【完結済】夏だ!海だ!けど、僕の夏休みは異世界に奪われました。

キノア9g

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第3話「僕には、何の価値もないと思っていた」

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 翌朝、アルベルトに起こされると、僕はまた重い服に着替えさせられた。今度は王宮の地下へと案内される。

「どこに連れて行くんですか?」

「神殿でございます。ゼイド様のご命令です」

 アルベルトは事務的に答えた。

 また勝手に決められている。僕の意見を聞く気は、どうやらまったくないらしい。

 地下神殿は薄暗く、松明の炎がゆらめいて石造りの祭壇をぼんやりと照らしていた。荘厳――その言葉がぴったりの空間に、白い衣装をまとった巫女が静かに立っている。

「救世主様をお連れしました」

 アルベルトの声に、巫女がゆっくりと振り返った。僕より少しばかり年上に見える彼女からは、神秘的な雰囲気が漂っている。

「私はマリア、この神殿の巫女です」

 丁寧にお辞儀をされ、僕も慌てて頭を下げた。

「えっと……御影です。これから僕、何をされるんですか?」

「神託に基づいて、あなた様の魂を検査させていただきます」

 魂を検査? いったい何だそれ。身体に悪い影響はないのかと、不安が手のひらにうっすらと汗となってにじんだ。

「そういうの、事前説明なしでやるんですか?」

 僕が抗議しようとした、その時だった。重い扉の開く音が、神殿に響き渡る。ゼイドが入ってきたのだ。昨日の中庭での会話を思い出し、胸がざわついた。

「彼のことは気にせずに進めてくれ。いずれ彼にもわかる」

「ちょっと待ってください。僕、まだ何も聞けてないです!」

「聞いたところで君に拒否権はない」

 あっさりとそう言い切られ、僕は言葉を失った。昨日、少しだけ見せた迷いのような表情は、やはり僕の見間違いだったのかもしれない。

 マリアが僕の手を取り、祭壇の中央にある大きな石の前に連れて行く。

「こちらに触れてください」

「触ったらどうなるんですか?」

「あなた様の真の力が明らかになります」

 真の力って何だよ。僕にそんなものがあるわけがない。兄さんじゃあるまいし。

 けれど、ここで抵抗したところで、もうこの流れは止められそうにない。僕は深いため息をつき、恐る恐る石に手を置いた。冷たい感触が手のひらに伝わってきた、その瞬間――

 視界が真っ白になった。

 まばゆい光が祭壇から溢れ出し、神殿全体を包み込む。僕には何が起きているのか、まったくわからなかった。ただ、手のひらの奥に何かがあるような、不思議な感覚が残る。それは熱でも冷たさでもなく、ただ「知らないものがある」という確かな違和感だった。

「これは……」

 マリアの驚いた声が聞こえる。ゼイドも何か小さく言ったようだが、光に包まれた僕には、その声は遠い世界のもののように感じられた。

 どのくらい時間が経ったのだろう。光がゆっくりと収まっていくと、僕はその場にへたり込んだ。体から何かがごっそりと抜けていくような感覚。まるで長距離走を走り終えた後のように、全身が疲労感に包まれている。

