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第5話 初めて、パンを焼く日
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第5話 初めて、パンを焼く日
翌朝、孤児院の敷地には、昨日とは違う空気が流れていた。
畑の土はまだ荒く、整っているとは言い難い。
それでも、確かに「人の手が入った痕跡」が残っている。
ノエリアはその様子を一瞥し、頷いた。
(続いている)
それだけで、十分だった。
今日の作業は、畑ではない。
調理棟として使うことになった古い倉庫に、人が集まっていた。
「今日は、パンを焼きます」
ノエリアの一言に、子供たちの間にざわめきが走る。
「パン……?」 「昨日の固いやつ?」
「ええ」
即答だった。
「同じものを、
今日は自分たちで作ります」
期待と不安が、同時に浮かぶ。
だが、誰も「やりたくない」とは言わなかった。
「役割を決めます」
ノエリアは簡潔に指示を出す。
「粉を量る人。
水を用意する人。
火を管理する人」
「誰か一人が失敗すれば、
全員が食べられません」
その言葉に、空気が引き締まる。
「逆に言えば」
一拍置いて続ける。
「全員が、
自分の役目を果たせば、
全員が食べられます」
リリィは、粉を量る役を申し出た。
昨日より、表情が少しだけ落ち着いている。
「いいわ」
ノエリアはそれを認める。
「ただし、
分からなければ、必ず聞きなさい」
「誤魔化しは、失敗より悪い」
その言葉は、昨日と同じだった。
---
作業は、思った以上に難航した。
「……多すぎた?」
「水、足りない?」
「あっ、火が……!」
次々と声が上がる。
粉は飛び散り、生地は思ったようにまとまらない。
「止めなさい」
ノエリアの声が、静かに響いた。
「今は、全部が中途半端です」
子供たちは動きを止める。
「原因を、一つずつ確認します」
怒りはない。
責める気配もない。
「粉の量を、
誰が決めましたか?」
「……私、です」
リリィが、恐る恐る答える。
「計量は?」
「……目分量です」
ノエリアは頷いた。
「失敗の理由は、分かりましたね」
責めない。
だが、曖昧にも終わらせない。
「やり直します」
誰かが、弱々しく言った。
「え……全部?」
「ええ」
即答だった。
「食べ物を粗末にしたくないなら、
最初から丁寧にやりなさい」
粉は無駄にしない。
失敗した生地は、薄く焼いて硬い保存食に回す。
「失敗は、捨てません」
「ただし」
「次に活かさなければ、
意味がありません」
---
二度目の挑戦は、静かだった。
量る。
混ぜる。
待つ。
誰も急がない。
誰も誤魔化さない。
火の管理を任された少年が、恐る恐る声を上げた。
「……これ、強すぎませんか?」
「良い判断です」
ノエリアは即座に答えた。
「少し下げなさい」
その一言で、少年の背筋が伸びる。
やがて、焼き窯から香ばしい匂いが漂い始めた。
「……焼けてる?」
誰かが呟く。
扉を開けると、
不格好だが、確かに「パン」が並んでいた。
「……出来た」
誰かが、信じられないように言う。
ノエリアは一歩も近づかない。
「切り分けなさい」
パンは均等に分けられた。
小さな一切れずつだが、確かに温かい。
「……美味しい」
ぽつりと、誰かが言った。
「昨日より、ずっと……」
リリィは、自分の手に残った粉の感触を見つめていた。
「……私、ちゃんと量れば、出来るんですね」
「ええ」
ノエリアは短く答える。
「出来ます」
それ以上の褒め言葉は、なかった。
---
昼食後、ノエリアは全員を集めた。
「今日のパンは、
成功です」
その言葉に、子供たちの顔が明るくなる。
「ですが」
一拍。
「今日の成功は、
努力ではなく、
判断の結果です」
子供たちは真剣な顔で聞いている。
「頑張るだけでは、
失敗します」
「考えて、
相談して、
確認する」
「それが出来て、
初めて“仕事”です」
誰も、反論しなかった。
---
夕方、リリィが小さく手を挙げた。
「……明日も、焼きますか?」
「ええ」
ノエリアは頷いた。
「昨日より、
今日が良くなったなら」
「明日は、
もっと良くなります」
それを聞いて、
子供たちは互いに顔を見合わせ、
小さく笑った。
---
屋敷へ戻る途中、
中庭で猫が伸びをしていた。
相変わらず、何もしない。
「……あなたは、楽ね」
猫は答えず、
ただ喉を鳴らす。
ノエリアは空を見上げた。
今日、焼いたパンは小さい。
だが、それは「作れた」という事実だ。
与えられたものではない。
自分たちで作ったもの。
それは、
居場所よりも、
強い意味を持っていた。
孤児院は、
今日、初めて「食べる理由」を持った。
---
✔ 第5話の到達点
食と労働の因果関係を体験
失敗を叱らず、判断に変換
ノエリアは褒めないが、認める
