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26話|噂は信用を食べて生きる
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26話|噂は信用を食べて生きる
ヴァレンティス王都中央銀行の業務改革が始まってから、三週間が過ぎた。
数字の上では、劇的な変化はない。
預金残高は微増、融資総額は横ばい。
派手な成果を期待していた者にとっては、肩透かしだっただろう。
だが、王都の空気は、確実に変わっていた。
「最近、あの銀行……妙に“使いやすい”らしいぞ」
商人たちの間で、そんな言葉が囁かれ始めたのは、つい数日前のことだ。
理由は単純だった。
対応が早い。
判断基準が明確。
そして何より——噂に振り回されない。
以前の王都中央銀行では、噂は一種の通貨だった。
「あの商会は危ないらしい」 「あの家は近く没落するそうだ」 「あの人物は後ろ盾を失った」
そうした話が流れれば、数字が健全であろうと融資は渋られ、逆に、名前だけ立派な相手には無理な条件でも金が流れた。
信用とは、実態ではなく、雰囲気で測られていたのだ。
その慣習が、今、音もなく切り捨てられている。
午前中。
銀行の応接室では、ある中堅商会の主が、落ち着かない様子で椅子に座っていた。
「正直に申し上げます」
対応している若い行員が、静かに切り出す。
「貴商会について、好ましくない噂が出回っています」
商会主は、びくりと肩を震わせた。
「……やはり、そうですか」
だが、行員はそこで話を終えなかった。
「しかし、当行は噂では判断いたしません。こちらが確認したのは、帳簿、取引履歴、返済実績です」
机の上に、整然とした資料が並べられる。
「これらは、いずれも問題ありません。よって、条件を調整した上で、融資は実行可能です」
商会主は、思わず言葉を失った。
「で、ですが……噂は……」
行員は、ほんのわずかに首を傾げる。
「噂は、誰かが責任を取ってくれますか?」
その一言で、応接室の空気が変わった。
噂は便利だ。
だが、責任を負わない。
同じ頃、別の部屋では、逆のやり取りが行われていた。
格式ある家名を持つ貴族が、尊大な態度で椅子に座っている。
「融資を急いでいる。名は出せば分かるだろう?」
若い行員は、顔色一つ変えない。
「存じております。しかし、今回の申請内容では、お断りいたします」
「なに?」
貴族の眉が跳ね上がる。
「噂を聞いていないのか? 我が家に逆らえば、どうなるか——」
行員は、淡々と資料を閉じた。
「噂は存じております。ですが、数字が追いついておりません」
その言葉は、刃物のように静かだった。
午後。
シグネアは、銀行本部の最上階で、定例報告を受けていた。
テイクアが、いくつかの書類を差し出す。
「噂による圧力をかけてきた案件、三件。すべて想定通り、自然消滅しています」
「ええ」
シグネアは軽く頷く。
「噂は、信用を食べて生きますの。餌を与えなければ、飢え死にしますわ」
「反発は?」
「もちろん、あります」
テイクアは一瞬だけ、言葉を選んだ。
「“冷たい銀行になった”という評価も」
シグネアは、微笑んだ。
「冷たいのではありません。均一ですわ」
窓の外では、王都の街がいつも通り動いている。
だが、その下で流れるお金の向きは、確実に変わりつつあった。
「噂で得をしていた者ほど、騒ぎます」
シグネアは紅茶を手に取り、続ける。
「逆に、実力で生きてきた者は、静かですの」
それは、事実だった。
銀行に寄せられる不満の多くは、曖昧で感情的だ。
一方、感謝の声は短く、具体的だった。
「判断が早い」 「理由が分かる」 「信用されていると感じる」
噂が消え、信用が残る。
それだけの変化だ。
夕方。
テイクアが、最後の報告を告げる。
「噂屋が一人、王都を離れたそうです」
シグネアは、特に驚かなかった。
「仕事がなくなったのでしょう」
「噂が通用しなくなりましたから」
「ええ」
シグネアは窓の外に視線を向ける。
「噂は、信用を食べて生きる。信用が数値化され、記録され、説明されるようになれば——」
一拍、間を置いて。
「居場所は、なくなりますわ」
夕陽が、銀行の外壁を照らす。
その光は、派手ではないが、揺るがない。
噂の時代は、終わり始めていた。
そしてそれを終わらせたのは、誰かの怒号でも、革命でもない。
静かな判断と、責任の所在だった。
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、書類を閉じ、次の案件に目を向ける。
