【完結済】夏だ!海だ!けど、僕の夏休みは異世界に奪われました。

キノア9g

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第7話「あなたを守ると決めた日」

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「御影殿、準備はよろしいですか」

 魔法使いの声が響く中、僕は陣の中央に立っていた。足元に描かれた複雑な紋様が淡く光を放ち、空気が静電気を帯びたようにピリピリと震えている。目を閉じれば、体中に力が満ちていくのがわかる。

「……はい。やってみます」

 僕の声は小さく震えていた。手のひらに汗がにじんで、心臓が早鐘を打っている。練習は少ししたが、こんなに大きな浄化陣を使うのは初めてだ。うまくいくのだろうか。失敗したら、みんなの命が——。ふと、陣の隅から自分の影が伸びているのが見えた。その影が、僕の不安を映し出しているようだった。

「集中しろ。君なら大丈夫だ」

 ゼイドの声が、陣の外から聞こえてきた。僕は振り返ると、彼が剣を構えて立っているのが見えた。その表情は普段と変わらず冷静だったが、瞳の奥に、かすかな心配が滲んでいるように見えた。その視線が、僕の不安を少しだけ和らげてくれるようだった。

「……わかりました」

 僕は深く息を吸って、両手を胸の前で組んだ。浄化の力が体の奥から湧き上がってくる。温かくて、少しくすぐったいような感覚。陣の紋様がより強く光り始めた。その光は、僕の体の内側から外へと広がっていく。

「進軍開始!」

 ゼイドの号令と共に、軍勢が動き出した。地響きのような足音が大地を震わせ、旗が風にはためく音が聞こえる。僕は陣の中心で浄化の力を集中させながら、戦場全体を見渡していた。足元から広がる光が、この場所を聖域のように照らし出していた。

「敵襲! 右翼から魔王軍主力が——」

 斥候の叫び声が戦場に響いた瞬間、僕の集中が途切れそうになった。予想よりもはるかに早い攻撃。浄化陣の準備が整いきる前に、戦闘が始まってしまった。周囲の景色が一気に騒がしくなる。

「陣を維持しろ! 何があっても御影殿を守り抜け!」

 ゼイドの怒号が響く。剣戟の音が次第に近くなってきて、僕の心臓がさらに激しく鼓動した。集中しなければ。でも、みんなが戦っている音が聞こえると、どうしても気が散ってしまう。金属がぶつかり合う鈍い音、怒号、悲鳴。それらが、僕の耳に直接響いてくるようだった。

「……思ったより手強いな」

「陣の右側が破られています!」

 騎士たちの叫び声が聞こえる度に、僕の体がびくりと震えた。浄化の力が不安定になり、陣の光がちらつく。だめだ、こんなんじゃ——。僕の視線は、陣の光と、その向こうの激しい戦いの間を行き来していた。

「陣の中心を狙っている!」

 ついに魔王軍の部隊が、騎士団の防御を突破し、陣の内側へとなだれ込んできた。黒い鎧をまとった魔物たちが、殺気をまとって一直線に僕へと突進してくる。
 
 その目に映っているのは、まるで僕一人だけ――逃げ場は、どこにもなかった。

「やばい——」

 僕は思わず後ずさりした。浄化の力が恐怖で乱れ、陣の光が激しく明滅している。魔物の一体が剣を振り上げ、僕に向かって跳躍した。その剣先が、僕の目の前で光を反射する。

 その瞬間——。

「凛人から離れろ!」

 ゼイドが突然、陣の中央に飛び込んできた。彼の剣が魔物の攻撃を受け止めるが、他の魔物たちも次々と襲いかかってくる。剣と剣がぶつかり合う度に、火花が飛び散った。

「ゼイド! 危険です、陣から出てください!」

「君を守ると決めている。それは私の意志だ」

 ゼイドの声は、いつもより低く、決意に満ちていた。彼は僕の前に立ちはだかり、一人で複数の魔物と戦い始める。剣の軌跡が美しい弧を描いて、魔物たちを次々と斬り倒していく。でも、その数は一向に減らない。

