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第3話「僕には、何の価値もないと思っていた」
しおりを挟む翌朝、アルベルトに起こされると、僕はまた重い服に着替えさせられた。今度は王宮の地下へと案内される。
「どこに連れて行くんですか?」
「神殿でございます。ゼイド様のご命令です」
アルベルトは事務的に答えた。
また勝手に決められている。僕の意見を聞く気は、どうやらまったくないらしい。
地下神殿は薄暗く、松明の炎がゆらめいて石造りの祭壇をぼんやりと照らしていた。荘厳――その言葉がぴったりの空間に、白い衣装をまとった巫女が静かに立っている。
「救世主様をお連れしました」
アルベルトの声に、巫女がゆっくりと振り返った。僕より少しばかり年上に見える彼女からは、神秘的な雰囲気が漂っている。
「私はマリア、この神殿の巫女です」
丁寧にお辞儀をされ、僕も慌てて頭を下げた。
「えっと……御影です。これから僕、何をされるんですか?」
「神託に基づいて、あなた様の魂を検査させていただきます」
魂を検査? いったい何だそれ。身体に悪い影響はないのかと、不安が手のひらにうっすらと汗となってにじんだ。
「そういうの、事前説明なしでやるんですか?」
僕が抗議しようとした、その時だった。重い扉の開く音が、神殿に響き渡る。ゼイドが入ってきたのだ。昨日の中庭での会話を思い出し、胸がざわついた。
「彼のことは気にせずに進めてくれ。いずれ彼にもわかる」
「ちょっと待ってください。僕、まだ何も聞けてないです!」
「聞いたところで君に拒否権はない」
あっさりとそう言い切られ、僕は言葉を失った。昨日、少しだけ見せた迷いのような表情は、やはり僕の見間違いだったのかもしれない。
マリアが僕の手を取り、祭壇の中央にある大きな石の前に連れて行く。
「こちらに触れてください」
「触ったらどうなるんですか?」
「あなた様の真の力が明らかになります」
真の力って何だよ。僕にそんなものがあるわけがない。兄さんじゃあるまいし。
けれど、ここで抵抗したところで、もうこの流れは止められそうにない。僕は深いため息をつき、恐る恐る石に手を置いた。冷たい感触が手のひらに伝わってきた、その瞬間――
視界が真っ白になった。
まばゆい光が祭壇から溢れ出し、神殿全体を包み込む。僕には何が起きているのか、まったくわからなかった。ただ、手のひらの奥に何かがあるような、不思議な感覚が残る。それは熱でも冷たさでもなく、ただ「知らないものがある」という確かな違和感だった。
「これは……」
マリアの驚いた声が聞こえる。ゼイドも何か小さく言ったようだが、光に包まれた僕には、その声は遠い世界のもののように感じられた。
どのくらい時間が経ったのだろう。光がゆっくりと収まっていくと、僕はその場にへたり込んだ。体から何かがごっそりと抜けていくような感覚。まるで長距離走を走り終えた後のように、全身が疲労感に包まれている。
「……それで、どうだったんですか?」
マリアを見ると、その表情には畏怖と驚愕が混じり合っている。
「あなた様は……穢れ祓いの使い手です」
「穢れ祓いの使い手?」
「はい。この世界でとても貴重とされる力です。しかも、その力は過去の救世主を遥かに超えています。あなた様の力は……この世界の希望そのものです」
世界の希望そのものって大げさすぎない? だけど、冗談にしてはちっとも笑えない。
「……本当なのか?」
ゼイドがマリアに確認する。彼の表情には驚きと、何か複雑な感情が混じっているように僕には見えた。
「間違いありません。これほどの浄化力を持つ方は、伝説でも語られておりません」
「ちょっと待ってください!」
僕は思わず立ち上がった。
「僕、そんな力欲しくないんですけど!」
「欲しくないって……」
マリアが驚愕している。ゼイドは黙って僕を見つめていた。その青い瞳の奥に、昨日見たような、あの迷いが揺らいでいる気がした。
