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第22話|それは大損です
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22話|それは大損です
倉庫の管理事務所は、奇妙なほど静かだった。
かつては人の出入りが絶えず、小麦の袋が積み上がり、商人たちの声が飛び交っていた場所だ。今は帳簿と椅子だけが残り、空気は重く澱んでいる。
プロフィットは、椅子に座ったまま、目の前の床を見ていた。
先ほどまで、そこには金貨が散らばっていた。
引き取り料金。
自分が抱え込んだ小麦を、すでに他人に渡した対価。
拾え、と言われ、拾った。
その行為の意味を、まだ受け入れきれていないまま、彼は口を開いた。
「……ですが」
声は震えていない。むしろ、必死に平静を装っていた。
「小麦そのものでは、損はしていないはずです。引き取り料金も……必要経費の範囲でしょう。まだ、取り戻せます」
その言葉に、シグネアは反応しなかった。
視線すら向けず、椅子の背に軽く体を預けたまま、ただ一言だけ告げる。
「テイクア」
呼ばれた側近は、一歩前に出た。手にしているのは帳簿だけだ。感情の欠片もない声音で、数字を読み上げる。
「長期保管による倉庫管理費。月額でこれだけ。期間は三か月」
淡々とした声が、事務所に落ちる。
「湿度管理、人件費、害獣対策。こちらが追加費用です」
一枚、紙が机に置かれる。
「輸送準備費。出荷が遅れたことで、当初契約より割高になっています」
また一枚。
「売り先を確保できなかったことによる、契約違約の可能性。現時点では訴訟には至っていませんが、取引停止は確定です」
数字が並ぶ。
金額は大きい。だが、致命的なのはそこではない。
「信用低下による影響。今後、同規模の穀物取引に参加できる確率は、ほぼありません」
テイクアは帳簿を閉じた。
「以上です」
沈黙が落ちる。
プロフィットは、しばらく何も言えなかった。
「……小麦自体は」
それでも、縋るように言う。
「小麦自体では、赤字ではないでしょう」
その言葉に、ようやくシグネアが視線を向けた。
冷たいというより、興味がない目だった。
「ええ」
即答だった。
「小麦そのものでは赤字ではありませんわ」
一瞬、プロフィットの顔に安堵が浮かぶ。
だが、次の言葉が、それを完全に叩き潰した。
「ですが」
シグネアは立ち上がり、彼を見下ろす位置に立つ。
「管理できなかった判断が、すべてを無価値にしました」
机の上の帳簿に、指先で軽く触れる。
「保管費、維持費。明確な損失ですわ」
そして、視線を逸らさず続ける。
「それ以上に、信用」
その一語は、数字よりも重かった。
「信用は、戻りません」
プロフィットは唇を噛んだ。
「……ですが、私は」
声が荒くなる。
「私は、公爵家の人間です。本来なら、ここまでの扱いを受ける立場ではない」
その瞬間、シグネアの表情が変わった。
怒りではない。軽蔑でもない。
ただ、切り分けるような冷静さ。
「勘違いなさっているようですわ」
一歩、距離を詰める。
「貴方は、公爵ではありません」
静かに、しかし逃げ場のない声で告げる。
「決裁権も、責任も、権限も持たない。ただの令息です」
プロフィットは反論しようと口を開いたが、言葉は出なかった。
「今まで周囲が従っていたのは、貴方の判断ではありません」
一拍置いて、決定打を放つ。
「父上の威光です」
シグネアは、はっきりと言い切った。
「虎の威を借る狐であることを、自覚なさい」
声に感情はない。
事実を述べているだけだった。
プロフィットは、その場に縫い止められたように動けなかった。
今まで自分が「できている」と思っていたこと。
決断しているつもりだったこと。
それらが、すべて借り物だったと理解した瞬間だった。
「助けなかったのではありませんわ」
踵を返しながら、シグネアは言う。
「助ける必要がなかったのです」
振り返らない。
「私が救ったのは、貴方ではありません」
扉に手をかけ、最後に一言だけ残す。
「公爵家に関わる人間と、領民と、貴方の判断で巻き込まれた人々です」
扉が閉まる。
残されたのは、帳簿と数字と、何者でもなかった自分。
プロフィットは、椅子に座ったまま、動けずにいた。
倉庫の管理事務所は、奇妙なほど静かだった。
かつては人の出入りが絶えず、小麦の袋が積み上がり、商人たちの声が飛び交っていた場所だ。今は帳簿と椅子だけが残り、空気は重く澱んでいる。
プロフィットは、椅子に座ったまま、目の前の床を見ていた。
先ほどまで、そこには金貨が散らばっていた。
引き取り料金。
自分が抱え込んだ小麦を、すでに他人に渡した対価。
拾え、と言われ、拾った。
その行為の意味を、まだ受け入れきれていないまま、彼は口を開いた。
「……ですが」
声は震えていない。むしろ、必死に平静を装っていた。
「小麦そのものでは、損はしていないはずです。引き取り料金も……必要経費の範囲でしょう。まだ、取り戻せます」
その言葉に、シグネアは反応しなかった。
視線すら向けず、椅子の背に軽く体を預けたまま、ただ一言だけ告げる。
「テイクア」
呼ばれた側近は、一歩前に出た。手にしているのは帳簿だけだ。感情の欠片もない声音で、数字を読み上げる。
「長期保管による倉庫管理費。月額でこれだけ。期間は三か月」
淡々とした声が、事務所に落ちる。
「湿度管理、人件費、害獣対策。こちらが追加費用です」
一枚、紙が机に置かれる。
「輸送準備費。出荷が遅れたことで、当初契約より割高になっています」
また一枚。
「売り先を確保できなかったことによる、契約違約の可能性。現時点では訴訟には至っていませんが、取引停止は確定です」
数字が並ぶ。
金額は大きい。だが、致命的なのはそこではない。
「信用低下による影響。今後、同規模の穀物取引に参加できる確率は、ほぼありません」
テイクアは帳簿を閉じた。
「以上です」
沈黙が落ちる。
プロフィットは、しばらく何も言えなかった。
「……小麦自体は」
それでも、縋るように言う。
「小麦自体では、赤字ではないでしょう」
その言葉に、ようやくシグネアが視線を向けた。
冷たいというより、興味がない目だった。
「ええ」
即答だった。
「小麦そのものでは赤字ではありませんわ」
一瞬、プロフィットの顔に安堵が浮かぶ。
だが、次の言葉が、それを完全に叩き潰した。
「ですが」
シグネアは立ち上がり、彼を見下ろす位置に立つ。
「管理できなかった判断が、すべてを無価値にしました」
机の上の帳簿に、指先で軽く触れる。
「保管費、維持費。明確な損失ですわ」
そして、視線を逸らさず続ける。
「それ以上に、信用」
その一語は、数字よりも重かった。
「信用は、戻りません」
プロフィットは唇を噛んだ。
「……ですが、私は」
声が荒くなる。
「私は、公爵家の人間です。本来なら、ここまでの扱いを受ける立場ではない」
その瞬間、シグネアの表情が変わった。
怒りではない。軽蔑でもない。
ただ、切り分けるような冷静さ。
「勘違いなさっているようですわ」
一歩、距離を詰める。
「貴方は、公爵ではありません」
静かに、しかし逃げ場のない声で告げる。
「決裁権も、責任も、権限も持たない。ただの令息です」
プロフィットは反論しようと口を開いたが、言葉は出なかった。
「今まで周囲が従っていたのは、貴方の判断ではありません」
一拍置いて、決定打を放つ。
「父上の威光です」
シグネアは、はっきりと言い切った。
「虎の威を借る狐であることを、自覚なさい」
声に感情はない。
事実を述べているだけだった。
プロフィットは、その場に縫い止められたように動けなかった。
今まで自分が「できている」と思っていたこと。
決断しているつもりだったこと。
それらが、すべて借り物だったと理解した瞬間だった。
「助けなかったのではありませんわ」
踵を返しながら、シグネアは言う。
「助ける必要がなかったのです」
振り返らない。
「私が救ったのは、貴方ではありません」
扉に手をかけ、最後に一言だけ残す。
「公爵家に関わる人間と、領民と、貴方の判断で巻き込まれた人々です」
扉が閉まる。
残されたのは、帳簿と数字と、何者でもなかった自分。
プロフィットは、椅子に座ったまま、動けずにいた。
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