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24話
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皇太子妃候補の姿をしたフローラ
光が差し込む扉の前に、フローラが姿を現した。
王国の夜会で彼女を見たときとは比べものにならないほど、気品漂う佇まい。淡い色合いのドレスは、ラグナ帝国の仕立ての手によるもので、繊細な銀糸と宝石がさりげなく縫い込まれ、彼女の柔らかな雰囲気を引き立てている。
公爵をはじめ、特使の面々はあっけに取られた。かつては屋敷の奥に閉じ込められていた娘が、今や堂々と皇太子妃候補としてのオーラを放っている――そんな現実を認めたくともすぐには受け入れられない。
フローラはゆっくりと視線を動かすと、公爵と目が合った。かつての父親、その背後には、フローラを軽蔑していた公爵夫人や異母妹の姿はないが、周囲の貴族の面々が強張った表情で並んでいる。
「ご無沙汰しております……リヴェール公爵閣下」
静かな声に、公爵は思わず息を詰まらせる。フローラが深々と礼をしたとき、その背筋にはこれまでとはまるで違う、自信と優雅さが宿っていた。
「フ、フローラ……本当に、お前は……」
クラウスの存在感に押されながら、公爵はなんとか言葉を絞り出す。
「そ、そうか。お前がラグナ帝国で暮らしているという噂は聞いていたが……まさか、ここまで……」
フローラは微かに微笑し、視線をまっすぐに向けた。過去の辛い記憶を乗り越えた今、彼女の瞳は穏やかでありながら、どこか冷たい光を宿しているようにも見える。
「はい。わたくしは、クラウス殿下……いえ、皇太子殿下のもとで、皇太子妃候補として日々を過ごしております。王国を出て以来、もうかなりの時間が経ちましたね」
その口調はどこまでも丁寧で礼儀正しいが、かつてのような遠慮深さだけではない。むしろ、公爵に対してもう「娘として」気遣う必要など感じていないかのようだ。
公爵はさっそく取り繕うように言葉を続ける。
「そ、そうか。ならばお前の身は安泰だな。安心したぞ、フローラ。……実はな、今回の特使派遣には、お前を……ええと、迎え戻すというか、双方で協力し合う糸口を探すという目的もあって――」
「迎え戻す……?」
フローラは、その言葉にほんの少し苦笑を浮かべた。まるで何か勘違いをしている相手を見るときのようだ。
一方、クラウスは黙ってフローラを見守っている。彼女がどう立ち振る舞うかを、自分の意思で決めるのを尊重しているのだろう。
フローラは控えめに息を吐き、皇帝とクラウスへ視線を送ってから、公爵へと向き直る。
「わたくしは、すでにこちらで未来を築こうと決めました。王国の皆さまに見放された身として、ラグナ帝国にお世話になっております。……迎え戻すというのは、どういったご意図でしょうか?」
その問いは、極めて礼儀正しく、だが明確に「今さら何の用か」と質している。公爵は完全に言葉に詰まった。
「い、いや、その……なに、王国も大変でな。お前が戻ってくれば、王太子妃として……そう、アルベルト殿下とも和解できるだろうし、王国としても……」
公爵の言葉に、フローラはほんのわずかに顔を曇らせる。だが、その感情はすぐに冷静な色へと変わっていく。
――かつて、自分を切り捨てた王国の王太子が、いまさら「和解」などと口にするのか。そんなものは、ただの御都合主義に過ぎない。
フローラの沈黙が痛々しいほど響いたとき、クラウスがゆっくりと口を開いた。
「公爵。俺が聞きたいのは、ただひとつだ。――『お前たちは、本当にラグナ帝国との和平を望んでいるのか?』 それとも、己の地位を守るためにフローラを利用しようとしているのか?」
ストレートすぎる物言いに、公爵をはじめ特使の面々は蒼白になる。
「な、何を……」
