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12話
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仮面舞踏会の夜
場所は王宮の大広間。そこには煌びやかな燭台やシャンデリア、色彩豊かな花や装飾があふれ、まるで豪華絢爛な舞台のようだった。
身分や年齢を問わず、招待された者は仮面を着けて参加できるというのが、この舞踏会の流儀。華やかな音楽が流れる中、中央のフロアでは上品なワルツを踊るカップルたちが次々に入れ替わり、周囲の客たちは思い思いに会話や酒宴を楽しんでいる。
私は真っ白な仮面で上半分の顔を隠し、濃紺のドレスを纏って会場の片隅に佇んでいた。王都の仕立て屋で急ごしらえに用意してもらったが、意外にも質が良く、そこまで違和感はないと思う。
もっとも、私は“死んだはず”のユウナ・アストラルだ。念のため髪型も少し変え、染料を使って黒茶のような色合いに見せている。こうして仮面をつければ、まず私だと気づかれることはないはずだ。
(わあ……やっぱり凄い熱気。さすがは王太子主催の大舞踏会ね)
天井近くの見事な装飾を見上げながら、私は一つ息を吐く。王都の華やかな社交界に出たのは、本当に久しぶりだ。元気にドレスを着て踊っていた頃の自分を思い出し、胸がちくりと痛む。
あの頃、私はアルファルドとの将来を夢見ていた。彼があんなに冷酷で恐ろしい人間だったとは知りもしなかった。両親を殺され、自分も殺されかけて、すべてを失った今では、この煌びやかな世界がただ虚しく見える。
「……でも、もう昔の私じゃないのよね」
せっかくこの場に来たからには、目一杯活用するつもりだ。まずはアルファルドやセレスティナを発見し、どんな顔をしているか見届けたい。そして、機があれば“幽霊”として再び揺さぶりをかけてやる。
私はフロアの端を回り込み、少しずつ会場を見渡す。すると、噂をしている人々の声が耳に飛び込んできた。
「あちらをご覧なさい。あれがセレスティナ・ロゼリア様よ。王太子殿下のご婚約者だって」
「ふふ……けれど、なんだか落ち着きがないように見えるわ。顔色も優れないし……」
ちらりと目線を向けると、豪華な真紅のドレスを纏い、銀髪を高く結い上げたセレスティナの姿があった。仮面も身につけているが、露出が多く派手な装飾を施したドレスは明らかに目立つ。周囲の人間に囲まれて笑顔を振りまいてはいるが、その表情にはどこか無理がある。
(ふふ、あれだけ怯えていれば、こういう場でも気が気じゃないでしょうね。亡霊騒ぎのおかげかしら)
私は人混みに紛れて、ほんの少しだけセレスティナに近づいた。彼女は取り巻きの貴族夫人たちと挨拶を交わしているが、その瞳がどこか泳いでいるのを見て取れる。ちょっとした物音や背後の気配にビクッと反応する様子は、気丈な社交界の花には似つかわしくない落ち着きのなさだった。
「セレスティナ様、きょうは特にお美しいですわね。殿下とのご婚約、おめでとうございます」
「……え、ええ、ありがとう……」
心なしか声が上擦っている。おそらく私の“亡霊作戦”が効いている証拠だろう。ほんの数日前に見た怯え切った表情を思い出し、私は心の中でほくそ笑む。
すると、曲が終わったフロアのほうから、ひときわ大きな拍手が起こった。次の瞬間、グレーのタキシードに白い仮面を付けた男性が、エスコート役としてセレスティナのもとに近づいてくる。
「セレスティナ、君の美しさは今日の客人の誰よりも際立っているよ」
優雅に手を差し出す声――間違いない、あれはアルファルドだ。髪の色も体格も、その仕草すら私の記憶に染みついている。
「まあ、殿下……!」
セレスティナは一瞬ほっとしたように微笑み、アルファルドの腕を取る。だが、私の目から見ると、その瞳には微かな怯えが宿っているように思えた。アルファルドと一緒なら安心というよりも、どこか心もとない表情。
(どうしたの? あなたが手に入れたはずの最高の婚約者でしょう?)
