7 / 8
第7話「あなたを守ると決めた日」
しおりを挟む「御影殿、準備はよろしいですか」
魔法使いの声が響く中、僕は陣の中央に立っていた。足元に描かれた複雑な紋様が淡く光を放ち、空気が静電気を帯びたようにピリピリと震えている。目を閉じれば、体中に力が満ちていくのがわかる。
「……はい。やってみます」
僕の声は小さく震えていた。手のひらに汗がにじんで、心臓が早鐘を打っている。練習は少ししたが、こんなに大きな浄化陣を使うのは初めてだ。うまくいくのだろうか。失敗したら、みんなの命が——。ふと、陣の隅から自分の影が伸びているのが見えた。その影が、僕の不安を映し出しているようだった。
「集中しろ。君なら大丈夫だ」
ゼイドの声が、陣の外から聞こえてきた。僕は振り返ると、彼が剣を構えて立っているのが見えた。その表情は普段と変わらず冷静だったが、瞳の奥に、かすかな心配が滲んでいるように見えた。その視線が、僕の不安を少しだけ和らげてくれるようだった。
「……わかりました」
僕は深く息を吸って、両手を胸の前で組んだ。浄化の力が体の奥から湧き上がってくる。温かくて、少しくすぐったいような感覚。陣の紋様がより強く光り始めた。その光は、僕の体の内側から外へと広がっていく。
「進軍開始!」
ゼイドの号令と共に、軍勢が動き出した。地響きのような足音が大地を震わせ、旗が風にはためく音が聞こえる。僕は陣の中心で浄化の力を集中させながら、戦場全体を見渡していた。足元から広がる光が、この場所を聖域のように照らし出していた。
「敵襲! 右翼から魔王軍主力が——」
斥候の叫び声が戦場に響いた瞬間、僕の集中が途切れそうになった。予想よりもはるかに早い攻撃。浄化陣の準備が整いきる前に、戦闘が始まってしまった。周囲の景色が一気に騒がしくなる。
「陣を維持しろ! 何があっても御影殿を守り抜け!」
ゼイドの怒号が響く。剣戟の音が次第に近くなってきて、僕の心臓がさらに激しく鼓動した。集中しなければ。でも、みんなが戦っている音が聞こえると、どうしても気が散ってしまう。金属がぶつかり合う鈍い音、怒号、悲鳴。それらが、僕の耳に直接響いてくるようだった。
「……思ったより手強いな」
「陣の右側が破られています!」
騎士たちの叫び声が聞こえる度に、僕の体がびくりと震えた。浄化の力が不安定になり、陣の光がちらつく。だめだ、こんなんじゃ——。僕の視線は、陣の光と、その向こうの激しい戦いの間を行き来していた。
「陣の中心を狙っている!」
ついに魔王軍の部隊が、騎士団の防御を突破し、陣の内側へとなだれ込んできた。黒い鎧をまとった魔物たちが、殺気をまとって一直線に僕へと突進してくる。
その目に映っているのは、まるで僕一人だけ――逃げ場は、どこにもなかった。
「やばい——」
僕は思わず後ずさりした。浄化の力が恐怖で乱れ、陣の光が激しく明滅している。魔物の一体が剣を振り上げ、僕に向かって跳躍した。その剣先が、僕の目の前で光を反射する。
その瞬間——。
「凛人から離れろ!」
ゼイドが突然、陣の中央に飛び込んできた。彼の剣が魔物の攻撃を受け止めるが、他の魔物たちも次々と襲いかかってくる。剣と剣がぶつかり合う度に、火花が飛び散った。
「ゼイド! 危険です、陣から出てください!」
「君を守ると決めている。それは私の意志だ」
ゼイドの声は、いつもより低く、決意に満ちていた。彼は僕の前に立ちはだかり、一人で複数の魔物と戦い始める。剣の軌跡が美しい弧を描いて、魔物たちを次々と斬り倒していく。でも、その数は一向に減らない。
「ぐっ……!」
