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28話|格とは、数字の外側にありますわ
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28話|格とは、数字の外側にありますわ
王都の社交界は、今日も変わらず騒がしかった。
もっとも、その騒がしさの中身は、少しずつ、しかし確実に変質していた。
「……最近、王都中央銀行の空気、変わったと思いません?」
午後の茶会で、ある伯爵夫人が控えめに切り出した一言が、波紋のように広がる。
「ええ。以前は、格式、格式とうるさいばかりでしたのに」
「行員の態度が、妙に落ち着いていますわよね」
「それでいて、仕事は早い……」
誰もが不思議そうな顔をしていた。
そこに混じるのは、数字の話だけではない。
貸し渋りが減った、対応が公平になった、無駄な書類が消えた。
それらはすべて、表に出にくい変化だが、利用する者ほどよく分かる違いだった。
「……あれ、やはり侯爵様の影響ですの?」
その問いに、明確に答えられる者はいなかった。
なぜなら――シグネア・ヴァレンティスは、その後、一切表に出ていなかったからだ。
銀行の買収。
旧経営陣の退場。
新体制の発足。
そこまでは派手だった。だが、それ以降、彼女は驚くほど沈黙を守っている。
「関わっていない、というのが正しいのかしら……」
その言葉に、隣にいた侯爵令嬢が首を横に振った。
「いいえ。関わらない、という判断をしているのだと思いますわ」
その一言は、場を静かにした。
別の日。
ヴァレンティス侯爵邸の執務室で、テイクアは最新の報告書に目を通していた。
「貸付件数、前月比一二%増。
延滞率、低下。
苦情件数、激減……」
淡々とした数字が並ぶ。
だが、それらはどれも、“派手な利益”ではない。
「お嬢様」
テイクアは顔を上げた。
「短期的な収益だけを見れば、もっと攻める方法もございますが……」
シグネアは、紅茶のカップを静かに置く。
「分かっておりますわ」
そして、あっさりと言い切った。
「ですが、それでは意味がありません」
テイクアは、続きを促すように沈黙する。
「銀行というのは」
シグネアは指先で机を軽く叩いた。
「お金を増やす装置ではなく、“信用を蓄える器”ですの」
「信用は、数字には表れにくい」
「ですが、失う時は一瞬ですわ」
テイクアは、あの男の顔を思い浮かべる。
判断を誤り、管理を怠り、信用を一度で投げ捨てた者。
「……なるほど」
シグネアは、少しだけ笑った。
「格式という言葉を、履き違えていたのですわ」
「肩書や家名で人を測ることが、格だと思っていた」
彼女の声には、嘲りはない。
ただ、冷静な分析だけがあった。
「本当の格とは、数字の外側にありますの」
「どう振る舞い、どう責任を取り、どう判断するか」
そして、はっきりと告げる。
「それができない者が、いくら金を動かしても――」
「いずれ、必ず破綻しますわ」
テイクアは、静かにうなずいた。
その頃、王都中央銀行では、新人行員の研修が行われていた。
内容は、意外にも、営業成績ではない。
顧客対応。
情報管理。
判断の持ち方。
断るときの言葉遣い。
「ここでは、数字だけで評価されるわけではありません」
そう語る講師の言葉に、若い行員たちは背筋を伸ばす。
「人格も、評価対象です」
その方針を決めた人物が、今この場にいないことを、彼らはよく知っていた。
だが、それが不思議と、不安にはならなかった。
「……不思議です」
休憩中、ある行員がつぶやく。
「侯爵様、怖い方だと思っていましたが……」
「違うな」
隣の行員が、首を振る。
「怖いんじゃない。逃げ場がないだけだ」
その言葉に、全員が黙り込んだ。
同じ頃、シグネアは別の馬車に揺られていた。
銀行とは無関係の案件だ。
「次は、どちらへ?」
テイクアの問いに、彼女はあっさり答える。
「職人街ですわ」
「……また、騒がれそうですね」
「構いません」
シグネアは、窓の外を見ながら言った。
「噂は、いずれ消えますもの」
「ですが、仕組みは残ります」
そして、悪役令嬢らしく、堂々と告げる。
「格は、騒がなくても伝わるものですわ」
馬車は進む。
王都は今日も、少しずつ変わっていく。
