お金がありすぎて困っておりますの(悪役令嬢ver.) ~悪役令嬢は噂も相場も支配しますわ~

ふわふわ

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第14話 所有権が移った日

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第14話 所有権が移った日

 倉庫街に、朝の靄が立ちこめていた。
 石畳は夜露を吸い、重い空気が辺りを包んでいる。

 並ぶ倉庫の扉は、どれも閉ざされたまま。
 中に眠るのは、動かぬ小麦と、動けなくなった決断だ。

「……まだ、何も決まっていないのですか」

 倉庫管理を担当する役人が、疲れた声で言った。

「決まっていない、というより……」

 向かいに座る商会主は、言葉を濁す。

「決められない、が正しい」

「価格を下げれば損をする。
 持ち続ければ、もっと損をする」

「分かっています」

「では、なぜ——」

「責任を負いたくないからでしょう」

 場にいた誰かが、冷静に言い切った。

 空気が、一瞬で冷えた。

「……誰もが、
 “自分の判断で損を出した”
 という記録を残したくない」

「だから、時間に判断させている」

「時間は、慈悲を持ちませんよ」

 役人の言葉に、沈黙が落ちた。

 そのとき。

 扉の外で、足音がした。

 軽やかでもなく、重々しくもない。
 ただ、迷いのない足取り。

 扉が開き、現れたのは、ヴァレンティス侯爵家の使者だった。

「失礼いたします」

 簡潔な挨拶。

「侯爵様より、
 本日の件について、正式な意思表示がございます」

 場の空気が、張り詰める。

「……もう、返答が?」

「はい」

 使者は、机の上に一枚の書類を置いた。

「こちらが、条件書です」

 役人がそれを取り、目を通す。

 そして、目を見開いた。

「これは……」

「仕入れ値での一括引き取り。
 数量、全量」

 ざわめきが起こる。

「そんな条件で……」

「正気か?」

 商会主の一人が、声を荒げる。

「相場は、下がる可能性がある。
 損をするのは——」

「承知の上です」

 使者は、淡々と答えた。

「ヴァレンティス侯爵様は、
 この件を投機ではなく、
 流通の再設計として捉えております」

「再設計……?」

「はい」

 書類の次の頁が開かれる。

「保管費、管理費、
 今後発生する劣化リスク。
 それらをすべて引き受ける代わりに、
 即時の所有権移転を求めます」

「即時……」

「はい。
 本日付で」

 沈黙。

 誰もが理解した。
 これは、救済ではない。

「つまり……」

 役人が、慎重に言葉を選ぶ。

「本日をもって、
 この倉庫にある小麦の所有権は、
 すべてヴァレンティス侯爵様に?」

「その通りです」

 使者は、迷いなく頷いた。

「以降の売却、配分、価格設定、
 すべて侯爵様の裁量となります」

 商会主たちは、互いに視線を交わした。

 誰かが、低く呟く。

「……助かった、のか?」

 別の誰かが、首を振った。

「いいや。
 これは、切り捨てられたんだ」

 役人は、書類に視線を落としたまま言った。

「ですが……
 現時点で、これ以上の条件は存在しません」

 誰も反論できなかった。

 全員が、分かっていた。
 ここで拒めば、次はない。

「……承認します」

 役人が、静かに署名した。

 一人、また一人と、署名が重ねられる。

 紙の上で、線が交差し、
 責任が、静かに移動していく。

 最後に。

「本契約をもって、
 所有権はヴァレンティス侯爵様へ移転」

 その宣言と同時に、
 倉庫の中身は、もはや別物になった。

 同日。

 ヴァレンティス侯爵邸。

「……完了しました」

 テイクアが報告する。

「所有権、全量。
 本日付です」

「そう」

 シグネアは、書類を一瞥しただけだった。

「倉庫の鍵は?」

「すでに、侯爵家名義で管理が移っています」

「なら、問題ありませんわ」

 彼女は、椅子に深く腰掛ける。

「損だ、得だと騒いでいましたが……」

 扇子を軽く広げる。

「選択を先延ばしにした時点で、
 すでに価値は目減りしていましたのに」

 テイクアは、静かに問いかける。

「相場が下がった場合、
 お嬢様が損を被る可能性もあります」

「ありますわね」

 あっさりと認める。

「ですが、それは“結果”の話です」

「……」

「判断を引き受けた、という事実が、
 最も重い」

 扇子を閉じ、はっきりと言った。

「もう、彼らは
 『どうすべきだったか』
 を語る立場ではありません」

 その夜。

 倉庫街では、
 初めて、管理札が付け替えられた。

 ヴァレンティス侯爵家。

 その名が、倉庫の扉に刻まれる。

 同時刻。

 王都の片隅で、
 噂を追っていた女が、立ち止まっていた。

「……外国産が、動き始めた?」

 ルーマーは、耳に入った情報に、表情を変える。

「国内の倉庫が整理される……
 このタイミングで?」

 彼女は、即座に理解した。

「……所有権が、移ったのね」

 背筋に、冷たいものが走る。

「まずい……」

 噂は、拡散できても、
 契約は、止められない。

「この国に残る理由が……」

 彼女は、周囲を見渡し、
 静かに息を整えた。

 動くべきは、今。

 そう判断した瞬間、
 彼女の頭から、
 すでに“国外”という選択肢が消えなかった。

 一方で。

 ヴァレンティス侯爵は、
 まだ、何も語っていない。

 だが、この日。

 確かに、すべてが動き始めていた。

 紙一枚で。

 それが、
 所有権が移った日の、静かな真実だった。
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