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第7話
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第7話
~崩れゆく王都と、再会の約束~
馬車は夜を徹して走った。道中、崩落の被害は予想以上に広範囲に及んでいるらしく、各所で混乱が起きているとの噂を耳にする。実際、幹線道路脇の村にも避難民らしき人々の姿があり、焼け出されたように呆然と座り込んでいる者もいた。
マリンは何度か馬車を降り、食料や毛布など、わずかながら持ってきた支援物資を分け与えるが、そんなものでは到底足りない。“国の滅び”などという言葉が現実味を帯びてきたという恐怖が、避難民たちの目に映っていた。
「大丈夫よ、今はまだ全壊ではありませんから」
自分にも言い聞かせるように呟くが、実際はまるで希望のない光景だ。道を照らす朝陽がどこか色褪せて見える。同行しているソフィや研究員たちも沈痛な表情を浮かべている。
シリル大使は状況を把握するため、随行した部下たちと手分けして情報を集めていた。土埃や余震を警戒しながら進むと、やがて王都が見える高台へ差しかかる。しかし――見渡す限り、都の南東方向に広がっていたはずの半島が、遠目にも“寸断”されているのが分かった。かつては深緑の森が海岸まで続いていた一帯が大きく崩れ、海面へ沈んでしまっているらしい。波打ち際のあたりでは、崩れた岩や土砂がむき出しになっているのが見えた。
「こんなの……想像以上だわ……」
ソフィが声を失うように呟く。エール研究院で最悪のシナリオとして想定していた“半島崩落”が、想定を上回る速度で現実化してしまっているようだ。これが序章にすぎない可能性もある。
王都の城郭はまだ無事に見えるが、その外港にあたる地区は壊滅的との情報がすでに飛び交っていた。マリンは固く拳を握りしめ、馬車を降りる。ここからは瓦礫や陥没が多く、車輪では通れない場所もあるかもしれない。
「大使、わたし……王子のもとへ行きます。彼がどこで指揮を執っているか分からないけれど、とにかく王宮か、その周辺を探します」
「分かりました。わたしは各国の外交官と連携を図り、被災者支援と状況把握を急ぎます。……くれぐれも気をつけてください。もし何かあれば、わたしの名を出して構いません」
そう言ってシリルはマリンに令書のようなものを手渡す。幸い、“外交特使として一時的に帰国”という形を取り繕えば、マリンが即座に拘束される可能性は低い。むろん、混乱のさなかで誰がどう判断するか分からないが、何もないよりはましだった。
マリンはソフィと二人、荷物を軽くまとめて都の外周から王城へ歩を進める。崩落した半島部の港町へは、すでに騎士団が被災者救助へ向かったと聞くが、それもまだ詳細は不明だ。
道すがら、多くの建物が崩れた痕跡や、深い亀裂の走った地面が目につく。いたる所で人々が呻き声を上げているのが耳に入ってきて、マリンは胸が締め付けられた。
(三年前、わたしが“国が滅びる”なんて言わなければ、あるいは……こんなに悲惨なことにならなかったわけではない。でも、もっと早く対策を進められたはずなのに……)
自責の念が込み上げるが、今はそれを吐露している暇もない。少しでも前に進み、一刻も早くガイア王子や国の指揮系統と接触しなくては――マリンは唇を噛んで歩を速める。
王都の外周部に入った頃、先を歩いていたソフィが立ち止まった。視線の先には、仮設の救護所と思しきテントが立ち並び、数名の兵士と医師らしき人々が負傷者の世話をしている。周囲にいるのは、瓦礫から引き揚げられたばかりと見られる負傷者や、家を失った避難民たちだ。
ソフィとマリンが恐る恐るそちらへ近づくと、騎士の鎧を着た男がこちらに気づき声をかけてくる。
「おい、そこの……! ここは一般市民が容易に入れる場所ではないぞ。救護活動の邪魔をするな!」
険しい表情で盾を構える兵士。マリンは慌てて令書を取り出した。
「わたしは隣国の研究使節団の一員です。エール研究院からの派遣で、今回の崩落被害を調査すべく参りました。シリル大使も同行していますが、救援活動や調査のため手分けして行動しているんです……!」
