアは城の回廊に出た。  
長い戦いの記憶が次々に脳裏を過ぎる。  
氷の令嬢と呼ばれた過去、涙で滲んだ婚約破棄の夜、二度目の断罪、そして今――すべては溶けて、流れて、ここまで繋がっている。  
自分が歩いた道が、確かに誰かの未来になっている。  
その事実が、胸をあたためた。  

やがて、アレンがそっと後ろから声をかけた。  
「リディア。ここから先は、もう“過去”ではなくなる。  
これまでの苦しみも悲しみも、全て誰かの支えになる」  
「……氷の名も、ですか?」  
「もちろん。氷は、誰かの涙の冷たさを思い出させる。けれど、溶ければ水になる。  
水は、命を育てる」  

リディアは微笑みながら頷いた。  
「なら私は、この国の水になります」  
アレンが笑う。  
「それでいい。それが君らしい」  

風が吹き、庭の花弁が舞い上がった。  
リディアはその光景を見ながら、深く息を吸う。  
「この風の匂い、あの日と同じです。けれど、胸の痛みはもうありません」  
「痛みがなくなることはない。でも、痛みの中に優しさを見つけられるようになった。それが君の強さです」  

アレンが近づき、手を差し出した。  
「リディア=グランベル、いいえ。リディア=ヴァルディール。  
君の好きなように名乗っていい。だが、この国のすべては、もう君の中にある」  
リディアは迷わず彼の手を取った。  
「では、共に歩む国として名を刻みましょう」  

広場では新しい鐘が鳴り、城下には祭りの灯がともり始めた。  
子どもたちが歌い、老人たちが手を取り合って踊る。  
その中心に、二人の姿が立っていた。  
王都の人々が口々に声を上げる。  
「氷の令嬢が、春を連れてきた!」  
「ヴァルディール公が、風を変えた!」  

リディアは涙を浮かべて笑った。  
あの日の涙とは違う、温かい光の滴。  
アレンがそっと耳元で囁いた。  
「これは君の勝利だ。過去に赦しを与え、未来を選んだ勝利」  
「いいえ。私たちの勝利です」  

空を見上げれば、星々がひとつ、またひとつと輝き始める。  
氷はもうどこにもない。  
そこにあるのは、新しい命の光だけ。  

リディアは小さく呟いた。  
「この国に春が永く続きますように――」  
アレンがその手を包み、微笑んだ。  
「約束します。これからは、共に」  

風の音が鐘の響きと混じり、夜空へ溶けていった。  
長かった旅路の果て、二人はようやく同じ場所に立っていた。  

続く
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