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第1章 ――思い出された二つの人生――
3話
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衛兵に案内され、控えの間へと通された。大理石の柱が幾重にも立ち並び、天井にはステンドグラスからの光が差し込んでいる。まるで芸術品の中にいるかのような空間だ。
そこに待っていたのは、王太子と、彼に寄り添う一人の美しい令嬢。それぞれに取り巻きのような人々がいたが、彼らが私の姿を認めると、どよめきが起こる。噂では、今日ここで「婚約破棄」の宣言がなされるのだという。もちろん、私はレイラとしてすでに知っていることだけれど。
王太子は身の丈が高く、金色の髪を後ろで束ね、まるで絵画から抜け出してきたような端正な顔立ちをしている。その横にいる令嬢は、淡いピンクのドレスに身を包み、こちらに向けて少しあざとい笑みを浮かべていた。
(ああ、彼女が王太子の浮気相手……もとい、新しい婚約者候補ね。確かに美人だけど、なんだろう、いかにも計算高そうな雰囲気)
私は静かに一礼をし、王太子の言葉を待つ。王太子は周囲の視線を気にしてか、少し声を張り上げるように宣言した。
「レイラ・フォン・アーデルハイドよ。先日、私があなたに与えていた婚約の誓いを、ここに破棄することを告げる!」
堂々たる口調――だが、やはり周りには衝撃が走ったようだ。ざわざわと囁き合う声が聞こえる。
「まさか、本当に破棄するつもりなのか……」
「でも、相手はあのアーデルハイド公爵家の令嬢よ? どうなるんだろう」
周囲の貴族たちは、一様に私の反応を注視している。きっと、泣き叫んだり、激怒したり、あるいは王太子に取り縋ったり――そんな醜態を期待しているのかもしれない。
しかし、私は特に感情が湧いてこない。むしろ、「ああ、やっぱり来たわね」と納得する程度だ。視線を王太子から外し、隣の令嬢を見る。その令嬢は勝ち誇ったように胸を張り、嫌味な笑みを浮かべていた。
「彼は私を愛しているのよ、レイラ様。あなたみたいな冷たい人に拘束されるなんて、彼が可哀想だわ」
わざわざ他人を貶めるような物言い。聞いていてあまり気分のいいものではないが、だからと言って怒る気も起きない。内心で「どうぞ、お好きに」と思うばかり。
周囲がさらに騒ぎ出し、収拾がつかなくなりそうなところで、私はしん、とした静けさを保ったまま、一言だけ口を開く。
「……婚約破棄。そうですか。どうぞ、お好きになさってくださいませ」
その言葉に、どこか拍子抜けする空気が漂う。王太子も令嬢も、私がもっと取り乱すと思っていたのだろう。彼らはあからさまに焦ったような顔を浮かべている。
「な、何か言い返すことはないのか?」
「そうよ、あなたは婚約破棄されたのよ? 普通はもっと怒ったり、泣き叫んだりするでしょう?」
私は軽く首を振る。
「怒ったり泣き叫んだりしても、何か変わるわけではありませんわ。婚約を通して愛を育むのが貴族社会の常識……などというのはこの世界ではほとんど幻想。結婚は家同士の結びつきにすぎませんもの。――こんな婚約が壊れたところで、何ほどのことがありましょう?」
あまりにも淡々と語る私に、王太子や周囲の取り巻きたちは言葉を失ったようだ。令嬢は悔しそうに唇を噛み、「ば、馬鹿にしてるの?」と捨て台詞を吐く。私はそんな彼女を見つめながら、肩をすくめるだけだった。
「……失礼いたしますわ。王太子殿下も、その方も、どうぞ末永くお幸せに」
私は丁寧に裾をつまんで礼をし、その場から静かに退席する。背後では「まさかこんなにあっさり引き下がるなんて……」と驚きの声が上がっていたが、それに構うつもりはない。
控えの間を抜け、長い回廊を歩く。すると、心配そうな顔をした女官の一人が駆け寄ってきて、「大丈夫ですか?」と声をかけてきたが、私が「ええ、大丈夫」と笑顔で答えると、彼女は怪訝そうな面持ちをしていた。
「本当に、お悲しみにならないのですか?」
「悲しむというより……私にはもっと楽しいことがいっぱいあるんですよ。婚約破棄で落ち込んでいる暇なんかないわ」
そう言い切ると、女官は半ば呆れたように、「はぁ……」と曖昧に相槌を打つだけだった。そのまま私は王宮を後にする。馬車に乗り込んで、公爵家の屋敷へ戻る道中、馬車の窓から街並みを眺めながら、私は胸の内で呟いた。
(婚約破棄、終わったわね。予想通り、まったく動揺しなかった。これで私は自由になれた……!)
そこに待っていたのは、王太子と、彼に寄り添う一人の美しい令嬢。それぞれに取り巻きのような人々がいたが、彼らが私の姿を認めると、どよめきが起こる。噂では、今日ここで「婚約破棄」の宣言がなされるのだという。もちろん、私はレイラとしてすでに知っていることだけれど。
王太子は身の丈が高く、金色の髪を後ろで束ね、まるで絵画から抜け出してきたような端正な顔立ちをしている。その横にいる令嬢は、淡いピンクのドレスに身を包み、こちらに向けて少しあざとい笑みを浮かべていた。
(ああ、彼女が王太子の浮気相手……もとい、新しい婚約者候補ね。確かに美人だけど、なんだろう、いかにも計算高そうな雰囲気)
私は静かに一礼をし、王太子の言葉を待つ。王太子は周囲の視線を気にしてか、少し声を張り上げるように宣言した。
「レイラ・フォン・アーデルハイドよ。先日、私があなたに与えていた婚約の誓いを、ここに破棄することを告げる!」
堂々たる口調――だが、やはり周りには衝撃が走ったようだ。ざわざわと囁き合う声が聞こえる。
「まさか、本当に破棄するつもりなのか……」
「でも、相手はあのアーデルハイド公爵家の令嬢よ? どうなるんだろう」
周囲の貴族たちは、一様に私の反応を注視している。きっと、泣き叫んだり、激怒したり、あるいは王太子に取り縋ったり――そんな醜態を期待しているのかもしれない。
しかし、私は特に感情が湧いてこない。むしろ、「ああ、やっぱり来たわね」と納得する程度だ。視線を王太子から外し、隣の令嬢を見る。その令嬢は勝ち誇ったように胸を張り、嫌味な笑みを浮かべていた。
「彼は私を愛しているのよ、レイラ様。あなたみたいな冷たい人に拘束されるなんて、彼が可哀想だわ」
わざわざ他人を貶めるような物言い。聞いていてあまり気分のいいものではないが、だからと言って怒る気も起きない。内心で「どうぞ、お好きに」と思うばかり。
周囲がさらに騒ぎ出し、収拾がつかなくなりそうなところで、私はしん、とした静けさを保ったまま、一言だけ口を開く。
「……婚約破棄。そうですか。どうぞ、お好きになさってくださいませ」
その言葉に、どこか拍子抜けする空気が漂う。王太子も令嬢も、私がもっと取り乱すと思っていたのだろう。彼らはあからさまに焦ったような顔を浮かべている。
「な、何か言い返すことはないのか?」
「そうよ、あなたは婚約破棄されたのよ? 普通はもっと怒ったり、泣き叫んだりするでしょう?」
私は軽く首を振る。
「怒ったり泣き叫んだりしても、何か変わるわけではありませんわ。婚約を通して愛を育むのが貴族社会の常識……などというのはこの世界ではほとんど幻想。結婚は家同士の結びつきにすぎませんもの。――こんな婚約が壊れたところで、何ほどのことがありましょう?」
あまりにも淡々と語る私に、王太子や周囲の取り巻きたちは言葉を失ったようだ。令嬢は悔しそうに唇を噛み、「ば、馬鹿にしてるの?」と捨て台詞を吐く。私はそんな彼女を見つめながら、肩をすくめるだけだった。
「……失礼いたしますわ。王太子殿下も、その方も、どうぞ末永くお幸せに」
私は丁寧に裾をつまんで礼をし、その場から静かに退席する。背後では「まさかこんなにあっさり引き下がるなんて……」と驚きの声が上がっていたが、それに構うつもりはない。
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「本当に、お悲しみにならないのですか?」
「悲しむというより……私にはもっと楽しいことがいっぱいあるんですよ。婚約破棄で落ち込んでいる暇なんかないわ」
そう言い切ると、女官は半ば呆れたように、「はぁ……」と曖昧に相槌を打つだけだった。そのまま私は王宮を後にする。馬車に乗り込んで、公爵家の屋敷へ戻る道中、馬車の窓から街並みを眺めながら、私は胸の内で呟いた。
(婚約破棄、終わったわね。予想通り、まったく動揺しなかった。これで私は自由になれた……!)
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