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17話|噂は責任を取らない
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17話|噂は責任を取らない
ルーマー・イグザジェレイションが社交界から姿を消したのは、唐突だった。
昨日まで、確かにそこにいたはずの人物が、翌日にはいない。
それも、何の前触れもなく。
王都のサロンで、いつもの席が空いていることに気づいた令嬢が、首を傾げる。
「……あら? ルーマー様は?」
「今日はまだお見えになっていないみたいですわね」
「珍しいこと」
最初は、それだけだった。
誰もが、すぐに来るだろうと考えていた。
だが、昼になっても。
夕刻になっても。
夜になっても。
彼女は現れなかった。
屋敷を訪ねた使用人が戻ってくる。
「すでに屋敷は引き払われております」 「馬車も、昨夜のうちに出立したと」
そこでようやく、空気が変わった。
「……国外、ですって?」 「逃げた、ということ?」
声がひそめられる。
だが、誰も決定的な理由を口にできない。
なぜなら、ルーマーが何か罪を犯したわけではないからだ。
彼女は、ただ噂を流していただけ。
それも、自分の手を汚さないやり方で。
事実を少し。
憶測を少し。
聞き手の悪意を少し。
それらを混ぜ合わせ、もっともらしい形にして広める。
責任の所在は、常に「どこか」に置いたまま。
それが、ルーマーの生き方だった。
しかし。
今回は、状況が違った。
*
ヴァレンティス侯爵が、動いている。
その事実が、噂としてではなく、現実として見え始めた瞬間。
ルーマーは、即座に理解した。
「……まずいですわね」
それは、恐怖ではない。
感情でもない。
純粋な、計算だった。
彼女は知っていた。
シグネア・ヴァレンティスが、噂を否定しないことを。
弁明もしないことを。
誰かを糾弾するために動かないことを。
だが同時に、もっと重要なことも知っていた。
シグネアは、噂そのものを問題にしていない。
噂を流した人物も、追及していない。
つまり。
「……とばっちりが来るとしたら、静かに、確実に、ですわね」
ルーマーは、噂を武器にしてきた。
だが、その武器が通じない相手に対して、噂はただの荷物になる。
しかも今回は、小麦。
銀行。
都市再開発。
数字と契約と結果が絡む領域。
噂で逃げ切れる場所ではない。
彼女は悟った。
「このまま王都にいれば、何もしていなくても……巻き込まれる」
責任を問われる形ではない。
断罪されるわけでもない。
もっと厄介な形で。
気づけば、話の端に名前が出る。
噂の出どころとして、思い出される。
誰かが失敗した時に、「そういえば」と連想される。
それが、彼女のもっとも恐れていた未来だった。
「責任を取らされる前に、距離を取る」
それが、ルーマーの結論だった。
*
そして、彼女は消えた。
国外へ。
噂の届かない場所へ。
残されたのは、彼女の名前を失った噂だけ。
「ヴァレンティス侯爵様は冷酷らしい」 「スラム街を壊したそうよ」 「小麦も、裏があるに違いないわ」
だが、その言葉を口にする者たちは、次第に気づき始める。
「……誰から聞いたのかしら?」 「確か……ルーマー様、でした?」
しかし、そのルーマーはいない。
確認のしようがない。
責任を問う相手もいない。
噂は、宙に浮いた。
*
ヴァレンティス侯爵邸。
「ルーマー・イグザジェレイション伯爵令嬢、国外へ出たことが確認されました」
テイクアの報告に、シグネアは静かに頷いた。
「そう」
それ以上の感想はない。
「……理由は」
「推測に過ぎませんが」
テイクアは慎重に言葉を選ぶ。
「ご自身に直接の不利益が及ぶ前に、距離を取ったのではないかと」
「ええ」
シグネアは、淡く笑った。
「賢明ですわね」
「お嬢様に、とばっちりが及ぶことを恐れて?」
「いいえ」
きっぱりと否定する。
「自分に及ぶことを恐れただけですわ」
それで十分だ、と言うように。
「噂を流す方ほど、現実には弱いものです」
「責任を取らない前提で動いていますから」
「ええ」
シグネアは、書類に目を落とす。
「だから、責任が発生しそうな空気を感じた瞬間、逃げる」
それは、彼女なりの生存戦略だった。
「ですが――」
テイクアが続ける。
「噂だけは、残りました」
「残りますわね」
シグネアは、楽しげに言った。
「噂は、置き土産のようなものですもの」
誰も管理せず、
誰も回収せず、
ただ、時間と現実にすり潰されていく。
「問題ありません」
静かに、断言する。
「噂は責任を取りません。ですが」
一拍置いて。
「現実は、必ず責任を伴います」
だからこそ。
「これから先、困るのは――」
逃げた者ではない。
現実から目を逸らし続けた者だけ。
