20 / 32
20話|すでに出荷され始まりました
しおりを挟む
20話|すでに出荷され始まりました
異変に気づいたのは、朝だった。
プロフィットは自邸の書斎で、机に並べられた帳簿と睨み合っていた。数字は何も変わっていない。倉庫の在庫量も、小麦の質も、書類上は昨日と同じだ。だが胸の奥に、説明のつかない不安が渦巻いていた。
理由は単純だった。
誰も、連絡を寄越さない。
普段なら、状況が悪化すればするほど、商人や仲介人は口を揃えて言い訳を並べ、条件の再交渉を求めてきた。だが今朝に限って、静かすぎた。まるで、こちらの存在そのものが忘れ去られたかのように。
「……倉庫を見に行く」
衝動的に立ち上がり、外套も羽織らずに屋敷を出た。馬車を呼ぶ余裕もない。胸騒ぎが、それを許さなかった。
王都外縁部にある倉庫街へ向かう道は、朝霧に包まれていた。だが、倉庫に近づくにつれ、その霧の向こうに、ありえない光景が浮かび上がってくる。
荷馬車が並んでいる。
人足が行き交っている。
そして、積み上げられた袋が、次々と運び出されている。
「……なにを、している」
プロフィットは、言葉を失った。
自分の倉庫だ。自分が買い占めた小麦だ。売り先も決まらず、動かす許可も出していない。それなのに、現場は完全に稼働していた。
「待て! 誰の許可で――」
叫びながら近づくと、作業を指揮していた男が振り向いた。見覚えのない顔だ。だが、戸惑いはなかった。
「こちらの作業責任者ですが」
「ここは私の倉庫だ。出荷の指示は出していない」
男は一瞬だけ目を細め、それから淡々と答えた。
「失礼ですが、所有者からの正式な指示です」
「所有者……?」
その言葉が、理解に届くまでに、わずかな時間を要した。
「私が所有者だ」
男は首を横に振る。
「違います。現在の所有者は、シグネア・ヴァレンティス侯爵様です」
耳鳴りがした。
意味が、頭の中で噛み合わない。
「……何を言っている」
「書類はすべて整っています。引き取り契約、所有権移転、出荷指示。昨日付で」
男はそう言って、革袋から書類を取り出した。封蝋。署名。押印。どれも本物だ。見慣れた形式で、見慣れた文言で、だがそこに記されている名前だけが、致命的に異なっていた。
所有者欄にあるのは、確かにシグネア・ヴァレンティス侯爵の名。
「……私は、そんなものに同意した覚えはない」
「我々は契約に基づいて動いているだけです。止める権限をお持ちでない以上、作業は続行されます」
淡々とした口調だった。敵意も、挑発もない。ただの事実確認。
プロフィットは、その場に立ち尽くした。
荷馬車が動く。袋が積まれる。帳簿の数字が、現実として目の前を通り過ぎていく。
「待て……待て……」
誰に向けた言葉かも分からないまま、呟いた。
この出荷は、自分の判断ではない。だが、誰かが勝手に奪ったわけでもない。書類は正当だ。形式は完璧だ。だからこそ、止められない。
ここで初めて、理解が追いついた。
自分は、もう決定権を持っていない。
いや、正確には。
持っていたつもりでいただけだった。
「……私は、売ったのか?」
問いは、空気に溶けた。
男は答えない。ただ作業を続ける。市場へ向かう荷は、領民優先で分配される予定だという。品質検査も済み、価格も安定しているらしい。
それらすべてが、自分の関与しないところで決まっていた。
プロフィットは、初めて理解した。
結果は、当事者の理解を待たない。
自分が考えている間に、世界は動いていた。
そして、その動きを止められない場所に、自分は立たされている。
震える指で、書類を見つめる。
そこに記された名前は、冷たく、揺るがない。
シグネア・ヴァレンティス侯爵。
助けを求めるべき相手の名が、いつの間にか、支配者の名に変わっていたことを。
この瞬間、プロフィットはようやく理解した。
問題は、これから始まるのだと。
異変に気づいたのは、朝だった。
プロフィットは自邸の書斎で、机に並べられた帳簿と睨み合っていた。数字は何も変わっていない。倉庫の在庫量も、小麦の質も、書類上は昨日と同じだ。だが胸の奥に、説明のつかない不安が渦巻いていた。
理由は単純だった。
誰も、連絡を寄越さない。
普段なら、状況が悪化すればするほど、商人や仲介人は口を揃えて言い訳を並べ、条件の再交渉を求めてきた。だが今朝に限って、静かすぎた。まるで、こちらの存在そのものが忘れ去られたかのように。
「……倉庫を見に行く」
衝動的に立ち上がり、外套も羽織らずに屋敷を出た。馬車を呼ぶ余裕もない。胸騒ぎが、それを許さなかった。
王都外縁部にある倉庫街へ向かう道は、朝霧に包まれていた。だが、倉庫に近づくにつれ、その霧の向こうに、ありえない光景が浮かび上がってくる。
荷馬車が並んでいる。
人足が行き交っている。
そして、積み上げられた袋が、次々と運び出されている。
「……なにを、している」
プロフィットは、言葉を失った。
自分の倉庫だ。自分が買い占めた小麦だ。売り先も決まらず、動かす許可も出していない。それなのに、現場は完全に稼働していた。
「待て! 誰の許可で――」
叫びながら近づくと、作業を指揮していた男が振り向いた。見覚えのない顔だ。だが、戸惑いはなかった。
「こちらの作業責任者ですが」
「ここは私の倉庫だ。出荷の指示は出していない」
男は一瞬だけ目を細め、それから淡々と答えた。
「失礼ですが、所有者からの正式な指示です」
「所有者……?」
その言葉が、理解に届くまでに、わずかな時間を要した。
「私が所有者だ」
男は首を横に振る。
「違います。現在の所有者は、シグネア・ヴァレンティス侯爵様です」
耳鳴りがした。
意味が、頭の中で噛み合わない。
「……何を言っている」