私は周囲のパーティ客たちが自然と距離を空け、王太子とその婚約者のペアを称えるのを横目で見ていた。アルファルドも仮面をしているが、それはほとんど飾り同然で、その顔立ちは十分わかる。青い瞳には厳しい光が宿り、笑顔の裏に冷たい威圧感を漂わせている。
手を取り合ってステップを踏み始める二人。セレスティナは必死に笑顔を保とうとしているが、アルファルドのエスコートに合わせきれていないように見える。ドレスの裾がもつれ、時折ぎこちない足さばきになるたび、そばで見物している人々はクスクスと含み笑いを漏らした。
それでも何とかダンスを踊りきったあたりで、周囲の歓声と拍手が上がる。アルファルドは軽く会釈をしてフロアから退いた。
セレスティナは笑顔の仮面の奥で、ほんの一瞬だけ苦しげに眉をひそめている。
(やっぱり、かなり参っているわね……)
私はそのまま、二人が舞踏を終えて一息つく様子を見届ける。すると、アルファルドがセレスティナを客席のテーブルへ連れて行き、グラスを手に取りながら何やら話しかけていた。会話の内容は距離があるので聞こえないが、セレスティナが小さく首を振り、唇を震わせているのが見える。
(ふむ……そろそろ仕掛けてもいい頃合いかしら)
せっかくの舞踏会、皆が仮面を着けていることをいいことに、私も思い切った“幽霊パフォーマンス”を演出してみようと思っていた。会場が暗転するタイミング――照明が落とされ、新しい曲へと切り替わる一瞬を狙って、私は幽体化を使おうと考えていたのだ。
この舞踏会では、曲ごとに雰囲気を変えるため、照明を調整するなどの演出がある。真っ暗にはならないまでも、キャンドルライトだけになる場面があると聞いている。それが絶好のチャンスだろう。
――しばらくして、案の定、新たな曲の開始に合わせて場内の明かりが少し落とされた。大広間の正面に据えられた魔法照明が薄暗くなり、代わりに床や壁のキャンドルが優しい輝きを放ち始める。
観客たちは小声で囁き合いながらも、そのロマンチックな雰囲気を楽しんでいるようだ。だが、私の狙いはそこではない。
(ここで、“幽霊”がふわりと姿を現したら……さあ、どうなるかしら?)
私は息を整え、ドレスの裾を軽くつまんで、奥の柱の陰へと身を潜める。すうっと意識を集中し、幽体化の魔力を発動させた。身体が次第に透き通っていき、周囲の喧騒が遠のくような感覚がする。
今なら、人々がちょっと見た程度では私を認識できない。仮面をつけたまま実体が薄れているため、不気味な“人型の影”くらいには映るかもしれないが、それこそ亡霊らしさを演出する要素になるだろう。
そして私は、ゆっくりとフロアのほうへ進み出る。薄暗い明かりのなか、踊り始める数組のカップルを避けながら、目指すはアルファルドとセレスティナのいるテーブルだ。
当然、普通の客たちは私の姿になんて気づかない。でも、一部の敏感な人は「ん? 今、何か通り過ぎた……?」と首を傾げるかもしれない。じわじわと不気味さを煽るためには、この“微妙に見えるか見えないか”の状態がちょうどいい。
テーブルに近づくと、アルファルドとセレスティナはまだ会話を続けている。セレスティナの表情は沈みがちで、アルファルドは苛立ちを隠せない様子だ。二人とも、お互いに不満をぶつけ合っているように見えた。
私は薄暗い中、テーブルの上にあるグラスにそっと触れてみる。――そう、幽体化した状態でも、意識を集中すればわずかに物体を動かせるはずだ。前にロゼリア家でやったように、振動させることくらいは難しくない。
カタカタ……とグラスが揺れ、アルファルドが険しい顔でグラスを押さえた。セレスティナはビクッと肩を震わせる。
「な、なに……また震えてる……」
「そんなわけないだろう。お前の手が触れただけじゃないのか?」
アルファルドが不機嫌そうに言うのと同時に、私はさらなるアクションに移る。グラスを倒すのは目立ちすぎるので、キャンドルスタンドをかすかに揺らすのだ。ちょうど二人の真正面にある小さな燭台が、ゆらりと不自然な角度に傾き、パタリとテーブルに倒れた。
「きゃっ……!」
思わず声を上げるセレスティナ。アルファルドは真顔で燭台を立て直し、周囲をキョロキョロと見渡したが、もちろん犯人の姿など見つかるはずがない。周囲の客たちも「何があったの?」とざわめき始める。
「なんだ……今の……。風でも入ったか?」
「わ、私、やっぱり……嫌な感じがするわ。ここにも、あの亡霊が……」
青ざめるセレスティナを見下ろし、アルファルドは苦々しい表情を浮かべた。
「馬鹿を言うな。くだらん噂に振り回されるな。亡霊がいるなど、あるわけがない……」
そう言いながらも、彼の声には焦りが混じっている。まさか私が“生きている”などとは思っていないだろうが、幽霊を信じるつもりもない様子で、しかしどうにも説明がつかない現象が起きている。
――そのわずかな綻びこそが、私の狙いだ。
(さあ、次はもう少し派手にいってみましょうか?)