魔物の一体が放った闇の矢が、ゼイドの左肩を貫いた。彼の体がよろめき、剣を持つ手が震える。僕は、彼の鎧から黒い矢が突き出ているのを目にした。
「ゼイド!」
僕は思わず駆け寄りそうになったが、ゼイドが片手を上げて制止した。彼の瞳は、僕の動きを捉えていた。
「動くな……君の役目を忘れるな」
血が鎧の隙間から流れ出ているのに、ゼイドの声は冷静だった。でも、その顔は苦痛に歪んでいた。歯を食いしばる音が、僕にまで届くようだった。
「でも……」
「君しかできないことがある。私のことは気にするな」
ゼイドはそう言って、再び魔物たちに向かっていった。左腕が使えないのに、彼は右手一本で戦い続けている。その姿は、まるで片翼をもがれた鳥のようだった。
僕の胸が締め付けられた。ゼイドが傷ついているのに、自分は何もできない。ただ陣の中心で浄化の力を放つことしか——。目が、彼の背中から離れなかった。
そのとき、最大の魔物が僕に向かって突進してきた。目前に迫った魔物に、恐怖で頭が真っ白になり浄化の力が消える。
「凛人!」
ゼイドが僕の名前を呼んだ。そして、体を投げ出すようにして僕の前に飛び込んだ。
魔物の爪が、ゼイドの背中を深く切り裂いた。鈍い音と、布が裂ける音が同時に聞こえた。
「あ……あ……」
僕の喉から、声にならない叫びが漏れた。ゼイドの体が崩れるように、僕の腕の中に倒れ込んでくる。温かい血が、僕の手に触れた。
「ゼイド……ゼイド! しっかりしてください!」
僕が必死に呼びかけても、ゼイドの意識は朦朧としている。彼の手が、弱々しく僕の頬に触れた。その感触は、僕を現実に引き戻した。
「君は……君のままで……いいんだからな……」
かすれた声で、ゼイドがそう呟いた。昨夜、庭園で交わした言葉。それが、もしかしたら最後の言葉になってしまうかもしれない。僕の視界が涙で滲む。
「やめてください……今そんなこと言わないで……」
僕の瞳から涙がこぼれた。でも、魔物たちの攻撃は続いている。このままでは、ゼイドも自分も——。
いやだ。絶対にいやだ。昨夜、あんなにも優しく手を握ってくれた人を失うなんて。僕を信じて、命をかけて守ってくれる人を、こんなところで失うなんて。僕は何のためにここに来たんだ。みんなを守るためじゃないか。ゼイドを守るためじゃないか。
もう迷わない。恐れない。
「僕が守る……僕が、守らなきゃ……!」
僕は立ち上がった。その瞬間、僕の胸の中で何かが弾けた。
「みんなを……ゼイドを……この世界を……」
僕の体から、今までにない強い光が放たれた。浄化の力が暴走しかけて、陣の紋様が激しく明滅している。僕の視界が白く染まっていく。
(だめだ……制御できない……)
力が勝手に膨れ上がって、僕自身を呑み込もうとする。体が熱くて、意識が飛びそうになった。でも——。咄嗟に倒れているゼイドの手を握りしめた。
(ゼイドの手……温かい……)
その温度が僕の心を落ち着かせてくれる。彼が最後まで、僕を信じてくれたこと。命をかけて守ってくれたこと。その思いが、僕の心を支えていた。
「僕は……僕のままで戦います」
僕の声が、戦場に響いた。浄化の力が安定し、陣の光が一気に拡大していく。光の粒子が、僕の体を通り抜けていくのがわかる。
「うあああああああ!」
僕の叫び声と共に、巨大な光の柱が天に向かって立ち上った。その光は戦場全体を包み込み、魔物たちの体を次々と浄化していく。そして僕自身の心までも、優しく包み込んでいった。
「魔王軍が……消えていく……」
「やったぞ! 勝利だ!」
騎士たちの歓声が上がる中、僕はゼイドの傍らに膝をついていた。浄化の力を使い果たして、体が鉛のように重い。全身の力が抜けて、僕は彼の隣にゆっくりと座り込んだ。
