婚約破棄されたその後は、何も起きない日々でした

ふわふわ

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10話 戻らない選択

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10話 戻らない選択

 王宮の執務室は、沈黙に包まれていた。
 机の上には未決裁の書類が積み上がり、どれもが「早急に判断を要する」と朱で記されている。だが、どれ一つとして、決定に至っていない。

 レオンハルトは椅子に深く腰掛け、書類の山を見つめていた。

(……こんなはずではなかった)

 決断はしている。
 だが、その後の反応が読めない。
 誰が反発し、誰が納得し、どこに歪みが出るのか――以前なら、自然と視界に入ってきたはずのものが、今は見えない。

「殿下」

 側近が控えめに声をかける。

「フォーマルハウト領から、定期報告が届いております」

「……読め」

「いえ、形式的な報告です。ただ……」

 側近は言葉を濁した。

「内容が、非常に整っています。無駄がなく、判断が早い」

 それは褒め言葉だった。
 だが、レオンハルトの胸には、鈍い痛みが走る。

「……そうか」

 それ以上、何も言えなかった。

 タリタ・フォーマルハウトは、戻っていない。
 助言も、助力も、ない。
 それでも、彼女の領地は静かに、確実に回っている。

(私の元を離れて、なお……)

 その事実が、じわじわと自尊心を削っていく。

 一方、フォーマルハウト領。

 私は朝の光が差し込む書斎で、次の月の計画を見直していた。
 執事が、慎重な声で切り出す。

「……王宮からの視察の打診が来ております」

「視察?」

「はい。公式ではありませんが、殿下の意向が感じられます」

 私は一瞬、ペンを止めた。
 だが、すぐに再び動かす。

「受けません」

 即答だった。

「理由を、お聞かせ願えますか」

「理由は一つです」

 私は顔を上げ、静かに告げる。

「私はもう、王宮の都合で評価される立場ではありません」

 執事は、深く頭を下げた。

「……承知しました」

 拒絶ではない。
 ただ、線を引いただけ。

 午後、私は領内の工事現場を訪れていた。
 職人たちが汗を流し、段取りよく作業を進めている。

「進捗は?」

「予定通りです。天候次第ですが、前倒しも可能かと」

「無理はしないでください。続くことが大切ですから」

 そのやり取りは、王宮で交わされる曖昧な会話とは対照的だった。
 ここでは、決める人が決め、責任の所在が明確だ。

 夕刻、私は書斎に戻り、一通の未開封の手紙を引き出しから取り出した。
 王太子からのものだ。

(……話がしたい、でしたね)

 私はしばらく考え、そして、静かに紙を破った。
 返事を書かないという選択を、はっきりと形にする。

 その夜、王宮では。

「……拒まれた、か」

 報告を受けたレオンハルトは、言葉を失った。

 助言ではない。
 視察でもない。
 ただ“戻らない”という選択。

 それが、これほど重いとは思っていなかった。

 彼は初めて、はっきりと理解する。

 タリタは、去ったのではない。
 ――自分が、切り離したのだ。

 夜更け。
 フォーマルハウト領の空に、星が瞬く。

 私は窓辺に立ち、静かに息を吐いた。

 戻らない。
 それは、復讐でも、意地でもない。

 ただ、自分の人生を選んだ結果だ。

 王宮がその意味を理解するまで、
 私はここで、変わらず前へ進む。

 それが、私の答えだった。
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