「書類はすべて整っています。引き取り契約、所有権移転、出荷指示。昨日付で」
男はそう言って、革袋から書類を取り出した。封蝋。署名。押印。どれも本物だ。見慣れた形式で、見慣れた文言で、だがそこに記されている名前だけが、致命的に異なっていた。
所有者欄にあるのは、確かにシグネア・ヴァレンティス侯爵の名。
「……私は、そんなものに同意した覚えはない」
「我々は契約に基づいて動いているだけです。止める権限をお持ちでない以上、作業は続行されます」
淡々とした口調だった。敵意も、挑発もない。ただの事実確認。
プロフィットは、その場に立ち尽くした。
荷馬車が動く。袋が積まれる。帳簿の数字が、現実として目の前を通り過ぎていく。
「待て……待て……」
誰に向けた言葉かも分からないまま、呟いた。
この出荷は、自分の判断ではない。だが、誰かが勝手に奪ったわけでもない。書類は正当だ。形式は完璧だ。だからこそ、止められない。
ここで初めて、理解が追いついた。
自分は、もう決定権を持っていない。
いや、正確には。
持っていたつもりでいただけだった。
「……私は、売ったのか?」
問いは、空気に溶けた。
男は答えない。ただ作業を続ける。市場へ向かう荷は、領民優先で分配される予定だという。品質検査も済み、価格も安定しているらしい。
それらすべてが、自分の関与しないところで決まっていた。
プロフィットは、初めて理解した。
結果は、当事者の理解を待たない。
自分が考えている間に、世界は動いていた。
そして、その動きを止められない場所に、自分は立たされている。
震える指で、書類を見つめる。
そこに記された名前は、冷たく、揺るがない。
シグネア・ヴァレンティス侯爵。
助けを求めるべき相手の名が、いつの間にか、支配者の名に変わっていたことを。
この瞬間、プロフィットはようやく理解した。
問題は、これから始まるのだと。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。
風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。
※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。
5年経っても軽率に故郷に戻っては駄目!
158
恋愛
伯爵令嬢であるオリビアは、この世界が前世でやった乙女ゲームの世界であることに気づく。このまま学園に入学してしまうと、死亡エンドの可能性があるため学園に入学する前に家出することにした。婚約者もさらっとスルーして、早や5年。結局誰ルートを主人公は選んだのかしらと軽率にも故郷に舞い戻ってしまい・・・
2話完結を目指してます!
逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?
魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。
彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。
国外追放の系に処された。
そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。
新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。
しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。
夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。
ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。
そして学校を卒業したら大陸中を巡る!
そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、
鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……?
「君を愛している」
一体なにがどうなってるの!?
【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた
22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。
ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?
ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。
一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?
貴方のことなんて愛していませんよ?~ハーレム要員だと思われていた私は、ただのビジネスライクな婚約者でした~
キョウキョウ
恋愛
妹、幼馴染、同級生など数多くの令嬢たちと愛し合っているランベルト王子は、私の婚約者だった。
ある日、ランベルト王子から婚約者の立場をとある令嬢に譲ってくれとお願いされた。
その令嬢とは、新しく増えた愛人のことである。
婚約破棄の手続きを進めて、私はランベルト王子の婚約者ではなくなった。
婚約者じゃなくなったので、これからは他人として振る舞います。
だから今後も、私のことを愛人の1人として扱ったり、頼ったりするのは止めて下さい。
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる