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番外編
子育てします!
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軍部というのは、常日頃から鍛錬を行う必要がある。
もっとも軍事大臣にでもなれば、指示するだけの立場となり直接現場に出向くこともないのだが。
そこまで出世するには、六十を過ぎ、現場を退いてからが通常だ。
ゲオルグは充分過ぎるほど、国のために働いてきた。もっと歳を重ね、現役を退いたとしても相応の役職へはつけるだろう。
だが、それはまだ先の話だ。
領土を奪わんとしていた隣国は内政で揉めており、今現在、比較的この国は平和である。
遠征を繰り返してきた若い頃と比べれば、内地で見回りばかりの日々はやや退屈でもあったが、その退屈な日々は結婚と同時に終わりを迎えた。
なぜならば、ゲオルグは己にとって掛け替えのない人物を妻に得たのだから――。
思えば、メリアを妻にしてから様々なことがあった。
お互いに誤解をしてすれ違い、だが、ゲオルグが隠し部屋をメリアに見せることでゲオルグの気持ちを伝え、晴れて両想いになった。
その後も、『旦那様の嫉妬事件~それはクッキーです~』や『メリア激怒事件~隠し部屋崩壊~』――使用人たちは、諸々の事件に名前をつけている――などのトラブルで愛を深め、子を授かった。
順調にお腹の子は育ち、ゲオルグとメリア、そして使用人たちの愛を受けて、めでたくこの世に生まれた。
ゲオルグは、今でもありありと思い出せる。
メリアが子を産んだあの日のことを。
赤子の泣き声を聞いたときの安心感。そして、母子ともに無事だと聞き、入室の許可が出るなりメリアのもとへ駆けつけた。
赤子を抱きかかえるメリアは、まるで聖母のようだった。
ゲオルグは知らず涙がこぼれ、生まれたばかりの子どもごと愛しいメリアを抱きしめたのだ。
その後、疲弊したメリアを労っているうちに、バルバロッサが生まれた赤子を抱っこして「父上ですよ」と話しかけていたことも覚えている。
実は密かにゲオルグは、『赤子を抱き上げる最初の男』になるつもりだったので、覚えているのはどちらかといえば憎しみであるが、メリアが悲しむので言わないでいた。
その後――。
軍部へ来ていた第二王子が初めて前線基地へ向かうことになったり、隣国の内乱で居場所を失った民が流れてきて各所でトラブルとなったり、ゲオルグは多忙となった。
第二王子に関しては、国王エトヴィンのたっての希望でゲオルグが指南役として指揮系統諸々を師として教えねばならなかった。
いずれ第二王子が軍部を率いる立場になるのだから、彼の育成は国の命運にもかかわってくる。
元より、第二王子が軍部に来た時点で、自分が教えることになろうことは想定していたし、それでよいと考えていた。師として彼の尊敬を得れば、それだけ出世や引退後の身の振り方にも余裕が生まれるだろうという目論見があったのだ。
ゲオルグは、謹んで国王からの命令を受けた。
そして、軍人として職務を全うし、長期遠征から帰還したゲオルグは――なんと、我が子がハイハイしている姿を目の当たりにし、これ以上ない衝撃を受けたのだった。
【番外編】 子育てします!
遠征から帰還してからも多忙を極め、やっとのこと取れた休暇。
ゲオルグは、より母親らしくなったメリアの美しさをしみじみと感じた。
床を清潔にし、靴を脱いであがる絨毯を敷いた子ども部屋でゆったりと座るメリアを見つめていると、ふと、メリアの視線がずっとゲオルグではないほうへ向いていることに気づいた。
視線を辿れば、息子のハウルがうつ伏せになって、おもちゃにかじりついている。
「……あれは、止めなくていいのか?」
「きっと、歯茎がかゆいんですよ。上の前歯が生えてきているんです」
「ほう」
「あの玩具はとても柔らかくて、今の時期にちょうどいいらしいんです」
なるほど、だから以前作らせた木の玩具ではないのか。
ハウルを見ていると、傍にいられなかった十ヶ月ほどの時間が惜しい。育児も、メリアに任せきりだった。メリアは使用人たちの協力し、医師や専門家の意見を取り入れて、立派に息子を育てているというのに。
「……ハウルに、触れてもいいだろうか」
ぼそ、と呟けば、メリアは目を見張って振り返った。
「勿論です。……あの。遠征から戻られて、一度もハウルと接してくださらなかったのは、もしかして、触れてもいいかわからなかったから、とか、ですか」
居心地の悪さを感じつつも頷く。
こんな未知の生物と関わる機会など、これまでになかった。
しかもハウルはゲオルグの血を分けた子である。
ふふ、とメリアが微笑んだ。
「旦那様の息子です、可愛がってあげてください。大丈夫です、私がここにおりますので」
なんと心強い妻だろう。
ゲオルグは安堵の息をつくと、そっとハウルに近づいた。
帰還してから、メリアの育児を見てきたが到底ゲオルグには真似できないことばかりだった。だが、今後はオムツを取り替えたり、離乳食を食べさせたり、お風呂にいれたり、協力していきたいと考えている。
ハウルの傍に膝をついてしゃがみ、そっと「ハウル」と呼びかけた。
ゲオルグに気づいたハウルに手を伸ばしたそのとき。
ハウルがおもちゃを放り出し、物凄い速さでメリアの膝へ突進した。それだけではない。メリアの柔らかい身体を掴んでつかまり立ち、ばふん、とメリアの大きな胸に顔を埋める。
一瞬の出来事だった。
メリアがハウルの背に手を置くが、メリアもぽかんとしている。
「ど、どうしたの、ハウル」
困惑するメリアに、ゲオルグは苦笑した。
「久しぶりだからな。怖がっているのだろう」
メリアの傍に座り直し、メリアの身体にしがみつくハウルの頭を撫でた。
「ハウル、父さんだぞ」
「……」
「ハウル、父さんがここに――」
ふいっ。
ハウルが、ゲオルグがいる方向の正反対を向いた。
(……まさか、偶然だろう。この反応は怯えているのだ。決して、嫌われているわけではない)
心のなかで自分に言い聞かせ、もう一度、呼びかけた。
「ハウル、ハウル。父さんが――」
「うっ、ううう」
ピシ、とゲオルグが固まる。
ハウルは、ぷるぷると震えながら詰まるように声をあげ、やがて、大声をあげて泣き始めた。
まるで悪鬼に追いかけられているのかと思うくらいの、大泣きである。
メリアが「大丈夫よ」とハウルを宥めるが、なかなか泣き止まず、あまりの恐怖を乗せた泣き声に驚いた使用人たちまで駆けつけてきた。
子ども部屋に入るなり、駆けつけたエドワードとモナ、ハマルが事情を察し、「やりやがったなコイツ」という目でゲオルグを見てくるのだから、居た堪れない。
「わ、私は何もしていない」
「……何も言っておりません」
エドワードが露骨に呆れた顔をして言った。
執事である彼は使用人二人へ視線で合図をすると、ゲオルグのほうへやってきた。他の二人はメリアとともにハウルを宥めに入っている。
「旦那様。幼子は、とても敏感なのです」
「……わかっているつもりだが」
「いくら優しく接したところで、旦那様の深層心理に蔓延るやましい気持ちは決して消えませんからなぁ」
「やましいとはなんだ。私は何一つやましいことなど考えていない!」
「では、あの姿をご覧になって、何を思われます?」
エドワードが促す先にいるのは、メリアとハウルだ。
メリアの大きな胸に顔を埋めた息子は、がっしりとメリアにしがみついている。
「……羨ましい」
ぽつり、と本音がこぼれた。
遠征に出ていたこともあり、ハウルが腹に宿ってからメリアとは夜の営みを行えていないのだ。安定期に入ってからは、それはもう、卑猥で可愛らしいメリアを堪能したが、本番は一度もしていない。
本当はすぐにでも触れたいが、子育てや屋敷を取り仕切っているメリアの心身の疲労を考えると、なかなか誘うことができずにいた。
そもそも、遠征から帰ってすぐ抱いたら、それしか考えていないのか、と思われかねない。ゲオルグはメリアの心も身体も過去も未来も何もかもが欲しいのであって、身体だけだと思われたくなかった。
「やましい気持ちしかないですな」
「違う。ハウルに接するときは純粋に……待て。そもそも、それだとこの世の夫はすべて我が子に触れられんだろう」
「旦那様。旦那様の嫉妬は、殺気に近しいものがございます」
「……わかった」
長く仕えてくれているエドワードがそう言うのならば、そうなのだろう。
ゲオルグは、泣き止んだハウルを確認してから、メリアに頼んだ。
少しの間、子ども部屋から出ていてくれないか、と。
ゲオルグの意図を汲んだメリアは、「じゃあ、寝室に行っております」と言って、我が子をハマルに預けて部屋を出て行った。モナはメリアについて出て行ったので、子ども部屋に残ったのは、ゲオルグ、ハマル、エドワードの三人とハウルだ。
(……これで、やましさはない。確実に)
ふ、と胸中で笑う。
そして、ハウルの傍にしゃがみ込み、息子の名前を呼んだ。
結果。
ハウルは、ハマルにしがみついたまま、再びギャン泣きしたのだった。
(これが、仕事一筋、出世を望んで生きてきたがゆえの、代償なのか――)
★
寝室のカウチに座り、ゆったりとモナが淹れた紅茶を嗜んでいた。
「おいしいわ、モナ」
「ありがとうございます、奥様」
そんな日常のやり取りをしていたとき。
勢いよくゲオルグが部屋に飛び込んできて、天蓋つきのベッドのカーテンをばさりと開き、ベッドに飛び込んだ。
モナはそっとメリアに頭をさげ、カートを押して退室する。
本当に、よく出来た使用人である。
メリアはベッドにうつ伏せで寝転ぶゲオルグの隣に座った。
柔らかな夫の髪に手を差し込んで、そっと撫でる。
「今は、人見知りが多い時期なのです」
「うむ」
「先日、離乳食を三食にしたところなんです。ハウルは、順調に成長していますよ」
「うむ」
なでなで。
メリアは胸中で嘆息する。
こうしてゲオルグが休暇を取れるのは、稀なのだ。
しかも長い間遠征に出ており、その間、メリアは気が気ではなかった。いくら隣国が内乱諸々で戦を仕掛けてくる余裕がないとはいえ、国境警備の前線にいたのだ。
何度か、剣をとって戦場を駆けたという話も聞いた。
最悪の事態を想像しては否定し、ハウルの育児に集中することで、不安を強引に押しやっていたのだ。
(……そもそも、どうして私を抱いてくださらないのかしら)
先ほどから、話しかけても「うむ」しか言わないゲオルグに、段々不安と苛立ちが募ってきた。
息子が可愛いのはわかるが、ハウルを構う前にメリアのことも構ってほしい。
なのに、ゲオルグは久しぶりの休日を、ハウルに泣かれたからと塞ぎこんでいる。
メリアならば泣いたりせず、全力で喜ぶのに。
「旦那様、私、貴族夫人らしい生活を送れるようになってまいりました」
「うむ」
「まだまだ言動は荒い部分がございますが、しっかり学んでおります」
「うむ」
(……褒めてくれない)
ハウルではないが、メリアも泣きそうだ。
ゲオルグが疲れているのも理解しているし、皆を養うために危険な仕事をしているのもわかっている。だから、ぐっと堪える。
堪えるけれど――。
「……お疲れでしたら、少しおやすみになられますか? 私は、向こうへ行っておりますので」
「うむ」
「~~旦那様! 私のことも構ってくださらないと、嫌です!」
堪えきれなかった。
ゲオルグは勢いよく顔をあげ、メリアを見た。
まるで、頭上に隕石でも降ってきたような、驚きぶりである。
その姿を見て、メリアは冷水を浴びせられたかのように我に返った。
「あ……ご、ごめんなさい」
言い過ぎてしまった。
ゲオルグはベッドの上に座ると、姿勢を整えてメリアを膝のうえに乗せ、自らの胸にメリアの頭を押し付けた。
「……いいのか?」
「え? あの」
もぞりと顔をあげると、不安そうな目が見つめてくる。
どうやらゲオルグは、また何か考えていたらしい。
従来の癖らしく、ゲオルグは頭のなかで色々と考えすぎてしまうのだ。今度もきっと、何か不安要素があって、メリアを構ってはいけないと思っていたのだろう。
「構って貰えたら、その、とても嬉しいです」
先ほど叫んでしまった恥ずかしさもあって、小声で呟く。
頬が熱い。これではまるで、ハウルに嫉妬しているみたいだ。
そう思った瞬間、ふわっと身体が浮いて、気づけば天蓋を見つめていた。
ゲオルグが覆いかぶさってきて、熱い唇が合わさる。
歯列をなぞった舌が侵入してくると、お互い、飢えたように舌を絡め合った。もっと深くまで欲しくて、ゲオルグの背中に手を回す。
名残惜しそうに顔を離したゲオルグは、乱れた呼吸を整えながら、袖で乱暴に口元を拭った。
野性味あふれる仕草に、ぞくりと身体が痺れてしまう。
「次の休みには、どこかへ出かけよう。以前に約束した、大人の玩具の店はどうだ?」
「い、行きたいです」
「決まりだ。…ところで、メリア。ハウルも大きくなってきたが、そろそろ、こっちも良いのではないだろうか」
ドレスの裾をたくし上げ、ゲオルグの武骨な硬い指がドロワーズの上から秘裂をなぞる。
くっ、とゲオルグが笑った。
その彼らしい、悪い男の笑みに、また、下腹部がきゅんと疼く。
「……湿っていた、が、さらに濡れてきたな」
「嬉しくて……ずっと、旦那様に触れてほしかったんです」
「可愛いメリア。ここも、可愛がっていいか?」
メリアのドレスについた、胸元のリボンを外し、リボンの下に隠れていた紐を両手で引っ張る。斜め右上と左に同時に引けばドレスの留め具が外れ、前開きのドレスが勢いよくはだける仕組みになっていた。
「綺麗だ。メリア、私のメリア」
ぷるん、と露わになった胸を両手で揉みしだき、その形を確かめるよう、両手で弄ぶ。
久しぶりの刺激に、メリアはすぐに太ももをすり合わせてしまう。
もっと強く触れてほしいのに、ゲオルグはやわやわと胸を掴んでカタチを変えるだけなのだ。
「……む」
ゲオルグが眉をひそめたことで、メリアはそのことを伝え忘れていたことを思い出した。
「あのっ、お、おっぱいは、その。まだ母乳が出るので、あまり触らな――」
「心配するな。ハウルの食事だ。すべて飲み干すような真似はせんさ」
(……少しは飲むってこと?)
まさかね、と思ったが、顔を近づけて突起を口に含もうとしたゲオルグに気づいて、メリアは慌てた。
「恥ずかしいですっ!」
「ハウルばかり狡いではないか!」
想定外に本気で言い返されて、唖然とする。
「さっきもそうだ。ずっとハウルばかり見つめているし、この胸も私のものなのに、ハウルが顔を埋めて……」
段々声が小さくなり、やがて、ゲオルグはメリアの胸の谷間に顔を埋めた。
その耳は真っ赤である。
「ハウルばかりずるい」
(なに、この可愛い人)
胸の奥がきゅんとした。
格好いいゲオルグも好きだが、こうして甘えてくれるゲオルグも好きだ。
メリアはゲオルグの身体を強く抱きしめると、頭に頬ずりをした。
「たくさん、可愛がってくださいね」
こうして。
久しぶりの休日。
メリアは沢山、可愛がられたのだった。
★
夕方頃。
ゲオルグはハイテンションで、メリアと共に子ども部屋に向かった。
先ほどは泣かれてしまったうえに、エドワードの適当な助言を真に受けて失策を重ねた。
だが、今ならばハウルに泣かれず、抱っこくらい出来そうな気がする。
自信満々で、夫婦ともども子ども部屋に到着した。
そこには、ハマルとバルバロッサがいた。
ハマルはバルバロッサが何かしでかさないかお目付け役として壁際に控えており、バルバロッサは床に座っている。
そんなバルバロッサの膝で、ハウルがごろごろ転がって遊んでいた。
「おや、用事は終えましたか? メリアに会いにきたのですが、その不躾な男に止められまして」
バルバロッサはにっこりとそう言うと、一瞬、ハマルを睨んだ。
ハマルは聞こえないふりである。
「こら、ハウル。父上のズボンをよだれまみれにしてはいけませんよ」
「だー」
「くすぐったいです。めっ、ですよ」
