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第3話(最終話):星の庭で
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直人さんが雨の中に消えてから、一週間が経った。
図書館には、彼が返し忘れた『赦しについての短い話』と、あの小さな鉛筆のキャップが、私の手元に取り残されている。
私は、棚の整理をしながらずっと考えていた。
彼が自分を赦せないのは、私のせいなのだろうか。 それとも、彼が「私を救ったこと」を後悔できないほど、優しい人だからなのだろうか。
「思い出しても、もう痛くない日が来る。……それが、赦すっていうことだと思うんです」
かつて彼に言った自分の言葉が、ブーメランのように胸に刺さる。
私は、彼の「奪われた未来」をただ悲しむのではなく、彼が「守り抜いた現在」を肯定しなければならない。 それが、生き残った私の使命なのだと、ようやく気づいた。
私は筆を執った。 貸出カードの裏に、溢れる想いを綴る。
――「直人さん。あなたのその手が、私の“生きる理由”でした。だから、もう自分を責めないでください」
その日の閉館後、私は彼がいつも座っていた窓際の席に、そのメッセージを挟んだ本と、鉛筆のキャップを置いた。
彼がもう一度、ここに来てくれることを信じて。
季節は巡り、雨の季節が終わろうとしていた。 夕暮れの図書館に、長い光の筋が差し込む。
重い扉が開き、ゆっくりとした足音が近づいてきた。 私は顔を上げ、息を呑む。
そこに立っていたのは、以前より少しだけ背筋を伸ばした直人さんだった。
「……読んだよ。君からの伝言」
彼はカウンターに、あの一冊を置いた。
その指先は、まだ微かに震えている。 けれど、彼の瞳からはあの日見た暗い影が消え、澄んだ光が宿っていた。
「僕、また絵を描き始めたんだ」
彼は、小脇に抱えていた大きな包みをカウンターに乗せた。 包装紙を解くと、そこには一枚のキャンバスが現れた。
描かれていたのは、午後の光が降り注ぐこの図書館。 窓際で本を開く女性の背中と、その周囲に舞う光の粒。
筆致は少し荒く、繊細な線は描けていないかもしれない。 けれど、そこには震える手で何度も何度も色を重ねたであろう、凄まじいまでの「意志」と「温もり」が宿っていた。
「まだ、細い線は描けない。でも、震える手だからこそ描ける『光』があることに気づいたんだ。……君が僕を待っていてくれた、この場所の光を」
視界が熱くなる。 彼が描いたのは、過去の事故ではない。 今、ここで私たちが生きているという「希望」だった。
「タイトルは、『光の図書館』にするよ。……これからは、この街で、君のいるこの場所で、描き続けたいんだ。いいかな?」
私は涙を拭い、精一杯の笑顔で頷いた。
「はい。……おかえりなさい、直人さん」
窓の外では、いつの間にか雨が上がり、夕焼け空に虹が架かっていた。 ガラス越しに見える紫陽花が、雫を落としてキラキラと輝く。
図書館は、記憶の棲む場所。 けれどこれからは、新しい物語を書き記していく場所になる。
直人さんは震える右手で、そっと私の手に触れた。 その温もりは、もう冷たい雨の記憶ではなく、明日へと続く優しい光そのものだった。
私たちは、最後の一冊を閉じるように、静かに微笑み合った。 物語はここで終わるのではない。
ここから、私たちの新しいページがめくられていくのだ。
(完)
図書館には、彼が返し忘れた『赦しについての短い話』と、あの小さな鉛筆のキャップが、私の手元に取り残されている。
私は、棚の整理をしながらずっと考えていた。
彼が自分を赦せないのは、私のせいなのだろうか。 それとも、彼が「私を救ったこと」を後悔できないほど、優しい人だからなのだろうか。
「思い出しても、もう痛くない日が来る。……それが、赦すっていうことだと思うんです」
かつて彼に言った自分の言葉が、ブーメランのように胸に刺さる。
私は、彼の「奪われた未来」をただ悲しむのではなく、彼が「守り抜いた現在」を肯定しなければならない。 それが、生き残った私の使命なのだと、ようやく気づいた。
私は筆を執った。 貸出カードの裏に、溢れる想いを綴る。
――「直人さん。あなたのその手が、私の“生きる理由”でした。だから、もう自分を責めないでください」
その日の閉館後、私は彼がいつも座っていた窓際の席に、そのメッセージを挟んだ本と、鉛筆のキャップを置いた。
彼がもう一度、ここに来てくれることを信じて。
季節は巡り、雨の季節が終わろうとしていた。 夕暮れの図書館に、長い光の筋が差し込む。
重い扉が開き、ゆっくりとした足音が近づいてきた。 私は顔を上げ、息を呑む。
そこに立っていたのは、以前より少しだけ背筋を伸ばした直人さんだった。
「……読んだよ。君からの伝言」
彼はカウンターに、あの一冊を置いた。
その指先は、まだ微かに震えている。 けれど、彼の瞳からはあの日見た暗い影が消え、澄んだ光が宿っていた。
「僕、また絵を描き始めたんだ」
彼は、小脇に抱えていた大きな包みをカウンターに乗せた。 包装紙を解くと、そこには一枚のキャンバスが現れた。
描かれていたのは、午後の光が降り注ぐこの図書館。 窓際で本を開く女性の背中と、その周囲に舞う光の粒。
筆致は少し荒く、繊細な線は描けていないかもしれない。 けれど、そこには震える手で何度も何度も色を重ねたであろう、凄まじいまでの「意志」と「温もり」が宿っていた。
「まだ、細い線は描けない。でも、震える手だからこそ描ける『光』があることに気づいたんだ。……君が僕を待っていてくれた、この場所の光を」
視界が熱くなる。 彼が描いたのは、過去の事故ではない。 今、ここで私たちが生きているという「希望」だった。
「タイトルは、『光の図書館』にするよ。……これからは、この街で、君のいるこの場所で、描き続けたいんだ。いいかな?」
私は涙を拭い、精一杯の笑顔で頷いた。
「はい。……おかえりなさい、直人さん」
窓の外では、いつの間にか雨が上がり、夕焼け空に虹が架かっていた。 ガラス越しに見える紫陽花が、雫を落としてキラキラと輝く。
図書館は、記憶の棲む場所。 けれどこれからは、新しい物語を書き記していく場所になる。
直人さんは震える右手で、そっと私の手に触れた。 その温もりは、もう冷たい雨の記憶ではなく、明日へと続く優しい光そのものだった。
私たちは、最後の一冊を閉じるように、静かに微笑み合った。 物語はここで終わるのではない。
ここから、私たちの新しいページがめくられていくのだ。
(完)
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