【16+4話完結】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g

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2章

第11話:『涙の決断』

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 窓の外は、灰色のままだ。
 風に揺れていたはずの枝も、空を舞っていた木の葉も、すべてが凍りついたように静止している。
 「世界の管理者」が時間を止めた森は、死後の世界のように静まり返っていた。

 邸宅の寝室。
 天蓋付きのベッドの上で、ゼルフィードは一睡もせず、蓮を抱きしめ続けていた。

「……くそッ、なぜだ。なぜ定着しない!」

 ゼルフィードが焦燥に駆られた声を上げる。
 彼の手のひらから、膨大な魔力が溢れ出し、蓮の体を包み込んでいた。漆黒の虚無の力ではない。彼が森の主として持つ、生命を循環させるための根源的な魔力だ。
 彼は蓮の魂をこの世界に縫い付けようと、必死に魔力を注ぎ込んでいた。

 けれど、蓮の体は残酷なほどに不安定だった。
 指先が透けては戻り、また足元が霞のように揺らぐ。
 そのたびに、魂をやすりで削られるような鈍い痛みが蓮を襲った。

「う……っ」

 蓮が苦痛に顔を歪めると、ゼルフィードは悲痛な表情で抱擁を強める。

「すまない、蓮。痛いか……俺が、代わってやれればいいのに」

 彼の冷たい頬が、蓮の額に押し付けられる。
 最強の存在であるはずの彼が、今はただの無力な男のように震えていた。
 どれだけ魔力を注いでも、どれだけ強く抱きしめても、世界そのものが蓮を拒絶している事実を変えられない。砂の城が波にさらわれていくのを、手のひらで必死に防ごうとしているような、絶望的な徒労。

「ゼルフィードさん……もう、いいですよ」

 蓮は、透けかけた手で彼の頬に触れた。

「そんなに魔力を使ったら、あなたが倒れてしまう」

「お前が消えるなら、俺も消える」

 彼は即答した。その瞳に宿る狂気じみた愛に、蓮の胸が締め付けられる。

「俺は、お前がいない世界で生きるつもりはない。お前が輪廻に還るというなら、俺もその輪廻ごと世界を食らい尽くして、お前の魂を追いかける」

 彼は本気だ。
 もし蓮が死を選べば、彼は世界を滅ぼしてでも蓮を追うだろう。そして、もし蓮が記憶を消すことを選べば——彼は、忘れ去られた抜け殻のような蓮を見ながら、永遠に嘆き続けるのだろうか。

 どちらを選んでも、地獄だ。
 二人に用意された未来は、あまりにも残酷だった。

「……ゼルフィードさん。僕、怖いです」

 蓮は正直な想いを吐露した。

「死ぬのも怖い。でも、あなたのことを忘れるなんて……もっと怖い。あなたとの思い出がなくなったら、僕は僕じゃなくなってしまう」

 前世の孤独だった自分。
 この森で、初めて愛される喜びを知った自分。
 その全てが「異物」として消去され、何も知らない「レンオリス」という貴族に上書きされる。
 それは、今の「蓮」という人格の死と同義だった。

「俺が、忘れさせない」

 ゼルフィードは蓮の手を取り、指の一本一本に口づけを落とした。

「管理者が何をしようと、俺がお前を離さない。記憶を消そうとするなら、俺が何度でも愛を囁いて、思い出させてやる。だから……諦めるな」

 その言葉は力強く、蓮の心に一筋の光を灯した。
 そうだ。彼がいる。
 彼が諦めない限り、まだ希望はあるのかもしれない。

 二人は互いの体温を分け合うように、強く抱き合った。
 止まった時間の中で、永遠にこうしていたいと願った。
 しかし——無慈悲にも、その時は訪れた。

 パリンッ。

 何かが割れるような音がして、窓の外の灰色の世界に色が戻った。
 止まっていた葉が揺れ、風が吹き抜ける。
 時間が動き出したのだ。それは同時に、猶予の終わりを意味していた。

