お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ

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第1章:希代の聖女

第21話 公爵家のお膝元

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 全ての話を聞き終えたアンリ兄様とお母様は、ただ呆然ぼうぜんと私を見つめていた。

 すぐに全てを信じろって方が難しい話なのは、自分でもわかってる。

 立場が逆なら、私だって信じることはできなかったと思うし。

 私は微笑みを浮かべながら告げる。

「以上が私の身に起こったことですわ。
 信じて欲しいとは言いません。
 ですが、宰相派閥の貴族にはくれぐれも注意してください。
 特にエリゼオ公爵やフェルモ伯爵は、宰相側でも厄介やっかいな相手です。
 私がこの家に引き取られたので、お父様が戦地に追いやられる危険はかなり減ったと思います。
 ですが暗殺行為は常に横行しておりました。
 外出するときは、それを前提に動いてください」

 お母様が戸惑いつつも、確かな瞳で私の目を見つめた。

「……いいえ、あなたの言葉ですもの。私は信じます。
 そう、あなたは処刑された時の記憶が残っているのね。
 だからあれほど、陛下たちに拒絶反応を示した……納得できる理由よ。
 でもね――」

 お母様が、私の両手を強く握りしめた。

して一人で戦おうとはしないで頂戴。
 もっと周りの大人を頼っていいのよ? あなたを引き取ったことで、ヴァレンティーノの発言力はあなたの記憶よりもずっと強いものになっている。
 そう簡単に宰相にくっする結果にはならないわ。
 それに、途中で暗殺されてしまったグレゴリオ最高司祭も、この事を知っていれば事前に暗殺を阻止できるはず。
 焦る必要もないの。周りにいる私たちが、必ずあなたの負担を軽減してあげる。
 だから今は、その傷ついた心を癒すことに全力を傾けて欲しいの」

 ヴァレンティーノ……お父様の名前だっけ。

 希代の聖女の養父なら、宰相と互角以上の戦いができるようなことをお父様も言っていたな。

 私の手を握るお母様の手の上に、アンリ兄様の手が重なった。

「話してくれてありがとう。
 母上の言う通りだ。シトラスが焦っても、今すぐ何かをできる訳ではないだろう。
 苦しいかもしれないが、今はまだ耐える時だ。
 時期が来れば父上が必ず動く。それまで、大人しく静養していて欲しい」

 静養か……でも何をしても気が休まらないんだよね。

 そんな私はどうやって静養したらいいんだろう。

 私が曖昧あいまいに微笑んでいると、お母様が何かを思いついたように告げてくる。

「そうだ、シトラスはまだこの領地の事をよく知らないでしょう?
 昼食の後、アンリと一緒に少し街を見てきなさい。
 それで少し気晴らしをしてくると良いわ」

 街を見るのか。

 この領地は平和そうな空気を感じるけど、私が十年間見てきた街というのは、悲惨な光景ばかりが広がっていた。

 『ここはそうじゃない』といくら頭で理解していても、どうしてもまたあの光景を目にするんじゃないかと怯える自分が居た。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。
 あなたが救うべき人たちの、本来の姿をこの街で思い出してほしいの」

 本来の姿……街の人たちの本来の姿って、どんなものなんだろう。

 確かに私はそれを知らなかった。

 私はおずおずとうなずいた。

「わかりました。では午後になったら街を見てきます。
 お兄様、よろしくお願いしますね」

 アンリ兄様は嬉しそうにうなずいた。

「ああ、案内なら任せて欲しい」




****

 食後、私たちは四頭立ての馬車に乗りこんでいた。

 車内は私とアンリ兄様、そして――

「ははは! シトラスと街に行くのは初めてだな!」

 そう、お父さんである。

 お母様が「一緒に連れて行きなさい」と強く勧めてくれたので、今回はお父さんも同伴している。

 アンリ兄様の様子を横目で伺うと、なんだか少しふてくされてるみたいだ。

「お兄様、どうしたのですか? 午前中はあんなに楽しみにしていらしたのに」

「なんでもない……護衛が必要なのも、理解している」

 何でもないなら、なんでふてくされてるのさ……。

 男の子の心理は、理解するのが難しそうだなぁ。

 私が小首を傾げていると、お父さんが楽しそうにアンリ兄様の肩を乱暴に叩いていた。

「ははは! そう簡単にシトラスと二人きりになれると思うなよ?!
 だが安心もしておけ! 護衛の仕事はお前たちを守ることだ!
 馬車を降りれば、私は後ろで大人しくしているからな!」

「ねぇお父さん、どうして私とお兄様が二人きりになってはいけないの?
 私たちはもう兄妹なんでしょう?
 貴族でも、兄妹なら問題にされないのが通例だったはずだよ?」

 護衛なら、馬車の外を並走する騎兵たちのように、馬に乗っても良かったはずだ。

 まぁ私はお父さんが一緒に乗ってくれて嬉しかったからいいんだけど。

 お父さんが楽しそうな笑みを私に向けた。

「ん~? その鈍いところは母さん譲りか?
 今のアンリ公爵令息とお前を二人きりになどさせられるものか。
 間違いがあってからでは遅いからな!」

 間違いって……七歳の私がなにをどう間違われるって言うの……

「お父さん、心配し過ぎだよ。
 それじゃあまるで、お兄様が私を襲いかねないって言ってるみたいだよ?
 私たちは兄妹で、子供で、なにより会ってまだ三日目だよ?
 そんな事ある訳が無いじゃない」

 私がアンリ兄様に微笑みながら「ね! そうだよね、お兄様!」と告げると、アンリ兄様は気まずそうな表情で曖昧あいまいな微笑みを返してきた。

「あ、ああ……そうだな。ギーグの考え過ぎだ」

 私はお父様に向かって得意げに胸を張った。

「ほら! お兄様もこう言ってるし。
 第一、私にその手の心配はいらないよ。
 十七歳で死ぬまで、一度も男性からアプローチされた事なんてなかったもん」

 自分で言っておいて少しむなしい……。

 改めて自分のドレスを見下ろして、小さくため息をついた。

 ドレスは綺麗だけど、こういうのは中身の問題だもんなぁ。

 私は自嘲の笑みを浮かべながらつぶやく。

「世界を無事に救えたとしても、公爵令嬢として嫁ぎ先を探さないといけないのか。
 そっちも大変そうだなぁ。相手なんかどうやって見つけたらいいんだろう」

 お父様の大きな声が車内に轟く。

「心配するな! お前は母さんに似て美人だからな!
 嫁ぎ先など、嫌になるほど見つかるだろう!」

 お父さん……それは親の欲目って奴だよ……。

 実績として誰も言い寄ってこなかった事実を、私は知ってるんだし。

 でも――

「ありがとうお父さん!」

 私は満面の笑みでお父さんに微笑んだ。

 ……なぜか横で見ていたアンリ兄様が赤くなっていたけど、なんで?

 私、見ていて恥ずかしくなるような事しちゃった?




****

 馬車が街に到着した。

 ゆっくりと走る馬車の中から、街を歩く人々を眺めて行く。

「思った通り、平和な領地ですわね。
 街の人の笑顔が明るい……そう、これが『普通の街の姿』なんですわね」

 私の知っている街の住人は、もっと陰鬱いんうつ殺伐さつばつとした、無気力な人たちだった。

 そんな人たちを少しでも救わなければと毎日頑張っていたのが、一か月前――前回の人生を送った私だ。

 だけどこの領地には、そんな人は居ないように見えた。

 隣人を思いやり、自分たち以外にも愛を分け与えることを知る人たちが目の前に居る。

 私が目指した平和な人々の暮らしがここにはあった。


 馬車が大通りの店の前で止まり、お父さんが先に降りていった。

 次にアンリ兄様が降りて、私に手を差し伸べてくれた。

「足元に気を付けて」

「はい、お兄様」

 手を取って、ゆっくりと馬車から降りる――店の看板を見上げると、どうやら手芸店のようだ。

「ここは母上がひいきにしている店なんだ。
 刺繍を始めたなら、自分用の刺繍道具を揃えても良いだろう。
 中で見繕ってもらうといい」

 そう言ってアンリ兄様は私をエスコートし、店内に入っていった。




「いらっしゃいませ――あら、アンリ様じゃありませんか」

 店内にいたのは、背の高い赤い髪の女性だった。

 年齢は多分、お母様と同じくらいだろう。

 アンリ兄様が無表情で告げる。

「久しいな、モニカ。この子は今日、手芸を始めたばかりなんだ。
 初心者用の刺繍道具を見繕ってくれ」

 店員――モニカさんが、私の顔をまじまじと見つめた。

「初めて見るご令嬢ですわね。もしかしてアンリ様の婚約者かしら」

 アンリ兄様がどこか嬉しそうに応える。

「そうではない。先日公爵家に引き取られた、私の新しい妹だ。名をシトラスという」

 私はアンリ兄様から手を放し、すっとカーテシーで挨拶を告げる。

「エルメーテ公爵が息女、シトラス・ファム・エストレル・ミレウス・エルメーテです。お見知り置きください」

 顔を上げると、モニカさんは驚いて目を丸くしていた。

「なんなの、その長い聖名は……それに公爵家の養女だなんて、どういうご事情なのかしら」

「聖教会から、聖女として認定を受けています。
 もう少しすれば王都から正式に布告が出るでしょう。
 お母様がひいきとする店なら、私も利用することになると思います。よろしくお願いしますね」

 モニカさんは少し呆然ぼうぜんとしていたけれど、あわてて私にカーテシーを返してきた。

「モニカ・レルム・ダルサス男爵夫人ですわ。この手芸店の店主をしておりますの。
 こちらこそ、よろしくお見知り置きくださいませ、シトラス様」

 モニカさんは緊張気味だったけど、明るい微笑みで私に接客をしてくれた。

 そして子供用だけど本格的な刺繍道具を見繕ってくれて、袋に詰めて私に渡してくれた。

「ありがとう、大切に使いますわね」

 私たちはモニカさんに見送られながら、店を後にした。


 店の前で馬車に乗ろうとしたところで、なんだか嫌な気配を感じた。

 すぐそばからだ――視線を走らせると、少し離れたところ、通りの反対側で若い男が、先を行くご婦人を見つめていた。

 その若い男が突然駆け出し、ご婦人の手持ち鞄をひったくっていた。

「お父さん! 泥棒だよ!」

 私は叫ぶと同時に、手荷物を放り出して走り出していた。
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