「ぐっ……!」

 魔物の一体が放った闇の矢が、ゼイドの左肩を貫いた。彼の体がよろめき、剣を持つ手が震える。僕は、彼の鎧から黒い矢が突き出ているのを目にした。

「ゼイド!」

 僕は思わず駆け寄りそうになったが、ゼイドが片手を上げて制止した。彼の瞳は、僕の動きを捉えていた。

「動くな……君の役目を忘れるな」

 血が鎧の隙間から流れ出ているのに、ゼイドの声は冷静だった。でも、その顔は苦痛に歪んでいた。歯を食いしばる音が、僕にまで届くようだった。

「でも……」

「君しかできないことがある。私のことは気にするな」

 ゼイドはそう言って、再び魔物たちに向かっていった。左腕が使えないのに、彼は右手一本で戦い続けている。その姿は、まるで片翼をもがれた鳥のようだった。

 僕の胸が締め付けられた。ゼイドが傷ついているのに、自分は何もできない。ただ陣の中心で浄化の力を放つことしか——。目が、彼の背中から離れなかった。

 そのとき、最大の魔物が僕に向かって突進してきた。目前に迫った魔物に、恐怖で頭が真っ白になり浄化の力が消える。

「凛人!」

 ゼイドが僕の名前を呼んだ。そして、体を投げ出すようにして僕の前に飛び込んだ。

 魔物の爪が、ゼイドの背中を深く切り裂いた。鈍い音と、布が裂ける音が同時に聞こえた。

「あ……あ……」

 僕の喉から、声にならない叫びが漏れた。ゼイドの体が崩れるように、僕の腕の中に倒れ込んでくる。温かい血が、僕の手に触れた。

「ゼイド……ゼイド! しっかりしてください!」

 僕が必死に呼びかけても、ゼイドの意識は朦朧としている。彼の手が、弱々しく僕の頬に触れた。その感触は、僕を現実に引き戻した。

「君は……君のままで……いいんだからな……」

 かすれた声で、ゼイドがそう呟いた。昨夜、庭園で交わした言葉。それが、もしかしたら最後の言葉になってしまうかもしれない。僕の視界が涙で滲む。

「やめてください……今そんなこと言わないで……」

 僕の瞳から涙がこぼれた。でも、魔物たちの攻撃は続いている。このままでは、ゼイドも自分も——。

 いやだ。絶対にいやだ。昨夜、あんなにも優しく手を握ってくれた人を失うなんて。僕を信じて、命をかけて守ってくれる人を、こんなところで失うなんて。僕は何のためにここに来たんだ。みんなを守るためじゃないか。ゼイドを守るためじゃないか。

 もう迷わない。恐れない。

「僕が守る……僕が、守らなきゃ……!」

 僕は立ち上がった。その瞬間、僕の胸の中で何かが弾けた。

「みんなを……ゼイドを……この世界を……」

 僕の体から、今までにない強い光が放たれた。浄化の力が暴走しかけて、陣の紋様が激しく明滅している。僕の視界が白く染まっていく。

(だめだ……制御できない……)

 力が勝手に膨れ上がって、僕自身を呑み込もうとする。体が熱くて、意識が飛びそうになった。でも——。咄嗟に倒れているゼイドの手を握りしめた。

(ゼイドの手……温かい……)

 その温度が僕の心を落ち着かせてくれる。彼が最後まで、僕を信じてくれたこと。命をかけて守ってくれたこと。その思いが、僕の心を支えていた。

「僕は……僕のままで戦います」

 僕の声が、戦場に響いた。浄化の力が安定し、陣の光が一気に拡大していく。光の粒子が、僕の体を通り抜けていくのがわかる。

「うあああああああ!」

 僕の叫び声と共に、巨大な光の柱が天に向かって立ち上った。その光は戦場全体を包み込み、魔物たちの体を次々と浄化していく。そして僕自身の心までも、優しく包み込んでいった。

「魔王軍が……消えていく……」

「やったぞ! 勝利だ!」

 騎士たちの歓声が上がる中、僕はゼイドの傍らに膝をついていた。浄化の力を使い果たして、体が鉛のように重い。全身の力が抜けて、僕は彼の隣にゆっくりと座り込んだ。

「ゼイド……起きてください……」

 僕がそっと呼びかけると、ゼイドの瞼がわずかに動いた。薄っすらと開いた瞳に、僕の顔が映る。

「凛人……無事か……」

「はい……あなたのおかげで……」

 ゼイドの手が、弱々しく僕の手を握った。その温度は昨夜よりも低かったけれど、確かに生きている証だった。その手の温かさが、僕の心を満たしていく。

「約束……果たしたな……」

「まだです……戦いが終わったら答えをくれって言ったじゃないですか……」

 僕の涙が、ゼイドの頬に落ちた。彼の唇が、小さく微笑みの形を作る。その表情は、僕の心を安堵させた。

「……そうだった……」

 戦場に静寂が戻っていた。魔王軍は完全に壊滅し、穢れは跡形もなく消え去っている。空は夕焼けに染まり、長い戦いの終わりを告げていた。空に広がる茜色のグラデーションが、僕たちの戦いを祝福してくれているようだった。

 僕はゼイドの傍らに座り、彼の手を両手で包んでいた。治療師たちが応急処置を終えて、ゼイドの傷は命に別状がないことが確認されている。でも、意識を取り戻すまでには時間がかかりそうだった。僕は、彼の温かい手を離すことができなかった。

「……ずるいですよ」

 僕が小さく呟いた。ゼイドの寝顔は、普段の厳格な表情とは違って、とても穏やかだった。その無防備な寝顔に、僕は少しだけ安心した。

「告白しておいて、返事も聞かずに眠るなんて……」

 微風が頬を撫でて、夕日が二人の影を長く伸ばしている。僕は空を見上げた。こんなにきれいな夕空を見るのは、この世界に来てから初めてかもしれない。空に浮かぶ雲が、まるで流れる絵画のようだった。

「でも……僕、もう決めました」

 僕はゼイドの手を握り直した。彼の手のひらのタコが、僕の指先に触れる。その感触が、彼の生きてきた軌跡を物語っているようだった。

「あなたが目を覚ましたら……ちゃんと伝えます」

 夕日が地平線に沈み、星がひとつ、またひとつと空に現れ始めた。長い夜が始まろうとしている。でも、僕はもう何も恐くなかった。

 隣に、大切な人がいるから。
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