子供たちが「出来る」を実感
翌朝、孤児院の敷地には、昨日とは違う空気が流れていた。
畑の土はまだ荒く、整っているとは言い難い。
それでも、確かに「人の手が入った痕跡」が残っている。
ノエリアはその様子を一瞥し、頷いた。
(続いている)
それだけで、十分だった。
今日の作業は、畑ではない。
調理棟として使うことになった古い倉庫に、人が集まっていた。
「今日は、パンを焼きます」
ノエリアの一言に、子供たちの間にざわめきが走る。
「パン……?」 「昨日の固いやつ?」
「ええ」
即答だった。
「同じものを、
今日は自分たちで作ります」
期待と不安が、同時に浮かぶ。
だが、誰も「やりたくない」とは言わなかった。
「役割を決めます」
ノエリアは簡潔に指示を出す。
「粉を量る人。
水を用意する人。
火を管理する人」
「誰か一人が失敗すれば、
全員が食べられません」
その言葉に、空気が引き締まる。
「逆に言えば」
一拍置いて続ける。
「全員が、
自分の役目を果たせば、
全員が食べられます」
リリィは、粉を量る役を申し出た。
昨日より、表情が少しだけ落ち着いている。
「いいわ」
ノエリアはそれを認める。
「ただし、
分からなければ、必ず聞きなさい」
「誤魔化しは、失敗より悪い」
その言葉は、昨日と同じだった。
---
作業は、思った以上に難航した。
「……多すぎた?」
「水、足りない?」
「あっ、火が……!」
次々と声が上がる。
粉は飛び散り、生地は思ったようにまとまらない。
「止めなさい」
ノエリアの声が、静かに響いた。
「今は、全部が中途半端です」
子供たちは動きを止める。
「原因を、一つずつ確認します」
怒りはない。
責める気配もない。
「粉の量を、
誰が決めましたか?」
「……私、です」
リリィが、恐る恐る答える。
「計量は?」
「……目分量です」
ノエリアは頷いた。
「失敗の理由は、分かりましたね」
責めない。
だが、曖昧にも終わらせない。
「やり直します」
誰かが、弱々しく言った。
「え……全部?」
「ええ」
即答だった。
「食べ物を粗末にしたくないなら、
最初から丁寧にやりなさい」
粉は無駄にしない。
失敗した生地は、薄く焼いて硬い保存食に回す。
「失敗は、捨てません」
「ただし」
「次に活かさなければ、
意味がありません」
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二度目の挑戦は、静かだった。
量る。
混ぜる。
待つ。
誰も急がない。
誰も誤魔化さない。
火の管理を任された少年が、恐る恐る声を上げた。
「……これ、強すぎませんか?」
「良い判断です」
ノエリアは即座に答えた。
「少し下げなさい」
その一言で、少年の背筋が伸びる。
やがて、焼き窯から香ばしい匂いが漂い始めた。
「……焼けてる?」
誰かが呟く。
扉を開けると、
不格好だが、確かに「パン」が並んでいた。
「……出来た」
誰かが、信じられないように言う。
ノエリアは一歩も近づかない。
「切り分けなさい」
パンは均等に分けられた。
小さな一切れずつだが、確かに温かい。
「……美味しい」
ぽつりと、誰かが言った。
「昨日より、ずっと……」
リリィは、自分の手に残った粉の感触を見つめていた。
「……私、ちゃんと量れば、出来るんですね」
「ええ」
ノエリアは短く答える。
「出来ます」
それ以上の褒め言葉は、なかった。
---
昼食後、ノエリアは全員を集めた。
「今日のパンは、
成功です」
その言葉に、子供たちの顔が明るくなる。
「ですが」
一拍。
「今日の成功は、
努力ではなく、
判断の結果です」
子供たちは真剣な顔で聞いている。
「頑張るだけでは、
失敗します」
「考えて、
相談して、
確認する」
「それが出来て、
初めて“仕事”です」
誰も、反論しなかった。
---
夕方、リリィが小さく手を挙げた。
「……明日も、焼きますか?」
「ええ」
ノエリアは頷いた。
「昨日より、
今日が良くなったなら」
「明日は、
もっと良くなります」
それを聞いて、
子供たちは互いに顔を見合わせ、
小さく笑った。
---
屋敷へ戻る途中、
中庭で猫が伸びをしていた。
相変わらず、何もしない。
「……あなたは、楽ね」
猫は答えず、
ただ喉を鳴らす。
ノエリアは空を見上げた。
今日、焼いたパンは小さい。
だが、それは「作れた」という事実だ。
与えられたものではない。
自分たちで作ったもの。
それは、
居場所よりも、
強い意味を持っていた。
孤児院は、
今日、初めて「食べる理由」を持った。
---
✔ 第5話の到達点
食と労働の因果関係を体験
失敗を叱らず、判断に変換
ノエリアは褒めないが、認める
子供たちが「出来る」を実感
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