「ゼイド……起きてください……」
僕がそっと呼びかけると、ゼイドの瞼がわずかに動いた。薄っすらと開いた瞳に、僕の顔が映る。
「凛人……無事か……」
「はい……あなたのおかげで……」
ゼイドの手が、弱々しく僕の手を握った。その温度は昨夜よりも低かったけれど、確かに生きている証だった。その手の温かさが、僕の心を満たしていく。
「約束……果たしたな……」
「まだです……戦いが終わったら答えをくれって言ったじゃないですか……」
僕の涙が、ゼイドの頬に落ちた。彼の唇が、小さく微笑みの形を作る。その表情は、僕の心を安堵させた。
「……そうだった……」
戦場に静寂が戻っていた。魔王軍は完全に壊滅し、穢れは跡形もなく消え去っている。空は夕焼けに染まり、長い戦いの終わりを告げていた。空に広がる茜色のグラデーションが、僕たちの戦いを祝福してくれているようだった。
僕はゼイドの傍らに座り、彼の手を両手で包んでいた。治療師たちが応急処置を終えて、ゼイドの傷は命に別状がないことが確認されている。でも、意識を取り戻すまでには時間がかかりそうだった。僕は、彼の温かい手を離すことができなかった。
「……ずるいですよ」
僕が小さく呟いた。ゼイドの寝顔は、普段の厳格な表情とは違って、とても穏やかだった。その無防備な寝顔に、僕は少しだけ安心した。
「告白しておいて、返事も聞かずに眠るなんて……」
微風が頬を撫でて、夕日が二人の影を長く伸ばしている。僕は空を見上げた。こんなにきれいな夕空を見るのは、この世界に来てから初めてかもしれない。空に浮かぶ雲が、まるで流れる絵画のようだった。
「でも……僕、もう決めました」
僕はゼイドの手を握り直した。彼の手のひらのタコが、僕の指先に触れる。その感触が、彼の生きてきた軌跡を物語っているようだった。
「あなたが目を覚ましたら……ちゃんと伝えます」
夕日が地平線に沈み、星がひとつ、またひとつと空に現れ始めた。長い夜が始まろうとしている。でも、僕はもう何も恐くなかった。
隣に、大切な人がいるから。
50
あなたにおすすめの小説
【完結済】転生戦士に婚約者認定されましたが、冗談だったんですってば!
キノア9g
BL
普通の高校生活を送る藤宮直哉(ふじみや なおや)は、恋愛には縁がなく、平凡な毎日を過ごしていた。そんなある日、クラスメイトの神崎レオンが階段から落ちたのをきっかけに、突如として人格が激変。どうやら彼は異世界からの転生者で、前世では32歳の元戦士だったらしい。
戦場で鍛えられた包容力と責任感、そして異世界の「契りは絶対」という常識を引きずるレオンは、友人の悪ノリによる「付き合ってる発言」を真に受けてしまい――
「責任は取る」
「いや、待って、そもそも冗談だし!?」
「契約は神聖なものだ。守らねば」
家事魔法で飯はうまいし、突然お風呂を沸かし始めるし、なんか毎日が騒がしすぎる!
自分とは正反対の価値観で動く元戦士に振り回されながらも、直哉の心には少しずつ変化が――?
これは、異世界常識が現代に突っ込まれたせいで始まってしまった、「責任感強すぎ元戦士」と「お人好し一般高校生」の、嘘から始まる本気の婚約者(仮)生活。
男同士なんてありえない? でも、なんかこの人、ずるいくらい優しいんだけど――。
全8話。旧タイトル「クラスメイトが異世界転生者らしいのだが、巻き込まないでもらいたい!〜冗談から始まる婚約者生活〜」2025/07/19加筆修正済み。
王子に彼女を奪われましたが、俺は異世界で竜人に愛されるみたいです?
