婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜

ふわふわ

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第15話 ここにいていい、と初めて思えました

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第15話 ここにいていい、と初めて思えました

 その夜は、なかなか眠れなかった。

 眠れないと言っても、
 不安や緊張で目が冴えているわけではない。
 ただ、胸の奥が静かにざわめいていた。

(……頑張りすぎる癖、ですか)

 ベッドに横になり、天井を見つめながら、
 昼間のアルトゥール・クロイツ公爵の言葉を反芻する。

 頑張ることは、美徳だと思っていた。
 少なくとも、王都ではそうだった。

 努力を怠らない者が評価され、
 期待に応え続ける者が居場所を得る。

 だから私は、
 疑うことなく頑張り続けた。

 それが当たり前で、
 それ以外の生き方を、考えたこともなかった。

(……でも)

 ここでは違う。

 頑張らなくても、
 何もしなくても、
 追い出されない。

 その事実が、
 まだ、少し信じきれないだけなのだ。

 翌朝、私はいつもより少し遅く目を覚ました。

 陽の光が、すでに部屋を満たしている。

(……寝過ぎましたわね)

 そう思いながらも、
 胸に焦りはなかった。

 王都なら、
 「遅刻」という言葉が頭をよぎったはずだ。

 でもここには、
 遅れる予定も、
 叱られる相手もいない。

 ゆっくりと身支度を整え、
 朝食の席に向かう。

「おはようございます、エリシア様」

「おはようございます」

 挨拶は穏やかで、
 私の起床時間について、
 誰も何も言わない。

 それだけで、
 胸の奥がふっと軽くなる。

 朝食後、私は庭へ出た。

 特別な理由はない。
 昨日と同じように、
 歩きたいと思っただけだ。

 庭の奥、
 木陰のベンチに、
 見覚えのある背中があった。

 アルトゥール・クロイツ公爵。

 昨日と同じ場所。
 同じ姿勢。
 同じ静けさ。

(……ここが、お気に入りなのでしょうか)

 そう思いながら、
 私は少し距離を取ったまま、
 別の小径を歩こうとした。

「……来い」

 短い声。

 足が、自然と止まる。

「そこにいるのは、分かっている」

 振り返ると、
 公爵は書類から目を上げ、
 こちらを見ていた。

「……失礼いたします」

 近づきながら、
 私は内心で苦笑する。

 呼ばれることに、
 もう過剰に緊張しなくなっている。

「体調は」

「ええ。問題ありません」

「そうか」

 それだけで会話が終わりそうになる。

 でも今日は、
 私は一歩、踏み出した。

「……昨日のお言葉ですが」

「どれだ」

「頑張りすぎる癖がある、という」

 彼は、否定も肯定もせず、
 私を見ている。

「……あれを聞いて、少し考えました」

 言葉を選びながら、
 私は続ける。

「私、ずっと……
 ここにいていい理由を、探していたのだと思います」

 役に立つから。
 期待に応えるから。
 努力しているから。

 そうでなければ、
 存在してはいけないと。

「でも」

 一度、息を吸う。

「ここでは、理由を求められない。
 それが……少し、怖かったのです」

 沈黙。

 けれど、それは重くない。

「……今は?」

 公爵が、静かに尋ねた。

「今は」

 私は、はっきりと答えた。

「理由がなくても、
 ここにいていいのだと……
 少しだけ、思えるようになりました」

 その言葉を口にした瞬間、
 胸の奥に、温かな感覚が広がった。

 アルトゥール公爵は、
 ほんのわずかに目を細める。

「それでいい」

 短い言葉。

 けれど、
 それ以上の肯定は、必要なかった。

「君がここにいる理由は、
 君がここにいると決めたことだ」

 その一言で、
 胸の奥に、静かな確信が生まれる。

(……ああ)

 私は、ようやく理解した。

 ここは、
 試される場所ではない。

 証明する場所でもない。

 ただ、
 生きることを許される場所なのだ。

 しばらくして、
 公爵は再び書類に視線を戻した。

 私はそれ以上話しかけず、
 庭の小径へ戻る。

 足取りは、
 昨日よりも、少しだけ軽い。

(ここにいていい)

 その言葉を、
 誰かに言われたわけではない。

 でも、
 確かに感じている。

 夕方、部屋に戻り、
 窓の外を眺める。

 沈みゆく陽が、
 庭と館を柔らかく包んでいる。

 ここに来たばかりの頃、
 私はこの場所を
 「休息の場」だと思っていた。

 でも今は、違う。

(……ここは、私の居場所ですわ)

 そう思えたことが、
 今日一番の変化だった。

 何かを成し遂げたわけではない。
 誰かに認められたわけでもない。

 それでも。

 理由がなくても、
 ここにいていいと初めて思えた。

 その実感は、
 これまでどんな称賛よりも、
 静かで、確かな支えになっていた。
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