愛は契約範囲外〈完結〉

伊沙羽 璃衣

文字の大きさ
17 / 59

第十七話 北の帝国皇女

しおりを挟む
酒場は賑わっていた。目的の人物を探そうとするが、茶色の髪と瞳、中肉中背という特徴のない男を探すのは難しい。声をかけられて初めて気が付いた。

「イラリオ。済まないな、急に呼び立てて」
「いえ、構いません。寧ろこちらまでいらして大丈夫でしたか?」
「ああ、戦線は落ち着いている。明日には戻るつもりだが」

アドルフォは酒を煽り、一息吐いた。

「どうなりましたか」
「解消を願ったが、難しいだろうな。どうやら雲の上の方国王陛下の嫌がらせのようだから。白い結婚としていただくようお願いしたが......或いはもう、頼まれていたかもしれない」
「あり得ることかと。研究が出来なくなれば、あの子は死を選びかねません」

イラリオの血の繋がらない娘・・・・・・・・に対する情と心配が透けて見えて、アドルフォは小さく笑った。

「――そなたにも、手紙が届いたとか」
「はい。海との接触で、いよいよ疑念を無視出来なくなったのでしょう......今まではどうでもいいから無視していた、という感じでしたが」
「そろそろ、真実を話すべきだろうか」
「あの子のことですから、ああそう、で終わらせそうな気もしますが......うっかりしているところがあるので、留学生砂の皇国第十三皇子の前で口を滑らせないとも限りません」
「否めないな」

アドルフォは嘆息した。
――兄さん。あたし、この子を育てたい。お願い。
戦場で託されたという赤子を抱いて必死に自分を説得した妹の姿が脳裏に甦る。あれから、随分と大変だった。赤子を実子として遇してくれる貴族を探し、嫁入りさせ......妹が事故で呆気なく死んだ時は、どうしようかと義弟イラリオと頭を悩ませたものである。

「留学生が帰った後で、真実を告げることにしようか」
「それがいいかもしれません」
「あの子がこちらに戻ってきた折に、そなたから話してくれるか。私はいつまた戻ってこられるか分からん」

承知しました、と生真面目に頷くイラリオを残して酒屋を出た。見上げた空に、月はない。星々の煌めきは雲に隠され、どこまでも暗い闇が広がっていた。


***


辺境伯家当主は他の貴族たちに接触を許す暇もなく、すぐに領地にとんぼ返りした。王都を出る前にデアンジェリス子爵家当主と密会していたようだが、その内容までは分からない。

「――アンヌンツィアータ家のご当主がいらしていたそうですね」
「......ええ」

とはいえ、その訪問はある程度知られている。片足を引き摺り、武人らしき雰囲気を醸し出している男が何者であるかは、すぐに分かることだ。
晩餐の席でエカチェリーナは微笑みながらその名を口にした。

「すぐにお帰りになられてしまったようで残念ですわ。数が多く厄介と噂の砂漠の民を相手に、長年善戦している伯にお会いしたかったのですが」
「また機会がありましたら」
「そう願っておりますわ――時に、辺境伯は何故殿下の元を訪ねられましたの? ご息女との婚約のためでして?」
「ええ、父として娘の結婚相手を見ておきたいとお思いだったでしょう」
「まあ、そうでしたのね。てっきり、分不相応な婚約を取り下げてほしい、とでも願うのかと思いましたわ」
「皇女。言葉が過ぎましょう」
「あら、失礼いたしました」

エカチェリーナは微笑んでいる。しかしその瞳はどこまでも冷めていた。

「――殿下、単刀直入に申し上げます。わたくしを婚約者にしてくださいませ」

カトラリーを置きまっすぐにこちらを見つめる眼差しには、これまでのような媚びが含まれていない。やはり、こちらが素か。
レナートが黙っていると、エカチェリーナは言葉を重ねた。

「殿下の婚約は王命によるものとお伺いいたしました。しかし、失礼ながら辺境伯家との縁談には何ら利益があるようには見受けられません。一方で我が国との交易は、必ずや貴国にも利益をもたらすでしょう」
「そうですね。貴国が得る利益に比べれば、微々たるものですが」

エカチェリーナの瞳に動揺が走った。
北の帝国は寒さに厳しく、南方の国との貿易が必須だ。しかしながら、南方でかなり長い国境線を有する西の共和国と帝国は反りが合わず、南東方面に位置する我が国との貿易が多くを占める。3、4代に一度皇女を送り込んでくるのは、王国との友好関係を途絶えさせたくないが為だ。

「――ええ、否定は致しません。しかしながら、婚約者としての責務を放棄して、ひとり呑気に研究をしている令嬢との婚約で、何の利益があるでしょう?」
「彼女が大学に戻ることは、私が許可しました。立太子式や必須公務などの責務は果たしてくれるでしょう」
「今、殿下を支える者が必要でしょう」
「側近たちが十二分に私を支えてくれております」
「ご令嬢には、婚約者として、未来の王妃として立つお覚悟がおありとは思いません。王妃教育もせず、研究に没頭する令嬢が、果たして国母に相応しいと言えましょうか」

レナートは目を細めた。貴族たちからも何度も言われ、聞き飽きた言葉だった。

「彼女は物理学に秀でておりますが、貴族学園での成績も常に上位でした。王妃教育は立太子式を終えてからでも遅くはないでしょう」
「そのように殿下が甘やかすことで、ご令嬢はつけ上がっているのではありませんか? もとはと言えば子爵家の血を引いているのです、もはや貴賤結婚と言っても過言ではないでしょう。イゾラ公爵が婚約破棄をする動機となった令嬢の姉君でもあり、国内からの反発も多いとお聞きします」
「確かに彼女の生家は子爵家ですが、同時に王家の血を汲んでいます。貴賤結婚と断ずることは出来ないでしょう。何より現在は、辺境伯家の一人娘です」
「しかし養女に過ぎません。王家の繁栄の為に、より貴い血筋を迎えるべきでしょう」

体温が下がったような心地がした。王家の繁栄。子を産むこと。レナートにはもはや関係のない言葉の数々。

「それが貴女であると?」
「他国の皇族であるわたくしは、貴い血筋と呼ぶに足るでしょう。大叔母さまが亡くなり、その血筋は片方は途絶え、もう一方は王統から離れ、我が国では貴国との同盟が弱まることも懸念されています」
「確かに私の母は貴国の姫君ではありませんが、決して貴国との同盟を軽んじるつもりはありません」
「そのお言葉を聞けて嬉しく思います――しかし、それでも婚姻を結ぶことが大切であると考えます。ちょうど、貴国の公爵家の令嬢は、既に婚約済みであったり、殿下とは年齢が釣り合わないとお聞きしました」
「適齢期の侯爵令嬢ならまだおります」
「......確かにそうですが、侯爵家と皇族であれば、どちらが貴い血筋かは一目瞭然ではありませんか?」
「そうですね」
「では」
「しかし、私は既にアンヌンツィアータ令嬢に――フェデリカに心奪われたのです」

唐突な告白に、エカチェリーナのみならずレナートの従者までもが瞠目した。嘘なのでそこまで驚かないで欲しい。

「皇女はフェデリカに会ったことはありませんよね? 彼女が如何に素晴らしいか、一度会えば分かるでしょう。夜の闇のような漆黒の髪、アメジストのように輝く瞳。容姿が美しいのは勿論ですが、彼女はとても賢いのですよ。物理学専攻ではありますが、神学や法学にも精通していて、話をする度にその聡明さに気づかされます。彼女が書いた物理学の論文を読んだことはおありですか? ない、それは残念だ。彼女が研究している光の回折というのは——」

レナートがぺらぺら口を動かすと、エカチェリーナはあんぐりと口を開けた。高貴な皇女さまがそんな顔を晒していいのだろうか。

「――と、彼女は素晴らしい人なのです。お分かりいただけましたか?」
「ええ......はい」
「それでもやはり私との婚約を望むのでしたら、皇女から陛下に奏上なさると宜しかろう。私やイゾラ公も再三取り下げを願った婚約を、貴女ならば覆せるかもしれない」

私から奏上の申し出をしておきましょうか、と言ってやれば、エカチェリーナは青い顔をして遠慮いたします、と首を振った。
――その日、王弟レナートと元子爵令嬢フェデリカの身分違いの恋の話が王宮を駆け巡ったのである。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

毒姫ライラは今日も生きている

木崎優
恋愛
エイシュケル王国第二王女ライラ。 だけど私をそう呼ぶ人はいない。毒姫ライラ、それは私を示す名だ。 ひっそりと森で暮らす私はこの国において毒にも等しく、王女として扱われることはなかった。 そんな私に、十六歳にして初めて、王女としての役割が与えられた。 それは、王様が愛するお姫様の代わりに、暴君と呼ばれる皇帝に嫁ぐこと。 「これは王命だ。王女としての責務を果たせ」 暴君のもとに愛しいお姫様を嫁がせたくない王様。 「どうしてもいやだったら、代わってあげるわ」 暴君のもとに嫁ぎたいお姫様。 「お前を妃に迎える気はない」 そして私を認めない暴君。 三者三様の彼らのもとで私がするべきことは一つだけ。 「頑張って死んでまいります!」 ――そのはずが、何故だか死ぬ気配がありません。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

【1月18日完結】捨てたものに用なんかないでしょう?

風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。 戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。 愛人はリミアリアの姉のフラワ。 フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。 「俺にはフラワがいる。お前などいらん」 フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。 捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。

ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。 何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。 ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。 だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。 最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。 慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。 果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。 ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。

『めでたしめでたし』の、その後で

ゆきな
恋愛
シャロン・ブーケ伯爵令嬢は社交界デビューの際、ブレント王子に見初められた。 手にキスをされ、一晩中彼とダンスを楽しんだシャロンは、すっかり有頂天だった。 まるで、おとぎ話のお姫様になったような気分だったのである。 しかし、踊り疲れた彼女がブレント王子に導かれるままにやって来たのは、彼の寝室だった。 ブレント王子はお気に入りの娘を見つけるとベッドに誘い込み、飽きたら多額の持参金をもたせて、適当な男の元へと嫁がせることを繰り返していたのだ。 そんなこととは知らなかったシャロンは恐怖のあまり固まってしまったものの、なんとか彼の手を振り切って逃げ帰ってくる。 しかし彼女を迎えた継母と異母妹の態度は冷たかった。 継母はブレント王子の悪癖を知りつつ、持参金目当てにシャロンを王子の元へと送り出していたのである。 それなのに何故逃げ帰ってきたのかと、継母はシャロンを責めた上、役立たずと罵って、その日から彼女を使用人同然にこき使うようになった。 シャロンはそんな苦境の中でも挫けることなく、耐えていた。 そんなある日、ようやくシャロンを愛してくれる青年、スタンリー・クーパー伯爵と出会う。 彼女はスタンリーを心の支えに、辛い毎日を懸命に生きたが、異母妹はシャロンの幸せを許さなかった。 彼女は、どうにかして2人の仲を引き裂こうと企んでいた。 2人の間の障害はそればかりではなかった。 なんとブレント王子は、いまだにシャロンを諦めていなかったのだ。 彼女の身も心も手に入れたい欲求にかられたブレント王子は、彼女を力づくで自分のものにしようと企んでいたのである。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

愛する人は、貴方だけ

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。 天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。 公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。 平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。 やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。

処理中です...