婚約破棄された千年転生令嬢は、名も居場所も縛られずに生きると決めました ――助けを乞うなら条件付きですわあ

ふわふわ

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第20話 去る準備は、気づかれないように

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第20話 去る準備は、気づかれないように

 朝の風が、少しだけ冷たくなっていた。
 季節が一段、進んだのだと分かる。

(……頃合い、ですわね)

 私は、城の書斎で静かに紙を揃えた。
 手順書、原則、連絡網。
 “私がいなくなった日”を前提にした、最後の整理。

 書類の端に、署名は入れない。
 それが、ここでのやり方だった。

 昼前、医療所を巡る。
 若い医師が、迷いなく判断を下し、看護人が自然に動く。

「今日は、検査の動線を一本減らしました」
「待ち時間が短くなったので」

「良い判断ですわ」
 私は頷く。
「減らす勇気は、守る力になります」

 彼は照れたように笑った。

 市場では、検査を受けた商人が不満を言わない。
 理由を聞けば、誰かが簡潔に答える。
 名前は出ない。肩書きも出ない。

(……十分)

 夕方、調整役――彼が私を呼び止めた。

「最近、姿を見ない時間が増えたな」

「忙しく見えないように、忙しくしていますの」

 冗談めかして答えると、彼は小さく息を吐いた。

「……行くのか?」

 私は、否定も肯定もせず、窓の外を見る。

「去る準備は、気づかれないようにするものですわ」
「引き止めが始まる前に」

 彼は黙り込んだ。
 そして、ゆっくり頷く。

「ここは、回る」

「ええ」
 私は微笑む。
「それを確認できたから、準備しているのです」

 夜。
 部屋に戻り、荷をまとめる。
 増えたものは、ほとんどない。
 手帳と、数枚の紙切れ。

 窓辺で灯りを落とすと、街の呼吸が聞こえる。
 騒がしくない。均一でもない。
 それでいい。

(千年、生きましたけれど……)

 “必要とされなくなる瞬間”ほど、嬉しいものはない。
 それは、仕事が終わった証だから。

 翌朝、私は少し早く起きた。
 門番に名は告げない。
 見送る列もない。

 振り返らずに歩く。
 振り返れば、残ってしまうから。

 城門の外で、風が背を押した。

(行き先は――)

 決めていない。
 それでいい。

 私は外套を整え、歩き出す。

 去る準備は、静かに。
 そして、去る時も――静かに。

 名を残さず、影も残さず。
 それが、私のやり方なのだから。
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