婚約辞退いたします。だってこの国、沈みますもの

鍛高譚

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第6話

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第6話

~蠢き出す王都と、迫り来る大地の異変~

 王都グラン・シェルツァに戻ったガイア王子は、「この国が滅びる可能性がある」という報告を貴族会議へ持ち込んだ。しかし、当初の予想どおり、彼の言葉に真摯に耳を傾ける者はほとんどいなかった。
 むしろ、「追放された子爵令嬢の与太話を鵜呑みにしている」「王位継承権を担う者が、あまりにも軽率だ」といった非難が飛び交い、ガイア王子の面目は丸潰れとなりかけている。中には「新興派につけ込まれた愚かな王子だ」と嘲る貴族も少なくない。

 そんな中、ガイア王子の元には、マリンから隣国を通じて送られた“研究報告書”が密かに届いていた。そこには、エール研究院のダニエルやソフィらが中心になってまとめた地殻変動の具体的な分析と、火山帯への影響、そして当面の危機シナリオが克明に記されている。
 それらを読み込んだ王子は、改めて深いため息をついた。このままでは、本当に大規模な崩壊が起こり得る。早急に対策に動かなければ、取り返しのつかない事態になるだろう。
 しかし、彼がいくら説得を試みても、国王や有力貴族たちの反応は「大げさに騒ぐな」で片付けられるばかり。わずかに同情的な態度を示す者でさえ、「可能性の話だろう?」と笑って済ませてしまうのが現実だった。

「……もし、この危機が現実になったら、どうする? 今から船を作れと言っても、笑われるだけか……」
 王子は執務室の机に肘をつき、報告書を見つめながら呟く。そばには幼馴染の騎士団副長・ロイドが控えており、眉をひそめながら言った。
「殿下、せめて王立学院の学者たちにも意見を聞いてみては? あるいは、証拠をさらに積み重ねれば、貴族たちも少しは動かしやすくなるかもしれません」
「そうだな……しかし、王立学院には保守派の老学者が多い。隣国の研究院と協力している、などと知れたら、ますます反発を買うかもしれない」

 王子は苦い笑みを浮かべる。王立学院は形式ばかりが重視され、本格的な地質や気象の研究に深く取り組んでいる者は少ない。たとえ外部の知見を持ち込もうとしても、「外国の戯れ言だ」「わが国の伝統に反する」と却下される可能性が高かった。
 それでも、何もしないでいるわけにはいかない。ロイドが提案するように、何らかの証拠を集め、徐々にでも周囲を動かす努力を続けるしかなかった。

 そうした苦悩を抱えながら、ガイア王子は少しずつ宮廷内での立ち回り方を模索し始める。表面上は先の提案を引っ込め、目立った動きをしないふりをしておいて、水面下で王宮の図書庫や古文書館を調べ、過去に同様の天変地異が記録されていないか探る。ロイドを通じて騎士団の一部にも協力を求め、秘密裡に地震の被害報告を取り寄せる。
 貴族たちに「何もしていない」と思わせながら、王子は密かに事態の深刻さを追跡しようとしていた。もし、少しでも“確実な前兆”を掴めば、それを盾に再度提案を行うつもりなのだ。

 しかし、その動きが全く気取られないはずもなかった。
 ある日の夕刻、王子が執務室で古文書を読み漁っていると、勢力の強い大公爵家の一人――グレゴール・ライガンが、無遠慮な足音を立ててやって来た。
 ライガン公爵は頑固な保守派の代表格で、王子にとっては最大の障壁と言ってもいい。硬い表情のまま、王子の机の上の古文書に目をとめ、不快げに眉を寄せた。

「殿下、そんな紙くずを眺めて何をお調べです? まさかまた、国が滅びるなどという戯れ言を真に受けて、証拠探しをしているのではあるまいな」
 嫌味な物言いに、ガイア王子は顔を上げる。普段であれば適当にあしらうところだが、今日に限っては妙な胸騒ぎがする。
「公爵こそ、何用ですか? 私に面会の約束でもありましたか?」
「いや、少し耳寄りな噂があってな。殿下が騎士団を使って、国外から怪しげな書物を取り寄せていると聞いた。もしそれが隣国の利敵行為につながるような類であれば、これは重大な問題だぞ」

 ライガン公爵は鼻で笑うように言い放つ。どうやらガイア王子の“裏の動き”を、ある程度掴んでいるらしい。いち早くそれを牽制するため、こうして押しかけてきたのだろう。
「わが国を惑わせるような噂を広めるのはやめていただきたい。殿下の軽はずみな行動が、国益を損ねる可能性だってあるのだからな」
 そう言い捨てて、公爵は不機嫌そうに踵を返す。王子は握り拳を作りながら、どうにか冷静さを保っていた。ここで声を荒らげれば、ますます自分の立場が危うくなるだけだ。

(こんな連中が牛耳る宮廷で、どうやって備えを進めろというんだ……)

 王子は苛立ちを胸に押し込み、ライガン公爵が去った後も古文書を開き続ける。もし、数百年前の記録に似たような“地殻崩壊”の予兆が示されていれば、少しは説得材料になるかもしれない。
 その夜遅くまで文字を追ったが、有力な記述は見つからなかった。古文書には洪水や大火、疫病など、数々の天災が記されているが、大陸規模の崩壊については“伝説”程度しか載っていない。結局、このままでは王子が「おとぎ話に取り憑かれている」と嘲笑されるだけだろう。

 そんな苦しい王子の状況を、マリンは知るよしもなかった。隣国での研究が進むにつれ、不安要素は増えるばかりだが、王都側からは具体的な対策どころか、真剣な質問すら寄せられていない。
 シリル大使を通じて「王子が孤立無援のまま頑張っているらしい」という噂話が伝わる程度で、詳細は一切不明だ。どうか無理をしていないか――その想いだけが、マリンの胸で日に日に重くのしかかっていく。

 そうしてさらに数週間が過ぎたある日、エール研究院でまた一つ重大な事実が判明した。地殻変動の観測を続けていたダニエルとソフィらが、王国沿岸部での“海底隆起”の兆候を捉えたのだ。海底が持ち上がり、かつ陸地の端が沈下するという入り組んだ現象が起こっており、海水の流れが乱れている可能性があるという。
 もしこれが急激に進めば、沿岸部の地盤が大きく崩落し、半島が一気に海中へ沈む危険性が跳ね上がる――それは、以前からシミュレートされていた最悪のシナリオに近い状態だ。
 研究院の面々は協議を重ね、「今のうちに対策を講じなければ、大変な被害が出る」として、正式に王国へ“警告書”を送ることを検討し始めた。

「いっそ、国王や貴族がどう言おうと、わが国から堂々と公文書を叩きつけるほうがいいかもしれない。政治的には危うい橋だが、これ以上黙って見過ごすわけにはいかない」
 ダニエルの言葉に、院長やほかの学者たちも動きを活発化させる。ソフィは「近いうちに私が使者として王都へ赴く覚悟があります」とまで言い出した。
 マリンもその情熱に感謝しつつ、心配を隠せない。もし隣国から“警告書”が出れば、王国の保守派がどれほど激怒するかは火を見るより明らかだ。かといって、このまま傍観していれば、いずれ手遅れになる可能性もある。
 (ガイア王子にとっては、ますます苦しい状況になるかもしれない。でも、それが彼の本意でもあるのなら――)

 マリンは決心したように唇を引き結び、「ソフィさん、私も同行させてください」と申し出る。自分は追放者ではあるが、隣国の学者たちが警告書を持ち込む場に立ち会うことで、何かしら役に立てるかもしれない。
 とはいえ、その行動は非常に危険だ。王都に足を踏み入れた瞬間、マリンは“追放刑違反”として処罰される可能性が高い。
 しかも、もし本当に地震や地盤崩壊の前兆が差し迫っているなら、王都へ行くこと自体が命懸けにもなりうるのだ。

「それでも、あなたが行くの? 下手をすれば王家に拘束されるかもしれませんよ」
 ソフィは真顔で問いかけるが、マリンは小さく首を縦に振る。
「……わたしが追放されたのは事実です。でも、わたしの言葉を最初に聞いてくれたのはガイア王子です。彼が今どう動いているかは分からないけれど、もしこの危機が本物なら、わたしが行くことで少しは助けになれるかもしれない」

 そう、あの舞踏会の夜を思い返す。王子は確かに、自分を“虚言”として切り捨てることなく、最後まで話を聞こうとしてくれた。あのときは、結局混乱に呑まれてしまったが、今なら――おそらく、王子はもう一度自分の言葉を信じるはずだ。
 ソフィは一瞬逡巡したが、ダニエルや周囲の研究者たちと相談し、「院としてはマリンの意思を尊重する」という結論に達した。政治的な問題はシリル大使に任せつつ、彼らは公文書の作成を急ぐことにする。

 ところが、そうして準備が進み始めた矢先、王都から思わぬ知らせが届いた。シリル大使が血相を変えて研究院へ駆け込んできたのだ。
 顔には焦りの色が濃く、息を切らしながらマリンとダニエルを呼ぶ。
「聞いてください……! 王都で大きな地震があったそうです! 半島沿岸が激しく揺れ、一部が崩落しているとの情報もある……!」

 その言葉に、院の空気が一瞬で凍る。つい先刻、海底の動きが急速に活発化しているという話をしていたばかりだが、まさかこんなに早く危機が顕在化するとは……。
 マリンは青ざめながら震える声で尋ねる。
「で、でも……被害は、どのくらい……? 王都や……ガイア王子は、大丈夫なんでしょうか……」
「詳細はまだ入っていません。通信役によれば、半島の先端部がいくつか崩落して海に沈んだらしい。死傷者が多いとの噂も。王都じたいは内陸寄りだが、一部の港町が壊滅的な被害を受けていると……」

 シリルの報告に、周囲から悲鳴やうめき声が漏れる。ついに“本当に起きてしまった”のだ。あのときマリンが予見していた大災害が、まさに目の前で現実となっている。
 崩落がどの範囲で止まるか分からない。場合によっては、さらに地盤が連鎖的に崩れていく恐れもある。海底にできた歪みが大規模な断層運動を引き起こせば、王都じたいも危ない。
 「急いで学者を集めろ!」とダニエルが声を張り上げ、ソフィたちも恐怖と焦りに駆られながら走り回る。これからどう対処すべきか――すべてが一刻を争う状況に陥った。

「シリルさま、わたし……王都へ向かいます。今こそ、警告書を携えて、現地の状況を確認しないと……」
 マリンは震える膝をなんとか抑えながら宣言する。すでに“警告する”段階を超えているのかもしれない。それでも、いま隣国が動かずして、いつ動くというのか。もし王都でさらなる被害が拡大すれば、多くの人が命を落とすだろう。ガイア王子だってどうなっているか分からない。
 シリルは一瞬躊躇したが、やがて目を伏せて頷いた。
「……分かりました。大使館としても、ただ坐視しているわけにはいきません。わたしが同行し、外交特使としてあなたの安全を保証しましょう。今すぐ馬車を手配します」

 こうして、マリンはついに“追放”という呪縛を破って、王都へと向かう決意を固める。正当な外交使節という形を取れば、王都に入れないことはない。ただし、現地が混乱の極みにある中で、どんな仕打ちを受けるかは誰にも分からなかった。
 ソフィやダニエル、研究院のメンバーも何人かが同行するという。もはや政治的配慮などしている場合ではない。崩落が続けば国全体が崩壊してしまうかもしれないのだ。行ける者は少しでも行き、現地で実情を調査し、可能な限り救援にも加わるつもりだった。

 深夜、慌ただしく荷をまとめ、数台の馬車を連ねて出発する。道中の安全も確約できないが、それでも誰も止まらない。マリンは震える手をぎゅっと握り、頭の中で王子の姿を思い描いていた。
(お願い……どうか無事でいて。たとえ遅れても、この命に代えてでも、人々を助けなきゃいけない……)

 果たして、崩落がどれほど進んでいるのか。王都は無事なのか。ガイア王子は――。
 薄闇の中、マリンたちの馬車は王都への道を急ぐ。何もかもが遅すぎるかもしれない。だが、いまは“可能な限り”を尽くすしかないのだ。大地の悲鳴は、もう誰にも無視できないほどの大音量で鳴り響いている。
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