その中心に、彼女はもう立っていない。
だが――彼女の作った“格”だけが、確かにそこに残っていた。
王都の社交界は、今日も変わらず騒がしかった。
もっとも、その騒がしさの中身は、少しずつ、しかし確実に変質していた。
「……最近、王都中央銀行の空気、変わったと思いません?」
午後の茶会で、ある伯爵夫人が控えめに切り出した一言が、波紋のように広がる。
「ええ。以前は、格式、格式とうるさいばかりでしたのに」
「行員の態度が、妙に落ち着いていますわよね」
「それでいて、仕事は早い……」
誰もが不思議そうな顔をしていた。
そこに混じるのは、数字の話だけではない。
貸し渋りが減った、対応が公平になった、無駄な書類が消えた。
それらはすべて、表に出にくい変化だが、利用する者ほどよく分かる違いだった。
「……あれ、やはり侯爵様の影響ですの?」
その問いに、明確に答えられる者はいなかった。
なぜなら――シグネア・ヴァレンティスは、その後、一切表に出ていなかったからだ。
銀行の買収。
旧経営陣の退場。
新体制の発足。
そこまでは派手だった。だが、それ以降、彼女は驚くほど沈黙を守っている。
「関わっていない、というのが正しいのかしら……」
その言葉に、隣にいた侯爵令嬢が首を横に振った。
「いいえ。関わらない、という判断をしているのだと思いますわ」
その一言は、場を静かにした。
別の日。
ヴァレンティス侯爵邸の執務室で、テイクアは最新の報告書に目を通していた。
「貸付件数、前月比一二%増。
延滞率、低下。
苦情件数、激減……」
淡々とした数字が並ぶ。
だが、それらはどれも、“派手な利益”ではない。
「お嬢様」
テイクアは顔を上げた。
「短期的な収益だけを見れば、もっと攻める方法もございますが……」
シグネアは、紅茶のカップを静かに置く。
「分かっておりますわ」
そして、あっさりと言い切った。
「ですが、それでは意味がありません」
テイクアは、続きを促すように沈黙する。
「銀行というのは」
シグネアは指先で机を軽く叩いた。
「お金を増やす装置ではなく、“信用を蓄える器”ですの」
「信用は、数字には表れにくい」
「ですが、失う時は一瞬ですわ」
テイクアは、あの男の顔を思い浮かべる。
判断を誤り、管理を怠り、信用を一度で投げ捨てた者。
「……なるほど」
シグネアは、少しだけ笑った。
「格式という言葉を、履き違えていたのですわ」
「肩書や家名で人を測ることが、格だと思っていた」
彼女の声には、嘲りはない。
ただ、冷静な分析だけがあった。
「本当の格とは、数字の外側にありますの」
「どう振る舞い、どう責任を取り、どう判断するか」
そして、はっきりと告げる。
「それができない者が、いくら金を動かしても――」
「いずれ、必ず破綻しますわ」
テイクアは、静かにうなずいた。
その頃、王都中央銀行では、新人行員の研修が行われていた。
内容は、意外にも、営業成績ではない。
顧客対応。
情報管理。
判断の持ち方。
断るときの言葉遣い。
「ここでは、数字だけで評価されるわけではありません」
そう語る講師の言葉に、若い行員たちは背筋を伸ばす。
「人格も、評価対象です」
その方針を決めた人物が、今この場にいないことを、彼らはよく知っていた。
だが、それが不思議と、不安にはならなかった。
「……不思議です」
休憩中、ある行員がつぶやく。
「侯爵様、怖い方だと思っていましたが……」
「違うな」
隣の行員が、首を振る。
「怖いんじゃない。逃げ場がないだけだ」
その言葉に、全員が黙り込んだ。
同じ頃、シグネアは別の馬車に揺られていた。
銀行とは無関係の案件だ。
「次は、どちらへ?」
テイクアの問いに、彼女はあっさり答える。
「職人街ですわ」
「……また、騒がれそうですね」
「構いません」
シグネアは、窓の外を見ながら言った。
「噂は、いずれ消えますもの」
「ですが、仕組みは残ります」
そして、悪役令嬢らしく、堂々と告げる。
「格は、騒がなくても伝わるものですわ」
馬車は進む。
王都は今日も、少しずつ変わっていく。
その中心に、彼女はもう立っていない。
だが――彼女の作った“格”だけが、確かにそこに残っていた。
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