「だって、期待されるじゃないですか。そんなの重すぎますよ」
期待されて、頑張って、それでもだめだった時の絶望を、僕はよく知っている。兄さんと比較されて、がっかりされるあの瞬間を。
「でも、あなた様がいないと……」
「世界が滅ぶんでしょ? それ、もう何回も聞きました!」
僕はこれ以上話を聞きたくなくて、神殿を出ようと歩き始めた。
「君は本当に、何も背負いたくないのか」
背後からゼイドが声をかけてくる。
「背負いたくありませんね。僕は兄さんのような英雄ではなく、何の価値もない一般人なんですから」
そう言い残して、ゼイドの返答も聞かず、僕は地下神殿から逃げ出した。
翌日。王宮を歩いていると、廊下ですれ違う人たちの視線が、明らかに変わっていた。おそらくマリアが上層部に報告し、それが従者たちにまで伝わったのだろう。
「あの方が救世主様……」
「希望の光をお持ちだとか」
ひそひそ話が聞こえてくる。もうこんなに広まっているのか。最悪だ。息苦しさが胸を締め付ける。
中庭を通りかかると、何人かの貴族らしき人たちに囲まれた。
「救世主様!」
「私たちをお救いください!」
手を振られ、深々とお辞儀をされる。だが、彼らは僕のことを何も知らない。ただ「救世主」という肩書きに頭を下げているだけだ。
「なんなの、この熱狂……。僕が何かしたってわけじゃないのに」
人混みを掻き分けて、やっと部屋に逃げ込んだ。しかし、扉の向こうからも「救世主様」という声が聞こえてくる。まるで檻に閉じ込められたような気分だった。
窓から外を見ると、城下町の方からも人の声が聞こえてきた。きっとお触れが出されて、お祭り騒ぎのようになっているのだろう。僕の知らないところで、僕という存在が一人歩きしている。
「勘弁してよ……」
ベッドに倒れ込んでいると、扉がノックされた。また誰かが「救世主様」と呼びにきたのかと思うと、気が重い。
「どうぞ」
入ってきたのは、予想外にもゼイドだった。いつもの冷たい表情だが、どこか疲れているようにも見える。神殿での出来事が彼にも影響を与えているのかもしれない。
「君と話がしたい」
「何の話ですか」
「君はこの世界にとって希望だ」
「……勝手に希望にしないでください。僕は誰にも期待なんかされたくない」
僕は窓の方を向いた。彼の顔を見るのが辛い。あのまっすぐな青い瞳に見つめられると、心の奥がざわつく。
「なぜそこまで拒む」
「期待されたって、どうせ僕は期待に応えられないからですよ」
「……君は本当に救世主になりたくないのか?」
「僕はこれまで何者にもなれなかった。だから、何かになりたいとも思わなくなったんです」
部屋が静寂に包まれた。ゼイドは僕の後ろに立ったまま、何かを考えているようだった。
「僕の兄さんは完璧だった。でも僕は違う。だから、もう頑張るのをやめたんです」
「君は……なぜそこまで自分を否定する」
ゼイドの声に、わずかな変化があった。先ほどとは違う、戸惑いにも似た色合いが混じっている。
「否定じゃありません。ただの事実です」
僕がそう答えると、ゼイドは長いため息をついた。
「君がそう言い切ってしまうなら、私には……」
彼は何かを言いかけて、やめた。そして扉に向かって歩き始める。
「何も言うことはない」
そう言って、彼は部屋を出て行った。扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。だが、僕にはその言葉が本心ではないような気がした。まるで、本当は違うことを言いたかったけれど、言えなかったような。
夕方、王宮の書庫に向かった。ここなら誰も僕を「救世主様」なんて呼ばないだろうし、静かに過ごせるはずだ。古い本の匂いと静寂が、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
書庫の奥で、兄さんについての記録を見つけた。
「救世主、御影颯太……」