「……それで、どうだったんですか?」

 マリアを見ると、その表情には畏怖と驚愕が混じり合っている。

「あなた様は……穢れ祓いの使い手です」

「穢れ祓いの使い手?」

「はい。この世界でとても貴重とされる力です。しかも、その力は過去の救世主を遥かに超えています。あなた様の力は……この世界の希望そのものです」

 世界の希望そのものって大げさすぎない? だけど、冗談にしてはちっとも笑えない。

「……本当なのか?」

 ゼイドがマリアに確認する。彼の表情には驚きと、何か複雑な感情が混じっているように僕には見えた。

「間違いありません。これほどの浄化力を持つ方は、伝説でも語られておりません」

「ちょっと待ってください!」

 僕は思わず立ち上がった。

「僕、そんな力欲しくないんですけど!」

「欲しくないって……」

 マリアが驚愕している。ゼイドは黙って僕を見つめていた。その青い瞳の奥に、昨日見たような、あの迷いが揺らいでいる気がした。

「だって、期待されるじゃないですか。そんなの重すぎますよ」

 期待されて、頑張って、それでもだめだった時の絶望を、僕はよく知っている。兄さんと比較されて、がっかりされるあの瞬間を。

「でも、あなた様がいないと……」

「世界が滅ぶんでしょ? それ、もう何回も聞きました!」

 僕はこれ以上話を聞きたくなくて、神殿を出ようと歩き始めた。

「君は本当に、何も背負いたくないのか」

 背後からゼイドが声をかけてくる。

「背負いたくありませんね。僕は兄さんのような英雄ではなく、何の価値もない一般人なんですから」

 そう言い残して、ゼイドの返答も聞かず、僕は地下神殿から逃げ出した。


 翌日。王宮を歩いていると、廊下ですれ違う人たちの視線が、明らかに変わっていた。おそらくマリアが上層部に報告し、それが従者たちにまで伝わったのだろう。

「あの方が救世主様……」

「希望の光をお持ちだとか」

 ひそひそ話が聞こえてくる。もうこんなに広まっているのか。最悪だ。息苦しさが胸を締め付ける。

 中庭を通りかかると、何人かの貴族らしき人たちに囲まれた。

「救世主様!」

「私たちをお救いください!」

 手を振られ、深々とお辞儀をされる。だが、彼らは僕のことを何も知らない。ただ「救世主」という肩書きに頭を下げているだけだ。

「なんなの、この熱狂……。僕が何かしたってわけじゃないのに」

 人混みを掻き分けて、やっと部屋に逃げ込んだ。しかし、扉の向こうからも「救世主様」という声が聞こえてくる。まるで檻に閉じ込められたような気分だった。

 窓から外を見ると、城下町の方からも人の声が聞こえてきた。きっとお触れが出されて、お祭り騒ぎのようになっているのだろう。僕の知らないところで、僕という存在が一人歩きしている。

「勘弁してよ……」

 ベッドに倒れ込んでいると、扉がノックされた。また誰かが「救世主様」と呼びにきたのかと思うと、気が重い。

「どうぞ」

 入ってきたのは、予想外にもゼイドだった。いつもの冷たい表情だが、どこか疲れているようにも見える。神殿での出来事が彼にも影響を与えているのかもしれない。

「君と話がしたい」

「何の話ですか」

「君はこの世界にとって希望だ」

「……勝手に希望にしないでください。僕は誰にも期待なんかされたくない」

 僕は窓の方を向いた。彼の顔を見るのが辛い。あのまっすぐな青い瞳に見つめられると、心の奥がざわつく。

「なぜそこまで拒む」

「期待されたって、どうせ僕は期待に応えられないからですよ」

「……君は本当に救世主になりたくないのか?」

「僕はこれまで何者にもなれなかった。だから、何かになりたいとも思わなくなったんです」

 部屋が静寂に包まれた。ゼイドは僕の後ろに立ったまま、何かを考えているようだった。

「僕の兄さんは完璧だった。でも僕は違う。だから、もう頑張るのをやめたんです」

「君は……なぜそこまで自分を否定する」

 ゼイドの声に、わずかな変化があった。先ほどとは違う、戸惑いにも似た色合いが混じっている。

「否定じゃありません。ただの事実です」

 僕がそう答えると、ゼイドは長いため息をついた。

「君がそう言い切ってしまうなら、私には……」

 彼は何かを言いかけて、やめた。そして扉に向かって歩き始める。

「何も言うことはない」

 そう言って、彼は部屋を出て行った。扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。だが、僕にはその言葉が本心ではないような気がした。まるで、本当は違うことを言いたかったけれど、言えなかったような。


 夕方、王宮の書庫に向かった。ここなら誰も僕を「救世主様」なんて呼ばないだろうし、静かに過ごせるはずだ。古い本の匂いと静寂が、少しだけ心を落ち着かせてくれた。

 書庫の奥で、兄さんについての記録を見つけた。

「救世主、御影颯太……」

 記録を読んでいくと、兄さんの活躍がこれでもかというくらい詳細に書かれていた。戦場では無敵の強さを誇り、民衆からは愛され、王族からは信頼された完璧な救世主。帰還する時は国を挙げてのお祝いがあったらしい。

「やっぱり兄さんは凄いんだよな……」

 本を読み進めると、兄さんの人柄についても書かれていた。困っている人を見過ごせない性格、誰とでも分け隔てなく接する姿勢、決して諦めない強い心。僕が知っている兄さんと同じだった。

「結局、どこの世界でも同じなんだ」

 本を閉じようとした時、背後に人の気配を感じた。

「君は自分の兄上のことばかり考えているんだな」

 振り返ると、ゼイドが立っていた。いつからそこにいたのだろう。

「あなたも、兄さんのことばっかり見ているでしょ」

「……私は君を見ている」

「え?」

 思わず彼の顔を見上げた。その青い瞳に、いつもとは違う温かさが宿っているような気がした。

「兄上のようにではなく、君という個人として」

 ゼイドの声が、いつもより柔らかく聞こえた。心臓が妙にドクドクと音を立てる。

「でも、僕には何もないですよ。取り柄もないし、才能もないし。あの穢れ祓いの力だって、本当かどうか……」

「それは君が、そう思い込んでいるだけだ」

「そんなことない!」

「いや、君は自分の価値を認めようとしない。だから他人の評価にばかり振り回される」

 僕はその言葉に何も返せず、沈黙が続いた。ゼイドが何かを言いたそうにしているのが伝わってくる。

「私は……君の力を見た時、確かに驚いた。だが、それ以前に……」

 ゼイドが言葉を選んでいるようだった。

「君といると、妙に気になってしまう。君は、私の理想とは真逆だ。だがその在り方に、なぜか目を逸らせなくなる」

「は?」

 ゼイドが立ち上がった。その表情には、困惑しているような色が浮かんでいる。

「すまない。余計なことだったな」

 そう言って書庫を出て行こうとする。

「待って」

 僕も慌てて立ち上がった。

「あなたは……本当に僕を見てくれてるんですか? 兄さんの代わりじゃなくて?」

 ゼイドが振り返る。その青い瞳を見て、僕は胸がドキドキした。

「君は御影凛人だ。誰の代わりでもない」

 そう言って、今度こそ彼は書庫を出て行った。

 僕は一人残されて、混乱する。

「僕を見てくれてる……?」


 その夜、部屋で一人考え込んでいた。月明かりが窓から差し込み、部屋を青白く照らしている。

 また期待に苦しむのは嫌だ。だが、ゼイドの言葉が頭から離れない。

「君は御影凛人だ。誰の代わりでもない」

 そう言った時の彼の表情。真剣で、まっすぐで、とても嘘をついているようには見えなかった。

 僕はベッドで丸くなった。

「期待されたって、僕は頑張れない」

 手のひらを見つめる。この手が世界を救う力を持っているなんて、やっぱり信じられない。でも、神殿で感じたあの感覚は、確かに僕の中にあった。

 ゼイドの「君を見ている」という言葉が頭に浮かんだ。あの人は、本当に僕を見てくれているのかもしれない。兄さんの代わりとしてじゃなくて、御影凛人として。

 そんなふうに言われたのは、初めてだった。ほんの少しだけ、心の奥が温かくなった気がする。

「でも……」

 期待に応えられなかった時の絶望を思い出すと、やっぱり怖くなる。

 だけど、もし。もし彼が……僕をちゃんと見てくれるなら。

 僕だけを信じてくれる人が存在するのなら。

 そのときは、ほんのちょっとだけ頑張ってもいいのかもしれない。

「……僕はどうしたいんだろう」

 答えの出ない疑問を抱えたまま、僕は目を閉じた。でも胸の奥で、小さな変化がわずかに揺れ動いているのを感じる。

 ゼイドの青い瞳が、僕の心に暖かいものを残していく。でも、それはまだとても頼りなくて、すぐに消えてしまいそうだった。

 明日のことを考えないようにした。だが、昨日とは違う何かが、静かに息づいているのも確かだった。それが希望なのか、それとも新しい不安なのか、まだわからないけれど。
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