「めー」
「まったく。父上は、メリアに会いにきたのですよ」
「う?」
「父上、と言えたなら、遊んであげなくもないですが」
「うー」
「ち、ち、う、え、です」
「うー、うー、あー、ばぁ?」
「……なんと。天才ではありませんか! この子、今、父上と言いましたよ!」
バルバロッサはハウルに強請られるまま、抱き上げた。
泣きわめくこともなく、それどころか。きゃっきゃっと嬉しそうに笑顔を浮かべるハウル。
「あらあら、伯父様ったら。本当にハウルに甘いんですから」
「ハウルは、メリアの子ですからね。やはり可愛いのですよ」
「ありがとうございます」
ゲオルグは、壁際にいたハマルへ素早く詰め寄った。
「なぜ、父上と呼ばせている。なぜ、止めない。なぜ、追い出さない」
「落ち着いてください」
遠征に出ていたのは、ゲオルグだけである。
騎士軍師として、策を第二王子に学ばせることが目的だったからだ。その間、バルバロッサは王都で王族は勿論、王都の治安を守っていた。
ゲオルグとしても、メリアを心から大切にしているバルバロッサが王都にいれば安心だったので、メリアの安全を考えて、単身、別部隊に加わるかたちで遠征に出ていたのだが。
ハマルは、首を横に振ってため息をついた。
「旦那様、これでも妥協して頂いてるんです。父上と呼ばせている限り、まだ大人しいので」
「どういうことだ」
「勿論、最初は俺も他の皆も止めましたよ。そしたら、『事実にすればいいのですね』と養子縁組をしようとされまして。我々の知らぬうちに話を進め、最終決定を行う陛下の元へ書類としてあがった際に、訝しんだ陛下が奥様へ確認くださって、やっと発覚したことがございました」
「……なん、だと」
「ほかにも、『次は私の子を産んでください』と奥様に詰め寄って伯父としての垣根をあっさり飛び越えようとなさったり、『メリアの美しい字を見たいのです、名前を書いて頂けませんか』と、離婚届と結婚届に名前を書かせようとしたり。勿論どちらも、男性の名前は記載済みでした。誰とは言いませんが、バルバロッサ様は旦那様の筆跡を真似るのが大変お上手で」
ハマルの目が遠いところを見ていた。
ゲオルグは頭痛を覚えて、頭を抑える。
(やはり、不在になどするのではなかった)
だが、国王命令に従わないわけにはいかない。
ならば、もっと早くにバルバロッサをなんとか――。
物騒な方向へ考えが向かい始めたとき、メリアがそっと身体を寄せてきた。
「旦那様、申し訳ございません。……伯父様は、私が寂しくないように足繁く屋敷に通ってくださっていて、その間にハウルと仲良くなったのです」
問題はそこではないのだが。
メリアはどうやら、ゲオルグが、ハウルがバルバロッサに懐いていることを不満に感じている、と思ったようだ。
「旦那様は、ハウルの父親です。急ぐことはありませんし、まだまだ時間はあります」
「……そうだな」
バルバロッサに関して早急に何か手を打つとして、ハウルのことは、そう急ぐこともないだろう。
思えば、ゲオルグも物心つく頃には実父が怖かった覚えがある。
父に敵意がないと知ったのは、八歳くらいだったか。なぜ苦手だったのか、今でもはっきりした理由はわからない。
(……ハウルも、そんなものかもしれん)
これからは、毎日、名前を呼ぼう。
少し慣れてくれたら、撫でたり抱き上げたりしてもいいだろうか。
そういえば、とゲオルグは思い出す。
ミーティアは、多忙な夫と夫婦になったため、メリアを一人で育てていた。乳母もおらず、夜泣きも一人で対応し、離乳食も作り、知育も施して。
母は偉大なり、とはよく言ったものだ。
(ミーティアを見下した己に恥じ入るばかりだな)
出世や騎士としての在り方という物差しでしか、人を図っていなかった当時の幼さに、自嘲した。
ふむ、とゲオルグはバルバロッサを見た。
ハウルはとても懐いているようだ。
バルバロッサもハウルを可愛がっているようだし、いくら『父上』と呼ばせたところで、ゲオルグがいるのだから父親は変わらない。少し大きくなってきた頃に、ハウルもバルバロッサのおかしさに気づくだろう。
(まぁ、バルバロッサがいても然程問題はないか)
ふむ、と頷いてから、メリアに言う。
「メリア、今度、久しぶりに墓参りにいかないか」
メリアが、瞳を輝かせてゲオルグを仰ぎ見た。
押し倒したい衝動を堪えて、メリアの腰に手を回す。
「お父さんとお母さんの、ですか?」
「ああ。どうだろう」
返事はわかりきっていたが、あえてきく。
メリアは、満面の笑顔で「ぜひ、行きたいです!」と答えた。
ゲオルグは笑みを深めて想像する。
二人で、メリアの両親の墓参りに行くのだ。そして、約束通り大人の玩具を買いに行き、そのあと二人で食事をする。さらに、こっそり仕立て屋に頼んであったメリアの新しいドレスを取りに行くのだ。その日の夜は、そのドレスを着てもらい――。
ふ、とゲオルグは口の端をつり上げる。
(私はなんと、幸せ者なのだろう)
了
もっとも軍事大臣にでもなれば、指示するだけの立場となり直接現場に出向くこともないのだが。
そこまで出世するには、六十を過ぎ、現場を退いてからが通常だ。
ゲオルグは充分過ぎるほど、国のために働いてきた。もっと歳を重ね、現役を退いたとしても相応の役職へはつけるだろう。
だが、それはまだ先の話だ。
