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第10話 噂は働かずに増える
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第10話 噂は働かずに増える
噂というものは、誰かが一生懸命に働かなくても、勝手に育つ。
水と空気と、ほんの少しの悪意があれば十分だ。
そして王都には、その三つが過不足なく揃っていた。
「聞きました?」
午後のサロン。
紅茶の香りが漂う中、ルーマー・イグザジェレイション伯爵令嬢は、あたかも偶然思い出したかのように口を開いた。
「最近、話題の――
ヴァレンティス侯爵様のことですわ」
一瞬、空気が止まる。
「……ああ、あの」
「スラム街を壊した、という?」
数人の令嬢が顔を見合わせる。
ルーマーは、そこで一拍置いた。
この“間”が重要だと、彼女は経験で知っている。
「ええ。
“壊した”と申しますか……」
声をひそめる。
「人が住んでいた街を、問答無用で、更地に」
「まあ……」
「強引ですわね……」
反応は上々。
ルーマーは、内心で満足する。
(いいえ、事実はもっと複雑ですけれど。
噂に複雑さは不要ですわ)
「しかも、ですわよ?」
畳みかける。
「自分の領地だから、合法だと仰ったとか」
嘘ではない。
だが、説明をすべて削ぎ落とした真実ほど、印象が悪いものはない。
「……冷酷ですわ」
「若いのに、あそこまで強権的だなんて」
誰かがため息をついた。
ルーマーは、紅茶を一口含み、ゆっくりと続ける。
「まあ、侯爵様ですもの。
私たちとは、感覚が違うのでしょうね」
――さりげない線引き。
その瞬間、サロンの全員が、無意識に同意していた。
同じ頃。
ヴァレンティス侯爵邸では、まったく違う空気が流れていた。
「……噂が、ずいぶんと賑やかになっております」
テイクアが、報告書を手にしている。
「“スラムを壊した冷酷な女侯爵”
“弱者切り捨ての象徴”
……など」
「順調ですわね」
シグネアは、涼しい顔で紅茶を飲んでいた。
「お、お嬢様?」
「噂とは、そういうものですわ」
何事もないように言う。
「事実の九割が削られ、
感情だけが残る」
「ですが……評判が」
「評判は、使い捨てです」
即答だった。
「成果は、残ります」
テイクアは、言葉を失う。
(……強い)
その一言に尽きた。
翌日。
王都の別のサロン。
「ねえ、聞いた?」
「またヴァレンティス侯爵様の話?」
「ええ。
今度は、職人街でも問題を起こしたそうよ」
――話が、勝手に連結されていく。
「職人に無駄な金を払ってるとか」
「経済が分かってないのでは?」
ルーマーは、その中心にいた。
「きっと、善意のつもりなのでしょうけれど」
困ったように首を振る。
「善意ほど、経済を壊すものはありませんわ」
どこかで聞いたような言葉を、
まるで自分の考えのように使う。
「だから、噂になるのですわね」
――“噂になる人は、問題がある”。
この論法は、王都で非常によく効いた。
さらに数日後。
「ヴァレンティス侯爵様、
お金に困っているから、無理な改革をしているらしいですわ」
新しい噂が、自然発生的に広がる。
テイクアは、報告を聞きながら小さく息を吐いた。
「……完全に、話が繋がっています」
「ええ」
シグネアは、書類から目を離さない。
「壊した、金を使った、改革した。
では、その理由は何か?」
「……借金?」
「そういうことですわ」
淡々とした声。
「人は、分かりやすい理由を好みます」
「訂正なさらないのですか?」
テイクアが、慎重に尋ねる。
シグネアは、そこでようやく顔を上げた。
「訂正?」
不思議そうに首を傾げる。
「なぜ?」
「事実では、ありません」
「噂に、事実は不要ですわ」
静かな断言。
「それに――」
微笑む。
「今、訂正すればするほど、
“触れられて困る何かがある”と見なされます」
テイクアは、納得するしかなかった。
一方、ルーマーは満足していた。
(いい流れですわ)
噂は噂を呼び、
誰も元の話を確認しようとしない。
「やはり、侯爵という地位だけでは……」
誰かの言葉に、ルーマーは頷く。
「そうですわね」
柔らかく微笑む。
「やはり、支える存在が必要ですわ」
その視線が、
まだ表舞台に立っていない男――
プロフィット・アンドロスの名を、静かに呼び寄せていた。
夜。
シグネアは、書斎で地図を見ていた。
再開発地区、職人街、物流路。
噂とは無関係に、計画は進んでいる。
「……噂は、働かずに増える」
ぽつりと呟く。
「ですが、成果は、働いた者にしか残りませんわ」
テイクアは、静かに頭を下げた。
噂が増えれば増えるほど、
後に残る現実との落差は大きくなる。
それを、主は理解している。
いや――。
(理解している、どころではない)
それを“利用している”。
噂が王都を覆う中、
悪役令嬢は、今日も一切、訂正しなかった。
それが、最も効率的だったからだ。
噂というものは、誰かが一生懸命に働かなくても、勝手に育つ。
水と空気と、ほんの少しの悪意があれば十分だ。
そして王都には、その三つが過不足なく揃っていた。
「聞きました?」
午後のサロン。
紅茶の香りが漂う中、ルーマー・イグザジェレイション伯爵令嬢は、あたかも偶然思い出したかのように口を開いた。
「最近、話題の――
ヴァレンティス侯爵様のことですわ」
一瞬、空気が止まる。
「……ああ、あの」
「スラム街を壊した、という?」
数人の令嬢が顔を見合わせる。
ルーマーは、そこで一拍置いた。
この“間”が重要だと、彼女は経験で知っている。
「ええ。
“壊した”と申しますか……」
声をひそめる。
「人が住んでいた街を、問答無用で、更地に」
「まあ……」
「強引ですわね……」
反応は上々。
ルーマーは、内心で満足する。
(いいえ、事実はもっと複雑ですけれど。
噂に複雑さは不要ですわ)
「しかも、ですわよ?」
畳みかける。
「自分の領地だから、合法だと仰ったとか」
嘘ではない。
だが、説明をすべて削ぎ落とした真実ほど、印象が悪いものはない。
「……冷酷ですわ」
「若いのに、あそこまで強権的だなんて」
誰かがため息をついた。
ルーマーは、紅茶を一口含み、ゆっくりと続ける。
「まあ、侯爵様ですもの。
私たちとは、感覚が違うのでしょうね」
――さりげない線引き。
その瞬間、サロンの全員が、無意識に同意していた。
同じ頃。
ヴァレンティス侯爵邸では、まったく違う空気が流れていた。
「……噂が、ずいぶんと賑やかになっております」
テイクアが、報告書を手にしている。
「“スラムを壊した冷酷な女侯爵”
“弱者切り捨ての象徴”
……など」
「順調ですわね」
シグネアは、涼しい顔で紅茶を飲んでいた。
「お、お嬢様?」
「噂とは、そういうものですわ」
何事もないように言う。
「事実の九割が削られ、
感情だけが残る」
「ですが……評判が」
「評判は、使い捨てです」
即答だった。
「成果は、残ります」
テイクアは、言葉を失う。
(……強い)
その一言に尽きた。
翌日。
王都の別のサロン。
「ねえ、聞いた?」
「またヴァレンティス侯爵様の話?」
「ええ。
今度は、職人街でも問題を起こしたそうよ」
――話が、勝手に連結されていく。
「職人に無駄な金を払ってるとか」
「経済が分かってないのでは?」
ルーマーは、その中心にいた。
「きっと、善意のつもりなのでしょうけれど」
困ったように首を振る。
「善意ほど、経済を壊すものはありませんわ」
どこかで聞いたような言葉を、
まるで自分の考えのように使う。
「だから、噂になるのですわね」
――“噂になる人は、問題がある”。
この論法は、王都で非常によく効いた。
さらに数日後。
「ヴァレンティス侯爵様、
お金に困っているから、無理な改革をしているらしいですわ」
新しい噂が、自然発生的に広がる。
テイクアは、報告を聞きながら小さく息を吐いた。
「……完全に、話が繋がっています」
「ええ」
シグネアは、書類から目を離さない。
「壊した、金を使った、改革した。
では、その理由は何か?」
「……借金?」
「そういうことですわ」
淡々とした声。
「人は、分かりやすい理由を好みます」
「訂正なさらないのですか?」
テイクアが、慎重に尋ねる。
シグネアは、そこでようやく顔を上げた。
「訂正?」
不思議そうに首を傾げる。
「なぜ?」
「事実では、ありません」
「噂に、事実は不要ですわ」
静かな断言。
「それに――」
微笑む。
「今、訂正すればするほど、
“触れられて困る何かがある”と見なされます」
テイクアは、納得するしかなかった。
一方、ルーマーは満足していた。
(いい流れですわ)
噂は噂を呼び、
誰も元の話を確認しようとしない。
「やはり、侯爵という地位だけでは……」
誰かの言葉に、ルーマーは頷く。
「そうですわね」
柔らかく微笑む。
「やはり、支える存在が必要ですわ」
その視線が、
まだ表舞台に立っていない男――
プロフィット・アンドロスの名を、静かに呼び寄せていた。
夜。
シグネアは、書斎で地図を見ていた。
再開発地区、職人街、物流路。
噂とは無関係に、計画は進んでいる。
「……噂は、働かずに増える」
ぽつりと呟く。
「ですが、成果は、働いた者にしか残りませんわ」
テイクアは、静かに頭を下げた。
噂が増えれば増えるほど、
後に残る現実との落差は大きくなる。
それを、主は理解している。
いや――。
(理解している、どころではない)
それを“利用している”。
噂が王都を覆う中、
悪役令嬢は、今日も一切、訂正しなかった。
それが、最も効率的だったからだ。
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