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第1話 お金がありすぎて困っておりますの
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第1話 お金がありすぎて困っておりますの
「……また、ですの?」
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、机の上に積まれた帳簿を一瞥し、ため息とも呆れともつかない声を漏らした。
執務室の窓から差し込む朝の光は穏やかで、季節の花を生けた花瓶が柔らかく影を落としている。だが、机の上に並ぶ数字は、まったく穏やかではなかった。
「今月だけで、これですの?」
扇子を閉じ、指先で帳簿を軽く叩く。
その向かいに控えているのは、侍女のテイクア・ブレイク。男爵家の令嬢でありながら、今やシグネアの右腕として采配・会計・雑務のすべてをこなす有能な存在だ。
「はい、お嬢様。
鉱山の配当、街道使用料、商会への出資分の利益、加えて先月始めた事業の初回配当が入りました」
「……なるほど」
なるほど、と言いながら、シグネアの眉はぴくりとも動かない。
「つまり?」
「前月比で、さらに増えております」
「でしょうね」
即答だった。
シグネアは椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。
「おかしいですわ……本当におかしい」
「どのあたりがでしょうか」
「お金が」
扇子をぱちりと開き、涼しい顔で言い切る。
「増えすぎですわ」
テイクアは一瞬、言葉を失った。
世の中には「お金が足りない」と嘆く者は掃いて捨てるほどいるが、「増えすぎて困る」と真顔で言う貴族は、そう多くない。
「……失礼ですが、お嬢様」
「なんですの」
「大半の方は、それを“幸せな悩み”と呼ぶかと」
「浅いですわね」
ばっさり。
「お金は、流れてこそ価値がありますの。
使われず、回らず、溜め込まれるだけのお金など、死んだ数字と同じですわ」
シグネアは帳簿を閉じ、今度は別の書類に目を通す。
「それに、使わずに溜め込むなど論外。
経済を殺す行為ですわ」
「は、はあ……」
テイクアは内心で思う。
(やはり、お嬢様はどこかおかしい……)
だが、その“おかしさ”こそが、シグネアを若くして侯爵位を継ぎ、領地を安定させ、さらに発展させている理由でもあった。
「そうでしたわ」
ふと思い出したように、シグネアが扇子で机を叩く。
「だからといって、無計画に使うのも愚の骨頂ですわよ」
「……はい」
「特定の商人にだけ仕事を回せば、どうなります?」
テイクアは即座に答える。
「特別扱いされていると勘違いし、
慢心し、やがて品質を落とします」
「その通り」
満足げに頷く。
「ですから――」
にっこり。
「またドレスを作りましょう」
「はい?」
「今まで取引のなかった商人を呼びなさい」
「ええっ?」
思わず声が裏返る。
「お、お嬢様、それは……品質や信用の担保が……」
「信頼できなければ、次は呼びませんわ」
あっさり。
「ですが、最初から機会を与えなければ、
永遠に“信用されない側”のままですもの」
テイクアは口をつぐむ。
この方は、慈善家ではない。
だが、冷酷な搾取者でもない。
「できるだけ多くの人に、等しくお金が落ちる仕組みを作る」
それが、シグネア・ヴァレンティスのやり方だった。
「……とはいえ」
テイクアが恐る恐る続ける。
「このままですと、
また“派手に金を使いすぎている”などという噂が……」
「結構ですわ」
即答。
「どうせ、噂は勝手に流れますもの」
「……それもそうですが」
シグネアは楽しそうに笑う。
「お金がありすぎて困っている、という事実は変わりませんわ」
「それ、事実の切り取り方次第では……」
「ええ」
にっこりとしたまま、言い切る。
「とても嫌な女にしか聞こえませんわね」
高笑い。
「お、お嬢様……怖いですわ……」
「褒め言葉ですわ」
そう言って、シグネアは立ち上がった。
「さあ、忙しくなりますわよ」
「新しい商人、寄付先、投資先……」
扇子を閉じる。
「お金がありすぎるというのも、
本当に困りものですわね!」
執務室に響く高笑い。
その日、誰も知らなかった。
この“困りもの”が、やがて王都中を巻き込み、
噂と誤解と現実をひっくり返す嵐の始まりであることを。
ただ一つ確かなのは――
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、
