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第2話 噂は、部分的な真実から生まれるものですわ
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第2話 噂は、部分的な真実から生まれるものですわ
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、午前の執務を終えたところだった。
机の上には、先ほどまで目を通していた書類の束が整然と並び、羽根ペンはきちんとインク壺の横に戻されている。几帳面な配置は、彼女の性格をそのまま映しているようだった。
「ふう……」
軽く息を吐き、扇子で顔を仰ぐ。
「相変わらず、数字は正直ですわね」
増え続ける収益、安定した事業、領内の税収。どこをどう見ても「困窮」とは程遠い。むしろ、問題はその逆だった。
「……本当に、お金がありすぎますわ」
その言葉を聞き、控えていたテイクア・ブレイクは一瞬、表情を引きつらせた。
「お嬢様、その台詞を外で仰るのはお控えになった方が……」
「なぜですの?」
即座に問い返す。
「事実ですもの」
「事実ではありますが……」
テイクアは言葉を選びながら続ける。
「世の中には、その“事実”を聞いただけで、
勝手に腹を立てる方々もおりますので」
「まあ」
シグネアは目を丸くし、次の瞬間、くすりと笑った。
「それはつまり、
理解力が足りないということではなくて?」
「……おっしゃる通りかと」
テイクアは内心で深く頷いた。
この方は、噂を恐れない。
むしろ、噂というものを“性質として理解している”。
「噂というのはね、テイクア」
シグネアは椅子に腰掛け直し、足を組む。
「真実をそのまま伝える必要はありませんの」
「……と、申しますと?」
「“一部”だけあれば十分ですわ」
扇子の先で空中に線を引く。
「しかも、その一部が“本当”であれば、
あとは勝手に尾ひれが付きます」
テイクアは、はっとした。
「まさか……」
「ええ」
シグネアは楽しげに頷く。
「噂が広まる条件は三つ」
指を一本立てる。
「第一に、分かりやすいこと」
二本目。
「第二に、聞いた人間が“納得した気になる”こと」
三本目。
「第三に、少しだけ人を不安にさせること」
すべて立て終え、扇子を閉じる。
「この三つが揃えば、
噂は放っておいても育ちますわ」
「……恐ろしいお話です」
「褒め言葉ですわ」
シグネアは当然のように言った。
しばし沈黙が落ちる。
その空気を破ったのは、テイクアだった。
「……お嬢様」
「なんですの」
「もし、その噂が……
お嬢様にとって“都合のよい方向”に進むとしたら?」
シグネアは、扇子越しに微笑んだ。
「それは、とても便利ですわね」
テイクアは、一歩踏み込む。
「例えば……
婚約者様とのご関係、など」
その瞬間、シグネアの目が細くなった。
「……あの方ですか」
プロフィット・アンドロス。
公爵家の令息であり、立場だけは立派だが、中身が伴っているとは言い難い男。
「正直に申し上げますと」
シグネアは、肩をすくめる。
「私は、あの方との関係を続ける気はありませんの」
「ですが、立場上……」
「ええ。こちらから破棄を切り出すのは、少々面倒ですわ」
そこで、ふとテイクアの目が光った。
「……でしたら」
言葉を選びつつ、静かに続ける。
「“向こうから”そう言わせる状況を、
自然に整えてしまう、というのはいかがでしょう」
シグネアは、ぱちりと瞬きをした。
「ほう?」
「例えば……」
テイクアは、一瞬だけ周囲を確認し、声を落とす。
「お嬢様が“お金に困っていらっしゃる”という噂が、
どこかから流れ始めたとしたら」
「……」
「それが事実の一部であれば、
嘘ではありません」
シグネアの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「……なるほど」
「“お金で悩んでいる”のは事実です。
ありすぎて困っていらっしゃるのですから」
「言葉が足りないだけ、ですわね」
「はい」
テイクアは、深く一礼した。
「ですが……その噂が広まれば、
あの方は――」
「ええ」
シグネアは頷く。
「“自分が狙われている”と、勝手に思い込むでしょうね」
そして、誇らしげに結論を出す。
「お金に執着する方ほど、
お金の話に弱いものですわ」
しばしの沈黙。
その後、シグネアは軽く手を振った。
「では、噂はこのまま?」
「ええ」
即答。
テイクアは、含み笑いを浮かべる。
「それがよろしいかと存じます」
シグネアは、楽しげに笑った。
「本当に、噂というのは便利ですわね」
「責任を取らずに、勝手に走ってくれますから」
テイクアは、思わず苦笑する。
「……お嬢様」
「なんですの?」
「どうか、その噂が
あまりにも“悪役令嬢”らしくなりすぎませんように」
シグネアは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「まあ?」
そして、あっさり言い切る。
「悪役令嬢で結構ですわ」
扇子を開き、高らかに笑う。
「結果さえ正しければ、
過程の評判など些細なことですもの!」
その日、王都のどこかで。
「ヴァレンティス侯爵様、
どうやらお金でお悩みらしいですわ」
そんな囁きが、静かに生まれ始めていた。
真実の一部だけを携えて。
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、午前の執務を終えたところだった。
机の上には、先ほどまで目を通していた書類の束が整然と並び、羽根ペンはきちんとインク壺の横に戻されている。几帳面な配置は、彼女の性格をそのまま映しているようだった。
「ふう……」
軽く息を吐き、扇子で顔を仰ぐ。
「相変わらず、数字は正直ですわね」
増え続ける収益、安定した事業、領内の税収。どこをどう見ても「困窮」とは程遠い。むしろ、問題はその逆だった。
「……本当に、お金がありすぎますわ」
その言葉を聞き、控えていたテイクア・ブレイクは一瞬、表情を引きつらせた。
「お嬢様、その台詞を外で仰るのはお控えになった方が……」
「なぜですの?」
即座に問い返す。
「事実ですもの」
「事実ではありますが……」
テイクアは言葉を選びながら続ける。
「世の中には、その“事実”を聞いただけで、
勝手に腹を立てる方々もおりますので」
「まあ」
シグネアは目を丸くし、次の瞬間、くすりと笑った。
「それはつまり、
理解力が足りないということではなくて?」
「……おっしゃる通りかと」
テイクアは内心で深く頷いた。
この方は、噂を恐れない。
むしろ、噂というものを“性質として理解している”。
「噂というのはね、テイクア」
シグネアは椅子に腰掛け直し、足を組む。
「真実をそのまま伝える必要はありませんの」
「……と、申しますと?」
「“一部”だけあれば十分ですわ」
扇子の先で空中に線を引く。
「しかも、その一部が“本当”であれば、
あとは勝手に尾ひれが付きます」
テイクアは、はっとした。
「まさか……」
「ええ」
シグネアは楽しげに頷く。
「噂が広まる条件は三つ」
指を一本立てる。
「第一に、分かりやすいこと」
二本目。
「第二に、聞いた人間が“納得した気になる”こと」
三本目。
「第三に、少しだけ人を不安にさせること」
すべて立て終え、扇子を閉じる。
「この三つが揃えば、
噂は放っておいても育ちますわ」
「……恐ろしいお話です」
「褒め言葉ですわ」
シグネアは当然のように言った。
しばし沈黙が落ちる。
その空気を破ったのは、テイクアだった。
「……お嬢様」
「なんですの」
「もし、その噂が……
お嬢様にとって“都合のよい方向”に進むとしたら?」
シグネアは、扇子越しに微笑んだ。
「それは、とても便利ですわね」
テイクアは、一歩踏み込む。
「例えば……
婚約者様とのご関係、など」
その瞬間、シグネアの目が細くなった。
「……あの方ですか」
プロフィット・アンドロス。
公爵家の令息であり、立場だけは立派だが、中身が伴っているとは言い難い男。
「正直に申し上げますと」
シグネアは、肩をすくめる。
「私は、あの方との関係を続ける気はありませんの」
「ですが、立場上……」
「ええ。こちらから破棄を切り出すのは、少々面倒ですわ」
そこで、ふとテイクアの目が光った。
「……でしたら」
言葉を選びつつ、静かに続ける。
「“向こうから”そう言わせる状況を、
自然に整えてしまう、というのはいかがでしょう」
シグネアは、ぱちりと瞬きをした。
「ほう?」
「例えば……」
テイクアは、一瞬だけ周囲を確認し、声を落とす。
「お嬢様が“お金に困っていらっしゃる”という噂が、
どこかから流れ始めたとしたら」
「……」
「それが事実の一部であれば、
嘘ではありません」
シグネアの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「……なるほど」
「“お金で悩んでいる”のは事実です。
ありすぎて困っていらっしゃるのですから」
「言葉が足りないだけ、ですわね」
「はい」
テイクアは、深く一礼した。
「ですが……その噂が広まれば、
あの方は――」
「ええ」
シグネアは頷く。
「“自分が狙われている”と、勝手に思い込むでしょうね」
そして、誇らしげに結論を出す。
「お金に執着する方ほど、
お金の話に弱いものですわ」
しばしの沈黙。
その後、シグネアは軽く手を振った。
「では、噂はこのまま?」
「ええ」
即答。
テイクアは、含み笑いを浮かべる。
「それがよろしいかと存じます」
シグネアは、楽しげに笑った。
「本当に、噂というのは便利ですわね」
「責任を取らずに、勝手に走ってくれますから」
テイクアは、思わず苦笑する。
「……お嬢様」
「なんですの?」
「どうか、その噂が
あまりにも“悪役令嬢”らしくなりすぎませんように」
シグネアは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「まあ?」
そして、あっさり言い切る。
「悪役令嬢で結構ですわ」
扇子を開き、高らかに笑う。
「結果さえ正しければ、
過程の評判など些細なことですもの!」
その日、王都のどこかで。
「ヴァレンティス侯爵様、
どうやらお金でお悩みらしいですわ」
そんな囁きが、静かに生まれ始めていた。
真実の一部だけを携えて。
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