「お前たちが、どれほどフローラを冷遇してきたのか。それは王国でも噂になっているし、俺たちの耳にも入っている。今さら『戻ってくれば助けてやる』などと虫のいい話をしても、聞き入れられると思うな」
その鋭利な言葉に、謁見の間は水を打ったような静寂に包まれた。フローラは固唾を呑んで見守っている。
公爵は震える声で懸命に弁解する。
「ち、違うのだ。わたしはただ、フローラが……その……向こうで不当に扱われているのではないかと心配で……」
「へえ。お前は自分の娘を『無能な令嬢』扱いして捨てておきながら、いまさら心配とな?」
クラウスの冷笑が、公爵の胸を深く抉る。彼は苦しげに口を開きかけるが、何も言えない。
フローラは目を伏せて、すっと息を整える。そして、しっかりとした声音で言い放つ。
「公爵閣下、わたくしはもう『あなたの娘』ではありません。あのとき、わたくしを捨てたのはそちらですし、王太子殿下もわたくしを要らないとおっしゃいました。今のわたくしには、ラグナ帝国こそが大事な居場所です。……どうか、そこを誤解なさいませんように」
その言葉は、フローラが長年味わってきた悲しみや屈辱を消化し、今ここにいるという証のようでもあった。
公爵は顔を歪め、うめき声のような喘ぎを漏らすが、反論の余地はない。特使の面々も「これでは交渉どころではない」と頭を抱える。彼らの目論見であった「フローラを交渉の切り札にする」戦術は、開始早々に粉砕されたも同然だった。
クラウスは、そんな公爵らの惨めな様子を一瞥すると、淡々と宣言する。
「我々ラグナ帝国は、王国との和平交渉を拒否するつもりはない。ただし、その条件は我々が定める。国境地帯の再編や、交易ルートの優先権、また軍事行動の制限など、相応に厳しい要求になるだろう。お前たちにそれが飲めないなら、すぐに帰れ」
その断固たる態度に、特使たちは何も言えなくなる。表向きは交渉と称しているが、実際には「徹底的に譲歩を迫られる」形に他ならない。
そして、フローラの目を前にして何もできない公爵の姿を見た他の特使は、内心「これでは帰国しても我々はどうなる……」と暗い想像をかき立てられた。
光が差し込む扉の前に、フローラが姿を現した。
王国の夜会で彼女を見たときとは比べものにならないほど、気品漂う佇まい。淡い色合いのドレスは、ラグナ帝国の仕立ての手によるもので、繊細な銀糸と宝石がさりげなく縫い込まれ、彼女の柔らかな雰囲気を引き立てている。
公爵をはじめ、特使の面々はあっけに取られた。かつては屋敷の奥に閉じ込められていた娘が、今や堂々と皇太子妃候補としてのオーラを放っている――そんな現実を認めたくともすぐには受け入れられない。
フローラはゆっくりと視線を動かすと、公爵と目が合った。かつての父親、その背後には、フローラを軽蔑していた公爵夫人や異母妹の姿はないが、周囲の貴族の面々が強張った表情で並んでいる。
「ご無沙汰しております……リヴェール公爵閣下」
静かな声に、公爵は思わず息を詰まらせる。フローラが深々と礼をしたとき、その背筋にはこれまでとはまるで違う、自信と優雅さが宿っていた。
「フ、フローラ……本当に、お前は……」
クラウスの存在感に押されながら、公爵はなんとか言葉を絞り出す。
「そ、そうか。お前がラグナ帝国で暮らしているという噂は聞いていたが……まさか、ここまで……」
フローラは微かに微笑し、視線をまっすぐに向けた。過去の辛い記憶を乗り越えた今、彼女の瞳は穏やかでありながら、どこか冷たい光を宿しているようにも見える。
「はい。わたくしは、クラウス殿下……いえ、皇太子殿下のもとで、皇太子妃候補として日々を過ごしております。王国を出て以来、もうかなりの時間が経ちましたね」
その口調はどこまでも丁寧で礼儀正しいが、かつてのような遠慮深さだけではない。むしろ、公爵に対してもう「娘として」気遣う必要など感じていないかのようだ。
公爵はさっそく取り繕うように言葉を続ける。
「そ、そうか。ならばお前の身は安泰だな。安心したぞ、フローラ。……実はな、今回の特使派遣には、お前を……ええと、迎え戻すというか、双方で協力し合う糸口を探すという目的もあって――」
「迎え戻す……?」
フローラは、その言葉にほんの少し苦笑を浮かべた。まるで何か勘違いをしている相手を見るときのようだ。
一方、クラウスは黙ってフローラを見守っている。彼女がどう立ち振る舞うかを、自分の意思で決めるのを尊重しているのだろう。
フローラは控えめに息を吐き、皇帝とクラウスへ視線を送ってから、公爵へと向き直る。
「わたくしは、すでにこちらで未来を築こうと決めました。王国の皆さまに見放された身として、ラグナ帝国にお世話になっております。……迎え戻すというのは、どういったご意図でしょうか?」
その問いは、極めて礼儀正しく、だが明確に「今さら何の用か」と質している。公爵は完全に言葉に詰まった。
「い、いや、その……なに、王国も大変でな。お前が戻ってくれば、王太子妃として……そう、アルベルト殿下とも和解できるだろうし、王国としても……」
公爵の言葉に、フローラはほんのわずかに顔を曇らせる。だが、その感情はすぐに冷静な色へと変わっていく。
――かつて、自分を切り捨てた王国の王太子が、いまさら「和解」などと口にするのか。そんなものは、ただの御都合主義に過ぎない。
フローラの沈黙が痛々しいほど響いたとき、クラウスがゆっくりと口を開いた。
「公爵。俺が聞きたいのは、ただひとつだ。――『お前たちは、本当にラグナ帝国との和平を望んでいるのか?』 それとも、己の地位を守るためにフローラを利用しようとしているのか?」
ストレートすぎる物言いに、公爵をはじめ特使の面々は蒼白になる。
「な、何を……」
「お前たちが、どれほどフローラを冷遇してきたのか。それは王国でも噂になっているし、俺たちの耳にも入っている。今さら『戻ってくれば助けてやる』などと虫のいい話をしても、聞き入れられると思うな」
その鋭利な言葉に、謁見の間は水を打ったような静寂に包まれた。フローラは固唾を呑んで見守っている。
公爵は震える声で懸命に弁解する。
「ち、違うのだ。わたしはただ、フローラが……その……向こうで不当に扱われているのではないかと心配で……」
「へえ。お前は自分の娘を『無能な令嬢』扱いして捨てておきながら、いまさら心配とな?」
クラウスの冷笑が、公爵の胸を深く抉る。彼は苦しげに口を開きかけるが、何も言えない。
フローラは目を伏せて、すっと息を整える。そして、しっかりとした声音で言い放つ。
「公爵閣下、わたくしはもう『あなたの娘』ではありません。あのとき、わたくしを捨てたのはそちらですし、王太子殿下もわたくしを要らないとおっしゃいました。今のわたくしには、ラグナ帝国こそが大事な居場所です。……どうか、そこを誤解なさいませんように」
その言葉は、フローラが長年味わってきた悲しみや屈辱を消化し、今ここにいるという証のようでもあった。
公爵は顔を歪め、うめき声のような喘ぎを漏らすが、反論の余地はない。特使の面々も「これでは交渉どころではない」と頭を抱える。彼らの目論見であった「フローラを交渉の切り札にする」戦術は、開始早々に粉砕されたも同然だった。
クラウスは、そんな公爵らの惨めな様子を一瞥すると、淡々と宣言する。
「我々ラグナ帝国は、王国との和平交渉を拒否するつもりはない。ただし、その条件は我々が定める。国境地帯の再編や、交易ルートの優先権、また軍事行動の制限など、相応に厳しい要求になるだろう。お前たちにそれが飲めないなら、すぐに帰れ」
その断固たる態度に、特使たちは何も言えなくなる。表向きは交渉と称しているが、実際には「徹底的に譲歩を迫られる」形に他ならない。
そして、フローラの目を前にして何もできない公爵の姿を見た他の特使は、内心「これでは帰国しても我々はどうなる……」と暗い想像をかき立てられた。
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