キノア9g
BL
高校生カップル、突然の異世界召喚――…でも待っていたのは、まさかの「おまけ」扱い!?
平凡な高校生・日当悠真は、人生初の彼女・美咲とともに、ある日いきなり異世界へと召喚される。
しかし「聖女」として歓迎されたのは美咲だけで、悠真はただの「付属品」扱い。あっさりと王宮を追い出されてしまう。
「君、私のコレクションにならないかい?」
そんな声をかけてきたのは、妙にキザで掴みどころのない男――竜人・セレスティンだった。
勢いに巻き込まれるまま、悠真は彼に連れられ、竜人の国へと旅立つことになる。
「コレクション」。その奇妙な言葉の裏にあったのは、セレスティンの不器用で、けれどまっすぐな想い。
触れるたび、悠真の中で何かが静かに、確かに変わり始めていく。
裏切られ、置き去りにされた少年が、異世界で見つける――本当の居場所と、愛のかたち。
【完結済】俺は推しじゃない!ただの冒険者だ!
キノア9g
BL
ごく普通の中堅冒険者・イーサン。
今日もほどほどのクエストを探しにギルドを訪れたところ、見慣れない美形の冒険者・アシュレイと出くわす。
最初は「珍しい奴がいるな」程度だった。
だが次の瞬間──
「あなたは僕の推しです!」
そう叫びながら抱きついてきたかと思えば、つきまとう、語りかける、迫ってくる。
挙句、自宅の前で待ち伏せまで!?
「金なんかねぇぞ!」
「大丈夫です! 僕が、稼ぎますから!」
平穏な日常をこよなく愛するイーサンと、
“推しの幸せ”のためなら迷惑も距離感も超えていく超ポジティブ転生者・アシュレイ。
愛とは、追うものか、追われるものか。
差し出される支援、注がれる好意、止まらぬ猛アプローチ。
ふたりの距離が縮まる日はくるのか!?
強くて貢ぎ癖のあるイケメン転生者 × 弱めで普通な中堅冒険者。
異世界で始まる、ドタバタ&ちょっぴり胸キュンなBLコメディ、ここに開幕!
全8話
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
【完結済】氷の貴公子の前世は平社員〜不器用な恋の行方〜
キノア9g
BL
氷の貴公子と称えられるユリウスには、人に言えない秘めた想いがある――それは幼馴染であり、忠実な近衛騎士ゼノンへの片想い。そしてその誇り高さゆえに、自分からその気持ちを打ち明けることもできない。
そんなある日、落馬をきっかけに前世の記憶を思い出したユリウスは、ゼノンへの気持ちに改めて戸惑い、自分が男に恋していた事実に動揺する。プライドから思いを隠し、ゼノンに嫌われていると思い込むユリウスは、あえて冷たい態度を取ってしまう。一方ゼノンも、急に避けられる理由がわからず戸惑いを募らせていく。
近づきたいのに近づけない。
すれ違いと誤解ばかりが積み重なり、視線だけが行き場を失っていく。
秘めた感情と誇りに縛られたまま、ユリウスはこのもどかしい距離にどんな答えを見つけるのか――。
プロローグ+全8話+エピローグ
人気アイドルが義理の兄になりまして
三栖やよい
BL
柚木(ゆずき)雪都(ゆきと)はごくごく普通の高校一年生。ある日、人気アイドル『Shiny Boys』のリーダー・碧(あおい)と義理の兄弟となり……?
完結·氷の宰相の寝かしつけ係に任命されました
禅
BL
幼い頃から心に穴が空いたような虚無感があった亮。
その穴を埋めた子を探しながら、寂しさから逃げるようにボイス配信をする日々。
そんなある日、亮は突然異世界に召喚された。
その目的は――――――
異世界召喚された青年が美貌の宰相の寝かしつけをする話
※小説家になろうにも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる