『婚約破棄されましたが、孤児院を作ったら国が変わりました』

ふわふわ

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第26話 役割の外で、息をする

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第26話 役割の外で、息をする

朝は、相変わらず静かに始まった。

だが、ノエリアにとっては、
昨日までとはわずかに質が違っていた。

――今日、やるべきことがない。

それは、空白ではない。
空白を選べる状態になった、というだけだ。


---

ノエリアは身支度を整え、
自室を出た。

廊下ですれ違う使用人たちは、
いつも通り頭を下げる。

だが、
視線の奥にあるものが、少し変わっていた。

(……もう、指示を待っていない)

それに気づき、
ノエリアはほんのわずかに口元を緩めた。


---

中庭では、
評議員たちが話し合いをしている。

内容は、
来週の作業分担と、新しい子の受け入れ基準。

ノエリアは、
一瞬だけ足を止めたが、
そのまま通り過ぎた。

(聞く必要はない)

決めるのは、
もう彼女ではない。


---

門を出ると、
屋敷の外の道が広がっている。

これまで何度も見てきた景色だが、
今日は少し違って見えた。

「……歩いてみようかしら」

馬車を使わず、
一人で歩く。

それだけのことが、
新鮮だった。


---

町へ向かう道すがら、
露店が並んでいる。

果物、布、雑貨。

どれも、
政治とも制度とも無縁だ。

「お嬢さん、
これどうだい?」

声をかけられ、
ノエリアは足を止める。

「……甘い?」

「保証するよ」

少し考えてから、
リンゴを一つ買った。

誰のためでもない。
視察でもない。

自分が食べたいから。


---

噛んだ瞬間、
果汁が広がる。

「……普通ね」

だが、
それでいい。


---

町の片隅で、
孤児院出身の青年とすれ違う。

彼は、
一瞬ノエリアに気づき、
慌てて頭を下げかけた。

ノエリアは、
小さく首を横に振る。

「今日は、
仕事じゃないわ」

青年は、
少し戸惑いながらも頷いた。

「……お元気そうで」

「ええ」

それだけの会話。

それが、
ちょうどよかった。


---

昼前、
ノエリアは小さな書店に入った。

目的はない。

棚を眺め、
背表紙を追う。

「……これ、
前から気になってた」

実用書でも、
政策論でもない。

物語の本だ。

「……贅沢ね」

そう思いながら、
一冊手に取る。


---

屋敷に戻ると、
執事が少し驚いた顔をした。

「お嬢様、
外出なさっていたのですね」

「ええ」

「……何か、
ご用件は?」

「いいえ」

ノエリアは答える。

「ただ、
歩いていただけです」

執事は、
一瞬言葉を失い、
やがて小さく微笑んだ。

「……それは、
よろしいことです」


---

午後。

ノエリアは、
自室で本を読む。

途中で、
猫がやってくる。

相変わらず、
遠慮がない。

「……あなたは、
何も変わらないわね」

猫は、
膝に乗り、丸くなる。

その重みが、
心地よい。


---

夕方、
評議員の一人が、
控えめに声をかけてきた。

「……一つ、
ご相談が」

「聞くだけなら」

ノエリアは答える。

意見を出さない。
決定もしない。

それでも、
話は進む。

(……聞くだけで、
十分なのね)


---

日が落ちる頃、
ノエリアは中庭に出た。

孤児院の子供たちが、
今日の出来事を話している。

笑い声。

小さな衝突。

すぐに折り合いがつく。

彼女は、
その輪の外に立っていた。

だが、
孤立ではない。

距離だ。


---

「……私は、
もう中心じゃない」

それを、
悲しいとは思わなかった。

むしろ、
安堵に近い。


---

夜。

部屋に戻ったノエリアは、
窓を開ける。

風が入る。

「……これから、
何をしようかしら」

答えは、
まだない。

だが、
焦りもない。

選ぶ時間が、
ようやく戻ってきたのだから。


---

猫が、
欠伸をする。

子猫たちは、
遠くで眠っている。

孤児院は、
回っている。

国も、
動いている。

ノエリアが、
動かなくても。


---

「……明日も、
歩こうかしら」

誰に聞かせるでもなく、
そう呟いた。

それは、
とても小さな決意だった。

だが、
彼女自身のものだった。


---
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