兵士は半信半疑の顔を浮かべるが、隣国大使の名を出したことと、学者風のソフィが落ち着いた口調で「王国に緊急報告を……」と補足したことで、どうにか通行を許される。
そこへ白衣の医師が近寄り、「ここでの診療は飽和状態だ。もし調査や救援に協力するなら、さらに王城の近くで指揮を執っている連絡所へ行ってくれ」と告げてきた。どうやら指揮所は仮設テントを設営して、騎士団長や王宮の一部が陣を敷いているらしい。
「分かりました。ありがとうございます……」
マリンは礼を述べ、ソフィとともに救護所を離れる。行く先々で叫び声や泣き声が響き、道端では親族を失ったらしい老人が茫然自失のまま座り込んでいる。誰もがパニックと悲嘆に包まれ、視界には地獄絵図が広がる。
どうしてこんなことになってしまったのか――マリンは想像していた光景のはずなのに、現実を前にすると足がすくむ。想定外に早かった。もっと先だと思っていた“崩壊”が、一気に襲いかかってきたのだ。
やがて城門の手前へ差しかかったとき、何やら騒がしい声が聞こえた。仮設テントがいくつも張られ、大勢の兵士が忙しなく動き回っている。旗の紋章は王家と騎士団のものらしい。
マリンたちが接近すると、複数の兵士が怪訝そうに目を向けた。すぐにまた令書を見せて事情を説明すると、今度は奥へ案内される。仮設テントの中央あたりで、鎧をまとった騎士団長が何やら指揮を執っており、その隣に――
「ガイア殿下……!」
思わずマリンが声を上げる。やせ我慢していたはずの足が震える。そこにいるのは、埃や泥に塗れた王子だった。髪は乱れ、鎧の肩当てにはひびが入っている。それでも、懸命に兵士や負傷者に指示を出している姿は、凛としていた。
いくらか離れた場所で報告を受けていたガイア王子も、マリンの存在に気づいたらしい。驚きの表情を浮かべ、こちらに駆け寄ってくる。周囲の兵士たちは、マリンを“見覚えがある顔”と気づいて警戒する者もいたが、今の混乱ぶりでは形ばかりの規則にこだわっている場合ではなさそうだ。
「マリン……? どうして……?」
王子が息を切らせながら問いかける。さすがに見ず知らずの研究者はともかく、“追放者”であるマリンがここに現れるなど想定外だろう。
マリンは必死に言葉を紡いだ。
「隣国の研究院が、あなたの国に警告しようと動き出したんです。なのに、間に合わなくて……こんな被害になってしまって……。わたしは……」
王子は一瞬言葉を失ったが、すぐに強い意志を宿した目でマリンを見返す。
「そうか……来てくれたんだな。ありがとう。今は“追放”などといった形式を気にしている状況ではない。むしろ、助けてほしい」
その一言に、マリンは思わず涙がこぼれそうになった。こんな絶望の中でも、王子は決して折れていない。その瞳はまだ“何とかしたい”という情熱を失っていないのだ。
王子は呼吸を整えながら、仮設テントへとマリンたちを導く。中には騎士団長が地図を広げ、被害報告をまとめていた。いくつもの町や村で崩落と津波が発生し、相当数の死傷者が出ているらしい。さらに不気味な余震が続いており、まだ大地の活動が止まる気配はない。
「正直、今もどこかが崩れ落ちても不思議ではない状況なんだ。……マリン、何か分かるか? これ以上、半島部は沈むのか……王都そのものはもつのか……」
王子の問いに、マリンはソフィと目を合わせ、小さく頷く。旅の途中の情報だけでは詳細は不明だが、エール研究院の仮説によれば、「まだ動く」と考えるのが自然だ。
特に海底プレートが隆起を続け、陸側の断層が連鎖的に崩落する可能性がある以上、第二波、第三波の崩壊が起こってもおかしくない。今はただ、そこが起こらないことを祈るしかないが……。
「もし、もう一度同規模かそれ以上の地震が起こったら、王都も無傷ではいられないでしょう。避難させるなら、内陸の高台へ向かうのがいい。でも、みんなが逃げ切れるかどうか……」
マリンがそう告げると、騎士団長も険しい表情になる。いくら騎士団が総動員されたところで、この人口を一度に移動させるのは現実的ではない。まして物資や医療施設だって追いつかない。
ガイア王子は拳を握りしめ、地図を睨んだまま動かない。やがて、震える声で言う。