噂は、信用を食べて生きる。
ならば、信用を守ればいい。
ただ、それだけの話だった。
ヴァレンティス王都中央銀行の業務改革が始まってから、三週間が過ぎた。
数字の上では、劇的な変化はない。
預金残高は微増、融資総額は横ばい。
派手な成果を期待していた者にとっては、肩透かしだっただろう。
だが、王都の空気は、確実に変わっていた。
「最近、あの銀行……妙に“使いやすい”らしいぞ」
商人たちの間で、そんな言葉が囁かれ始めたのは、つい数日前のことだ。
理由は単純だった。
対応が早い。
判断基準が明確。
そして何より——噂に振り回されない。
以前の王都中央銀行では、噂は一種の通貨だった。
「あの商会は危ないらしい」 「あの家は近く没落するそうだ」 「あの人物は後ろ盾を失った」
そうした話が流れれば、数字が健全であろうと融資は渋られ、逆に、名前だけ立派な相手には無理な条件でも金が流れた。
信用とは、実態ではなく、雰囲気で測られていたのだ。
その慣習が、今、音もなく切り捨てられている。
午前中。
銀行の応接室では、ある中堅商会の主が、落ち着かない様子で椅子に座っていた。
「正直に申し上げます」
対応している若い行員が、静かに切り出す。
「貴商会について、好ましくない噂が出回っています」
商会主は、びくりと肩を震わせた。
「……やはり、そうですか」
だが、行員はそこで話を終えなかった。
「しかし、当行は噂では判断いたしません。こちらが確認したのは、帳簿、取引履歴、返済実績です」
机の上に、整然とした資料が並べられる。
「これらは、いずれも問題ありません。よって、条件を調整した上で、融資は実行可能です」
商会主は、思わず言葉を失った。
「で、ですが……噂は……」
行員は、ほんのわずかに首を傾げる。
「噂は、誰かが責任を取ってくれますか?」
その一言で、応接室の空気が変わった。
噂は便利だ。
だが、責任を負わない。
同じ頃、別の部屋では、逆のやり取りが行われていた。
格式ある家名を持つ貴族が、尊大な態度で椅子に座っている。
「融資を急いでいる。名は出せば分かるだろう?」
若い行員は、顔色一つ変えない。
「存じております。しかし、今回の申請内容では、お断りいたします」
「なに?」
貴族の眉が跳ね上がる。
「噂を聞いていないのか? 我が家に逆らえば、どうなるか——」
行員は、淡々と資料を閉じた。
「噂は存じております。ですが、数字が追いついておりません」
その言葉は、刃物のように静かだった。
午後。
シグネアは、銀行本部の最上階で、定例報告を受けていた。
テイクアが、いくつかの書類を差し出す。
「噂による圧力をかけてきた案件、三件。すべて想定通り、自然消滅しています」
「ええ」
シグネアは軽く頷く。
「噂は、信用を食べて生きますの。餌を与えなければ、飢え死にしますわ」
「反発は?」
「もちろん、あります」
テイクアは一瞬だけ、言葉を選んだ。
「“冷たい銀行になった”という評価も」
シグネアは、微笑んだ。
「冷たいのではありません。均一ですわ」
窓の外では、王都の街がいつも通り動いている。
だが、その下で流れるお金の向きは、確実に変わりつつあった。
「噂で得をしていた者ほど、騒ぎます」
シグネアは紅茶を手に取り、続ける。
「逆に、実力で生きてきた者は、静かですの」
それは、事実だった。
銀行に寄せられる不満の多くは、曖昧で感情的だ。
一方、感謝の声は短く、具体的だった。
「判断が早い」 「理由が分かる」 「信用されていると感じる」
噂が消え、信用が残る。
それだけの変化だ。
夕方。
テイクアが、最後の報告を告げる。
「噂屋が一人、王都を離れたそうです」
シグネアは、特に驚かなかった。
「仕事がなくなったのでしょう」
「噂が通用しなくなりましたから」
「ええ」
シグネアは窓の外に視線を向ける。
「噂は、信用を食べて生きる。信用が数値化され、記録され、説明されるようになれば——」
一拍、間を置いて。
「居場所は、なくなりますわ」
夕陽が、銀行の外壁を照らす。
その光は、派手ではないが、揺るがない。
噂の時代は、終わり始めていた。
そしてそれを終わらせたのは、誰かの怒号でも、革命でもない。
静かな判断と、責任の所在だった。
シグネア・ヴァレンティス侯爵は、書類を閉じ、次の案件に目を向ける。
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ならば、信用を守ればいい。
ただ、それだけの話だった。
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