私はテーブルの脇でしゃがみ込み、さらに魔力を練り上げる。うまくやれば、グラスを床に落とすくらいはできそうだ。音が派手になれば、周囲の貴族たちも何事かと集まってくるに違いない。そうすればアルファルドやセレスティナの不安げな様子がみんなの目にさらされる。
しかし――私が力を込めようとした、そのとき。
「――そこにいるのは……誰だ……?」
鋭い声が聞こえた。視線を向けると、アルファルドが明らかにこちらに向かって眉をひそめている。まさか、私の半透明の姿を捉えた?
いや、普通の人間には見えないはず。だが彼は王太子――何かしらの魔力感知能力を持っているのかもしれない。私は一気に冷や汗が噴き出た。幽体化が完璧でない以上、気配を悟られても不思議ではない。
やばい――そう思って体を引こうとした瞬間、アルファルドがテーブルを乗り越えるようにこちらへ手を伸ばしてきた。私はとっさに後退するが、わずかに指先が掠めた気がする。
「くっ……! 何かが……確かにいた。けれど、消えた……?」
アルファルドは目を見開いて周囲を見渡す。もちろん私の姿は完全に透けているから、気配だけでは捉えられまい。
「ど、どういうこと? 誰もいないのに……」
セレスティナが怯えた声で問いかけるも、アルファルドは答えず、険しい顔のまま立ち尽くしていた。周囲の人々も「何があったの?」と集まってくるが、王太子は「何でもない」とだけ言い捨てて足早に立ち去る。セレスティナも慌ててその後を追いかけていった。
(ふう……危なかった)
私はその場に残される形になったが、万が一に備えてフロアの端まで移動し、人混みに紛れていく。キャンドルライトの演出はすぐに終わり、再びメインの魔法照明がゆるやかに明るさを増していく。周囲からは「何かトラブル?」「風で燭台が倒れたのかしら」などと噂する声が聞こえる。
アルファルドとセレスティナの姿は、すでに人波に消えて見えない。私はわずかに息を吐き出し、心臓の鼓動を落ち着ける。
(怖い顔してたわね、アルファルド……あのとき、もし私に触れられていたらどうなってたんだろう)
幽体化のままでも、攻撃されればダメージはありうるのか――正直、未知数だ。いずれにせよ、存在を察知される危険がある以上、あまり長居はできないかもしれない。
「……ま、まあ、目的は果たせたか。彼らをさらに不安にさせるには十分でしょう」
このまま退散するか、それとももう少し何か仕掛けるか――迷う私のもとへ、さりげなく近づいてくる人影があった。魔法照明が戻り始めた空間の中で、黒髪を短く整え、シンプルな仮面をつけた青年。
リヒトだ。私がすぐにわかるように、胸元の懐中時計を握って、こちらに向かって小さく振ってみせる。どうやら合図してくれているらしい。
私は幽体化を解き、仮面をなおしながら彼に顔を寄せる。
「……危なかったわ。アルファルドに気づかれかけた。そっちは大丈夫?」
「こっちは何とか。殿下のそばにいた護衛も、あれが何だったのかよくわからないまま困惑しているみたいだ。けど……これ以上はリスクが高い。退散したほうがいいだろう」
私たちはごく自然に会話しているふりをしながら、会場の一角を離れた。リヒトが連れてきた馬車が裏口に回っており、そこで待機しているらしい。抜け道的な通路から外に出れば、表の喧騒に巻き込まれず帰れるはずだ。
こうして今回の仮面舞踏会は、アルファルドとセレスティナをさらに疑心暗鬼へと落とす、ある種の成功を収めたと言える。
ただ、決定的な証拠が得られたわけでもないし、むしろ私の存在を一層警戒させたかもしれない。だが、それでいい。彼らの心が乱れている状態を作り出すことが、やがて思わぬ綻びや失態を呼ぶに違いない。
(次は、もっと追い詰める。どこかで必ず大きな失言や証拠を掴ませる隙が出るはずだわ……)
そんな思考をめぐらせつつ、リヒトと連れ立って舞踏会を抜け出そうとしたとき――私は胸の奥にチクリとした痛みを覚えた。
あれ……? とっさに壁に手をつき、顔をしかめる。
「ユウナ? どうした、大丈夫か?」
「……ごめん、少し胸が……痛いような……」
理由はわからない。大きな魔力を行使したからだろうか、あるいは先ほどアルファルドに気づかれかけたときの恐怖が尾を引いているのか。頭がクラクラするような嫌な感覚があった。
だが、私が立ち止まっているわけにもいかない。幸いすぐに痛みは和らぎ、私は歩みを再開する。
「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫。帰りましょう」
「無理はするなよ。……もしものときはすぐ言え」
リヒトは優しく肩を支えながら、私を気遣ってくれる。私も微笑んで応えるが、胸の不快感は完全には消えないまま。
――まさか、“死に損ない”という状態が体に負担をかけているのかもしれない。私は死を偽装しているだけでなく、実際に瀕死の状態から無理矢理に生還している。その代償がどこかに現れても不思議ではない。
けれど、今さら引き返せない。両親を殺された私にとって、復讐と真実の追及は義務であり、最後の誇りでもあるのだ。
(こんなところで倒れたりしないわ。アルファルドとセレスティナを地獄に突き落とすまでは……!)
そう決心を固めながら、私は王宮をあとにした。闇夜の底にある馬車に乗り込み、リヒトとともに隠れ家へ帰る道すがら、仮面舞踏会の残響が頭の中で渦巻いている。
優雅な音楽、華やかな衣装、そして不穏な囁きの数々。あの場で感じた狂乱と焦燥の空気は、きっとアルファルドとセレスティナの破滅への序章に過ぎない。
場所は王宮の大広間。そこには煌びやかな燭台やシャンデリア、色彩豊かな花や装飾があふれ、まるで豪華絢爛な舞台のようだった。
身分や年齢を問わず、招待された者は仮面を着けて参加できるというのが、この舞踏会の流儀。華やかな音楽が流れる中、中央のフロアでは上品なワルツを踊るカップルたちが次々に入れ替わり、周囲の客たちは思い思いに会話や酒宴を楽しんでいる。
私は真っ白な仮面で上半分の顔を隠し、濃紺のドレスを纏って会場の片隅に佇んでいた。王都の仕立て屋で急ごしらえに用意してもらったが、意外にも質が良く、そこまで違和感はないと思う。
もっとも、私は“死んだはず”のユウナ・アストラルだ。念のため髪型も少し変え、染料を使って黒茶のような色合いに見せている。こうして仮面をつければ、まず私だと気づかれることはないはずだ。
(わあ……やっぱり凄い熱気。さすがは王太子主催の大舞踏会ね)
天井近くの見事な装飾を見上げながら、私は一つ息を吐く。王都の華やかな社交界に出たのは、本当に久しぶりだ。元気にドレスを着て踊っていた頃の自分を思い出し、胸がちくりと痛む。
あの頃、私はアルファルドとの将来を夢見ていた。彼があんなに冷酷で恐ろしい人間だったとは知りもしなかった。両親を殺され、自分も殺されかけて、すべてを失った今では、この煌びやかな世界がただ虚しく見える。
「……でも、もう昔の私じゃないのよね」
せっかくこの場に来たからには、目一杯活用するつもりだ。まずはアルファルドやセレスティナを発見し、どんな顔をしているか見届けたい。そして、機があれば“幽霊”として再び揺さぶりをかけてやる。
私はフロアの端を回り込み、少しずつ会場を見渡す。すると、噂をしている人々の声が耳に飛び込んできた。
「あちらをご覧なさい。あれがセレスティナ・ロゼリア様よ。王太子殿下のご婚約者だって」
「ふふ……けれど、なんだか落ち着きがないように見えるわ。顔色も優れないし……」
ちらりと目線を向けると、豪華な真紅のドレスを纏い、銀髪を高く結い上げたセレスティナの姿があった。仮面も身につけているが、露出が多く派手な装飾を施したドレスは明らかに目立つ。周囲の人間に囲まれて笑顔を振りまいてはいるが、その表情にはどこか無理がある。
(ふふ、あれだけ怯えていれば、こういう場でも気が気じゃないでしょうね。亡霊騒ぎのおかげかしら)
私は人混みに紛れて、ほんの少しだけセレスティナに近づいた。彼女は取り巻きの貴族夫人たちと挨拶を交わしているが、その瞳がどこか泳いでいるのを見て取れる。ちょっとした物音や背後の気配にビクッと反応する様子は、気丈な社交界の花には似つかわしくない落ち着きのなさだった。
「セレスティナ様、きょうは特にお美しいですわね。殿下とのご婚約、おめでとうございます」
「……え、ええ、ありがとう……」
心なしか声が上擦っている。おそらく私の“亡霊作戦”が効いている証拠だろう。ほんの数日前に見た怯え切った表情を思い出し、私は心の中でほくそ笑む。
すると、曲が終わったフロアのほうから、ひときわ大きな拍手が起こった。次の瞬間、グレーのタキシードに白い仮面を付けた男性が、エスコート役としてセレスティナのもとに近づいてくる。
「セレスティナ、君の美しさは今日の客人の誰よりも際立っているよ」
優雅に手を差し出す声――間違いない、あれはアルファルドだ。髪の色も体格も、その仕草すら私の記憶に染みついている。
「まあ、殿下……!」
セレスティナは一瞬ほっとしたように微笑み、アルファルドの腕を取る。だが、私の目から見ると、その瞳には微かな怯えが宿っているように思えた。アルファルドと一緒なら安心というよりも、どこか心もとない表情。
(どうしたの? あなたが手に入れたはずの最高の婚約者でしょう?)
私は周囲のパーティ客たちが自然と距離を空け、王太子とその婚約者のペアを称えるのを横目で見ていた。アルファルドも仮面をしているが、それはほとんど飾り同然で、その顔立ちは十分わかる。青い瞳には厳しい光が宿り、笑顔の裏に冷たい威圧感を漂わせている。
手を取り合ってステップを踏み始める二人。セレスティナは必死に笑顔を保とうとしているが、アルファルドのエスコートに合わせきれていないように見える。ドレスの裾がもつれ、時折ぎこちない足さばきになるたび、そばで見物している人々はクスクスと含み笑いを漏らした。
それでも何とかダンスを踊りきったあたりで、周囲の歓声と拍手が上がる。アルファルドは軽く会釈をしてフロアから退いた。
セレスティナは笑顔の仮面の奥で、ほんの一瞬だけ苦しげに眉をひそめている。
(やっぱり、かなり参っているわね……)
私はそのまま、二人が舞踏を終えて一息つく様子を見届ける。すると、アルファルドがセレスティナを客席のテーブルへ連れて行き、グラスを手に取りながら何やら話しかけていた。会話の内容は距離があるので聞こえないが、セレスティナが小さく首を振り、唇を震わせているのが見える。
(ふむ……そろそろ仕掛けてもいい頃合いかしら)
せっかくの舞踏会、皆が仮面を着けていることをいいことに、私も思い切った“幽霊パフォーマンス”を演出してみようと思っていた。会場が暗転するタイミング――照明が落とされ、新しい曲へと切り替わる一瞬を狙って、私は幽体化を使おうと考えていたのだ。
この舞踏会では、曲ごとに雰囲気を変えるため、照明を調整するなどの演出がある。真っ暗にはならないまでも、キャンドルライトだけになる場面があると聞いている。それが絶好のチャンスだろう。
――しばらくして、案の定、新たな曲の開始に合わせて場内の明かりが少し落とされた。大広間の正面に据えられた魔法照明が薄暗くなり、代わりに床や壁のキャンドルが優しい輝きを放ち始める。
観客たちは小声で囁き合いながらも、そのロマンチックな雰囲気を楽しんでいるようだ。だが、私の狙いはそこではない。
(ここで、“幽霊”がふわりと姿を現したら……さあ、どうなるかしら?)
私は息を整え、ドレスの裾を軽くつまんで、奥の柱の陰へと身を潜める。すうっと意識を集中し、幽体化の魔力を発動させた。身体が次第に透き通っていき、周囲の喧騒が遠のくような感覚がする。
今なら、人々がちょっと見た程度では私を認識できない。仮面をつけたまま実体が薄れているため、不気味な“人型の影”くらいには映るかもしれないが、それこそ亡霊らしさを演出する要素になるだろう。
そして私は、ゆっくりとフロアのほうへ進み出る。薄暗い明かりのなか、踊り始める数組のカップルを避けながら、目指すはアルファルドとセレスティナのいるテーブルだ。
当然、普通の客たちは私の姿になんて気づかない。でも、一部の敏感な人は「ん? 今、何か通り過ぎた……?」と首を傾げるかもしれない。じわじわと不気味さを煽るためには、この“微妙に見えるか見えないか”の状態がちょうどいい。
テーブルに近づくと、アルファルドとセレスティナはまだ会話を続けている。セレスティナの表情は沈みがちで、アルファルドは苛立ちを隠せない様子だ。二人とも、お互いに不満をぶつけ合っているように見えた。
私は薄暗い中、テーブルの上にあるグラスにそっと触れてみる。――そう、幽体化した状態でも、意識を集中すればわずかに物体を動かせるはずだ。前にロゼリア家でやったように、振動させることくらいは難しくない。
カタカタ……とグラスが揺れ、アルファルドが険しい顔でグラスを押さえた。セレスティナはビクッと肩を震わせる。
「な、なに……また震えてる……」
「そんなわけないだろう。お前の手が触れただけじゃないのか?」
アルファルドが不機嫌そうに言うのと同時に、私はさらなるアクションに移る。グラスを倒すのは目立ちすぎるので、キャンドルスタンドをかすかに揺らすのだ。ちょうど二人の真正面にある小さな燭台が、ゆらりと不自然な角度に傾き、パタリとテーブルに倒れた。
「きゃっ……!」
思わず声を上げるセレスティナ。アルファルドは真顔で燭台を立て直し、周囲をキョロキョロと見渡したが、もちろん犯人の姿など見つかるはずがない。周囲の客たちも「何があったの?」とざわめき始める。
「なんだ……今の……。風でも入ったか?」
「わ、私、やっぱり……嫌な感じがするわ。ここにも、あの亡霊が……」
青ざめるセレスティナを見下ろし、アルファルドは苦々しい表情を浮かべた。
「馬鹿を言うな。くだらん噂に振り回されるな。亡霊がいるなど、あるわけがない……」
そう言いながらも、彼の声には焦りが混じっている。まさか私が“生きている”などとは思っていないだろうが、幽霊を信じるつもりもない様子で、しかしどうにも説明がつかない現象が起きている。
――そのわずかな綻びこそが、私の狙いだ。
(さあ、次はもう少し派手にいってみましょうか?)
私はテーブルの脇でしゃがみ込み、さらに魔力を練り上げる。うまくやれば、グラスを床に落とすくらいはできそうだ。音が派手になれば、周囲の貴族たちも何事かと集まってくるに違いない。そうすればアルファルドやセレスティナの不安げな様子がみんなの目にさらされる。
しかし――私が力を込めようとした、そのとき。
「――そこにいるのは……誰だ……?」
鋭い声が聞こえた。視線を向けると、アルファルドが明らかにこちらに向かって眉をひそめている。まさか、私の半透明の姿を捉えた?
いや、普通の人間には見えないはず。だが彼は王太子――何かしらの魔力感知能力を持っているのかもしれない。私は一気に冷や汗が噴き出た。幽体化が完璧でない以上、気配を悟られても不思議ではない。
やばい――そう思って体を引こうとした瞬間、アルファルドがテーブルを乗り越えるようにこちらへ手を伸ばしてきた。私はとっさに後退するが、わずかに指先が掠めた気がする。
「くっ……! 何かが……確かにいた。けれど、消えた……?」
アルファルドは目を見開いて周囲を見渡す。もちろん私の姿は完全に透けているから、気配だけでは捉えられまい。
「ど、どういうこと? 誰もいないのに……」
セレスティナが怯えた声で問いかけるも、アルファルドは答えず、険しい顔のまま立ち尽くしていた。周囲の人々も「何があったの?」と集まってくるが、王太子は「何でもない」とだけ言い捨てて足早に立ち去る。セレスティナも慌ててその後を追いかけていった。
(ふう……危なかった)
私はその場に残される形になったが、万が一に備えてフロアの端まで移動し、人混みに紛れていく。キャンドルライトの演出はすぐに終わり、再びメインの魔法照明がゆるやかに明るさを増していく。周囲からは「何かトラブル?」「風で燭台が倒れたのかしら」などと噂する声が聞こえる。
アルファルドとセレスティナの姿は、すでに人波に消えて見えない。私はわずかに息を吐き出し、心臓の鼓動を落ち着ける。
(怖い顔してたわね、アルファルド……あのとき、もし私に触れられていたらどうなってたんだろう)
幽体化のままでも、攻撃されればダメージはありうるのか――正直、未知数だ。いずれにせよ、存在を察知される危険がある以上、あまり長居はできないかもしれない。
「……ま、まあ、目的は果たせたか。彼らをさらに不安にさせるには十分でしょう」
このまま退散するか、それとももう少し何か仕掛けるか――迷う私のもとへ、さりげなく近づいてくる人影があった。魔法照明が戻り始めた空間の中で、黒髪を短く整え、シンプルな仮面をつけた青年。
リヒトだ。私がすぐにわかるように、胸元の懐中時計を握って、こちらに向かって小さく振ってみせる。どうやら合図してくれているらしい。
私は幽体化を解き、仮面をなおしながら彼に顔を寄せる。
「……危なかったわ。アルファルドに気づかれかけた。そっちは大丈夫?」
「こっちは何とか。殿下のそばにいた護衛も、あれが何だったのかよくわからないまま困惑しているみたいだ。けど……これ以上はリスクが高い。退散したほうがいいだろう」
私たちはごく自然に会話しているふりをしながら、会場の一角を離れた。リヒトが連れてきた馬車が裏口に回っており、そこで待機しているらしい。抜け道的な通路から外に出れば、表の喧騒に巻き込まれず帰れるはずだ。
こうして今回の仮面舞踏会は、アルファルドとセレスティナをさらに疑心暗鬼へと落とす、ある種の成功を収めたと言える。
ただ、決定的な証拠が得られたわけでもないし、むしろ私の存在を一層警戒させたかもしれない。だが、それでいい。彼らの心が乱れている状態を作り出すことが、やがて思わぬ綻びや失態を呼ぶに違いない。
(次は、もっと追い詰める。どこかで必ず大きな失言や証拠を掴ませる隙が出るはずだわ……)
そんな思考をめぐらせつつ、リヒトと連れ立って舞踏会を抜け出そうとしたとき――私は胸の奥にチクリとした痛みを覚えた。
あれ……? とっさに壁に手をつき、顔をしかめる。
「ユウナ? どうした、大丈夫か?」
「……ごめん、少し胸が……痛いような……」
理由はわからない。大きな魔力を行使したからだろうか、あるいは先ほどアルファルドに気づかれかけたときの恐怖が尾を引いているのか。頭がクラクラするような嫌な感覚があった。
だが、私が立ち止まっているわけにもいかない。幸いすぐに痛みは和らぎ、私は歩みを再開する。
「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫。帰りましょう」
「無理はするなよ。……もしものときはすぐ言え」
リヒトは優しく肩を支えながら、私を気遣ってくれる。私も微笑んで応えるが、胸の不快感は完全には消えないまま。
――まさか、“死に損ない”という状態が体に負担をかけているのかもしれない。私は死を偽装しているだけでなく、実際に瀕死の状態から無理矢理に生還している。その代償がどこかに現れても不思議ではない。
けれど、今さら引き返せない。両親を殺された私にとって、復讐と真実の追及は義務であり、最後の誇りでもあるのだ。
(こんなところで倒れたりしないわ。アルファルドとセレスティナを地獄に突き落とすまでは……!)
そう決心を固めながら、私は王宮をあとにした。闇夜の底にある馬車に乗り込み、リヒトとともに隠れ家へ帰る道すがら、仮面舞踏会の残響が頭の中で渦巻いている。
優雅な音楽、華やかな衣装、そして不穏な囁きの数々。あの場で感じた狂乱と焦燥の空気は、きっとアルファルドとセレスティナの破滅への序章に過ぎない。
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