 東の空が白み始める。
 夜明けだ。

「……時間です」

 部屋の空間が滲み、あの「管理者」が姿を現した。
 昨日と変わらない、感情のない金色の瞳。美しいがゆえに恐ろしい、審判の化身。

 ゼルフィードが弾かれたように蓮を背に隠し、臨戦態勢をとる。

「……帰れ」

 地を這うような低い声。部屋の空気が凍りつき、黒い殺気が渦を巻く。

「答えを聞きに来ました」

 管理者は、殺気など意に介さず、淡々と告げた。

「夜明けです。選択の時だ。『死』か、『修正』か。……決まりましたか?」

 管理者の視線が、ゼルフィードの背後にいる蓮に向けられる。
 蓮は震えながら、ゼルフィードの服を握りしめた。
 選べない。どちらも選びたくない。

「選ぶ必要などない!」

 ゼルフィードが叫んだ。

「蓮は俺のものだ! 死なせもしない、記憶も奪わせない! 貴様が理だと言うなら、その理ごと俺がねじ伏せる!」

 ドォォォォンッ!!

 ゼルフィードの体から、凄まじい魔力が爆発した。
 漆黒の茨が床から天井までを埋め尽くし、巨大な顎となって管理者に襲いかかる。
 虚無の力。触れるもの全てを存在ごと消滅させる、最強の精霊魔法。

 だが、管理者は小さくため息をついただけだった。

「学習しませんね。システムへの直接攻撃は無効です」

 管理者が指先を振るう。
 それだけで、迫りくる漆黒の茨が、まるで最初から幻影だったかのように、ガラスが砕けるように四散した。

「な……ッ!?」

「あなたの力は強大ですが、この世界のルールの中で動いているに過ぎない。私はルールの管理者。私が『攻撃は当たらない』と定義すれば、あなたの攻撃は決して届かない」

 絶望的なまでの戦力差。いや、次元の違い。
 ゼルフィードがどれほど足掻こうと、彼の手のひらの上で踊らされているに過ぎない。

「抵抗レベルが規定値を超過。……あなたは『障害』と認定されました」

 管理者の瞳が冷ややかに細められた。
 彼が手を掲げると、天井に巨大な魔法陣が出現した。
 そこから放たれるのは、神々しいまでの白い光。

「対象への干渉を防ぐため、あなたを『隔離』します」

「しまっ……!?」

 ゼルフィードが回避しようとするが、光の速さには間に合わない。
 白い光の檻が、ゼルフィードの頭上から落下し、彼を完全に閉じ込めた。

 ジュウウゥッ!

 光の格子に触れたゼルフィードの肌が焼け、煙が上がる。

「ぐ、あああああッ!!」

 ゼルフィードが絶叫した。
 今まで聞いたこともないような、苦悶の叫び。
 その檻は、単に物理的に閉じ込めるものではない。中にいる存在の「魔力」と「存在」そのものを削り取り、無へと還元する処刑台だった。

「ゼルフィードさん!!」

 蓮が悲鳴を上げて駆け寄ろうとするが、見えない壁に阻まれて檻に近づけない。

「やめて! やめてください! 彼が死んでしまう!」

 蓮は管理者に懇願した。
 檻の中では、ゼルフィードが膝をつき、血を吐きながらも、檻を壊そうと拳を叩きつけている。しかし、叩くたびに彼の手が焼かれ、ボロボロになっていく。

「彼がいるから、あなたは迷うのです」

 管理者は無慈悲に告げた。

「彼を消滅させれば、あなたは諦めて『修正』を受け入れるでしょう。……少々手荒ですが、効率的です」

 管理者が手を握り込む動作をする。
 それに合わせて、光の檻が収縮を始めた。
 バチバチと激しい音がして、ゼルフィードの黒い外套が灰になり、その美しい髪が焦げていく。

「ガハッ……! は、なれろ……蓮……ッ!」

 瀕死の状態でも、ゼルフィードは蓮を気遣っていた。
 自分の体が消えかけているのに。自分がこのまま殺されようとしているのに。
 その紫の瞳は、最後まで蓮だけを映し、蓮の身を案じている。

(ああ……)

 蓮の目から、涙が溢れ出した。
 わかってしまった。
 このままでは、彼は本当に消されてしまう。
 僕が選ばないせいで。僕が「忘れたくない」なんて我儘を言ったせいで、彼が殺されてしまう。

 そんなこと、絶対に許せない。
 愛する人が目の前で消える苦しみに比べれば、記憶を失うことなんて、取るに足らない痛みだ。

 彼が生きていてくれるなら。
 彼が、この世界のどこかで笑っていてくれるなら。
 僕のことなんて、忘れてしまったっていい。

「……わかりました」

 蓮は、涙を拭って立ち上がった。
 震える足で、管理者の前に進み出る。

「わかりました! 僕が選びます! だから……彼を放してください!」

「蓮ッ!? ダメだ、言うなッ!!」

 檻の中から、ゼルフィードの悲鳴のような制止が飛ぶ。
 蓮は振り返り、ボロボロになった彼に向けて、精一杯の笑顔を見せた。

「ごめんなさい、ゼルフィードさん。……僕、あなたが死ぬところなんて、見たくない」

「よせ……やめろ……! お前に忘れられたら、俺は……ッ!」

「大丈夫ですよ。僕が忘れても、あなたは生きている。それだけで十分です」

 蓮は管理者に向き直り、はっきりと告げた。

「二つ目を……『修正』を選びます。僕を、レンオリスに戻してください」

「賢明な判断です」

 管理者が指を弾くと、ゼルフィードを締め上げていた光の檻が霧散した。
 解放されたゼルフィードはその場に崩れ落ち、這うようにして蓮に手を伸ばす。

「嫌だ……連れて行くな……! 蓮、俺を置いていくな……!」

 最強の森の主が、今はただの男のように、涙を流して懇願している。
 蓮は胸が張り裂けそうだった。駆け寄って、彼を抱きしめて、涙を拭ってあげたい。
 でも、もう遅い。
 蓮の決断に応えるように、天から降り注ぐ白い光が、蓮の体を包み込み始めていた。

 体が浮き上がる。
 記憶が、砂のようにさらさらとこぼれ落ちていく感覚がする。

 灰色のビルの風景。
 この森の緑。
 甘い花の香り。
 初めて彼に触れた時の温度。
 優しく名前を呼んでくれた声。
 すべてが、光の中に溶けていく。

「ゼルフィードさん」

 蓮は、白く染まっていく視界の中で、愛する人の姿を最期まで焼き付けようとした。
 遠くで、彼が何かを叫びながら、こちらへ手を伸ばしているのが見える。

「……大好き、でした」

 最期の言葉は、別れの言葉ではなく、愛の告白だった。
 それは、記憶を消されても、魂にだけは刻み込んでおきたいという、蓮の祈り。

「アアアアアアアッ!!!!」

 ゼルフィードの慟哭が森に響き渡る。
 彼の手が蓮の足先に触れようとした、その瞬間。

 フッ、と。
 蓮の姿は光の粒子となって弾け飛び、跡形もなく消滅した。


 ◇◇◇

 残されたのは、静寂だけだった。
 朝日が差し込む森の中、半壊した邸宅の前に、ゼルフィードは一人、膝をついていた。

 伸ばした手は空を切り、何も掴めなかった虚無感だけが残っている。

「蓮……」

 名前を呼んでも、返事はない。
 彼の温もりも、匂いも、この世界から綺麗さっぱり消え失せてしまった。
 管理者は約束通り、蓮という「異物」を修正し、あるべき場所——貴族の館へと連れ去ったのだ。記憶を全て奪って。

「う、あ……あああああ……ッ」

 ゼルフィードは地面に拳を叩きつけ、獣のように吼えた。
 世界が憎い。理が憎い。
 そして何より、愛する人を守れなかった自分自身が、どうしようもなく憎かった。

 森の木々が、主の悲しみに共鳴して枯れていく。
 花々は色を失い、緑豊かだった楽園は、瞬く間に灰色の死の世界へと逆戻りしていった。

 そこに、もう愛はない。
 あるのは、底知れない絶望と、二度と埋まることのない巨大な喪失の穴だけだった。
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