お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ

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第6章:聖女の使命

第59話 冷たい心

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 私は急いでお母さんの姿を探した。

 その時間、お母さんはずっと仕事場で作業をしていたらしい。

 私の部屋には近付いていないそうだ。


 ……このことを、誰かに相談するべきだろうか。

 白昼夢だったかもしれない。

 あの出来事を証明することが、私にはできなかった。

 あの時、従者たちはなぜか、それぞれが別の用事で全員部屋から離れていた。

 あの瞬間の目撃者がいないのだ。

 お父様は王都に居る。

 お母様は……たぶん、頼りにならない。
 
 私は消去法で選択した相手の部屋へ向かい、扉をノックする。

「お兄様、少しよろしいでしょうか」

 部屋の中で書類を見ていたアンリ兄様が顔を上げ、不思議そうな顔をする。

「どうしたシトラス。何があった」


 私はレナートのいたずらから、偽物のお母さんまで、全てをアンリ兄様に伝えた。

 ……ただし、レナートが何を私に言ったのか。そこはぼかした。


 アンリ兄様の表情が険しい。

「……聖玉に異変があった可能性がある」

「異変ですか?」

「亀裂が入ったかもしれない」

「まさか!」

 戦争なんてしていない、宰相もこの世に居ないのに?!

「さすがに崩壊まではしていないと思うがな。
 おそらく王都から早馬がこちらに向かっているはずだ。
 いつでも出発できるよう準備をしておくんだ」

 どうやらアンリ兄様の中で、聖玉に異変があったのは確定事項みたいだ。

「わかりました。他に私に出来る事はありますか」

 アンリ兄様が私の目をじっと見つめた。

「今回、レナートも連れて行ってやりたいと思う。
 あいつを許すことはできないか」

 私は再び心が凍っていくのを感じた。

「お兄様までそんなことをおっしゃるの?」
「それだ、シトラス」

 それ? それってどれ?

 私がきょとんとしていると、お兄様がゆっくりと告げる。

「今、お前の心の中に異変が無かったか?」

「異変といいますか……レナートに対する怒りはありましたが」

「では、その怒りを何とかしずめてくれ。
 今のお前の状態が、異変の原因だろう」

「どういうことですか? 意味が分かりません」

「さっきお前が発言した時、お前からとても冷たい気配がした。
 今お前が抱えている感情が、魔神の力を強くしているんじゃないか?
 何か心当たりはないか」


『悲しみや怒りは、魔神の力を強くしてしまう』


 あの日、前回の人生で『村が全滅した』と知らされた夜に、ベイヤー司祭から聞いた言葉。

「……ですが悲しむことも、怒ることも、今まで何度もあったはずです」

「今までのものと異質な状態だと思う。
 さっきのようなシトラスを、私は知らなかった。
 なんとか自覚はできないか?」

 そんなことを言われてもなぁ……ああでも――

「レナートに対して怒っている時は、心が冷たくなっていく気がします。
 この感覚は、処刑されたあの日に感じたのが最後だったと思います」

「……詳しくは、グレゴリオ最高司祭が知っているかもしれないな。
 おそらく、お前のその感情が魔神復活の鍵だろう。
 何があったか詳しく教えてくれとは言わない。
 レナートのどんな発言が逆鱗に触れたのかも聞かない。
 ――いつものお前に、戻って欲しい」

