お金がありすぎて困っておりますの(悪役令嬢ver.) ~悪役令嬢は噂も相場も支配しますわ~

ふわふわ

文字の大きさ
11 / 32

第11話 商人ではありませんので

しおりを挟む
第11話 商人ではありませんので

 午後の陽射しが、書斎の大きな窓から差し込んでいた。
 積み上げられた書類の山を前に、シグネア・ヴァレンティスは優雅に紅茶を口に運んでいる。

「……また、話題に上っております」

 テイクアが、少し困ったように報告書を差し出した。

「小麦の件です」

「そう」

 シグネアは、視線を上げることもなく応じる。

「今度は、どのような話になっているのかしら」

「“国内の小麦相場が不安定だ”
 “誰かが買い占めているらしい”
 “このままでは食料危機になるのではないか”
 そのような噂が、商人の間で広がっているようです」

「ずいぶんと、大げさですわね」

 シグネアは、くすりと笑った。

「事実は?」

「一部の商会が、大量に在庫を抱えているのは事実です。
 ただし、流通そのものが止まっているわけではありません」

「では、危機でも何でもありませんわ」

 あっさりと言い切る。

 テイクアは、少し言いづらそうに続けた。

「……その商会の動きについて、
 “ヴァレンティス侯爵様なら、何か手を打つのでは”
 という声も、出始めております」

 そこで、シグネアはようやく書類から目を上げた。

「私が?」

「はい」

 テイクアは、慎重に言葉を選ぶ。

「これまでの行動から、
 “経済にも関与する侯爵”
 という印象が、広がっているようで……」

 しばし、沈黙。

 そして。

「……商人ではありませんので」

 シグネアは、静かに言った。

 その声は、柔らかいが、はっきりしている。

「相場に口出しする理由がありませんわ」

「ですが……」

「テイクア」

 遮るように名を呼ぶ。

「私は、商人ではありません。
 相場を操る立場でもありません」

 扇子を閉じ、机の上に置く。

「相場とは、需要と供給が決めるものです。
 それを理解せずに“正義感”や“不安”で手を出せば、
 必ず歪みが生まれます」

 テイクアは、黙って聞いていた。

「今の段階で、私が動けば」

 シグネアは、淡々と続ける。

「“侯爵が相場を操作した”
 という前例を作るだけですわ」

「……確かに」

「それに」

 少しだけ、微笑む。

「本当に困る状況になれば、
 向こうから、必ず話が来ます」

 その言葉には、確信があった。

「問題を抱えた側ほど、
 “静観している相手”を、気にし始めますから」

 テイクアは、内心で感嘆する。

(何もしない、という選択が
 ここまで計算されているとは……)

「では、小麦の件については……」

「見ているだけで結構ですわ」

 即答だった。

「記録を取り、状況を整理しなさい。
 それだけで十分です」

 テイクアは、深く頭を下げた。

「承知いたしました」

 書斎に、再び静けさが戻る。

 シグネアは、窓の外を見やった。

 遠くに見えるのは、再開発が進む街並み。
 整然とした道、動き始めた人の流れ。

「……噂は、忙しいですわね」

 ぽつりと呟く。

「ですが、現実は、急ぎません」

 彼女は、紅茶を一口飲み干した。

「相場も、人も、
 限界が来たときに、ようやく本音を見せる」

 その本音を引き出すまで、
 今は、動かない。

 それが、侯爵としての判断だった。

 テイクアは、そっと書斎を出ながら思う。

(お嬢様は……
 噂の中心にいながら、
 まだ何一つ、踏み込んでいない)

 それが、逆に不気味だった。

 王都のどこかで、小麦を巡る話がざわめいている。

 だが、その渦中に、
 シグネア・ヴァレンティスの姿は、まだない。

 彼女はただ、
 “商人ではない侯爵”として、
 静かに時を待っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。

風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。 ※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。

5年経っても軽率に故郷に戻っては駄目!

158
恋愛
伯爵令嬢であるオリビアは、この世界が前世でやった乙女ゲームの世界であることに気づく。このまま学園に入学してしまうと、死亡エンドの可能性があるため学園に入学する前に家出することにした。婚約者もさらっとスルーして、早や5年。結局誰ルートを主人公は選んだのかしらと軽率にも故郷に舞い戻ってしまい・・・ 2話完結を目指してます!

逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?

魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。 彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。 国外追放の系に処された。 そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。 新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。 しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。 夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。 ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。 そして学校を卒業したら大陸中を巡る! そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、 鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……? 「君を愛している」 一体なにがどうなってるの!?

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた

22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。 一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?

貴方のことなんて愛していませんよ?~ハーレム要員だと思われていた私は、ただのビジネスライクな婚約者でした~

キョウキョウ
恋愛
妹、幼馴染、同級生など数多くの令嬢たちと愛し合っているランベルト王子は、私の婚約者だった。 ある日、ランベルト王子から婚約者の立場をとある令嬢に譲ってくれとお願いされた。 その令嬢とは、新しく増えた愛人のことである。 婚約破棄の手続きを進めて、私はランベルト王子の婚約者ではなくなった。 婚約者じゃなくなったので、これからは他人として振る舞います。 だから今後も、私のことを愛人の1人として扱ったり、頼ったりするのは止めて下さい。

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。

ぽんぽこ狸
恋愛
 気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。  その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。  だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。  しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。  五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。

処理中です...