8 / 27
第2章 ――ぶどう園を見下ろす丘で――
8話
しおりを挟む
ぶどう園の頂で――レイラの決意
小屋での休憩を終えたあと、ポーランドに案内されながら畑のさらに奥へ進んでいく。そこは小高い丘になっていて、ぶどう園全体を見渡すことができるビューポイントのような場所だ。何本ものぶどうの樹が生い茂る道を抜け、最後の傾斜を上りきると、目の前に広がるのは壮大な風景だった。
一面に広がる緑のじゅうたん。その向こうには町並みと、さらに遠くには山々が霞んでいる。太陽の光がやわらかく差し込み、ぶどうの葉を透かすと、葉脈が美しく浮かび上がった。微かな風が吹き、枝葉がさやさやと揺れる音が心地よいBGMとなる。
「わぁ……綺麗」
思わず声が漏れた。この丘の上から眺める景色は、まさに大自然の芸術のよう。前世のビル群しか知らなかった私にとっては、まるで絵画の中に迷い込んだような感覚だ。空気も澄んでいて、深呼吸すると、どこか甘い芳香が肺に広がる。
「ここがこのぶどう園でいちばん見晴らしのいい場所でして、私も朝早くから作業を始めるときなど、立ち寄っては今日一日の段取りを考えるんですよ」
ポーランドが目を細めながら、どこか慈しむように景色を見つめる。その横顔に、ぶどう園に懸ける熱い想いがにじみ出ていた。
「こんなに素敵な場所があったなんて、知らなかったわ。……ありがとう、連れてきてくれて」
自然と礼を言っていた。すると、ポーランドは慌てたように手を振って笑う。
「いえいえ、こちらこそ、お嬢様がいらっしゃると聞いたときは、正直最初は身構えていたんですよ。公爵令嬢は、ワインづくりに興味を持たれない方が多いと聞いておりましたし、何より――」
彼は言いかけてから、はっとしたように口を閉じる。おそらく「王太子との婚約破棄」の噂がすでに農民の間にも伝わっているのだろう。どのように言及すべきか悩んでいるのかもしれない。
「……ああ、婚約破棄のことなら大丈夫よ。気にしてないから。むしろ今こうして自由に動けるし、領地のことをいろいろ知るきっかけができて良かったわ」
「そ、そうですか。お嬢様がそう仰ってくださるなら……」
ポーランドは少しホッとしたような表情になる。私は微笑んで続けた。
「私はね、せっかく公爵家の令嬢なんだから、領民たちがどんな暮らしをしているか知りたいの。特に、このぶどう園はアーデルハイド領の誇りでしょう? こうして実際に見て、感じることがたくさんあるわ。私にも何か手伝えることがあればいいなと思っているの」
レイラとしての生き方を受け入れると同時に、前世から引き継いだ私自身の価値観も混ざり合っている。領地経営に深く関わるのは本来なら領主の仕事だろうけれど、こうして関心を持つだけでも、私がこの世界で果たせる役割はあるのではないかと思う。
「お嬢様……。そのお気持ちがあるだけで、私どもは大変心強いです。やはり公爵家の方が関心を寄せてくださるというのは、皆の労働意欲にも影響しますからね。……なんといいますか、もっと早くお嬢様がこの畑を見に来てくだされば良かったとも思いますよ」
「これまでは私も興味がなかったのよ。だけど、気が変わったの。今後は時間を見つけて、もっと頻繁に来ようと思ってるわ。迷惑じゃないかしら?」
「とんでもない。大歓迎ですとも!」
そのとき、風が強めに吹き、ぶどうの葉がさわさわと大きな音を立てる。生い茂る葉の向こうには、陽光を浴びて輝く房が見え隠れしていた。この光景がワインの素晴らしい香りを生むのだと思うと、感慨深いものがある。
私は視線を遠くへとやり、くすりと笑った。
「……婚約破棄されたからって、人生が終わったわけじゃない。むしろ、こんなに素晴らしい場所をまだまだ知らずにいたなんて、これからの楽しみが増えたようなものよ」
これはレイラとしての私だけでなく、前世を知る私としての本音でもある。ブラック企業で自由もなく働いていた頃とは違う。ここには豊かな自然と、人々の温もりがある。自分の意思を通して、いくらでも新しい挑戦ができる可能性を感じる。
(復讐とか見返しとか、そんな無駄なエネルギーは使わないわ。私が楽しく、そして周囲も幸せになれる道を選ぶ。それこそが、私の新しい人生)
ふと、遠くの空に白い鳥が舞っているのが見えた。大きな翼を広げ、気流に乗るようにゆったりと旋回している。その姿はどこか優雅で、まるで今の私の心を体現しているかのよう。
「ポーランドさん、今日はいろいろ教えてくれてありがとう。最後にもう少しだけ、ぶどう園を見て回ってから屋敷に戻るわね」
「はい、もちろんです。では、私もご案内いたしましょう」
ポーランドがにこりと微笑む。私はその笑顔にこたえてうなずき、丘を下りるために足を踏み出した。やや傾斜はあるが、ぶどうの樹や作業用の柵を支えにすれば危険はない。道すがら、農民たちとも軽く挨拶を交わしたり、質問をしてみたりする。彼らは最初は緊張の面持ちだったが、「お嬢様が興味を持ってくれてうれしい」と言わんばかりに目を輝かせて話してくれる人が多かった。
