公爵令嬢は婚約破棄に微笑む〜かつて私を見下した人たちよ、後悔する準備はできてる?〜

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第11話 嘲笑のざわめき

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夜会の喧騒が収束した翌朝、王都は奇妙なほどにざわついていた。  
街の片隅から、そして貴族たちの屋敷から、ひそひそと笑い声にも似た囁きが漏れ出している。  
それは、前夜の舞踏会における「新たな噂」の火種だった。

“宰相補佐官アルヴェンが、王太子エリアスの元婚約者である女を庇ったらしい。”  
“ヴェルディア改革の象徴は、男の寵愛によって優遇された女だ。”  

誰が最初に流したかなど分かり切っている。  
ルクレイス王子アレクシスに付き従う使節団――彼らが、外交の中で最も効果的な武器が“噂”であることを熟知していた。  
国家を崩すには軍ではなく、信頼を壊せばいい。  
その矛先が、今まさに私へと向いている。

窓を開けると、朝の風が頬を打った。  
王城の尖塔にかすむ霧が美しくも、どこか冷たい。  
セリーヌが整えたばかりの朝食を持ってきたが、手をつける気になれなかった。  

「お嬢様、今朝の手紙です」  
「ありがとう……何通?」  
「公的なものが八通、それと、個人宛の書簡が一通。差出人は……クロエ・ベルネスト様です」  
「クロエ?」  
思わず言葉がこぼれた。  
あの、王太子に寄り添い、私を見下した令嬢の名。  
白い封筒には金の百合の印。王室準公文書を示す印章だ。  

封を開くと、花の香りを移したような筆跡で、こう綴られていた。  

“リリアナ様。  
あなたがヴェルディアでご活躍と伺い、何よりですわ。  
殿下もあなたが理知的な女性であるとお認めになり、懐かしげにお話しなさっております。  
どうか、お身体に気をつけてくださいね。  
――クロエ・ベルネスト”  

読み終わるころには、唇が皮肉に歪んでいた。  
慈悲を装いながら、実際は足元を見るような言葉。  
相変わらず甘やかされた女。  
王太子の影に守られている限り、彼女は安全圏にいる。  
ならば、その安全を壊してやる方が、痛快というものだ。  

「セリーヌ、筆記具を」  
机に向かい、私はさらりと筆を走らせた。  

“クロエ殿。  
お心遣い、痛み入ります。  
こちらでもよく殿下のご健勝を耳にいたします。  
さまざまな改革が王国の若い君主を刺激しているようで、嬉しく思います。  
どうぞご夫妻ともに、心から“幸福”でありますように。  
――ヴェルディア宰相府顧問 リリアナ・フォン・エルディン”  

ふ、と笑みがもれた。  
彼女がこれを読んだ瞬間、自分が“妻として”無意識に殿下を手綱でがんじがらめにしていることに気づくはず。  
王族の結婚とは、愛よりも責務。  
その苦しみを知るのは、彼女の番だ。  

セリーヌが小声で言う。  
「お嬢様、怖いほどに冷静でいらっしゃいますね……」  
「怒るより冷静でいた方がいいの。怒りはいつか、きちんと使うために取っておかないと」  



その日の昼前、宰相府の廊下でアルヴェンに呼び止められた。  
彼は既に噂について把握していたようで、目にいつもの冷静さはなかった。  

「君の名が軽んじられている。……すまない」  
「貴方が謝るようなことではありませんわ」  
「いや、私が傍にいたからこそ狙われた。私情が混じったと人々が思い込む余地を作ったのは事実だ」  
「私情、ですか」  
からかうように言うと、彼は一瞬黙り、苦笑した。  

「理と感情の境界が曖昧になるのは、君と話す時だけです」  
「――その発言、また噂になりますよ?」  
「噂を恐れて信念を曲げる方が怖い」  
はっきり言い切るその声に、心のどこかが揺れた。  

彼は続けて、淡々と指令を話す。  
「陛下がお呼びです。噂の件で直接話をなさりたいらしい」  
「王が……? この程度の中傷で?」  
「国際的な影響を懸念しておられる。ルクレイスからの使者が“顧問交代”を求めているそうです」  
「交代? 私を退けろと?」  
頬の奥が焼けるように熱くなった。  
彼は頷いた。  

「彼らはあなたの存在を恐れている。力ある国ほど、理を持つ女を忌避する」  
「王はそれを受け入れる気ですか?」  
「わからない。ただ、王も政治家です。王国の安定を最優先にするでしょう」  

怒りが喉もとまで込み上げたが、それを無理に押さえ込んだ。  
「ならば……私は理で戦います」  
「その顔だ。やはり君は炎だな」  
「冷たい炎です。誰にも消されない種類の」  
アルヴェンの唇がかすかに弧を描いた。  
「まったく、女神のように強くて恐ろしい」  
「女神ではありません、人間です。生きているから、燃えるだけ」  

その後、私たちは王城へ向かった。  
謁見の間では、王が円卓に座し、その両脇に宰相と貴族代表が控えていた。  
アレクシス王子の側近も列席している。  
「リリアナ・エルディン」と呼ばれ、私は堂々と進み出た。  

「よく来たな、宰相顧問。噂は耳にしておるか」  
「はい、陛下。事実無根でございます」  
「わかっておる。だが国外からの声が騒がしい。王国の威信のためにも、はっきりと対処せねばならん」  
「陛下のお考えに従います。ただ一つだけ申し上げたいことが」  
「申せ」  
「私は“愛されてここにいる”のではなく、“認められてここにいる”のです」  
その一言に、王の目が細まり、空気が張りつめた。  

続けた。  
「誰と親しくしようと、それが私の任務を汚す理由にはなりません。ヴェルディアの政治に必要なのは理と結果であり、性別や噂ではない」  
沈黙のあと、王はゆっくりと立ち上がった。  
そして、朗々と声を響かせた。  

「――その通りだ。嫉妬と不安に支配されるのは、弱者である。  
この女は理を持つ。そして、理を実現させた。国にとって必要な者を、噂で退けるほど私は愚かではない!」  

会場にざわめきが走った。  
アレクシス側の貴族たちは顔を歪め、宰相の口元には満足げな微笑が浮かぶ。  
アルヴェンは静かに頭を下げ、私と目を交わした。  
“勝った”――そう告げるような眼差し。  

だが安堵も束の間、退室の直前に感じた。  
玉座の背後、高い柱の影に――また、あの黒衣の影がいる。  
じっとこちらを見ていた。  
仮面の奥で光った鋭い視線に、背筋がかすかに震える。  

誰かが、まだ私を見張っている。  

王城を出た帰り道、アルヴェンが低く言った。  
「噂の裏で動いているのは、ルクレイスだけではない。……この国の一部にも裏切り者がいる。気をつけて」  
「承知しています。けれど、私はもう怯えません。  
彼らがどんなに笑おうと、笑われる覚悟、とっくにできています」  
「……そうだろうな」  

その声に、ほんの少し安堵が混ざっていた。  
彼の手が、私の肩にそっと触れた。  
その一瞬、全てのざわめきが消えるような気がした。  

「貴女が屈してしまう方が、この国にとって一番の損失だ。だから……どうか、壊れないでくれ」  
「ええ。壊れません。貴方がそう言うなら」  

そして私は微笑んだ。  
それは、王都中に広まった噂のどれよりも強く、誇らしい笑みだった。  

その夜、風がざわめいた。  
遠くの屋根の上で、黒衣の影がゆっくりと動き出す。  
炎と氷、理と情――それが次にぶつかる時、きっと何かが変わる。  

続く
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