領土を奪わんとしていた隣国は内政で揉めており、今現在、比較的この国は平和である。
遠征を繰り返してきた若い頃と比べれば、内地で見回りばかりの日々はやや退屈でもあったが、その退屈な日々は結婚と同時に終わりを迎えた。
なぜならば、ゲオルグは己にとって掛け替えのない人物を妻に得たのだから――。
思えば、メリアを妻にしてから様々なことがあった。
お互いに誤解をしてすれ違い、だが、ゲオルグが隠し部屋をメリアに見せることでゲオルグの気持ちを伝え、晴れて両想いになった。
その後も、『旦那様の嫉妬事件~それはクッキーです~』や『メリア激怒事件~隠し部屋崩壊~』――使用人たちは、諸々の事件に名前をつけている――などのトラブルで愛を深め、子を授かった。
順調にお腹の子は育ち、ゲオルグとメリア、そして使用人たちの愛を受けて、めでたくこの世に生まれた。
ゲオルグは、今でもありありと思い出せる。
メリアが子を産んだあの日のことを。
赤子の泣き声を聞いたときの安心感。そして、母子ともに無事だと聞き、入室の許可が出るなりメリアのもとへ駆けつけた。
赤子を抱きかかえるメリアは、まるで聖母のようだった。
ゲオルグは知らず涙がこぼれ、生まれたばかりの子どもごと愛しいメリアを抱きしめたのだ。
その後、疲弊したメリアを労っているうちに、バルバロッサが生まれた赤子を抱っこして「父上ですよ」と話しかけていたことも覚えている。
実は密かにゲオルグは、『赤子を抱き上げる最初の男』になるつもりだったので、覚えているのはどちらかといえば憎しみであるが、メリアが悲しむので言わないでいた。
その後――。
軍部へ来ていた第二王子が初めて前線基地へ向かうことになったり、隣国の内乱で居場所を失った民が流れてきて各所でトラブルとなったり、ゲオルグは多忙となった。
第二王子に関しては、国王エトヴィンのたっての希望でゲオルグが指南役として指揮系統諸々を師として教えねばならなかった。
いずれ第二王子が軍部を率いる立場になるのだから、彼の育成は国の命運にもかかわってくる。
元より、第二王子が軍部に来た時点で、自分が教えることになろうことは想定していたし、それでよいと考えていた。師として彼の尊敬を得れば、それだけ出世や引退後の身の振り方にも余裕が生まれるだろうという目論見があったのだ。
ゲオルグは、謹んで国王からの命令を受けた。
そして、軍人として職務を全うし、長期遠征から帰還したゲオルグは――なんと、我が子がハイハイしている姿を目の当たりにし、これ以上ない衝撃を受けたのだった。
【番外編】 子育てします!
遠征から帰還してからも多忙を極め、やっとのこと取れた休暇。
ゲオルグは、より母親らしくなったメリアの美しさをしみじみと感じた。
床を清潔にし、靴を脱いであがる絨毯を敷いた子ども部屋でゆったりと座るメリアを見つめていると、ふと、メリアの視線がずっとゲオルグではないほうへ向いていることに気づいた。
視線を辿れば、息子のハウルがうつ伏せになって、おもちゃにかじりついている。
「……あれは、止めなくていいのか?」
「きっと、歯茎がかゆいんですよ。上の前歯が生えてきているんです」
「ほう」
「あの玩具はとても柔らかくて、今の時期にちょうどいいらしいんです」
なるほど、だから以前作らせた木の玩具ではないのか。
ハウルを見ていると、傍にいられなかった十ヶ月ほどの時間が惜しい。育児も、メリアに任せきりだった。メリアは使用人たちの協力し、医師や専門家の意見を取り入れて、立派に息子を育てているというのに。
「……ハウルに、触れてもいいだろうか」
ぼそ、と呟けば、メリアは目を見張って振り返った。
「勿論です。……あの。遠征から戻られて、一度もハウルと接してくださらなかったのは、もしかして、触れてもいいかわからなかったから、とか、ですか」
居心地の悪さを感じつつも頷く。
こんな未知の生物と関わる機会など、これまでになかった。
しかもハウルはゲオルグの血を分けた子である。
ふふ、とメリアが微笑んだ。
「旦那様の息子です、可愛がってあげてください。大丈夫です、私がここにおりますので」
なんと心強い妻だろう。
ゲオルグは安堵の息をつくと、そっとハウルに近づいた。
帰還してから、メリアの育児を見てきたが到底ゲオルグには真似できないことばかりだった。だが、今後はオムツを取り替えたり、離乳食を食べさせたり、お風呂にいれたり、協力していきたいと考えている。
ハウルの傍に膝をついてしゃがみ、そっと「ハウル」と呼びかけた。
ゲオルグに気づいたハウルに手を伸ばしたそのとき。
ハウルがおもちゃを放り出し、物凄い速さでメリアの膝へ突進した。それだけではない。メリアの柔らかい身体を掴んでつかまり立ち、ばふん、とメリアの大きな胸に顔を埋める。
一瞬の出来事だった。
メリアがハウルの背に手を置くが、メリアもぽかんとしている。
「ど、どうしたの、ハウル」
困惑するメリアに、ゲオルグは苦笑した。
「久しぶりだからな。怖がっているのだろう」
メリアの傍に座り直し、メリアの身体にしがみつくハウルの頭を撫でた。
「ハウル、父さんだぞ」
「……」
「ハウル、父さんがここに――」
ふいっ。
ハウルが、ゲオルグがいる方向の正反対を向いた。
(……まさか、偶然だろう。この反応は怯えているのだ。決して、嫌われているわけではない)