その様子を見ていると、自然と胸が温かくなる。婚約破棄など何のその。私には今、やりがいに満ちた道が開けているのだと感じられた。
小屋での休憩を終えたあと、ポーランドに案内されながら畑のさらに奥へ進んでいく。そこは小高い丘になっていて、ぶどう園全体を見渡すことができるビューポイントのような場所だ。何本ものぶどうの樹が生い茂る道を抜け、最後の傾斜を上りきると、目の前に広がるのは壮大な風景だった。
一面に広がる緑のじゅうたん。その向こうには町並みと、さらに遠くには山々が霞んでいる。太陽の光がやわらかく差し込み、ぶどうの葉を透かすと、葉脈が美しく浮かび上がった。微かな風が吹き、枝葉がさやさやと揺れる音が心地よいBGMとなる。
「わぁ……綺麗」
思わず声が漏れた。この丘の上から眺める景色は、まさに大自然の芸術のよう。前世のビル群しか知らなかった私にとっては、まるで絵画の中に迷い込んだような感覚だ。空気も澄んでいて、深呼吸すると、どこか甘い芳香が肺に広がる。
「ここがこのぶどう園でいちばん見晴らしのいい場所でして、私も朝早くから作業を始めるときなど、立ち寄っては今日一日の段取りを考えるんですよ」
ポーランドが目を細めながら、どこか慈しむように景色を見つめる。その横顔に、ぶどう園に懸ける熱い想いがにじみ出ていた。
「こんなに素敵な場所があったなんて、知らなかったわ。……ありがとう、連れてきてくれて」
自然と礼を言っていた。すると、ポーランドは慌てたように手を振って笑う。
「いえいえ、こちらこそ、お嬢様がいらっしゃると聞いたときは、正直最初は身構えていたんですよ。公爵令嬢は、ワインづくりに興味を持たれない方が多いと聞いておりましたし、何より――」
彼は言いかけてから、はっとしたように口を閉じる。おそらく「王太子との婚約破棄」の噂がすでに農民の間にも伝わっているのだろう。どのように言及すべきか悩んでいるのかもしれない。
「……ああ、婚約破棄のことなら大丈夫よ。気にしてないから。むしろ今こうして自由に動けるし、領地のことをいろいろ知るきっかけができて良かったわ」
「そ、そうですか。お嬢様がそう仰ってくださるなら……」
ポーランドは少しホッとしたような表情になる。私は微笑んで続けた。
「私はね、せっかく公爵家の令嬢なんだから、領民たちがどんな暮らしをしているか知りたいの。特に、このぶどう園はアーデルハイド領の誇りでしょう? こうして実際に見て、感じることがたくさんあるわ。私にも何か手伝えることがあればいいなと思っているの」
レイラとしての生き方を受け入れると同時に、前世から引き継いだ私自身の価値観も混ざり合っている。領地経営に深く関わるのは本来なら領主の仕事だろうけれど、こうして関心を持つだけでも、私がこの世界で果たせる役割はあるのではないかと思う。
「お嬢様……。そのお気持ちがあるだけで、私どもは大変心強いです。やはり公爵家の方が関心を寄せてくださるというのは、皆の労働意欲にも影響しますからね。……なんといいますか、もっと早くお嬢様がこの畑を見に来てくだされば良かったとも思いますよ」
「これまでは私も興味がなかったのよ。だけど、気が変わったの。今後は時間を見つけて、もっと頻繁に来ようと思ってるわ。迷惑じゃないかしら?」
「とんでもない。大歓迎ですとも!」
そのとき、風が強めに吹き、ぶどうの葉がさわさわと大きな音を立てる。生い茂る葉の向こうには、陽光を浴びて輝く房が見え隠れしていた。この光景がワインの素晴らしい香りを生むのだと思うと、感慨深いものがある。
私は視線を遠くへとやり、くすりと笑った。
「……婚約破棄されたからって、人生が終わったわけじゃない。むしろ、こんなに素晴らしい場所をまだまだ知らずにいたなんて、これからの楽しみが増えたようなものよ」
これはレイラとしての私だけでなく、前世を知る私としての本音でもある。ブラック企業で自由もなく働いていた頃とは違う。ここには豊かな自然と、人々の温もりがある。自分の意思を通して、いくらでも新しい挑戦ができる可能性を感じる。
(復讐とか見返しとか、そんな無駄なエネルギーは使わないわ。私が楽しく、そして周囲も幸せになれる道を選ぶ。それこそが、私の新しい人生)
ふと、遠くの空に白い鳥が舞っているのが見えた。大きな翼を広げ、気流に乗るようにゆったりと旋回している。その姿はどこか優雅で、まるで今の私の心を体現しているかのよう。
「ポーランドさん、今日はいろいろ教えてくれてありがとう。最後にもう少しだけ、ぶどう園を見て回ってから屋敷に戻るわね」
「はい、もちろんです。では、私もご案内いたしましょう」
ポーランドがにこりと微笑む。私はその笑顔にこたえてうなずき、丘を下りるために足を踏み出した。やや傾斜はあるが、ぶどうの樹や作業用の柵を支えにすれば危険はない。道すがら、農民たちとも軽く挨拶を交わしたり、質問をしてみたりする。彼らは最初は緊張の面持ちだったが、「お嬢様が興味を持ってくれてうれしい」と言わんばかりに目を輝かせて話してくれる人が多かった。
その様子を見ていると、自然と胸が温かくなる。婚約破棄など何のその。私には今、やりがいに満ちた道が開けているのだと感じられた。
2
あなたにおすすめの小説
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
【完結】この運命を受け入れましょうか
なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」
自らの夫であるルーク陛下の言葉。
それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。
「承知しました。受け入れましょう」
ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。
彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。
みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。
だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。
そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。
あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。
これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。
前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。
ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。
◇◇◇◇◇
設定は甘め。
不安のない、さっくり読める物語を目指してます。
良ければ読んでくだされば、嬉しいです。
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
セラフィーヌの幸せ結婚 ~結婚したら池に入ることになりました~
れもんぴーる
恋愛
貧乏子爵家のセラフィーヌは侯爵家嫡男のガエルに望まれて結婚した。
しかしその結婚生活は幸せなものではなかった。
ガエルは父に反対されている恋人の隠れ蓑としてセラフィーヌと結婚したのだ。
ある日ガエルの愛人に大切にしていたブローチを池に投げ込まれてしまうが、見ていた使用人たちは笑うだけで拾おうとしなかった。
セラフィーヌは、覚悟を決めて池に足を踏み入れた。
それをガエルの父が目撃していたのをきっかけに、セラフィーヌの人生は変わっていく。
*前半シリアス、後半コミカルっぽいです。
*感想欄で所々ネタバレしてしまいました。
感想欄からご覧になる方はご注意くださいませm(__)m
*他サイトでも投稿予定です
悪意には悪意で
12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。
私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。
ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。
【 完結 】「婚約破棄」されましたので、恥ずかしいから帰っても良いですか?
しずもり
恋愛
ミレーヌはガルド国のシルフィード公爵令嬢で、この国の第一王子アルフリートの婚約者だ。いや、もう元婚約者なのかも知れない。
王立学園の卒業パーティーが始まる寸前で『婚約破棄』を宣言されてしまったからだ。アルフリートの隣にはピンクの髪の美少女を寄り添わせて、宣言されたその言葉にミレーヌが悲しむ事は無かった。それよりも彼女の心を占めていた感情はー。
恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい!!
ミレーヌは恥ずかしかった。今すぐにでも気を失いたかった。
この国で、学園で、知っていなければならない、知っている筈のアレを、第一王子たちはいつ気付くのか。
孤軍奮闘のミレーヌと愉快な王子とお馬鹿さんたちのちょっと変わった断罪劇です。
なんちゃって異世界のお話です。
時代考証など皆無の緩い設定で、殆どを現代風の口調、言葉で書いています。
HOT2位 &人気ランキング 3位になりました。(2/24)
数ある作品の中で興味を持って下さりありがとうございました。
*国の名前をオレーヌからガルドに変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる