白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚

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4話

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 朝の光が窓辺のカーテンを染め始めるころ、私はゆっくりと瞼を開いた。寝台の横には見慣れた光景——侍女のシューネが、テーブルの上に紅茶を用意してくれている。

「お嬢様、もう朝ですよ。今日は王宮へ、正式に御入城なさる日です。いつまでもベッドの中ではありませんよ」

「……ええ、わかってるわ」

 そう答えながら、私はまだ寝ぼけまなこで小さくあくびをする。王宮へ「御入城」という物々しい言葉が使われるのは、つまり私が“第二王子の婚約者”として、この日からしばらく王宮に滞在することになったからだ。結婚式そのものは少し先の日程だが、それまでの準備期間にもろもろ滞在する慣習がある。公的な行事の打ち合わせや、宮廷作法を再確認する必要があるらしい。

 もちろん私にとっては大変面倒な話だ。自宅で気ままに読書をしながらティータイムを楽しむ生活が好きなのに、この先しばらくはそうもいかない。もっとも、形式的な婚姻である以上、リオネル殿下が私を多少放っておいてくれる可能性が高いから、その点だけは少し気楽でもある。

「……よいしょっと」

 私が寝台から体を起こすと、シューネは私に薄手のガウンを渡しながら、淡々と今日の予定を説明してくれた。

「本日は午前中にご入城の儀式があり、午後から王城内のご案内と部屋の割り当て確認がございます。あとは、夕方にリオネル殿下や侍女長が集まって、結婚式に向けた進行の打ち合わせ……という段取りですね」

「打ち合わせ、また……。まったく、次から次へとやることばかりね」

 私は眉をひそめつつも、仕方なく覚悟を決める。今の私に求められるのは、侯爵令嬢としての品位を保ち、王族の“花嫁候補”にふさわしい振る舞いをすること。実際のところ、私はほどほどに形を整えられればそれでいい。これからも優雅なお昼寝と読書の時間が確保できれば文句はないのだ。

 こうして、慌ただしい朝を迎えた私は、早速支度を済ませて馬車に乗り込み、王宮へ向かった。宮廷の門をくぐると、これまで何度も出入りしているはずなのに、周囲からやけに視線を感じる。……そうか、これが“王子の婚約者”扱いというわけね。これまでただの令嬢として訪れていたときとは、まるで注目度が違うようだ。

 実際、馬車から降り立った私のもとへは、侍女や小姓がずらりと並んで「お迎えに上がりました」「このたびはご婚約まことにおめでとうございます」と、機械的に頭を下げてくる。その中心には、見覚えのある女性——リナの姿もあった。彼女も通常業務の一環か、控えめに頭を下げつつ私ににっこり微笑む。

「ルージュ様、お待ちしておりました。これからしばらく王宮にご滞在とのこと……いろいろとご不自由もあるかもしれませんが、何でも遠慮なくお申し付けくださいね」

 はい、と私はさりげなく笑顔を返した。リナはさほど気負いも見せずにごく自然な表情をしているが、彼女がリオネル殿下の“本命”であることを私は知っている。もっとも、その事実を公言しているわけではないらしいが、宮廷内ではある程度噂になっているようだ。それでも今回こうして他の侍女たちと同じように、私を出迎える立場に立っていることが、彼女自身も気まずくないのだろうか……?

(でも、昨日までにも顔を合わせたけれど、意外と気にしていないのかもしれない。むしろ純粋に仕事をこなしているみたい)

 リナが私に寄り添って歩き出すと、周囲の侍女たちが小声で何かを囁き合っているのが分かる。おそらく「あれが噂の平民の愛人よ」「いや、でも公式にはただの侍女よ」とか、そのあたりのゴシップで盛り上がっているのだろう。私としては、好きに言わせておけばいい。どうせ何を言われようと、関係は変わらないのだから。

「ルージュ様、こちらが本日からご滞在いただくお部屋でございます。王妃陛下が昔お使いになっていた内装を改装して、一時的にお客様用にしているのだとか」

 案内された部屋は高い天井と広い窓を備え、豪華な調度品が置かれている。中央に大きなベッドが配され、サイドテーブルには花瓶に活けられた白薔薇が飾られていた。壁の装飾は金箔と淡いピンク色が基調になっていて、どこかエレガントで落ち着く空間だ。

「……素敵ね。思ったよりも落ち着いて過ごせそうだわ」

 私は率直な感想を述べ、ベッドの端を軽く押してみる。ふかふかしていてなかなかの寝心地になりそうだ。やや大袈裟だが、確かに“王宮の離れ”と呼ぶにふさわしい快適さだ。こういう部屋であれば、私も本を読んだりのんびりお昼寝したりできそうでありがたい。

「よかったです、ルージュ様にそう言っていただけて」

 リナはまるで自分のことのように微笑んだ。その表情を見ていると、彼女もまだ若く、初々しさが残る。……こんな娘に恋い焦がれるリオネル殿下の気持ちも分からなくはない。明るい茶髪、つぶらな瞳、笑顔が柔らかくて愛嬌があるし、周囲の侍女にも人望があるようだ。噂が立つのも無理はないだろう。

 とりあえず部屋のチェックをひと通り終えたところで、リナは用意していた紙束に目を落とす。

「それではルージュ様、今日の予定をご説明いたしますね。まず午前中は軽く王城内を回っていただいて、その後……」

 これからは本当に、宮廷行事の予定がぎっしり詰まっていく。私はリナやシューネに助けられながら、面倒事に巻き込まれないよう、そつなく立ち回るしかないだろう。……とはいえ、気の進まない宴やら儀礼をこなすのも貴族の務め。これまで何度も経験してきたこととはいえ、ため息は絶えない。

 さらに昼過ぎ、私は一度部屋に戻って休もうとしたところ、扉がノックされ、知らせが飛び込んできた。

「ルージュ様、恐れながら……リオネル殿下がお呼びです」

 報せに来たのは侍女長だ。薄茶色の髪をきつく結い上げ、厳しい表情をしている。どうにも私は彼女が苦手だった。妙に仕事熱心というか、神経質な雰囲気があるのだ。

「殿下が……? わかりました。今行きます」

 リオネル殿下は、“形式上の夫”になる人だ。先日までは「あまり干渉しあわない」という話だったが、今回は何の用だろうか。私はやれやれと思いつつ、すぐに支度を整えて侍女長のあとをついていく。さほど遠くない別の部屋に案内されたところで、ドアを開けて入ると……そこにはリオネル殿下とリナが揃って立っていた。

「よう、ルージュ。ごめん、呼び出して」

 先に口を開いたのはリオネル殿下。今日はいつも以上に落ち着かないようすで、髪の一部がやけに跳ねている。隣にはリナも控えており、心なしかそわそわしているように見える。ひょっとして何かトラブルでも起きたのだろうか。

「殿下、ご用件は何でしょうか。お忙しいところ、わざわざ私を……」

「いや、実はさ……。リナが、君にお礼を言いたいことがあるって聞いてね。あんまり時間はないけど、一緒に話をしたほうがいいと思ったんだ」

 リオネル殿下がそう言うと、リナはほんのり頬を赤くしながら、私のほうへ向かって深く頭を下げた。

「ルージュ様、本当にありがとうございます。私、リオネル様との関係を認めてもらえるなんて、思ってもいませんでした。もちろん正式には認められるような立場ではないと分かっていますが……ご厚意に甘えてしまってよいのかと、ずっと悩んでいたんです」

 その言葉に、私は少し目を瞬かせる。リナが言っているのは、先日の“白い結婚”の申し出を了承したことについてだろう。あのとき、私は「殿下はリナさんを大切にしたいのですから、ご自由にどうぞ」と伝えた。だが、それがリナの心にこれほど大きな影響を与えていたとは思わなかった。

「私、最初はルージュ様のことが怖かったんです。平民の身分で、よりによって王子殿下と……なんて、本来ならば大それたこと。ルージュ様にとっては、不愉快でしかないんじゃないかって」

「そうね……普通ならそう思うかもしれないわね。でも、私はリオネル殿下とあなたの間に入りこむつもりはありません。私には私の事情があるだけで、あなたたちの恋を邪魔する理由はないのです」

 私がそう柔らかく言うと、リナは目を潤ませながら、かすかに微笑んでくれた。その純真な表情を見ていると、不思議と嫌な気持ちは沸いてこない。もし私が恋愛に燃えるタイプだったら、こんな風に寛容でいられなかったかもしれないが……幸か不幸か、私は結婚に夢を持ってはいないのだ。

「今のところ、王宮の人たちから変な詮索を受けてはいないのかしら?」

 ふと気になって私はリナに問いかける。彼女は少し口籠りながらも、曖昧に笑みを浮かべて言った。

「……多少は、変な噂をされたり、嫌味を言われることもあります。でも、殿下やルージュ様が大丈夫だと言ってくださるから、私は耐えられるんです。それに、私がくじけないかぎり、誰にも私たちの幸せを壊させたくありませんし」

 なんともいじらしい決意だ。リオネル殿下はリナの肩に軽く手を置き、優しい視線を向けている。リナもそれに応えるように微笑む。私は少しばかり、そんな二人の空気感にほほえましさを感じる。

(なるほどね……。これが、私の旦那様(予定)とその恋人、というわけか)

 妙な三角関係だが、私に嫉妬心がないぶん、修羅場になることもなさそうだ。リオネル殿下から見ても、私が騒がないことは助かるだろう。まさしくWin-Winの関係というやつである。ただし、世間から見ればとんでもない構図かもしれないが……私は私の平穏を守れればいいのだ。

「あと……お前たちがせっかくだから仲良くなればいいと思ってな」

 リオネル殿下はそう言うと、なぜか気恥ずかしそうに頭をかく。

「もう、殿下ったら……私とルージュ様は、元々そんなに険悪じゃありませんよ?」

「そ、そうかもしれないが。リナは昔から平民の出で、ここ宮廷でも肩身が狭い思いをしているんだ。だからルージュ……ええと、もし良ければ、彼女にいろいろ教えてやってくれないか? 格式のあるお茶会の作法とか、宮廷の慣習とか……」

 要するに、王宮内でのマナーや礼儀作法を、私がリナに少し指導してやってほしいということらしい。彼女は侍女として基本的なことは身に付けているだろうが、どうしても平民と貴族では立場の違いがある。ましてや、王子の恋人ともなれば、陰口を叩かれることも多いはずだ。リオネル殿下としては、私がリナの“味方”であってくれることが心強いのだろう。

「まあ、別に構いませんわ。私の知っている範囲で良ければ、いくらでも教えます。リナさん、よかったら休日とかに、一緒にお茶や街歩きをしましょう」

 そう提案すると、リナは驚いた様子でぱちぱちと瞬きをした。そして次の瞬間、声を弾ませる。

「ほ、本当にいいんですか? 私、貴族の方と外へ出かけたことなんてほとんどなくて……!」

「構わないわよ。休日なら私も気楽に動けるし、あなたもお休みの日はあるのでしょう?」

「はい、月に数日だけですが……。でも、そんな大事な休暇を、私なんかのために使わせてしまうのは……」

「“私なんか”って言わないの。それに、私はあなたと過ごすのが苦じゃないわ。むしろ、気ままにお店を見て回ったり、おいしいスイーツを食べたりするのは楽しいじゃない」

 私がそう言うと、リナは感激したように瞳を潤ませ、両手をぎゅっと握りしめた。まるで孤立無援だと思っていた状況に、友人が差し伸べた手を見つけたかのようだ。実際、私にとっても利点がないわけではない。彼女と仲良くしていれば、リオネル殿下から下手に干渉されずに済みそうだし、彼女のほうが周囲の話題をいろいろ教えてくれるかもしれない。

 こんなふうに、私たちは互いの利害が一致(?)したのか、自然と近づいていくことになった。ここに、ちょっと奇妙な三人の関係が始まるのである。
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