眠り姫は十年後、元婚約者の隣に別の令嬢を見つけました

鍛高譚

文字の大きさ
2 / 26
第1章 ――目覚めた世界は、10年後

2話

しおりを挟む
 それから数日、私はとにかくリハビリを兼ねて、少しずつ歩く練習を始めた。十年も寝たきりだった影響で、筋力は驚くほど衰えている。最初のうちはベッドの上で体を動かすのさえ大変だったが、父と母はもちろん、サラやほかのメイド、さらには専任の治療師まで総力を挙げて私をサポートしてくれた。
 「アーシア様、ゆっくりと足を下ろしてくださいね」
 「うん……わかった……」
 今日は車椅子に乗せてもらい、少しだけお屋敷の廊下を散歩することになっていた。部屋の中でのリハビリだけでは気が滅入るだろうと、サラが提案してくれたのだ。医師もまだ無理はできないが、空気を変えること自体は良いと言ってくれた。
 車椅子に腰掛けたまま、私は廊下の大きな窓から外の景色を見やる。懐かしい庭……のはずなのに、どこか少し変わっている。植木の配置も、花壇のデザインも、覚えている形とは微妙に違う。きっとこの十年の間に手入れの仕方が変わったのだろう。
 「庭師さんが変わったのかしら……随分、花の種類が増えたんだね……」
 「ええ、今の庭師さんはここ数年お勤めですよ。以前は別の方でしたが、もうご高齢ということもあって、今は若い方に世代交代したんです」
 サラの答えに、またしても時間の流れを突きつけられる。
 ――本当に、私は十年もの時を失ってしまった。
 まだ学校に通っていた頃の友達たちは、いまはどうしているのだろう。私と同年代なら、みんなもう二十歳前後になっているはずだ。誰が結婚して、誰がどこへ旅立って……想像してみても、何もわからない。
 ふと、心の隅に引っかかる名前がある。
 ――レオン。
 子供の頃、私はレオンという男の子と婚約していた。それが当たり前だと思っていた。
 レオン・アルヴェルト。年上で、少し気弱そうだったけれど、私にはとても優しかったお兄さん。
 当時は「婚約」という言葉の重みもあまりわかっていなかったけれど、いつか彼と結婚するのだという話を、子供なりに楽しみにしていた覚えがある。
 しかし今や、私は十年も意識がなかった。子供の私が知っているレオンは、もうこの世には存在しないかもしれない。少なくとも、私と同じように十年を経て、きっと別の人になっているはずだ。
 「サラ……。ねえ、私が眠っている間に、いろいろあったんだよね」
 「……ええ、そうですね。アーシア様のことを、みなさん心配しておられました。ロウェル伯爵家も、ご両親の尽力でここまで維持されていますが、いろいろ大変だったようです」
 「そう……。あの、私の……」
 言葉を詰まらせる。自分の口から、あの名を言うのが、なぜか怖いような気がした。
 「……レオンは、どうしてるのかな。あの人、私の婚約者だったんだけど……」
 サラは一瞬、表情を曇らせるように見えた。けれどすぐに穏やかな微笑みに戻って、言いにくそうに言葉を選んでいる。
 「その……レオン様は、今……」
 そこまで言いかけたとき、廊下の向こうから私を呼ぶ声がした。
 「アーシア、もうここまで歩いてきたのかい?」
 顔を上げると、そこには父の姿があった。ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。まだ車椅子に乗る私を見て、心配そうに目を細めながらも、どこか安心したように微笑んだ。
 「……少しは元気になったみたいだな。お医者様が許可してくださったから、少し廊下を回るくらいなら大丈夫だろうって」
 「ええ……。ありがとう、お父さま」
 父はサラに軽く頷いてから、私の車椅子の隣に歩み寄り、ゆっくりとしゃがみ込む。
 「あまり無理はしないでくれよ、アーシア。きっと、今は混乱していると思うが……私にも何かできることがあれば遠慮なく言ってくれ」
 「うん……ありがとう」
 たどたどしいながらも、私は父にそう答えた。頭のどこかで、さっきのサラの言葉の続きを求めている自分がいた。だけど、父の前ではなんとなく聞きにくくて、口をつぐむ。
 十年の間に、レオンはどうしていたのだろう。私のこと、覚えてくれているのだろうか。それとも――新しい婚約者がいたりするのだろうか。
 私がそんな考えに囚われていると、父はまるでそれを察したかのように、小さくため息をついた。
 「実は……レオンのことを、聞きたいと思っているんじゃないか?」
 「――え……あ、うん……」
 驚きと戸惑いが入り混じった声が出る。父は少し言いにくそうに、けれど真剣な眼差しを向けてきた。
 「あの子……いや、もう“あの子”と呼ぶには大人になったんだが……レオン・アルヴェルトは、アーシアが事故に遭った当時、まだ十五歳だった。確かに、お前と婚約が結ばれていたんだよ」
 「……そう、だよね……」
 小さく頷く。だが、次に父が言った言葉は私の胸を大きく揺さぶった。
 「しかし、お前が目覚める見込みがないと判断された頃……つまり、数年前だな……。向こうの家から、婚約解消の申し出があったんだ」
 「……え……」
 婚約解消。そうか、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。十年間昏睡状態の相手を、いつまでも婚約者と待ち続けるなんて、相当な覚悟がないと難しいだろう。
 けれど、頭では理解できても、心は一気にざわついた。レオンは、もう私の婚約者ではない――そう突きつけられたような気がして。
 「ロウェル伯爵家としても、当時は苦渋の決断だった。お前の意識が戻るかもしれないと、ギリギリまで希望を持っていたんだが……医師たちは、厳しいと言っていたしね」
 「そう、なんだ……」
 父は言葉を切り、さらに続ける。
 「今、レオンには新しい婚約者がいる。その件については、焦らずに聞いてほしいと思っていたが……やっぱり気になるよな」
 気になる、なんて一言では片付けられない。だって私は、心だけはまだ十歳のままで、レオンが“婚約者”だという感覚が残っているのだ。レオンの顔を思い出すたび、昔の頼りない笑顔を思い浮かべてしまう。
 「うん……でも、いいの……。私のこと、ずっと待ってくれなんて言えないし……」
 口がひとりでに動いていた。父の前で取り繕う気力もなく、ただ素直な思いをぽつりとこぼす。
 父はそれを聞くと、すまなそうに目を伏せる。
 「レオンがどう思っているかはわからない。あの子は……お前が眠っている間、何度もお屋敷を訪ねてきてくれた。様子を見に来ていたんだよ。しかし、数年前からはぱったり来なくなった。それはきっと、あちらの家の事情もあるだろう」
 心の中で、何かがキリリと締め付けられるように痛む。私はたった今、十年の空白を埋めるのに必死で、戸惑いの渦中にいる。でも、レオンは十年の間に様々な経験を積み、大人として生きてきた。
 ――私とはまるで違う時間を過ごしてきたのだ。
 「そう、だよね……わかった。ありがとう、お父さま……」
 私はそれ以上何も言えなかった。声に出そうとすると、今にも泣きそうになってしまいそうで。それを悟られたくなくて、必死に笑みを作る。
 「……まずは、しっかり体を治そう。いきなり多くを知るには、お前には負担が大きいからな。レオンのことも含めて、ゆっくりでいい。アーシア、お前は十年ぶりに目覚めたばかりなんだ」
 父はそう言って、私の髪をやわらかく撫でてくれた。私はその温もりに、ほっと安堵の息をつくしかなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

妻よりも幼馴染が大事? なら、家と慰謝料はいただきます

佐藤 美奈
恋愛
公爵令嬢セリーヌは、隣国の王子ブラッドと政略結婚を果たし、幼い娘クロエを授かる。結婚後は夫の王領の離宮で暮らし、義王家とも程よい関係を保ち、領民に親しまれながら穏やかな日々を送っていた。 しかし数ヶ月前、ブラッドの幼馴染である伯爵令嬢エミリーが離縁され、娘アリスを連れて実家に戻ってきた。元は豊かな家柄だが、母子は生活に困っていた。 ブラッドは「昔から家族同然だ」として、エミリー母子を城に招き、衣装や馬車を手配し、催しにも同席させ、クロエとアリスを遊ばせるように勧めた。 セリーヌは王太子妃として堪えようとしたが、だんだんと不満が高まる。

(完結)家族にも婚約者にも愛されなかった私は・・・・・・従姉妹がそんなに大事ですか?

青空一夏
恋愛
 私はラバジェ伯爵家のソフィ。婚約者はクランシー・ブリス侯爵子息だ。彼はとても優しい、優しすぎるかもしれないほどに。けれど、その優しさが向けられているのは私ではない。  私には従姉妹のココ・バークレー男爵令嬢がいるのだけれど、病弱な彼女を必ずクランシー様は夜会でエスコートする。それを私の家族も当然のように考えていた。私はパーティ会場で心ない噂話の餌食になる。それは愛し合う二人を私が邪魔しているというような話だったり、私に落ち度があってクランシー様から大事にされていないのではないか、という憶測だったり。だから私は・・・・・・  これは家族にも婚約者にも愛されなかった私が、自らの意思で成功を勝ち取る物語。  ※貴族のいる異世界。歴史的配慮はないですし、いろいろご都合主義です。  ※途中タグの追加や削除もありえます。  ※表紙は青空作成AIイラストです。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

処理中です...