心のなかで自分に言い聞かせ、もう一度、呼びかけた。
「ハウル、ハウル。父さんが――」
「うっ、ううう」
ピシ、とゲオルグが固まる。
ハウルは、ぷるぷると震えながら詰まるように声をあげ、やがて、大声をあげて泣き始めた。
まるで悪鬼に追いかけられているのかと思うくらいの、大泣きである。
メリアが「大丈夫よ」とハウルを宥めるが、なかなか泣き止まず、あまりの恐怖を乗せた泣き声に驚いた使用人たちまで駆けつけてきた。
子ども部屋に入るなり、駆けつけたエドワードとモナ、ハマルが事情を察し、「やりやがったなコイツ」という目でゲオルグを見てくるのだから、居た堪れない。
「わ、私は何もしていない」
「……何も言っておりません」
エドワードが露骨に呆れた顔をして言った。
執事である彼は使用人二人へ視線で合図をすると、ゲオルグのほうへやってきた。他の二人はメリアとともにハウルを宥めに入っている。
「旦那様。幼子は、とても敏感なのです」
「……わかっているつもりだが」
「いくら優しく接したところで、旦那様の深層心理に蔓延るやましい気持ちは決して消えませんからなぁ」
「やましいとはなんだ。私は何一つやましいことなど考えていない!」
「では、あの姿をご覧になって、何を思われます?」
エドワードが促す先にいるのは、メリアとハウルだ。
メリアの大きな胸に顔を埋めた息子は、がっしりとメリアにしがみついている。
「……羨ましい」
ぽつり、と本音がこぼれた。
遠征に出ていたこともあり、ハウルが腹に宿ってからメリアとは夜の営みを行えていないのだ。安定期に入ってからは、それはもう、卑猥で可愛らしいメリアを堪能したが、本番は一度もしていない。
本当はすぐにでも触れたいが、子育てや屋敷を取り仕切っているメリアの心身の疲労を考えると、なかなか誘うことができずにいた。
そもそも、遠征から帰ってすぐ抱いたら、それしか考えていないのか、と思われかねない。ゲオルグはメリアの心も身体も過去も未来も何もかもが欲しいのであって、身体だけだと思われたくなかった。
「やましい気持ちしかないですな」
「違う。ハウルに接するときは純粋に……待て。そもそも、それだとこの世の夫はすべて我が子に触れられんだろう」
「旦那様。旦那様の嫉妬は、殺気に近しいものがございます」
「……わかった」
長く仕えてくれているエドワードがそう言うのならば、そうなのだろう。
ゲオルグは、泣き止んだハウルを確認してから、メリアに頼んだ。
少しの間、子ども部屋から出ていてくれないか、と。
ゲオルグの意図を汲んだメリアは、「じゃあ、寝室に行っております」と言って、我が子をハマルに預けて部屋を出て行った。モナはメリアについて出て行ったので、子ども部屋に残ったのは、ゲオルグ、ハマル、エドワードの三人とハウルだ。
(……これで、やましさはない。確実に)
ふ、と胸中で笑う。
そして、ハウルの傍にしゃがみ込み、息子の名前を呼んだ。
結果。
ハウルは、ハマルにしがみついたまま、再びギャン泣きしたのだった。
(これが、仕事一筋、出世を望んで生きてきたがゆえの、代償なのか――)
★
寝室のカウチに座り、ゆったりとモナが淹れた紅茶を嗜んでいた。
「おいしいわ、モナ」
「ありがとうございます、奥様」
そんな日常のやり取りをしていたとき。
勢いよくゲオルグが部屋に飛び込んできて、天蓋つきのベッドのカーテンをばさりと開き、ベッドに飛び込んだ。
モナはそっとメリアに頭をさげ、カートを押して退室する。
本当に、よく出来た使用人である。
メリアはベッドにうつ伏せで寝転ぶゲオルグの隣に座った。
柔らかな夫の髪に手を差し込んで、そっと撫でる。
「今は、人見知りが多い時期なのです」
「うむ」
「先日、離乳食を三食にしたところなんです。ハウルは、順調に成長していますよ」
「うむ」
なでなで。
メリアは胸中で嘆息する。
こうしてゲオルグが休暇を取れるのは、稀なのだ。
しかも長い間遠征に出ており、その間、メリアは気が気ではなかった。いくら隣国が内乱諸々で戦を仕掛けてくる余裕がないとはいえ、国境警備の前線にいたのだ。
何度か、剣をとって戦場を駆けたという話も聞いた。
最悪の事態を想像しては否定し、ハウルの育児に集中することで、不安を強引に押しやっていたのだ。
(……そもそも、どうして私を抱いてくださらないのかしら)
先ほどから、話しかけても「うむ」しか言わないゲオルグに、段々不安と苛立ちが募ってきた。
息子が可愛いのはわかるが、ハウルを構う前にメリアのことも構ってほしい。
なのに、ゲオルグは久しぶりの休日を、ハウルに泣かれたからと塞ぎこんでいる。
メリアならば泣いたりせず、全力で喜ぶのに。
「旦那様、私、貴族夫人らしい生活を送れるようになってまいりました」
「うむ」
「まだまだ言動は荒い部分がございますが、しっかり学んでおります」
「うむ」
(……褒めてくれない)
ハウルではないが、メリアも泣きそうだ。
ゲオルグが疲れているのも理解しているし、皆を養うために危険な仕事をしているのもわかっている。だから、ぐっと堪える。
堪えるけれど――。
「……お疲れでしたら、少しおやすみになられますか? 私は、向こうへ行っておりますので」
「うむ」
「~~旦那様! 私のことも構ってくださらないと、嫌です!」
