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第3章:月下の妖精
第37話 月下の妖精
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薄曇りの月の下、私たちは静かに森へ向かって歩いていた。
……これはどういう状況なんだろう?
公爵邸から充分離れたところで、アンリ兄様に尋ねる。
「どうして出かけようなどと仰ったのですか?」
「眠れぬシトラスの気を紛らわせようと思ってな。
子供たちだけで夜の森を探検だ。少しはワクワクするだろう?」
ワクワクというか、普通に危ないんだけど?
アンリ兄様が言う通り、いくら公爵邸の傍と言っても、夜の森なら弱い魔物くらいは出る。
この季節なら飢えたオオカミは居ないと思うけど、獣が出て来ても厄介だ。
私は危険を感じてアンリ兄様の腕にしがみつき、ゆっくりと歩いていた。
「お嬢様、そのようにしては胸がアンリ様の腕に当たります。少し離れてください」
「お兄様なら、これぐらい慣れてるから大丈夫ですわ。
妹の小さな胸が当たったからって、何がどうだって言うの?」
レナートは心配しすぎだよ。私たちは兄妹なんだよ?
私はアンリ兄様の顔を見上げて「ねぇ?」と告げようとした。
だけど真っ赤なアンリ兄様の顔を見て、何も言えなくなってしまった。
あれ? いつもと反応が違う?
レナートが特大のため息をついてから私に告げる。
「今お嬢様は、ネグリジェという薄い生地しか着ておりません。
ガウンは羽織っておられますが、胸元を隠せておりません。
率直に申し上げて、胸の弾力がそのまま伝わっております。普段より破壊力が高いと申し上げます」
私はおそるおそるアンリ兄様に尋ねる。
「お兄様? なぜ顔が赤いのですか?」
「……気にするな。私が未熟なだけだ」
アンリ兄様の腕は、いつにもまして緊張している。
え?! だって十歳の妹の胸だよ?!
そりゃあ少しは大きくなったなぁとか思うけど、まだまだぺたんこだよ?!
その程度でも、十三歳の少年には刺激が強すぎるの?!
アンリ兄様、うぶ過ぎない?!
とはいえ、ここで腕を手放すのは怖くてできない。
他の人に抱きつくのも、ちょっと遠慮したい。
仕方なく消去法で、アンリ兄様の腕にしがみついていた。
「きゃあ!」
足元でがさがさと物音がして、私は驚いて声を上げた。
……なんか、叫び声があざとい。私のキャラじゃなかったな。
恥ずかしくなってうつむいていると、アンリ兄様の声が聞こえてきた。
「すまないシトラス、両手両足で抱き着かれると、さすがにもう、どうしていいかわからなくなる。
足だけは許してくれないか」
よく見ると、私は飛びあがった勢いで両足でもアンリ兄様の腕に抱き着いていた。
完全にアンリ兄様の片腕をホールドしている形だ。それはもう歩きづらいだろう。
「ご、ごめんなさい、お兄様! 重かったですわよね?!」
あわててアンリ兄様の腕から足を下ろし、その顔を見上げた。その表情は、顔が向こうを見ているのでわからない。
……なんでそっぽを向いてるの?
「お兄様? どうされたのですか? なんだか今夜は様子がおかしいですわよ?」
レナートのあきれる声が聞こえてくる。
「お嬢様、先ほども申し上げたように、今はネグリジェのみを身にまとってらっしゃいます。
わかりますか? 下着や肌が透けて見えるのです。目のやり場に困るのが普通ですよ」
私は自分の身体を見下ろした。
確かにネグリジェの向こうにシュミーズが見える。その下は素肌だ。
だけど、十歳の肌着が見えたからなんだと言うのだろう?
それにアンリ兄様は兄妹なんだけど?
なんで目のやり場に困るの?
私が小首を傾げていると、レナートが深いため息をついた。
「……アンリ様、そのまま我慢なさってください。私も万が一の報告を旦那様にしたくありません」
「わかっている。お前たちが居てくれて、本当に良かったと心から思っている」
ファウスト伯爵令息のあきれた声も聞こえてくる。
「まさか、普段からこんな責め苦を受けているのですか? ……アンリ様に同情いたします」
なんで同情してるの?! 責め苦ってどういう意味?!