今日も実に楽しそうだった、ということだけだった。
「……また、ですの?」
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、机の上に積まれた帳簿を一瞥し、ため息とも呆れともつかない声を漏らした。
執務室の窓から差し込む朝の光は穏やかで、季節の花を生けた花瓶が柔らかく影を落としている。だが、机の上に並ぶ数字は、まったく穏やかではなかった。
「今月だけで、これですの?」
扇子を閉じ、指先で帳簿を軽く叩く。
その向かいに控えているのは、侍女のテイクア・ブレイク。男爵家の令嬢でありながら、今やシグネアの右腕として采配・会計・雑務のすべてをこなす有能な存在だ。
「はい、お嬢様。
鉱山の配当、街道使用料、商会への出資分の利益、加えて先月始めた事業の初回配当が入りました」
「……なるほど」
なるほど、と言いながら、シグネアの眉はぴくりとも動かない。
「つまり?」
「前月比で、さらに増えております」
「でしょうね」
即答だった。
シグネアは椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。
「おかしいですわ……本当におかしい」
「どのあたりがでしょうか」
「お金が」
扇子をぱちりと開き、涼しい顔で言い切る。
「増えすぎですわ」
テイクアは一瞬、言葉を失った。
世の中には「お金が足りない」と嘆く者は掃いて捨てるほどいるが、「増えすぎて困る」と真顔で言う貴族は、そう多くない。
「……失礼ですが、お嬢様」
「なんですの」
「大半の方は、それを“幸せな悩み”と呼ぶかと」
「浅いですわね」
ばっさり。
「お金は、流れてこそ価値がありますの。
使われず、回らず、溜め込まれるだけのお金など、死んだ数字と同じですわ」
シグネアは帳簿を閉じ、今度は別の書類に目を通す。
「それに、使わずに溜め込むなど論外。
経済を殺す行為ですわ」
「は、はあ……」
テイクアは内心で思う。
(やはり、お嬢様はどこかおかしい……)
だが、その“おかしさ”こそが、シグネアを若くして侯爵位を継ぎ、領地を安定させ、さらに発展させている理由でもあった。
「そうでしたわ」
ふと思い出したように、シグネアが扇子で机を叩く。
「だからといって、無計画に使うのも愚の骨頂ですわよ」
「……はい」
「特定の商人にだけ仕事を回せば、どうなります?」
テイクアは即座に答える。
「特別扱いされていると勘違いし、
慢心し、やがて品質を落とします」
「その通り」
満足げに頷く。
「ですから――」
にっこり。
「またドレスを作りましょう」
「はい?」
「今まで取引のなかった商人を呼びなさい」
「ええっ?」
思わず声が裏返る。
「お、お嬢様、それは……品質や信用の担保が……」
「信頼できなければ、次は呼びませんわ」
あっさり。
「ですが、最初から機会を与えなければ、
永遠に“信用されない側”のままですもの」
テイクアは口をつぐむ。
この方は、慈善家ではない。
だが、冷酷な搾取者でもない。
「できるだけ多くの人に、等しくお金が落ちる仕組みを作る」
それが、シグネア・ヴァレンティスのやり方だった。
「……とはいえ」
テイクアが恐る恐る続ける。
「このままですと、
また“派手に金を使いすぎている”などという噂が……」
「結構ですわ」
即答。
「どうせ、噂は勝手に流れますもの」
「……それもそうですが」
シグネアは楽しそうに笑う。
「お金がありすぎて困っている、という事実は変わりませんわ」
「それ、事実の切り取り方次第では……」
「ええ」
にっこりとしたまま、言い切る。
「とても嫌な女にしか聞こえませんわね」
高笑い。
「お、お嬢様……怖いですわ……」
「褒め言葉ですわ」
そう言って、シグネアは立ち上がった。
「さあ、忙しくなりますわよ」
「新しい商人、寄付先、投資先……」
扇子を閉じる。
「お金がありすぎるというのも、
本当に困りものですわね!」
執務室に響く高笑い。
その日、誰も知らなかった。
この“困りもの”が、やがて王都中を巻き込み、
噂と誤解と現実をひっくり返す嵐の始まりであることを。
ただ一つ確かなのは――
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今日も実に楽しそうだった、ということだけだった。
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