堪えきれなかった。
ゲオルグは勢いよく顔をあげ、メリアを見た。
まるで、頭上に隕石でも降ってきたような、驚きぶりである。
その姿を見て、メリアは冷水を浴びせられたかのように我に返った。
「あ……ご、ごめんなさい」
言い過ぎてしまった。
ゲオルグはベッドの上に座ると、姿勢を整えてメリアを膝のうえに乗せ、自らの胸にメリアの頭を押し付けた。
「……いいのか?」
「え? あの」
もぞりと顔をあげると、不安そうな目が見つめてくる。
どうやらゲオルグは、また何か考えていたらしい。
従来の癖らしく、ゲオルグは頭のなかで色々と考えすぎてしまうのだ。今度もきっと、何か不安要素があって、メリアを構ってはいけないと思っていたのだろう。
「構って貰えたら、その、とても嬉しいです」
先ほど叫んでしまった恥ずかしさもあって、小声で呟く。
頬が熱い。これではまるで、ハウルに嫉妬しているみたいだ。
そう思った瞬間、ふわっと身体が浮いて、気づけば天蓋を見つめていた。
ゲオルグが覆いかぶさってきて、熱い唇が合わさる。
歯列をなぞった舌が侵入してくると、お互い、飢えたように舌を絡め合った。もっと深くまで欲しくて、ゲオルグの背中に手を回す。
名残惜しそうに顔を離したゲオルグは、乱れた呼吸を整えながら、袖で乱暴に口元を拭った。
野性味あふれる仕草に、ぞくりと身体が痺れてしまう。
「次の休みには、どこかへ出かけよう。以前に約束した、大人の玩具の店はどうだ?」
「い、行きたいです」
「決まりだ。…ところで、メリア。ハウルも大きくなってきたが、そろそろ、こっちも良いのではないだろうか」
ドレスの裾をたくし上げ、ゲオルグの武骨な硬い指がドロワーズの上から秘裂をなぞる。
くっ、とゲオルグが笑った。
その彼らしい、悪い男の笑みに、また、下腹部がきゅんと疼く。
「……湿っていた、が、さらに濡れてきたな」
「嬉しくて……ずっと、旦那様に触れてほしかったんです」
「可愛いメリア。ここも、可愛がっていいか?」
メリアのドレスについた、胸元のリボンを外し、リボンの下に隠れていた紐を両手で引っ張る。斜め右上と左に同時に引けばドレスの留め具が外れ、前開きのドレスが勢いよくはだける仕組みになっていた。
「綺麗だ。メリア、私のメリア」
ぷるん、と露わになった胸を両手で揉みしだき、その形を確かめるよう、両手で弄ぶ。
久しぶりの刺激に、メリアはすぐに太ももをすり合わせてしまう。
もっと強く触れてほしいのに、ゲオルグはやわやわと胸を掴んでカタチを変えるだけなのだ。
「……む」
ゲオルグが眉をひそめたことで、メリアはそのことを伝え忘れていたことを思い出した。
「あのっ、お、おっぱいは、その。まだ母乳が出るので、あまり触らな――」
「心配するな。ハウルの食事だ。すべて飲み干すような真似はせんさ」
(……少しは飲むってこと?)
まさかね、と思ったが、顔を近づけて突起を口に含もうとしたゲオルグに気づいて、メリアは慌てた。
「恥ずかしいですっ!」
「ハウルばかり狡いではないか!」
想定外に本気で言い返されて、唖然とする。
「さっきもそうだ。ずっとハウルばかり見つめているし、この胸も私のものなのに、ハウルが顔を埋めて……」
段々声が小さくなり、やがて、ゲオルグはメリアの胸の谷間に顔を埋めた。
その耳は真っ赤である。
「ハウルばかりずるい」
(なに、この可愛い人)
胸の奥がきゅんとした。
格好いいゲオルグも好きだが、こうして甘えてくれるゲオルグも好きだ。
メリアはゲオルグの身体を強く抱きしめると、頭に頬ずりをした。
「たくさん、可愛がってくださいね」
こうして。
久しぶりの休日。
メリアは沢山、可愛がられたのだった。
★
夕方頃。
ゲオルグはハイテンションで、メリアと共に子ども部屋に向かった。
先ほどは泣かれてしまったうえに、エドワードの適当な助言を真に受けて失策を重ねた。
だが、今ならばハウルに泣かれず、抱っこくらい出来そうな気がする。
自信満々で、夫婦ともども子ども部屋に到着した。
そこには、ハマルとバルバロッサがいた。
ハマルはバルバロッサが何かしでかさないかお目付け役として壁際に控えており、バルバロッサは床に座っている。
そんなバルバロッサの膝で、ハウルがごろごろ転がって遊んでいた。
「おや、用事は終えましたか? メリアに会いにきたのですが、その不躾な男に止められまして」
バルバロッサはにっこりとそう言うと、一瞬、ハマルを睨んだ。
ハマルは聞こえないふりである。
「こら、ハウル。父上のズボンをよだれまみれにしてはいけませんよ」
「だー」
「くすぐったいです。めっ、ですよ」
「めー」
「まったく。父上は、メリアに会いにきたのですよ」
「う?」
「父上、と言えたなら、遊んであげなくもないですが」
「うー」
「ち、ち、う、え、です」
「うー、うー、あー、ばぁ?」
「……なんと。天才ではありませんか! この子、今、父上と言いましたよ!」
バルバロッサはハウルに強請られるまま、抱き上げた。
泣きわめくこともなく、それどころか。きゃっきゃっと嬉しそうに笑顔を浮かべるハウル。
「あらあら、伯父様ったら。本当にハウルに甘いんですから」
「ハウルは、メリアの子ですからね。やはり可愛いのですよ」
「ありがとうございます」
ゲオルグは、壁際にいたハマルへ素早く詰め寄った。