私はアンリ兄様をいじめてなんかいないんだけど?!
そりゃあ、困らせてるなぁとは思うけどさ。
腕を離すのが怖いんだから、しょうがないじゃない!
そんな会話を続けながら、私たちは森を歩いて行った。
いつものように小川を超え、丘を上り、ようやくいつもの場所に出る。
「わぁ、月夜の夜景も綺麗ですわね!」
眼下には、どこか幻想的な光景が広がっていた。
月光が雲の影を地表に落とし、雲が流れるにしたがって影が動いているのが見える。
いつのまにか薄曇りだった月も、雲から顔を出していた。
私は振り返って三人に告げる。
「こんな景色を私に見せてくれてありがとう!」
****
「こんな景色を私に見せてくれてありがとう!」
心から微笑んだシトラスは、月光を浴びて光り輝いていた。
三人の男子たちは、その微笑みに魅入られたように見惚れた。
月光を浴びたネグリジェの奥から、白い素肌が見える。
外出することが滅多にないシトラスは、すっかり雪肌に染まっていた。
十歳にしては豊かな胸が、シュミーズの向こうでわずかに主張している。
その全てが月下の妖精のように思えて、男たちは目が離せなかった。
その妖精が、可愛らしく小首を傾げた。
「皆様、どうなさいましたの? 動きが止まってらしてよ?」
この妖精は無自覚にあざとい。己の魅力を認めないからか、そのあざとさに気付く様子はなかった。
聖女が元は農村の生まれだというのは、貴族の間で常識だ。
いくら希代の聖女とは言え、血筋そのものは平民のもの。
だというのに、この聖女は世界中の可憐を濃縮して人間の形にしたかのような存在感を持っていた。
愛嬌のある整った顔立ちは、生粋の貴族と言っても誰も疑わないだろう。
だが貴族らしい気取ったところが微塵もなく、素朴な平民の気質が表面ににじみ出て可憐さを増していた。
透き通るような亜麻色の長い髪は、月光を浴びて艶やかに輝いている。
そのつぶらな瞳は男を疑うことを知らず、無防備にこちらを見つめている。
そんな無垢な瞳が、よこしまな心を持ってその肢体を見てしまう男たちの心を責め立てた。
シトラスはその存在全てが男たちを苛んでいた。
再び妖精が小首を傾げた。
「皆様? 本当にどうなさったの? 私の声、聞こえてますわよね?」
アンリが必死に声を絞り出す。
「……ああ、聞こえている。聞こえているから、お前も私たちの言葉を聞いて欲しい。
せめて、ガウンの前を留めてくれ。下着を隠してくれると助かる」
何も言えなかったレナートとファウストは、心の中でアンリにスタンディングオベーションを送っていた。
せめて下着や肌が見えなければ、彼女の破壊力は半減する。
このまま責め苦を受けていたら、男子三人が血迷って獣の欲望を解き放ってしまいかねなかった。
妖精がむくれながら、渋々とガウンの前を留めた。
「仕方ありませんわね。動きづらくなるから嫌なのですけれど――皆様! 何か来ます!」
シトラスがあわてて男子たちの背後を指さした。
三人が振り返っても、夜の森が広がるだけだ。
だがシトラスは緊張した声で再び告げる。
「この気配……魔物ですわ! 皆様、気を付けてくださいませ!」
レナートがダガーを、アンリとファウストが長剣を構えた。
暗闇を見据え、気配を探る。だがまだ、彼らの警戒網に魔物はひっかからない。
静かな時間が過ぎて行った。
やがて、シトラスが小さく息をついた。
「ふぅ。どうやらこちらが警戒したのを察知して、一度引き返したみたいですわ。
ですが、これから魔物が潜む森の中を抜けなければ家に帰れません。
油断せずに戻りましょう」
アンリが森を見据えながら告げる。
「私が先頭を行く。シトラスを中心に、レナートとファウストは横を固めてくれ。それで構わないか?」
二人の男が頷き、シトラスの横に回った。
「――では行こう。シトラスは何かあったら教えてくれ」
シトラスは可憐な微笑みで応える。
「任せてくださいませ!」
……これはどういう状況なんだろう?
公爵邸から充分離れたところで、アンリ兄様に尋ねる。
「どうして出かけようなどと仰ったのですか?」
「眠れぬシトラスの気を紛らわせようと思ってな。
子供たちだけで夜の森を探検だ。少しはワクワクするだろう?」
ワクワクというか、普通に危ないんだけど?
アンリ兄様が言う通り、いくら公爵邸の傍と言っても、夜の森なら弱い魔物くらいは出る。
この季節なら飢えたオオカミは居ないと思うけど、獣が出て来ても厄介だ。
私は危険を感じてアンリ兄様の腕にしがみつき、ゆっくりと歩いていた。
「お嬢様、そのようにしては胸がアンリ様の腕に当たります。少し離れてください」
「お兄様なら、これぐらい慣れてるから大丈夫ですわ。
妹の小さな胸が当たったからって、何がどうだって言うの?」
レナートは心配しすぎだよ。私たちは兄妹なんだよ?
私はアンリ兄様の顔を見上げて「ねぇ?」と告げようとした。
だけど真っ赤なアンリ兄様の顔を見て、何も言えなくなってしまった。
あれ? いつもと反応が違う?
レナートが特大のため息をついてから私に告げる。
「今お嬢様は、ネグリジェという薄い生地しか着ておりません。
ガウンは羽織っておられますが、胸元を隠せておりません。
率直に申し上げて、胸の弾力がそのまま伝わっております。普段より破壊力が高いと申し上げます」
私はおそるおそるアンリ兄様に尋ねる。
「お兄様? なぜ顔が赤いのですか?」
「……気にするな。私が未熟なだけだ」
アンリ兄様の腕は、いつにもまして緊張している。
え?! だって十歳の妹の胸だよ?!
そりゃあ少しは大きくなったなぁとか思うけど、まだまだぺたんこだよ?!
その程度でも、十三歳の少年には刺激が強すぎるの?!
アンリ兄様、うぶ過ぎない?!
とはいえ、ここで腕を手放すのは怖くてできない。
他の人に抱きつくのも、ちょっと遠慮したい。
仕方なく消去法で、アンリ兄様の腕にしがみついていた。
「きゃあ!」
足元でがさがさと物音がして、私は驚いて声を上げた。
……なんか、叫び声があざとい。私のキャラじゃなかったな。
恥ずかしくなってうつむいていると、アンリ兄様の声が聞こえてきた。
「すまないシトラス、両手両足で抱き着かれると、さすがにもう、どうしていいかわからなくなる。
足だけは許してくれないか」
よく見ると、私は飛びあがった勢いで両足でもアンリ兄様の腕に抱き着いていた。
完全にアンリ兄様の片腕をホールドしている形だ。それはもう歩きづらいだろう。
「ご、ごめんなさい、お兄様! 重かったですわよね?!」
あわててアンリ兄様の腕から足を下ろし、その顔を見上げた。その表情は、顔が向こうを見ているのでわからない。
……なんでそっぽを向いてるの?
「お兄様? どうされたのですか? なんだか今夜は様子がおかしいですわよ?」
レナートのあきれる声が聞こえてくる。
「お嬢様、先ほども申し上げたように、今はネグリジェのみを身にまとってらっしゃいます。
わかりますか? 下着や肌が透けて見えるのです。目のやり場に困るのが普通ですよ」
私は自分の身体を見下ろした。
確かにネグリジェの向こうにシュミーズが見える。その下は素肌だ。
だけど、十歳の肌着が見えたからなんだと言うのだろう?
それにアンリ兄様は兄妹なんだけど?
なんで目のやり場に困るの?
私が小首を傾げていると、レナートが深いため息をついた。
「……アンリ様、そのまま我慢なさってください。私も万が一の報告を旦那様にしたくありません」
「わかっている。お前たちが居てくれて、本当に良かったと心から思っている」
ファウスト伯爵令息のあきれた声も聞こえてくる。
「まさか、普段からこんな責め苦を受けているのですか? ……アンリ様に同情いたします」
なんで同情してるの?! 責め苦ってどういう意味?!
