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第3章:月下の妖精
第35話 兄のジャッジ
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アンリ兄様とファウスト伯爵令息が木剣を持って向き合っていた。
アンリ兄様は相手を威嚇する獰猛(どうもうな笑み。
ファウスト伯爵令息は委縮するように困った笑みだ。
アンリ兄様、三年前に比べると、本当に表情が豊かになったなぁ。
でも大怪我させないかな……だって十三歳と十歳だよ?
私は不安な気持ちで二人を見守っていた。
「シトラス。お前が開始の合図をしなさい」
「お父様?! なぜ私がそのようなことを?!」
お父様は微笑むだけで、それ以上を告げてくれない。
仕方なく私は二人に向けて、声を張り上げる。
「そ、それじゃあ……はじめ!」
その一言で、二人が動いた。
アンリ兄様の怒涛の攻勢を、ファウスト伯爵令息は綺麗に受け流していた。
アンリ兄様の剣術は、お父さんが仕込む格闘術の影響でとても攻撃的なものに変化していた。
相手の防御ごと貫く、力で相手をねじ伏せる剣術だ。
一方でファウスト伯爵令息は、技術で巧みに受け流す剣術だ。
受け流して体勢を崩したところに、鋭い攻撃を加えて一撃必殺を狙っていく。
だけどお父さんの攻撃を避けられるアンリ兄様は、そんな一撃必殺すら簡単にかわしていく。
次第にファウスト伯爵令息にも熱が入り、表情が険しくなっていった。
たぶん、自慢の攻撃を余裕でかわされたことに苛ついたのだと思う。
その攻撃も苛烈になっていき、だんだんと受け流す前から攻撃を加えて行くようになっていた。
激しく剣と剣が交差する中、二人の攻撃が同時にお互いの上半身を切り裂いた。
「お兄様!」
あわてて駆け寄ろうとした私を、アンリ兄様が手で止めた。
それで私の足は、たたらを踏んでいた。
おや? 大丈夫そう?
「あわてるな、私の方は浅く入っただけだ。問題ない。
それよりファウストの方を癒してやってくれ。かなり深く入った。
おそらく骨にダメージが届いているはずだ」
私は頷いて祈りを捧げる。
「≪慈愛の癒し≫!」
眩い光がファウスト伯爵令息を包み込み、やがて消えた。
私はファウスト伯爵令息に歩み寄って声をかける。
「大丈夫ですか? ファウスト様」
ファウスト伯爵令息は驚いたように自分の胸を見ていた。
「これが聖女の奇跡……あれだけあった痛みが、もう消えている……」
私はファウスト伯爵令息の鼻に指を突き付けて告げる。
「ファウスト様! 熱くなり過ぎです! どうして本来のスタイルを変えてしまったのですか!
防御を捨ててしまっては、お兄様に勝てる訳がありません!
今回はファウスト様の自滅ですよ?!」
「……そんなことまで、わかるのですか?」
「その程度は、見て居ればわかります!
ファウスト様の剣術は冷静に受け流す流派、冷静さを失ってはいけません!」
私の後ろから、クリザンティ伯爵の声が聞こえる。
「いやはや、私が言うべきことを全て言われてしまいましたな。
さすがは聖女様、といったところですかな?
ご慧眼、恐れ入ります」
私はあわてて振り返り、愛想笑いを浮かべた。
「そんな! 剣術の素人が差し出がましい口を出してしまいました。申し訳ありません」
「いや、実に的を射た指摘でした。どこかで武術を習われていたのですか?」
まさかここで、『お父さんから稽古を付けてもらっていたからわかる』、などとは口が裂けても言えない。
私は乾いた笑いでごまかしつつ、そっとアンリ兄様の背中に隠れた。
「……なるほど、アンリ様の稽古を見ていて覚えたのですね。
アンリ様も、十三歳とは思えぬ剣の冴え、感服いたしました。
私が勝負しても、勝つのに苦労しそうです」
アンリ兄様がふっと笑った。
「私の剣を見てから勝てると断言する大人など、父上以外ではあなたが初めてだ。
あなたが手ほどきをしていくなら、ファウストの今後も楽しみというものだろう」
お父様が楽しそうな微笑みでアンリ兄様に告げる。
「それでアンリ、ファウストはシトラスに近づいても良い男だと思えたか?」
アンリ兄様の微笑みが消え去り、真顔でお父様に応える。
「それとこれとは話が別です。
私に勝てない男に、シトラスを任せる気になどなれません。
途中で冷静さを失うなどもってのほか。そのような男を、シトラスの周囲に近寄らせる訳には参りません」
「お、お兄様? そんな厳しいジャッジをなさらなくてもよろしいのではなくて?」
アンリ兄様は眉をひそめ、私を切なそうに見つめてきた。
「お前の美貌を前に冷静さを失い、獣の本性をさらけだしたらどうする? その可能性がある男など、私が切って捨てるだけだ」
美貌って……アンリ兄様、シスコンが空高くまでこじれ上がってない?
三年間この家で公爵令嬢をやってるけど、素材は農村の村娘だよ?
それに獣の本性ってのもどうかと思う。
仮にも相手は伯爵令息、自分の欲望くらいは制御できるでしょ?
申し訳なくなって、ファウスト伯爵令息を見る――なぜか恥ずかしそうに頬を染め、うつむいていた。
「確かに私はまだ未熟です。今のままでは仰る通り、シトラス様の美貌に目が眩みかねません。
今はまだ、お傍に近寄るべきではないでしょう」
……おーい、伯爵令息? 君の美的感覚もだいぶずれてないか? よく見て? 農家の娘だぞ?
もしかして公爵令嬢とか聖女って肩書の先入観で、実像じゃなくて虚像を見てないかな?
私はファウスト伯爵令息の手を両手で包み込み、胸元に持ってきたあと、その目を微笑んで見つめた。
「ファウスト様、あなたは立派な伯爵令息ですわ。
私ごときに、ご自分を見失ったりはなさらないでしょう?
もっと自信をお持ちになって?」
これだけ近くで顔を見れば、虚像じゃなく実像を見てくれるだろう。
……と、思ったのに、ファウスト伯爵令息は私の顔を熱にうなされたように赤い顔で見つめていた。
こりゃだめだ、まだ虚像を見てる気がする。
不機嫌そうなアンリ兄様の声が聞こえる。
「シトラス! そんな男の手など握るな! お前の手が穢れる!」
穢れるって……ファウスト伯爵令息をなんだと思ってるの、アンリ兄様……。
仮にも高位貴族令息を汚物呼ばわりとか、さすがにお父様たちが怒るよ?
横目でお父様たちを見る――なぜか困ったように微笑んでいるだけだった。
なんで?! アンリ兄様の暴走を止めてよ?!
私はふぅとため息をついてファウスト伯爵令息の手を離した。
……ファウスト伯爵令息、なんでそんな残念そうな顔をしてるのさ。
めんどうだから見なかったことにしよう。
「お兄様、ファウスト様に失礼すぎますわよ?
今の言葉は謝罪なさってください。でなければ三日間、口をきいて差し上げませんわ」
その言葉で、アンリ兄様が顔をしかめた――伝家の宝刀、『口をきいてあげない』だ。
シスコンをこじらせているアンリ兄様に対して、絶大な効果がある。
なお、本当に実行してしまうと私が苦しむので、脅し文句として使うだけである。
「……ファウスト、私の言葉が過ぎた。すまなかった」
「いえ、アンリ様の仰ることは間違っておりません。
この場合、ずれているのはシトラス様でしょう。
なぜあれほどまでにご自覚がないのですか」
「シトラスは昔から自覚がないんだ。
いくら言っても理解してくれない。困ったものだよ」
同年代の男子二人が、そろって大きなため息をついた。
どういう意味なのかな?! 自覚ってなんの自覚?!
私が唇を尖らせていると、アンリ兄様が近づいてきて頭を抱きしめてきた。
「そうむくれるな。お前が可愛らしいと言っているだけだ」
それが勘違いだと何度言えば!
でも頭をハグしてくれるのはぐっじょぶなので、甘んじて今の待遇を受けることにする。
そのままアンリ兄様に抱き着いて胸に顔を埋めた。
あきれたようなお母様の声が聞こえる。
「あらあら、あんなに幸せそうな顔をして……あの子のブラコンも相当ね」
……ブラコンじゃないやい!
そこでふと我に返った。ブラコンじゃないなら、なんでこんなに心地良いのだろう?
お父さんに抱きしめられるのとは違う感覚を覚えているのは確かだ。
頬でアンリ兄様の胸の感触を味わいながら、自分の気持ちがなんなのかに思いを馳せていた。
アンリ兄様は相手を威嚇する獰猛(どうもうな笑み。
ファウスト伯爵令息は委縮するように困った笑みだ。
アンリ兄様、三年前に比べると、本当に表情が豊かになったなぁ。
でも大怪我させないかな……だって十三歳と十歳だよ?
私は不安な気持ちで二人を見守っていた。
「シトラス。お前が開始の合図をしなさい」
「お父様?! なぜ私がそのようなことを?!」
お父様は微笑むだけで、それ以上を告げてくれない。
仕方なく私は二人に向けて、声を張り上げる。
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アンリ兄様の剣術は、お父さんが仕込む格闘術の影響でとても攻撃的なものに変化していた。
相手の防御ごと貫く、力で相手をねじ伏せる剣術だ。
一方でファウスト伯爵令息は、技術で巧みに受け流す剣術だ。
受け流して体勢を崩したところに、鋭い攻撃を加えて一撃必殺を狙っていく。
だけどお父さんの攻撃を避けられるアンリ兄様は、そんな一撃必殺すら簡単にかわしていく。
次第にファウスト伯爵令息にも熱が入り、表情が険しくなっていった。
たぶん、自慢の攻撃を余裕でかわされたことに苛ついたのだと思う。
その攻撃も苛烈になっていき、だんだんと受け流す前から攻撃を加えて行くようになっていた。
激しく剣と剣が交差する中、二人の攻撃が同時にお互いの上半身を切り裂いた。
「お兄様!」
あわてて駆け寄ろうとした私を、アンリ兄様が手で止めた。
それで私の足は、たたらを踏んでいた。
おや? 大丈夫そう?
「あわてるな、私の方は浅く入っただけだ。問題ない。
それよりファウストの方を癒してやってくれ。かなり深く入った。
おそらく骨にダメージが届いているはずだ」
私は頷いて祈りを捧げる。
「≪慈愛の癒し≫!」
眩い光がファウスト伯爵令息を包み込み、やがて消えた。
私はファウスト伯爵令息に歩み寄って声をかける。
「大丈夫ですか? ファウスト様」
ファウスト伯爵令息は驚いたように自分の胸を見ていた。
「これが聖女の奇跡……あれだけあった痛みが、もう消えている……」
私はファウスト伯爵令息の鼻に指を突き付けて告げる。
「ファウスト様! 熱くなり過ぎです! どうして本来のスタイルを変えてしまったのですか!
防御を捨ててしまっては、お兄様に勝てる訳がありません!
今回はファウスト様の自滅ですよ?!」
「……そんなことまで、わかるのですか?」
「その程度は、見て居ればわかります!
ファウスト様の剣術は冷静に受け流す流派、冷静さを失ってはいけません!」
私の後ろから、クリザンティ伯爵の声が聞こえる。
「いやはや、私が言うべきことを全て言われてしまいましたな。
さすがは聖女様、といったところですかな?
ご慧眼、恐れ入ります」
私はあわてて振り返り、愛想笑いを浮かべた。
「そんな! 剣術の素人が差し出がましい口を出してしまいました。申し訳ありません」
「いや、実に的を射た指摘でした。どこかで武術を習われていたのですか?」
まさかここで、『お父さんから稽古を付けてもらっていたからわかる』、などとは口が裂けても言えない。
私は乾いた笑いでごまかしつつ、そっとアンリ兄様の背中に隠れた。
「……なるほど、アンリ様の稽古を見ていて覚えたのですね。
アンリ様も、十三歳とは思えぬ剣の冴え、感服いたしました。
私が勝負しても、勝つのに苦労しそうです」
アンリ兄様がふっと笑った。
「私の剣を見てから勝てると断言する大人など、父上以外ではあなたが初めてだ。
あなたが手ほどきをしていくなら、ファウストの今後も楽しみというものだろう」
お父様が楽しそうな微笑みでアンリ兄様に告げる。
「それでアンリ、ファウストはシトラスに近づいても良い男だと思えたか?」
アンリ兄様の微笑みが消え去り、真顔でお父様に応える。
「それとこれとは話が別です。
私に勝てない男に、シトラスを任せる気になどなれません。
途中で冷静さを失うなどもってのほか。そのような男を、シトラスの周囲に近寄らせる訳には参りません」
「お、お兄様? そんな厳しいジャッジをなさらなくてもよろしいのではなくて?」
アンリ兄様は眉をひそめ、私を切なそうに見つめてきた。
「お前の美貌を前に冷静さを失い、獣の本性をさらけだしたらどうする? その可能性がある男など、私が切って捨てるだけだ」
美貌って……アンリ兄様、シスコンが空高くまでこじれ上がってない?
三年間この家で公爵令嬢をやってるけど、素材は農村の村娘だよ?
それに獣の本性ってのもどうかと思う。
仮にも相手は伯爵令息、自分の欲望くらいは制御できるでしょ?
申し訳なくなって、ファウスト伯爵令息を見る――なぜか恥ずかしそうに頬を染め、うつむいていた。
「確かに私はまだ未熟です。今のままでは仰る通り、シトラス様の美貌に目が眩みかねません。
今はまだ、お傍に近寄るべきではないでしょう」
……おーい、伯爵令息? 君の美的感覚もだいぶずれてないか? よく見て? 農家の娘だぞ?
もしかして公爵令嬢とか聖女って肩書の先入観で、実像じゃなくて虚像を見てないかな?
私はファウスト伯爵令息の手を両手で包み込み、胸元に持ってきたあと、その目を微笑んで見つめた。
「ファウスト様、あなたは立派な伯爵令息ですわ。
私ごときに、ご自分を見失ったりはなさらないでしょう?
もっと自信をお持ちになって?」
これだけ近くで顔を見れば、虚像じゃなく実像を見てくれるだろう。
……と、思ったのに、ファウスト伯爵令息は私の顔を熱にうなされたように赤い顔で見つめていた。
こりゃだめだ、まだ虚像を見てる気がする。
不機嫌そうなアンリ兄様の声が聞こえる。
「シトラス! そんな男の手など握るな! お前の手が穢れる!」
穢れるって……ファウスト伯爵令息をなんだと思ってるの、アンリ兄様……。
仮にも高位貴族令息を汚物呼ばわりとか、さすがにお父様たちが怒るよ?
横目でお父様たちを見る――なぜか困ったように微笑んでいるだけだった。
なんで?! アンリ兄様の暴走を止めてよ?!
私はふぅとため息をついてファウスト伯爵令息の手を離した。
……ファウスト伯爵令息、なんでそんな残念そうな顔をしてるのさ。
めんどうだから見なかったことにしよう。
「お兄様、ファウスト様に失礼すぎますわよ?
今の言葉は謝罪なさってください。でなければ三日間、口をきいて差し上げませんわ」
その言葉で、アンリ兄様が顔をしかめた――伝家の宝刀、『口をきいてあげない』だ。
シスコンをこじらせているアンリ兄様に対して、絶大な効果がある。
なお、本当に実行してしまうと私が苦しむので、脅し文句として使うだけである。
「……ファウスト、私の言葉が過ぎた。すまなかった」
「いえ、アンリ様の仰ることは間違っておりません。
この場合、ずれているのはシトラス様でしょう。
なぜあれほどまでにご自覚がないのですか」
「シトラスは昔から自覚がないんだ。
いくら言っても理解してくれない。困ったものだよ」
同年代の男子二人が、そろって大きなため息をついた。
どういう意味なのかな?! 自覚ってなんの自覚?!
私が唇を尖らせていると、アンリ兄様が近づいてきて頭を抱きしめてきた。
「そうむくれるな。お前が可愛らしいと言っているだけだ」
それが勘違いだと何度言えば!
でも頭をハグしてくれるのはぐっじょぶなので、甘んじて今の待遇を受けることにする。
そのままアンリ兄様に抱き着いて胸に顔を埋めた。
あきれたようなお母様の声が聞こえる。
「あらあら、あんなに幸せそうな顔をして……あの子のブラコンも相当ね」
……ブラコンじゃないやい!
そこでふと我に返った。ブラコンじゃないなら、なんでこんなに心地良いのだろう?
お父さんに抱きしめられるのとは違う感覚を覚えているのは確かだ。
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