 アンリ兄様が私の肩に手を置いた。

 私はそれを、とても冷ややかな目で見ている。

 ――レナートを許すだなんて、できるのだろうか。

 私は「少し、考えさせてください」と告げて、自分の部屋に戻った。




****

 私はソファに座り紅茶を飲みながら、ゆっくりと自分の心を見つめていた。

 冷たい心の正体は、さっきなんとなく気が付いた。

 処刑された日と同じだとしたら、それはきっと人間に失望し、見捨ててしまった私の心だろう。

 レナートが禁句を口にした時に、思い出してしまった私の本心。

 お母様だけでなく、アンリ兄様まであんな心で見る日が来るだなんて、思わなかったな。

 私に何が起こったのか――人間に失望している心を、聖女の私が自覚してしまった。

 人を救うべき聖女が、人間を見捨てたのだ。

 たぶん、それがあの偽物のお母さんを呼び寄せた。

 あれはなんだったのだろう。

『いつものお前に、戻って欲しい』

 いつもの自分、か。

 それがどんなものだったのか、思い出すのが難しい。

 どうやったら戻れるだろう。


「シトラス、ちょっといいか」

 声に振り返ると、部屋の入り口にお父さんが立っていた。

 お母さんにお母様、アンリ兄様も居る。

 今度は慎重に相手を見定める――嫌な気配は、しないはずだ。

「なに? お父さん」

 ――ああ、お父さんまで冷たい心で見てしまう。

 お父さんはとても悲しそうな顔で、ゆっくりと近づいてきた。

 そして私の傍まで近寄ってきて、両手で私の頬を挟んだ。

「……お父さん、どうしたの?」

「お前はいつも明るく笑う女の子だ。母さんみたいにな。
 そんなお前が、それほど冷たい目で私たちを見ている。
 それだけ辛い目にあったんだと、今ならよくわかる」

 ……そうだよ、今もずっとつらいよ。

 私は人間を救いたい。

 なのに、救う価値が無いことを心が認めてしまってる。

 救いたい心と見捨てる心がせめぎ合って、悲鳴を上げてる。

「またシトラス・ガストーニュに戻るか?」

「……今は、ヅケーラ村に帰って居られる状況じゃないよ。
 もし聖玉に異変があったなら、私は王都に行かなきゃいけないし」

 亀裂ぐらいなら、猶予はある。

 でも崩壊していたら……ああでも、それはもう手遅れということだから、その時は帰っても良いのかな。

「では、いつもの聖女シトラスに戻るか」

 私はきょとんとしてお父さんを見つめた。

 どういう意味だろう? それが出来れば苦労はしないんだけど。

「お前はいつも人々を救いたいと願っていた。
 少しでも悲しむ人を救いたいと、命を削るようなことさえしていた。
 もう一度、悲しむ人を救いたがるお前に戻れるか?」

 悲しむ人を救う――それは私が願い続けたこと。

 あの日の子供たちのような泣き顔は、もう見たくない。

 その気持ちだけはまだ、この胸にった。

「……今の私じゃ、悲しむ人を救えないって意味かな」

「少なくとも、お前の目の前には、お前を思って悲しんでいる人間がこれだけ居る。
 私たちの心を、救ってはくれないか」

 お父さんたちの悲しみは、言われなくても見ればわかる。

 救いが欲しいと言われるなら、それを救うのが聖女の役目だ。

 でも今の私に、そんな力があるだろうか。

「どうすれば救われてくれるの?」

「いつもの明るい笑いを、取り戻してほしい。
 見ているだけで心が温かくなる、お前の笑顔を。
 私たちはその笑顔に、いつも救われていたんだ」

 そんなことで救われるの?

 でも笑い方なんて、もうわからなくなっちゃった。

 うつむいていると、アンリ兄様が前に出てきた。

「シトラス、馬に乗らないか」

 突然だな?

「お兄様? 今はそれどころではありませんが」

 アンリ兄様が首を横に振った。

「エルメーテ公爵令息ではなく、旅人のアンリとして、シトラス・ガストーニュと馬に乗りたい。
 今夜一晩、二人きりで過ごさないか。あの場所で野営しよう」

「あの場所って、あの高台のことですか?
 あんな人気ひとけのない場所に男女が二人きりだなんて、許されませんわ」

「シトラス・ガストーニュは、そんなことを気にする女の子じゃないだろう?
 遊びに誘われたら、気軽に乗ってくる女の子だ。
 今は貴族の習わしなんて、忘れてしまえ」

 わがままだなぁ。後で苦労するのは、私やお父様たちなんだけど。

 私はお母様に顔を向けて尋ねる。

「お母様は、それを許可できるのですか?」

「私には、旅人のアンリやシトラス・ガストーニュに何かを言う権利はないわ。
 聞くなら、あなたのご両親に聞きなさい」

 私はお父さんとお母さんを見た。

「行ってきても良いの?」

 お父さんとお母さんが笑顔でうなずいた。

「ああ、子供の遊びなら止めはしないさ。怪我だけは気を付けるんだぞ」

「……でも私の服なんて、今はこのドレスしかないんだけど?」

 お父さんが明るく笑った。

「はっはっは! 服が汚れようが破けようが、気にすることはないさ!」

 その笑い声で、私も何となく温かい気持ちを思い出し始めていた。

「仕方ないなぁ。
 ――じゃあアンリ、行こうか」

「ああ、行こう」

 私はアンリの手を取って、ソファから立ち上がった。
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