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第13話 契約とは、紙の話ですわ
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第13話 契約とは、紙の話ですわ
王都の商業区。
重厚な石造りの建物の一室に、数人の商人と役人が集められていた。
「……状況は、かなり厳しいですね」
最初に口を開いたのは、年配の商会主だった。
「倉庫に滞留している小麦の量が多すぎる。
このままでは、市場に流すタイミングを完全に失います」
「しかし、値を下げて売れば……」
別の商人が言いよどむ。
「損失が大きすぎます。
仕入れ値を考えれば、決断しかねるのも理解できます」
その言葉に、役人の一人が溜息をついた。
「理解はできますが、
小麦は理解してくれません」
「……」
「保管費用、管理費、劣化のリスク。
時間が経てば経つほど、損は増える」
沈黙が落ちる。
誰もが分かっていた。
だが、誰も“責任を引き受ける役”になりたくなかった。
「そこで、だ」
別の役人が、資料を机に置く。
「第三者による引き取り、という案が出ています」
「第三者?」
「ええ。
すべてを一括で引き取れる資金力を持ち、
かつ、国内流通を乱さず処理できる存在です」
商人たちの視線が、自然と集まった。
「……そんな相手が、いるのか?」
一瞬の間。
役人は、ためらいがちに答えた。
「候補として、
ヴァレンティス侯爵様の名が挙がっています」
空気が、わずかに揺れた。
「侯爵……?」
「最近、何かと話題の?」
「ですが……商人ではありませんよね」
誰かが、率直に言った。
「ええ」
役人は頷く。
「だからこそ、です」
「相場で儲けようという動機がない。
流通と安定を優先する立場です」
「……なるほど」
商人の一人が、腕を組む。
「だが、本人が引き受けるかどうかは別だ」
「もちろん、打診が必要です」
だが、その言葉には、どこか慎重さがあった。
全員が知っている。
ヴァレンティス侯爵は、軽々しく動く人物ではない。
「……まだ、話を持ち込む段階ではないな」
誰かが、そう結論づけた。
「今は、候補として名前が出ただけだ」
その判断に、全員が黙って同意した。
契約とは、紙の話だ。
だが、その紙に署名する者が現れなければ、
何も始まらない。
その日、
ヴァレンティス侯爵の名は、
“可能性”として、静かに記録された。
動きは、まだない。
一方。
ヴァレンティス侯爵邸。
「……引き取り先として、
お嬢様のお名前が挙がっているようです」
テイクアは、情報を淡々と伝えた。
「そう」
シグネアは、驚きもせず答える。
「当然ですわね」
「当然、ですか?」
「ええ」
扇子を閉じ、静かに言う。
「資金があり、
国内流通を壊さず、
なおかつ相場で遊ばない存在など、
限られていますもの」
テイクアは、少し考えてから尋ねた。
「では……話が来たら?」
「そのときに、考えますわ」
即答だった。
「今は、まだ早い」
「早い……?」
「ええ」
シグネアは、書類に視線を戻す。
「“困っている”という自覚が、
相手に足りません」
「ですが、倉庫はすでに……」
「数字の上で困っていても、
心が困っていなければ、
まともな契約は結べませんわ」
冷静な分析。
「まだ、彼は選べるつもりでいる」
テイクアは、静かに息を吸った。
(選べると思っている限り、
対等な契約にはならない)
「それに」
シグネアは、少しだけ口元を緩める。
「こちらから手を差し伸べれば、
“助けてもらった”と勘違いされます」
「……」
「それは、面倒ですわ」
はっきりとした拒絶。
「契約とは、
双方が必要としたときに結ぶもの」
扇子で机を軽く叩く。
「片方が“上から”来ているうちは、
まだ、その時ではありません」
テイクアは、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
その夜。
倉庫街では、また一日、小麦が動かないまま時が過ぎた。
紙の上では、解決策が並び、
候補の名前も挙がっている。
だが、
契約書は、まだ白紙のままだ。
そしてその白紙こそが、
事態が“次の段階”へ進んだ証でもあった。
ヴァレンティス侯爵は、