「なぜ、父上と呼ばせている。なぜ、止めない。なぜ、追い出さない」
「落ち着いてください」
遠征に出ていたのは、ゲオルグだけである。
騎士軍師として、策を第二王子に学ばせることが目的だったからだ。その間、バルバロッサは王都で王族は勿論、王都の治安を守っていた。
ゲオルグとしても、メリアを心から大切にしているバルバロッサが王都にいれば安心だったので、メリアの安全を考えて、単身、別部隊に加わるかたちで遠征に出ていたのだが。
ハマルは、首を横に振ってため息をついた。
「旦那様、これでも妥協して頂いてるんです。父上と呼ばせている限り、まだ大人しいので」
「どういうことだ」
「勿論、最初は俺も他の皆も止めましたよ。そしたら、『事実にすればいいのですね』と養子縁組をしようとされまして。我々の知らぬうちに話を進め、最終決定を行う陛下の元へ書類としてあがった際に、訝しんだ陛下が奥様へ確認くださって、やっと発覚したことがございました」
「……なん、だと」
「ほかにも、『次は私の子を産んでください』と奥様に詰め寄って伯父としての垣根をあっさり飛び越えようとなさったり、『メリアの美しい字を見たいのです、名前を書いて頂けませんか』と、離婚届と結婚届に名前を書かせようとしたり。勿論どちらも、男性の名前は記載済みでした。誰とは言いませんが、バルバロッサ様は旦那様の筆跡を真似るのが大変お上手で」
ハマルの目が遠いところを見ていた。
ゲオルグは頭痛を覚えて、頭を抑える。
(やはり、不在になどするのではなかった)
だが、国王命令に従わないわけにはいかない。
ならば、もっと早くにバルバロッサをなんとか――。
物騒な方向へ考えが向かい始めたとき、メリアがそっと身体を寄せてきた。
「旦那様、申し訳ございません。……伯父様は、私が寂しくないように足繁く屋敷に通ってくださっていて、その間にハウルと仲良くなったのです」
問題はそこではないのだが。
メリアはどうやら、ゲオルグが、ハウルがバルバロッサに懐いていることを不満に感じている、と思ったようだ。
「旦那様は、ハウルの父親です。急ぐことはありませんし、まだまだ時間はあります」
「……そうだな」
バルバロッサに関して早急に何か手を打つとして、ハウルのことは、そう急ぐこともないだろう。
思えば、ゲオルグも物心つく頃には実父が怖かった覚えがある。
父に敵意がないと知ったのは、八歳くらいだったか。なぜ苦手だったのか、今でもはっきりした理由はわからない。
(……ハウルも、そんなものかもしれん)
これからは、毎日、名前を呼ぼう。
少し慣れてくれたら、撫でたり抱き上げたりしてもいいだろうか。
そういえば、とゲオルグは思い出す。
ミーティアは、多忙な夫と夫婦になったため、メリアを一人で育てていた。乳母もおらず、夜泣きも一人で対応し、離乳食も作り、知育も施して。
母は偉大なり、とはよく言ったものだ。
(ミーティアを見下した己に恥じ入るばかりだな)
出世や騎士としての在り方という物差しでしか、人を図っていなかった当時の幼さに、自嘲した。
ふむ、とゲオルグはバルバロッサを見た。
ハウルはとても懐いているようだ。
バルバロッサもハウルを可愛がっているようだし、いくら『父上』と呼ばせたところで、ゲオルグがいるのだから父親は変わらない。少し大きくなってきた頃に、ハウルもバルバロッサのおかしさに気づくだろう。
(まぁ、バルバロッサがいても然程問題はないか)
ふむ、と頷いてから、メリアに言う。
「メリア、今度、久しぶりに墓参りにいかないか」
メリアが、瞳を輝かせてゲオルグを仰ぎ見た。
押し倒したい衝動を堪えて、メリアの腰に手を回す。
「お父さんとお母さんの、ですか?」
「ああ。どうだろう」
返事はわかりきっていたが、あえてきく。
メリアは、満面の笑顔で「ぜひ、行きたいです!」と答えた。
ゲオルグは笑みを深めて想像する。
二人で、メリアの両親の墓参りに行くのだ。そして、約束通り大人の玩具を買いに行き、そのあと二人で食事をする。さらに、こっそり仕立て屋に頼んであったメリアの新しいドレスを取りに行くのだ。その日の夜は、そのドレスを着てもらい――。
ふ、とゲオルグは口の端をつり上げる。
(私はなんと、幸せ者なのだろう)
了
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読んで下さってありがとうございますっ😆✨✨
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年の差好き仲間ですなヽ(・∀・)人(・∀・)ノ
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女性年上もかなり良き🥰
そのうち、女性年上ものも投稿する予定なので、そのときはぜひ✨
こちらこそ、ありがとうございますっ!
読んでいただけて、嬉しい感想も頂けて、励みになりました~!!
番外編ありがとうございます!じっくりもう一度読みます。
こちらこそ、読んでくださって、そして感想下さって、ありがとうございます😆
番外編(その後)二つ目です🍀
ちなみに番外編②に出てくる、『~事件』は本編終了後から番外編①までのあいだに起きた出来事なので、想像でお楽しみ下さい😊