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第5話 それはご立派なご決断ですわ
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第5話 それはご立派なご決断ですわ
王都の空気が、わずかに甘くなっていた。
それは春の訪れのせいでも、流行の香水のせいでもない。
――噂が、熟してきた匂いだった。
シグネア・ヴァレンティスは、その中心にいながら、
驚くほど静かな午後を過ごしていた。
「本日の予定は?」
紅茶を口に運びながら、何気なく問いかける。
「午前は契約書の確認、午後は来客一名でございます」
「来客?」
テイクアは、少しだけ表情を引き締めた。
「プロフィット・アンドロス様でございます」
その名を聞いても、シグネアの手は止まらない。
「あら。お久しぶりですわね」
まるで、遠縁の親戚の名前でも聞いたかのような反応だった。
「……何か、ご用件があるようでしたか?」
「“重要な話”とだけ」
「まあ」
くすりと笑う。
「たいてい、そういう前置きの話は重要ではありませんわ」
テイクアは内心で思う。
――いえ、今回は「自爆」が重要です、と。
◇
応接室。
扉が開いた瞬間から、空気が変わった。
プロフィット・アンドロスは、
いかにも「決意して来ました」という顔をしていた。
胸を張り、顎を上げ、視線はわずかに見下ろす角度。
「久しいな、シグネア」
「ええ。お変わりなく」
変わりなく“勘違いなさっている”という意味で。
シグネアは、席を勧めるだけで、特別な言葉はかけない。
「今日は、君に伝えねばならないことがある」
重々しく切り出す。
その様子を、テイクアは静かに観察していた。
――これはもう、止まらない。
「噂は……聞いているだろう?」
「噂、ですか?」
シグネアは、きょとんと首を傾げた。
「王都は今日も賑やかですわね」
それだけで、プロフィットは「効いている」と誤解した。
「君は、無理をしている」
唐突な断定。
「派手な支出、過剰な改革、領地の再開発……
若くして爵位を継いだ者に、重すぎる責任だ」
――出た、とテイクアは思う。
“忠告しているつもりの見下し”。
「私は、何度も助言した」
していない。
「だが、君は聞かなかった」
聞く必要がなかった。
「このままでは、君のためにもならない」
プロフィットは、満足そうに頷く。
「だから、決断した」
ここが、彼のクライマックスだった。
「――この婚約を、解消しよう」
静寂。
プロフィットは、その沈黙を“衝撃”だと解釈した。
(……やはり、ショックだったか)
だが、次の瞬間。
「まあ」
シグネアは、ぱっと顔を輝かせた。
「それは、ご立派なご決断ですわ」
あまりにも即答だった。
「……え?」
「筋が通っておりますわ」
優雅に微笑みながら続ける。
「価値観が合わない婚約を続けるのは、
双方にとって不幸ですもの」
プロフィットは、一瞬、言葉を失った。
「……理解してくれたのか?」
「ええ。全面的に」
立ち上がり、一礼。
「本日をもって、
プロフィット・アンドロス様との婚約は解消――
承知いたしました」
「……あ、ああ」
拍子抜けしつつも、
彼の胸には奇妙な高揚感が広がる。
(俺は、正しいことをした)
「公爵家としても――」
「ご安心なさって」
シグネアは、にこやかに遮った。
「これは、あくまで“ご立派なご決断”ですもの」
“そちらの”。
プロフィットは、それに気づかない。
◇
彼が去った後。
応接室には、静かな空気が戻った。
「……入口ですわね」
シグネアは、紅茶を飲みながら呟く。
「入口、でございますか?」
「ええ」
扇子を閉じ、軽く肩をすくめる。
「ようやく、余計な荷物が一つ減りました」
テイクアは、深く一礼した。
「では、第一段階は終了、ということで」
「そうですわ」
楽しげに微笑む。
「ここから先は――
向こうが勝手に、転げ落ちていくだけですもの」
その頃。
プロフィット・アンドロスは、
晴れやかな顔で馬車に揺られていた。
「情けをかけてやった」
自分に言い聞かせる。
「俺は、導いたのだ」
――まだ知らない。
この瞬間が、
彼の“立場”が正式に消えた瞬間だということを。
そして。
本当の教育的指導は、
まだ一言も、始まっていないということを。
悪役令嬢は、
今日もまだ、忙しいだけだった。
王都の空気が、わずかに甘くなっていた。
それは春の訪れのせいでも、流行の香水のせいでもない。
――噂が、熟してきた匂いだった。
シグネア・ヴァレンティスは、その中心にいながら、
驚くほど静かな午後を過ごしていた。
「本日の予定は?」
紅茶を口に運びながら、何気なく問いかける。
「午前は契約書の確認、午後は来客一名でございます」
「来客?」
テイクアは、少しだけ表情を引き締めた。
「プロフィット・アンドロス様でございます」
その名を聞いても、シグネアの手は止まらない。
「あら。お久しぶりですわね」
まるで、遠縁の親戚の名前でも聞いたかのような反応だった。
「……何か、ご用件があるようでしたか?」
「“重要な話”とだけ」
「まあ」
くすりと笑う。
「たいてい、そういう前置きの話は重要ではありませんわ」
テイクアは内心で思う。
――いえ、今回は「自爆」が重要です、と。
◇
応接室。
扉が開いた瞬間から、空気が変わった。
プロフィット・アンドロスは、
いかにも「決意して来ました」という顔をしていた。
胸を張り、顎を上げ、視線はわずかに見下ろす角度。
「久しいな、シグネア」
「ええ。お変わりなく」
変わりなく“勘違いなさっている”という意味で。
シグネアは、席を勧めるだけで、特別な言葉はかけない。
「今日は、君に伝えねばならないことがある」
重々しく切り出す。
その様子を、テイクアは静かに観察していた。
――これはもう、止まらない。
「噂は……聞いているだろう?」
「噂、ですか?」
シグネアは、きょとんと首を傾げた。
「王都は今日も賑やかですわね」
それだけで、プロフィットは「効いている」と誤解した。
「君は、無理をしている」
唐突な断定。
「派手な支出、過剰な改革、領地の再開発……
若くして爵位を継いだ者に、重すぎる責任だ」
――出た、とテイクアは思う。
“忠告しているつもりの見下し”。
「私は、何度も助言した」
していない。
「だが、君は聞かなかった」
聞く必要がなかった。
「このままでは、君のためにもならない」
プロフィットは、満足そうに頷く。
「だから、決断した」
ここが、彼のクライマックスだった。
「――この婚約を、解消しよう」
静寂。
プロフィットは、その沈黙を“衝撃”だと解釈した。
(……やはり、ショックだったか)
だが、次の瞬間。
「まあ」
シグネアは、ぱっと顔を輝かせた。
「それは、ご立派なご決断ですわ」
あまりにも即答だった。
「……え?」
「筋が通っておりますわ」
優雅に微笑みながら続ける。
「価値観が合わない婚約を続けるのは、
双方にとって不幸ですもの」
プロフィットは、一瞬、言葉を失った。
「……理解してくれたのか?」
「ええ。全面的に」
立ち上がり、一礼。
「本日をもって、
プロフィット・アンドロス様との婚約は解消――
承知いたしました」
「……あ、ああ」
拍子抜けしつつも、
彼の胸には奇妙な高揚感が広がる。
(俺は、正しいことをした)
「公爵家としても――」
「ご安心なさって」
シグネアは、にこやかに遮った。
「これは、あくまで“ご立派なご決断”ですもの」
“そちらの”。
プロフィットは、それに気づかない。
◇
彼が去った後。
応接室には、静かな空気が戻った。
「……入口ですわね」
シグネアは、紅茶を飲みながら呟く。
「入口、でございますか?」
「ええ」
扇子を閉じ、軽く肩をすくめる。
「ようやく、余計な荷物が一つ減りました」
テイクアは、深く一礼した。
「では、第一段階は終了、ということで」
「そうですわ」
楽しげに微笑む。
「ここから先は――
向こうが勝手に、転げ落ちていくだけですもの」
その頃。
プロフィット・アンドロスは、
晴れやかな顔で馬車に揺られていた。
「情けをかけてやった」
自分に言い聞かせる。
「俺は、導いたのだ」
――まだ知らない。
この瞬間が、
彼の“立場”が正式に消えた瞬間だということを。
そして。
本当の教育的指導は、
まだ一言も、始まっていないということを。
悪役令嬢は、
今日もまだ、忙しいだけだった。
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