まだ、何もしていない。
それが、
この問題を最も大きく動かす準備であることを、
知っている者は、ほとんどいなかった。
王都の商業区。
重厚な石造りの建物の一室に、数人の商人と役人が集められていた。
「……状況は、かなり厳しいですね」
最初に口を開いたのは、年配の商会主だった。
「倉庫に滞留している小麦の量が多すぎる。
このままでは、市場に流すタイミングを完全に失います」
「しかし、値を下げて売れば……」
別の商人が言いよどむ。
「損失が大きすぎます。
仕入れ値を考えれば、決断しかねるのも理解できます」
その言葉に、役人の一人が溜息をついた。
「理解はできますが、
小麦は理解してくれません」
「……」
「保管費用、管理費、劣化のリスク。
時間が経てば経つほど、損は増える」
沈黙が落ちる。
誰もが分かっていた。
だが、誰も“責任を引き受ける役”になりたくなかった。
「そこで、だ」
別の役人が、資料を机に置く。
「第三者による引き取り、という案が出ています」
「第三者?」
「ええ。
すべてを一括で引き取れる資金力を持ち、
かつ、国内流通を乱さず処理できる存在です」
商人たちの視線が、自然と集まった。
「……そんな相手が、いるのか?」
一瞬の間。
役人は、ためらいがちに答えた。
「候補として、
ヴァレンティス侯爵様の名が挙がっています」
空気が、わずかに揺れた。
「侯爵……?」
「最近、何かと話題の?」
「ですが……商人ではありませんよね」
誰かが、率直に言った。
「ええ」
役人は頷く。
「だからこそ、です」
「相場で儲けようという動機がない。
流通と安定を優先する立場です」
「……なるほど」
商人の一人が、腕を組む。
「だが、本人が引き受けるかどうかは別だ」
「もちろん、打診が必要です」
だが、その言葉には、どこか慎重さがあった。
全員が知っている。
ヴァレンティス侯爵は、軽々しく動く人物ではない。
「……まだ、話を持ち込む段階ではないな」
誰かが、そう結論づけた。
「今は、候補として名前が出ただけだ」
その判断に、全員が黙って同意した。
契約とは、紙の話だ。
だが、その紙に署名する者が現れなければ、
何も始まらない。
その日、
ヴァレンティス侯爵の名は、
“可能性”として、静かに記録された。
動きは、まだない。
一方。
ヴァレンティス侯爵邸。
「……引き取り先として、
お嬢様のお名前が挙がっているようです」
テイクアは、情報を淡々と伝えた。
「そう」
シグネアは、驚きもせず答える。
「当然ですわね」
「当然、ですか?」
「ええ」
扇子を閉じ、静かに言う。
「資金があり、
国内流通を壊さず、
なおかつ相場で遊ばない存在など、
限られていますもの」
テイクアは、少し考えてから尋ねた。
「では……話が来たら?」
「そのときに、考えますわ」
即答だった。
「今は、まだ早い」
「早い……?」
「ええ」
シグネアは、書類に視線を戻す。
「“困っている”という自覚が、
相手に足りません」
「ですが、倉庫はすでに……」
「数字の上で困っていても、
心が困っていなければ、
まともな契約は結べませんわ」
冷静な分析。
「まだ、彼は選べるつもりでいる」
テイクアは、静かに息を吸った。
(選べると思っている限り、
対等な契約にはならない)
「それに」
シグネアは、少しだけ口元を緩める。
「こちらから手を差し伸べれば、
“助けてもらった”と勘違いされます」
「……」
「それは、面倒ですわ」
はっきりとした拒絶。
「契約とは、
双方が必要としたときに結ぶもの」
扇子で机を軽く叩く。
「片方が“上から”来ているうちは、
まだ、その時ではありません」
テイクアは、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
その夜。
倉庫街では、また一日、小麦が動かないまま時が過ぎた。
紙の上では、解決策が並び、
候補の名前も挙がっている。
だが、
契約書は、まだ白紙のままだ。
そしてその白紙こそが、
事態が“次の段階”へ進んだ証でもあった。
ヴァレンティス侯爵は、
まだ、何もしていない。
それが、
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