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、淡々と次の決裁書に目を通した。
「さて」
小さく、愉快そうに。
「忙しくなりますわね」
ルーマー・イグザジェレイションが社交界から姿を消したのは、唐突だった。
昨日まで、確かにそこにいたはずの人物が、翌日にはいない。
それも、何の前触れもなく。
王都のサロンで、いつもの席が空いていることに気づいた令嬢が、首を傾げる。
「……あら? ルーマー様は?」
「今日はまだお見えになっていないみたいですわね」
「珍しいこと」
最初は、それだけだった。
誰もが、すぐに来るだろうと考えていた。
だが、昼になっても。
夕刻になっても。
夜になっても。
彼女は現れなかった。
屋敷を訪ねた使用人が戻ってくる。
「すでに屋敷は引き払われております」 「馬車も、昨夜のうちに出立したと」
そこでようやく、空気が変わった。
「……国外、ですって?」 「逃げた、ということ?」
声がひそめられる。
だが、誰も決定的な理由を口にできない。
なぜなら、ルーマーが何か罪を犯したわけではないからだ。
彼女は、ただ噂を流していただけ。
それも、自分の手を汚さないやり方で。
事実を少し。
憶測を少し。
聞き手の悪意を少し。
それらを混ぜ合わせ、もっともらしい形にして広める。
責任の所在は、常に「どこか」に置いたまま。
それが、ルーマーの生き方だった。
しかし。
今回は、状況が違った。
*
ヴァレンティス侯爵が、動いている。
その事実が、噂としてではなく、現実として見え始めた瞬間。
ルーマーは、即座に理解した。
「……まずいですわね」
それは、恐怖ではない。
感情でもない。
純粋な、計算だった。
彼女は知っていた。
シグネア・ヴァレンティスが、噂を否定しないことを。
弁明もしないことを。
誰かを糾弾するために動かないことを。
だが同時に、もっと重要なことも知っていた。
シグネアは、噂そのものを問題にしていない。
噂を流した人物も、追及していない。
つまり。
「……とばっちりが来るとしたら、静かに、確実に、ですわね」
ルーマーは、噂を武器にしてきた。
だが、その武器が通じない相手に対して、噂はただの荷物になる。
しかも今回は、小麦。
銀行。
都市再開発。
数字と契約と結果が絡む領域。
噂で逃げ切れる場所ではない。
彼女は悟った。
「このまま王都にいれば、何もしていなくても……巻き込まれる」
責任を問われる形ではない。
断罪されるわけでもない。
もっと厄介な形で。
気づけば、話の端に名前が出る。
噂の出どころとして、思い出される。
誰かが失敗した時に、「そういえば」と連想される。
それが、彼女のもっとも恐れていた未来だった。
「責任を取らされる前に、距離を取る」
それが、ルーマーの結論だった。
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そして、彼女は消えた。
国外へ。
噂の届かない場所へ。
残されたのは、彼女の名前を失った噂だけ。
「ヴァレンティス侯爵様は冷酷らしい」 「スラム街を壊したそうよ」 「小麦も、裏があるに違いないわ」
だが、その言葉を口にする者たちは、次第に気づき始める。
「……誰から聞いたのかしら?」 「確か……ルーマー様、でした?」
しかし、そのルーマーはいない。
確認のしようがない。
責任を問う相手もいない。
噂は、宙に浮いた。
*
ヴァレンティス侯爵邸。
「ルーマー・イグザジェレイション伯爵令嬢、国外へ出たことが確認されました」
テイクアの報告に、シグネアは静かに頷いた。
「そう」
それ以上の感想はない。
「……理由は」
「推測に過ぎませんが」
テイクアは慎重に言葉を選ぶ。
「ご自身に直接の不利益が及ぶ前に、距離を取ったのではないかと」
「ええ」
シグネアは、淡く笑った。
「賢明ですわね」
「お嬢様に、とばっちりが及ぶことを恐れて?」
「いいえ」
きっぱりと否定する。
「自分に及ぶことを恐れただけですわ」
それで十分だ、と言うように。
「噂を流す方ほど、現実には弱いものです」
「責任を取らない前提で動いていますから」
「ええ」
シグネアは、書類に目を落とす。
「だから、責任が発生しそうな空気を感じた瞬間、逃げる」
それは、彼女なりの生存戦略だった。
「ですが――」
テイクアが続ける。
「噂だけは、残りました」
「残りますわね」
シグネアは、楽しげに言った。
「噂は、置き土産のようなものですもの」
誰も管理せず、
誰も回収せず、
ただ、時間と現実にすり潰されていく。
「問題ありません」
静かに、断言する。
「噂は責任を取りません。ですが」
一拍置いて。
「現実は、必ず責任を伴います」
だからこそ。
「これから先、困るのは――」
逃げた者ではない。
現実から目を逸らし続けた者だけ。
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