【8+2話完結】氷の貴公子の前世は平社員〜不器用な恋の行方〜

キノア9g

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エピローグ

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 ゼノンがグレンジャー公爵邸に足繁く通うようになって、半年が過ぎた。

 最初こそ、ユリウスは素直な気持ちよりもためらいが勝ち、以前のような「氷の貴公子」然とした態度で彼を拒絶しようとした。

「シュヴァルツ卿。あなたは近衛騎士として職務があるはずです。私のような者に構っている暇などないでしょう」

 執務室で書類に向かっていたユリウスが、わざと冷たく言い放つ。

 しかし、ゼノンは全く怯まなかった。彼はユリウスの机に、湯気の立つ紅茶をそっと置いた。

「俺の職務は、しっかりと全うしている。そして、ユリウスに会うことは、俺にとって何よりの活力なんだ」

 その真っ直ぐな言葉に、ユリウスは何も言い返せなくなった。内心では、彼の存在がどれほど自分の心を温めているか、痛いほど分かっていたからだ。

 ゼノンは、決して焦らなかった。ただ、毎日、ユリウスのそばにいることを続けた。ユリウスが疲れた顔を見せれば、黙って肩を揉み、彼が好む珍しい書物を見つければ、すぐに手に入れて贈り届けた。雨の日には庭園を散策するユリウスのために、大きな傘を差し出し、隣を歩いた。その献身ぶりは、公爵家の使用人たちの間でも、もはや「日常の風景」となっていた。

 ある日の午後、ユリウスが庭園で珍しい薬草を観察していると、ゼノンが隣にそっとやってきた。

「ユリウスは、本当に草花が好きなんだな」

「ええ。特に、人の役に立つものは興味深いです」

 ユリウスは、そう言って、摘んだばかりの薬草の葉を指でそっと撫でた。

「なら、俺は、ユリウスの役に立っているだろうか」

 ゼノンが真っ直ぐに問いかけると、ユリウスは一瞬動きを止めた。頬が微かに赤らむ。

「……あなたは、その質問ばかりですね」

「ああ。ユリウスの役に立てるのなら、これほどの喜びはない」

 ユリウスは、ゼノンの顔を見上げ、ため息をついた。

「まあ……無駄なことをしているわけではない、とは思いますが」

 その言葉が、ゼノンにとってどれほどの喜びだったか、ユリウスは知る由もなかった。ゼノンの表情が、一瞬で花が咲いたように輝いた。


 ◇◇◇


 季節は巡り、秋になった。

 ユリウスは、依然としてゼノンからの「プロポーズ」への返事を保留にしていた。内心では、彼との未来を強く望んでいたが、公爵家嫡男としての(今は弟に譲ったとはいえ)立場や、世間の目、そして何よりも「男同士」という現実が、彼の心を縛り付けていた。

「ユリウス。そろそろ、返事をもらえないだろうか」

 いつものように執務室でユリウスの書類整理を手伝っていたゼノンが、不意に口を開いた。その声には、僅かながら焦りの色が混じっていた。

 ユリウスは、持っていた書類を机に置いた。

「……急ぐ必要があるのですか?」

「急ぐ必要、はない。だが、俺としては、一日も早くユリウスと正式な関係になりたいと願っている」

 ゼノンは、ユリウスの目を見て、まっすぐにそう告げた。彼の瞳は、揺るぎない決意に満ちていた。

 ユリウスは、ゼノンの視線から逃れるように、窓の外に目を向けた。紅葉が、鮮やかに燃えている。

「……分かっているのですか。私たちの関係が、世間からどう見られるのか」

「分かっている」

 ゼノンの声には、迷いがなかった。

「俺は、グレンジャー公爵家の嫡男、ユリウス・グレンジャーを、近衛騎士ゼノン・シュヴァルツとして、正々堂々と慕い、支える所存だ」

 ゼノンの言葉は、まさに彼らしい、愚直で、真っ直ぐなものだった。

 ユリウスの胸が、熱くなった。彼の言葉が、ユリウスの心の奥底に染み込んでいく。

(彼は……本当に、私のことを)

 長年のプライドが、少しずつ、音を立てて崩れていくのを感じた。

 ユリウスは、ゆっくりとゼノンに視線を戻した。彼の瞳には、これまでの苦悩と、そして微かな希望が揺れていた。

「……もし、私が、貴様のもとへ行けば……公爵家としての私の立場は……」

「俺が、全て守る。君には、何の不自由もさせない。公爵家への義理も、俺が全て立ててみせる」

 ゼノンは、言葉だけではなく、その覚悟と行動で、ユリウスを守り抜くことを誓った。

 ユリウスは、ゼノンの真っ直ぐな眼差しを、しばらく見つめていた。そして、諦めたように、深く息を吐いた。

「……一つ、条件があります」

 その言葉に、ゼノンの表情が、大きく変わった。期待と、喜びと、そして緊張が入り混じったような、複雑な表情だった。

「な、何でも聞こう!」

 ユリウスは、顔を少し赤らめながら、小声で呟いた。

「……あなたが、私に飽きないこと」

 その言葉は、ユリウスなりの、最大限の「はい」だった。

 ゼノンの顔に、満面の笑みが広がった。彼の瞳は、歓喜に輝き、普段の無表情からは想像もできないほど、豊かな感情が溢れ出していた。

「飽きるなど、ありえない! このゼノン・シュヴァルツ、ユリウスを一生、慕い続けることを、誓う!」

 ゼノンは、そう言うと、我慢できずにユリウスの手を、そっと、しかししっかりと握りしめた。ユリウスは、その手を振り払うことなく、ただ、顔を赤くして俯いただけだった。

 後日、ゼノンはグレンジャー公爵邸を訪れ、公爵とセドリックに正式な「申し入れ」を行った。ユリウスとゼノンが共に生きる道を、公爵家とシュヴァルツ家の名誉を損なうことなく実現するための、具体的な計画を提示したのだ。

 公爵は、ゼノンの真剣さと、ユリウスへの深い愛情に打たれ、そして何よりも、ユリウスが再び心を閉ざすことを恐れたため、最終的に二人の関係を認める決断をした。セドリックもまた、兄の幸せを願い、その決定を支持した。

 もちろん、世間からの奇異な目や噂が完全に消えることはないだろう。しかし、グレンジャー公爵家と近衛騎士ゼノン・シュヴァルツという、二つの権威が公に認めた関係である以上、公然と批判する者はいないはずだ。

 ある夜、ゼノンの邸宅で。

 ゼノンが淹れた温かい紅茶を飲みながら、ユリウスは暖炉の火を見つめていた。彼の隣には、穏やかな顔でユリウスを見つめるゼノンがいる。

「……まさか、本当にあなたの家に来ることになるとは」

 ユリウスが呟くと、ゼノンは嬉しそうに微笑んだ。

「ああ。俺にとっては、夢のようだ」

「夢などではありません。現実です」

 ユリウスは、そう言いながら、ゼノンの方に少しだけ体を傾けた。

 ゼノンは、ユリウスのその小さな変化に気づき、そっと手を伸ばし、彼の髪を優しく撫でた。ユリウスは、一瞬身を強張らせたが、抵抗することなく、その温かい手の感触を受け入れた。

 彼らの関係は、まだ始まったばかり。

 不器用で、素直になれないユリウスと、一途で、どこまでも愚直なゼノン。

 きっと、これからも多くのすれ違いや、じれったい駆け引きが続くことだろう。

 しかし、互いを深く想い合う二人の未来は、暖炉の炎のように、静かに、しかし確かに、温かい光を放ち始めていた。
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