「この国には、まだ船の建造もままならない。数年前から準備していれば、もっと大きな船団を造れたかもしれないのに……。今さらだが、私がもっと強く主張していれば……」
「……過去を悔やんでも仕方ありません、殿下。今は、一人でも多く救うことを考えましょう」
騎士団長が沈痛な面持ちで答える。王子は小さく頷き、視線をマリンへ戻した。
「マリン、隣国から研究者たちも来ているのか? もし可能なら、彼らの力を借りたい。今後の崩落パターンを少しでも早く把握できれば、人々の避難に役立つかもしれない」
「はい。シリル大使や院のメンバーが別行動で調査しています。早急に合流しましょう。わたしも、できるかぎり手伝います」
そう答えたとき、テントの外から副官らしき兵士が駆け込んできた。血相を変えて言うには、沿岸部で大規模な余震が発生し、第二次崩落が始まった恐れがあるらしい。すでに被災者救助に当たっていた騎士団員の一部が巻き込まれた可能性が高いという。
「くそっ……どこまで続くんだ、この地獄は……!」
騎士団長が地図を握り締め、怒声を上げる。ガイア王子は苦渋の表情でうなだれたまま、決断を迫られる。危険を承知で追加の救援を出すのか、全軍を後退させて次の崩落に備えるのか――。
そんな張り詰めた空気の中、マリンは震える両手を必死で抑えていた。想定より早い。想定より被害が大きい。取り返しのつかない事態が、いま目の前で進行中なのだ。
(こんなとき、わたしは何ができる……? ただ祈るだけなの?)
頭に浮かぶのは、あの“舞踏会”の記憶。地震が起きたとき、テラスで天を仰ぎ、ただ祈ることしかできなかった自分の姿だ。王子や国民から嘲笑されたが、結局、今も変わらないのではないか。祈るしかない。人間の力では防げない。この崩壊は、自然の猛威の前にただ蹂躙されるしかないのか――。
けれど、王子の言葉が胸に蘇る。「一人でも多く救うことを考えよう」と。たとえ崩壊を止められなくても、被災者を助ける手段はあるはずだ。避難経路を案内する、警戒区域を設定する、物資を輸送する……。どれも壮大な計画には程遠いが、何もしないよりはずっといい。
「殿下、わたし……できる限り、研究者の知見を活かして“危険地域”を割り出します。あと、傷病者のケアにも回ります。負傷者の一部は隣国の支援で受け入れが可能です……」
マリンが思いつく限りの提案を口にすると、王子は強く頷いた。
「分かった。内陸の安全な地域へ大規模な避難を誘導するよう、騎士団に呼びかける。マリン、君は研究者たちと合流して、できるだけ正確な情報をまとめてくれ。この国が滅ぶかどうかは分からないが、今は一秒を惜しむ状況だ」
そう言い終わらぬうちに、またも強い余震が地面を揺らす。テントの支柱がきしみ、地図が床に落ちた。兵士たちが悲鳴を上げ、負傷者が呻く声が耳に届く。
(また……崩れが進んでいる?)
マリンはしゃがみ込み、揺れが収まるのを待つ。ここにいる誰もが、次に何が崩れるか分からない恐怖を抱えている。それでも、生き残るためには動かなくてはいけない。
「マリン、頼む……。もし王都本体も危ないのなら、何とか少しでも早く教えてくれ。避難命令を出すから……」
ガイア王子の声は掠れていた。疲労と焦燥が見え隠れするが、彼は必死に踏みとどまっている。
マリンは大きく息をつき、立ち上がって彼の手を握る。
「もちろん……わたしが嘘つきだと思われようと、何だっていい。何とかして人々を救えるよう、最後まで諦めません……」
王子は小さく頷き返し、その手を離す。「行ってくれ」と言わんばかりに、兵士たちの報告へ視線を移す。
こうして、マリンは再び外へ走り出す。混乱の波が押し寄せる廃墟の中で、できることを探すために。崩壊がさらに進行し、国が本当に滅びへと向かうとしても、人々を見捨てるわけにはいかない――。
振り返ると、王子が必死に負傷者たちを励ましている姿が見えた。かつて舞踏会で見せた華やかな王子の面影はない。代わりに、真に民を助けようとする王の器がそこにあった。
(神様なんて信じないけれど……どうか、この国が少しでも持ちこたえますように。たとえ最期が来ても、一人でも多くが助かりますように……)
マリンの祈りは誰に届くのか。この“崩壊の時代”を止める術は、もはや人間には残されていないのかもしれない。それでも、人々が手を取り合い、わずかでも光を見出せるなら――。
大地はまだ警告のように唸っているが、彼女の瞳には希望の灯が宿り始めていた。すべてを諦めるのは、まだ早い。国が滅んでも、人の心まで滅びない限り、きっと道はつながっているはずだから。
~崩れゆく王都と、再会の約束~
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マリンは何度か馬車を降り、食料や毛布など、わずかながら持ってきた支援物資を分け与えるが、そんなものでは到底足りない。“国の滅び”などという言葉が現実味を帯びてきたという恐怖が、避難民たちの目に映っていた。
「大丈夫よ、今はまだ全壊ではありませんから」
自分にも言い聞かせるように呟くが、実際はまるで希望のない光景だ。道を照らす朝陽がどこか色褪せて見える。同行しているソフィや研究員たちも沈痛な表情を浮かべている。
シリル大使は状況を把握するため、随行した部下たちと手分けして情報を集めていた。土埃や余震を警戒しながら進むと、やがて王都が見える高台へ差しかかる。しかし――見渡す限り、都の南東方向に広がっていたはずの半島が、遠目にも“寸断”されているのが分かった。かつては深緑の森が海岸まで続いていた一帯が大きく崩れ、海面へ沈んでしまっているらしい。波打ち際のあたりでは、崩れた岩や土砂がむき出しになっているのが見えた。
「こんなの……想像以上だわ……」
ソフィが声を失うように呟く。エール研究院で最悪のシナリオとして想定していた“半島崩落”が、想定を上回る速度で現実化してしまっているようだ。これが序章にすぎない可能性もある。
王都の城郭はまだ無事に見えるが、その外港にあたる地区は壊滅的との情報がすでに飛び交っていた。マリンは固く拳を握りしめ、馬車を降りる。ここからは瓦礫や陥没が多く、車輪では通れない場所もあるかもしれない。
「大使、わたし……王子のもとへ行きます。彼がどこで指揮を執っているか分からないけれど、とにかく王宮か、その周辺を探します」
「分かりました。わたしは各国の外交官と連携を図り、被災者支援と状況把握を急ぎます。……くれぐれも気をつけてください。もし何かあれば、わたしの名を出して構いません」
そう言ってシリルはマリンに令書のようなものを手渡す。幸い、“外交特使として一時的に帰国”という形を取り繕えば、マリンが即座に拘束される可能性は低い。むろん、混乱のさなかで誰がどう判断するか分からないが、何もないよりはましだった。
マリンはソフィと二人、荷物を軽くまとめて都の外周から王城へ歩を進める。崩落した半島部の港町へは、すでに騎士団が被災者救助へ向かったと聞くが、それもまだ詳細は不明だ。
道すがら、多くの建物が崩れた痕跡や、深い亀裂の走った地面が目につく。いたる所で人々が呻き声を上げているのが耳に入ってきて、マリンは胸が締め付けられた。
(三年前、わたしが“国が滅びる”なんて言わなければ、あるいは……こんなに悲惨なことにならなかったわけではない。でも、もっと早く対策を進められたはずなのに……)
自責の念が込み上げるが、今はそれを吐露している暇もない。少しでも前に進み、一刻も早くガイア王子や国の指揮系統と接触しなくては――マリンは唇を噛んで歩を速める。
王都の外周部に入った頃、先を歩いていたソフィが立ち止まった。視線の先には、仮設の救護所と思しきテントが立ち並び、数名の兵士と医師らしき人々が負傷者の世話をしている。周囲にいるのは、瓦礫から引き揚げられたばかりと見られる負傷者や、家を失った避難民たちだ。
ソフィとマリンが恐る恐るそちらへ近づくと、騎士の鎧を着た男がこちらに気づき声をかけてくる。
「おい、そこの……! ここは一般市民が容易に入れる場所ではないぞ。救護活動の邪魔をするな!」
険しい表情で盾を構える兵士。マリンは慌てて令書を取り出した。
「わたしは隣国の研究使節団の一員です。エール研究院からの派遣で、今回の崩落被害を調査すべく参りました。シリル大使も同行していますが、救援活動や調査のため手分けして行動しているんです……!」
兵士は半信半疑の顔を浮かべるが、隣国大使の名を出したことと、学者風のソフィが落ち着いた口調で「王国に緊急報告を……」と補足したことで、どうにか通行を許される。
そこへ白衣の医師が近寄り、「ここでの診療は飽和状態だ。もし調査や救援に協力するなら、さらに王城の近くで指揮を執っている連絡所へ行ってくれ」と告げてきた。どうやら指揮所は仮設テントを設営して、騎士団長や王宮の一部が陣を敷いているらしい。
「分かりました。ありがとうございます……」
マリンは礼を述べ、ソフィとともに救護所を離れる。行く先々で叫び声や泣き声が響き、道端では親族を失ったらしい老人が茫然自失のまま座り込んでいる。誰もがパニックと悲嘆に包まれ、視界には地獄絵図が広がる。
どうしてこんなことになってしまったのか――マリンは想像していた光景のはずなのに、現実を前にすると足がすくむ。想定外に早かった。もっと先だと思っていた“崩壊”が、一気に襲いかかってきたのだ。
やがて城門の手前へ差しかかったとき、何やら騒がしい声が聞こえた。仮設テントがいくつも張られ、大勢の兵士が忙しなく動き回っている。旗の紋章は王家と騎士団のものらしい。
マリンたちが接近すると、複数の兵士が怪訝そうに目を向けた。すぐにまた令書を見せて事情を説明すると、今度は奥へ案内される。仮設テントの中央あたりで、鎧をまとった騎士団長が何やら指揮を執っており、その隣に――
「ガイア殿下……!」
思わずマリンが声を上げる。やせ我慢していたはずの足が震える。そこにいるのは、埃や泥に塗れた王子だった。髪は乱れ、鎧の肩当てにはひびが入っている。それでも、懸命に兵士や負傷者に指示を出している姿は、凛としていた。
いくらか離れた場所で報告を受けていたガイア王子も、マリンの存在に気づいたらしい。驚きの表情を浮かべ、こちらに駆け寄ってくる。周囲の兵士たちは、マリンを“見覚えがある顔”と気づいて警戒する者もいたが、今の混乱ぶりでは形ばかりの規則にこだわっている場合ではなさそうだ。
「マリン……? どうして……?」
王子が息を切らせながら問いかける。さすがに見ず知らずの研究者はともかく、“追放者”であるマリンがここに現れるなど想定外だろう。
マリンは必死に言葉を紡いだ。
「隣国の研究院が、あなたの国に警告しようと動き出したんです。なのに、間に合わなくて……こんな被害になってしまって……。わたしは……」
王子は一瞬言葉を失ったが、すぐに強い意志を宿した目でマリンを見返す。
「そうか……来てくれたんだな。ありがとう。今は“追放”などといった形式を気にしている状況ではない。むしろ、助けてほしい」
その一言に、マリンは思わず涙がこぼれそうになった。こんな絶望の中でも、王子は決して折れていない。その瞳はまだ“何とかしたい”という情熱を失っていないのだ。
王子は呼吸を整えながら、仮設テントへとマリンたちを導く。中には騎士団長が地図を広げ、被害報告をまとめていた。いくつもの町や村で崩落と津波が発生し、相当数の死傷者が出ているらしい。さらに不気味な余震が続いており、まだ大地の活動が止まる気配はない。
「正直、今もどこかが崩れ落ちても不思議ではない状況なんだ。……マリン、何か分かるか? これ以上、半島部は沈むのか……王都そのものはもつのか……」
王子の問いに、マリンはソフィと目を合わせ、小さく頷く。旅の途中の情報だけでは詳細は不明だが、エール研究院の仮説によれば、「まだ動く」と考えるのが自然だ。
特に海底プレートが隆起を続け、陸側の断層が連鎖的に崩落する可能性がある以上、第二波、第三波の崩壊が起こってもおかしくない。今はただ、そこが起こらないことを祈るしかないが……。
「もし、もう一度同規模かそれ以上の地震が起こったら、王都も無傷ではいられないでしょう。避難させるなら、内陸の高台へ向かうのがいい。でも、みんなが逃げ切れるかどうか……」
マリンがそう告げると、騎士団長も険しい表情になる。いくら騎士団が総動員されたところで、この人口を一度に移動させるのは現実的ではない。まして物資や医療施設だって追いつかない。
ガイア王子は拳を握りしめ、地図を睨んだまま動かない。やがて、震える声で言う。
「この国には、まだ船の建造もままならない。数年前から準備していれば、もっと大きな船団を造れたかもしれないのに……。今さらだが、私がもっと強く主張していれば……」
「……過去を悔やんでも仕方ありません、殿下。今は、一人でも多く救うことを考えましょう」
騎士団長が沈痛な面持ちで答える。王子は小さく頷き、視線をマリンへ戻した。
「マリン、隣国から研究者たちも来ているのか? もし可能なら、彼らの力を借りたい。今後の崩落パターンを少しでも早く把握できれば、人々の避難に役立つかもしれない」
「はい。シリル大使や院のメンバーが別行動で調査しています。早急に合流しましょう。わたしも、できるかぎり手伝います」
そう答えたとき、テントの外から副官らしき兵士が駆け込んできた。血相を変えて言うには、沿岸部で大規模な余震が発生し、第二次崩落が始まった恐れがあるらしい。すでに被災者救助に当たっていた騎士団員の一部が巻き込まれた可能性が高いという。
「くそっ……どこまで続くんだ、この地獄は……!」
騎士団長が地図を握り締め、怒声を上げる。ガイア王子は苦渋の表情でうなだれたまま、決断を迫られる。危険を承知で追加の救援を出すのか、全軍を後退させて次の崩落に備えるのか――。
そんな張り詰めた空気の中、マリンは震える両手を必死で抑えていた。想定より早い。想定より被害が大きい。取り返しのつかない事態が、いま目の前で進行中なのだ。
(こんなとき、わたしは何ができる……? ただ祈るだけなの?)
頭に浮かぶのは、あの“舞踏会”の記憶。地震が起きたとき、テラスで天を仰ぎ、ただ祈ることしかできなかった自分の姿だ。王子や国民から嘲笑されたが、結局、今も変わらないのではないか。祈るしかない。人間の力では防げない。この崩壊は、自然の猛威の前にただ蹂躙されるしかないのか――。
けれど、王子の言葉が胸に蘇る。「一人でも多く救うことを考えよう」と。たとえ崩壊を止められなくても、被災者を助ける手段はあるはずだ。避難経路を案内する、警戒区域を設定する、物資を輸送する……。どれも壮大な計画には程遠いが、何もしないよりはずっといい。
「殿下、わたし……できる限り、研究者の知見を活かして“危険地域”を割り出します。あと、傷病者のケアにも回ります。負傷者の一部は隣国の支援で受け入れが可能です……」
マリンが思いつく限りの提案を口にすると、王子は強く頷いた。
「分かった。内陸の安全な地域へ大規模な避難を誘導するよう、騎士団に呼びかける。マリン、君は研究者たちと合流して、できるだけ正確な情報をまとめてくれ。この国が滅ぶかどうかは分からないが、今は一秒を惜しむ状況だ」
そう言い終わらぬうちに、またも強い余震が地面を揺らす。テントの支柱がきしみ、地図が床に落ちた。兵士たちが悲鳴を上げ、負傷者が呻く声が耳に届く。
(また……崩れが進んでいる?)
マリンはしゃがみ込み、揺れが収まるのを待つ。ここにいる誰もが、次に何が崩れるか分からない恐怖を抱えている。それでも、生き残るためには動かなくてはいけない。
「マリン、頼む……。もし王都本体も危ないのなら、何とか少しでも早く教えてくれ。避難命令を出すから……」
ガイア王子の声は掠れていた。疲労と焦燥が見え隠れするが、彼は必死に踏みとどまっている。
マリンは大きく息をつき、立ち上がって彼の手を握る。
「もちろん……わたしが嘘つきだと思われようと、何だっていい。何とかして人々を救えるよう、最後まで諦めません……」
王子は小さく頷き返し、その手を離す。「行ってくれ」と言わんばかりに、兵士たちの報告へ視線を移す。
こうして、マリンは再び外へ走り出す。混乱の波が押し寄せる廃墟の中で、できることを探すために。崩壊がさらに進行し、国が本当に滅びへと向かうとしても、人々を見捨てるわけにはいかない――。
振り返ると、王子が必死に負傷者たちを励ましている姿が見えた。かつて舞踏会で見せた華やかな王子の面影はない。代わりに、真に民を助けようとする王の器がそこにあった。
(神様なんて信じないけれど……どうか、この国が少しでも持ちこたえますように。たとえ最期が来ても、一人でも多くが助かりますように……)
マリンの祈りは誰に届くのか。この“崩壊の時代”を止める術は、もはや人間には残されていないのかもしれない。それでも、人々が手を取り合い、わずかでも光を見出せるなら――。
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