記録を読んでいくと、兄さんの活躍がこれでもかというくらい詳細に書かれていた。戦場では無敵の強さを誇り、民衆からは愛され、王族からは信頼された完璧な救世主。帰還する時は国を挙げてのお祝いがあったらしい。
「やっぱり兄さんは凄いんだよな……」
本を読み進めると、兄さんの人柄についても書かれていた。困っている人を見過ごせない性格、誰とでも分け隔てなく接する姿勢、決して諦めない強い心。僕が知っている兄さんと同じだった。
「結局、どこの世界でも同じなんだ」
本を閉じようとした時、背後に人の気配を感じた。
「君は自分の兄上のことばかり考えているんだな」
振り返ると、ゼイドが立っていた。いつからそこにいたのだろう。
「あなたも、兄さんのことばっかり見ているでしょ」
「……私は君を見ている」
「え?」
思わず彼の顔を見上げた。その青い瞳に、いつもとは違う温かさが宿っているような気がした。
「兄上のようにではなく、君という個人として」
ゼイドの声が、いつもより柔らかく聞こえた。心臓が妙にドクドクと音を立てる。
「でも、僕には何もないですよ。取り柄もないし、才能もないし。あの穢れ祓いの力だって、本当かどうか……」
「それは君が、そう思い込んでいるだけだ」
「そんなことない!」
「いや、君は自分の価値を認めようとしない。だから他人の評価にばかり振り回される」
僕はその言葉に何も返せず、沈黙が続いた。ゼイドが何かを言いたそうにしているのが伝わってくる。
「私は……君の力を見た時、確かに驚いた。だが、それ以前に……」
ゼイドが言葉を選んでいるようだった。
「君といると、妙に気になってしまう。君は、私の理想とは真逆だ。だがその在り方に、なぜか目を逸らせなくなる」
「は?」
ゼイドが立ち上がった。その表情には、困惑しているような色が浮かんでいる。
「すまない。余計なことだったな」
そう言って書庫を出て行こうとする。
「待って」
僕も慌てて立ち上がった。
「あなたは……本当に僕を見てくれてるんですか? 兄さんの代わりじゃなくて?」
ゼイドが振り返る。その青い瞳を見て、僕は胸がドキドキした。
「君は御影凛人だ。誰の代わりでもない」
そう言って、今度こそ彼は書庫を出て行った。
僕は一人残されて、混乱する。
「僕を見てくれてる……?」
その夜、部屋で一人考え込んでいた。月明かりが窓から差し込み、部屋を青白く照らしている。
また期待に苦しむのは嫌だ。だが、ゼイドの言葉が頭から離れない。
「君は御影凛人だ。誰の代わりでもない」
そう言った時の彼の表情。真剣で、まっすぐで、とても嘘をついているようには見えなかった。
僕はベッドで丸くなった。
「期待されたって、僕は頑張れない」
手のひらを見つめる。この手が世界を救う力を持っているなんて、やっぱり信じられない。でも、神殿で感じたあの感覚は、確かに僕の中にあった。
ゼイドの「君を見ている」という言葉が頭に浮かんだ。あの人は、本当に僕を見てくれているのかもしれない。兄さんの代わりとしてじゃなくて、御影凛人として。
そんなふうに言われたのは、初めてだった。ほんの少しだけ、心の奥が温かくなった気がする。
「でも……」
期待に応えられなかった時の絶望を思い出すと、やっぱり怖くなる。
だけど、もし。もし彼が……僕をちゃんと見てくれるなら。
僕だけを信じてくれる人が存在するのなら。
そのときは、ほんのちょっとだけ頑張ってもいいのかもしれない。
「……僕はどうしたいんだろう」
答えの出ない疑問を抱えたまま、僕は目を閉じた。でも胸の奥で、小さな変化がわずかに揺れ動いているのを感じる。
ゼイドの青い瞳が、僕の心に暖かいものを残していく。でも、それはまだとても頼りなくて、すぐに消えてしまいそうだった。
明日のことを考えないようにした。だが、昨日とは違う何かが、静かに息づいているのも確かだった。それが希望なのか、それとも新しい不安なのか、まだわからないけれど。
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