私はアンリ兄様をいじめてなんかいないんだけど?!
そりゃあ、困らせてるなぁとは思うけどさ。
腕を離すのが怖いんだから、しょうがないじゃない!
そんな会話を続けながら、私たちは森を歩いて行った。
いつものように小川を超え、丘を上り、ようやくいつもの場所に出る。
「わぁ、月夜の夜景も綺麗ですわね!」
眼下には、どこか幻想的な光景が広がっていた。
月光が雲の影を地表に落とし、雲が流れるにしたがって影が動いているのが見える。
いつのまにか薄曇りだった月も、雲から顔を出していた。
私は振り返って三人に告げる。
「こんな景色を私に見せてくれてありがとう!」
****
「こんな景色を私に見せてくれてありがとう!」
心から微笑んだシトラスは、月光を浴びて光り輝いていた。
三人の男子たちは、その微笑みに魅入られたように見惚れた。
月光を浴びたネグリジェの奥から、白い素肌が見える。
外出することが滅多にないシトラスは、すっかり雪肌に染まっていた。
十歳にしては豊かな胸が、シュミーズの向こうでわずかに主張している。
その全てが月下の妖精のように思えて、男たちは目が離せなかった。
その妖精が、可愛らしく小首を傾げた。
「皆様、どうなさいましたの? 動きが止まってらしてよ?」
この妖精は無自覚にあざとい。己の魅力を認めないからか、そのあざとさに気付く様子はなかった。
聖女が元は農村の生まれだというのは、貴族の間で常識だ。
いくら希代の聖女とは言え、血筋そのものは平民のもの。
だというのに、この聖女は世界中の可憐を濃縮して人間の形にしたかのような存在感を持っていた。
愛嬌のある整った顔立ちは、生粋の貴族と言っても誰も疑わないだろう。
だが貴族らしい気取ったところが微塵もなく、素朴な平民の気質が表面ににじみ出て可憐さを増していた。
透き通るような亜麻色の長い髪は、月光を浴びて艶やかに輝いている。
そのつぶらな瞳は男を疑うことを知らず、無防備にこちらを見つめている。
そんな無垢な瞳が、よこしまな心を持ってその肢体を見てしまう男たちの心を責め立てた。
シトラスはその存在全てが男たちを苛んでいた。
再び妖精が小首を傾げた。
「皆様? 本当にどうなさったの? 私の声、聞こえてますわよね?」
アンリが必死に声を絞り出す。
「……ああ、聞こえている。聞こえているから、お前も私たちの言葉を聞いて欲しい。
せめて、ガウンの前を留めてくれ。下着を隠してくれると助かる」
何も言えなかったレナートとファウストは、心の中でアンリにスタンディングオベーションを送っていた。
せめて下着や肌が見えなければ、彼女の破壊力は半減する。
このまま責め苦を受けていたら、男子三人が血迷って獣の欲望を解き放ってしまいかねなかった。
妖精がむくれながら、渋々とガウンの前を留めた。
「仕方ありませんわね。動きづらくなるから嫌なのですけれど――皆様! 何か来ます!」
シトラスがあわてて男子たちの背後を指さした。
三人が振り返っても、夜の森が広がるだけだ。
だがシトラスは緊張した声で再び告げる。
「この気配……魔物ですわ! 皆様、気を付けてくださいませ!」
レナートがダガーを、アンリとファウストが長剣を構えた。
暗闇を見据え、気配を探る。だがまだ、彼らの警戒網に魔物はひっかからない。
静かな時間が過ぎて行った。
やがて、シトラスが小さく息をついた。
「ふぅ。どうやらこちらが警戒したのを察知して、一度引き返したみたいですわ。
ですが、これから魔物が潜む森の中を抜けなければ家に帰れません。
油断せずに戻りましょう」
アンリが森を見据えながら告げる。
「私が先頭を行く。シトラスを中心に、レナートとファウストは横を固めてくれ。それで構わないか?」
二人の男が頷き、シトラスの横に回った。
「――では行こう。シトラスは何かあったら教えてくれ」
シトラスは可憐な微笑みで応える。
「任せてくださいませ!」
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