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第3話:『触れれば枯れる主と、僕を守る無意識の縄張り』
しおりを挟むゼルフィードの邸宅で、奇妙な共同生活が続いていた。
相変わらず無口な彼が、蓮に干渉することはほとんどない。ただ——食事、寝場所、そして何よりも外敵からの保護。生きる上で最低限必要なものは、まるで当然のことのように、無言のうちに与えられていた。
ある日の午後。蓮は邸宅の裏庭を散策していた。
手入れされているとは言い難い庭。枯れた草木が多い。踏みしめる枯れ葉が、乾いた音を立てて砕ける。生気を感じさせるものはほとんどない。そんな中で、小さな影がひとつ——地面に蹲っているのを見つけた。
「……かわいそうに」
一匹の小鳥。羽根を痛めて、震えながら地面にうずくまっている。
蓮はそっと近づいた。前世でも動物が好きだった彼には、この小さな命を放っておくことなどできない。指先がふわりとした羽根に触れた瞬間——
不思議な感覚が蓮を包んだ。
小鳥の細かな震えが、ほんの少しだけ和らいだような気がする。同時に、蓮の胸の奥にも微かな温かさが広がった。まるで、何かが通い合ったような。
(……気のせい、かな?)
蓮はもう一度、そっと小鳥の背を撫でる。すると今度は——小鳥の呼吸が落ち着いていくように感じられた。蓮自身の体に特別な変化はない。ただ、触れたものがほんのわずかに良い方向へ向かっているような。そんな曖昧で、けれど確かな感覚があった。
特別な力を持っていた覚えはない。この世界に転生してから、何か特別な訓練を受けたわけでもない。これは一体、何なのだろう?
蓮は戸惑いながらも、それが自分の意思とは無関係に発動する何かなのだと、ぼんやりと理解し始めた。しかし、その力はあまりにも微弱。傷を癒すことも、ましてや自分自身を守ることもできそうにない。
ただの、ささやかな「共鳴」に過ぎないのかもしれなかった。
◇◇◇
数日後。静寂に包まれていた森に、不穏な気配が忍び寄ってきた。
蓮はいつものように邸宅の中で過ごしていた。ゼルフィードは今日も姿を見せず、広大な屋敷には蓮一人きり。窓の外はどんよりとした曇り空。森全体が重苦しい空気に包まれている。
突然——
遠くから騒がしい声が聞こえてきた。
複数の人間の声が入り混じり、怒号や金属がぶつかる音が、静かな森の空気を切り裂く。
(何事……?)
蓮は不安になり、窓から外を窺った。しかし木々が生い茂り、邸宅の周りは見渡せない。ただ、騒ぎは確実にこちらへ近づいてくる。足音が。声が。重い靴音が枯れ葉を踏み潰す音が——
やがて数人の屈強な男たちが、邸宅の庭に姿を現した。
剣や棍棒を手にした彼らが、辺りを警戒しながら邸宅に近づいてくる。その中には、見覚えのある貴族の紋章を身につけた者もいた。
(まさか……僕の家族が……?)
蓮は息を呑む。あれからしばらく経つが、まさか捜索隊がここまでやってこれるとは思わなかった。しかし、彼らの顔に焦りや心配の色はない。むしろ何かを企んでいるような、険しく歪んだ表情をしていた。
「こんなところに、本当に”森の主”がいるのかよ?」
「噂じゃあ、人食いの怪物だってな」
「まあ、もしいたらいたで、始末するまでだ。力を奪えりゃあ儲けもんよ」
風に乗って聞こえてくる男たちの会話。彼らはゼルフィードの存在を知っているようだが、恐れる様子はない。むしろ、その力を奪うことを考えているようだ。
その時——男たちが邸宅の窓辺に、ひ弱な蓮の姿を見つけた。
「おい、あそこにいるのは……!」
「ほう、美しい坊やじゃないか。まさか”森の主”の飼い物か?」
「いずれにしても、貴重な獲物だな」
男たちの視線が一斉に蓮に集中する。その目に宿るのは、好奇心と下卑た欲望。獲物を見つけた獣のような、ぎらついた光。
「坊や、そこを動くなよ。お前を捕まえれば、“森の主”も手出しできなくなるだろう」
男たちはそう言いながら、邸宅の玄関へと向かい始めた。重い足音が一歩、また一歩と近づいてくる。扉を叩く音が響き、やがて無遠慮に押し開かれる音がした。
蓮は恐怖で足が竦み、一歩も動けない。ゼルフィードはどこにいるのだろう? 助けを求めたくても、声が喉の奥で震えるだけで出てこない。
ひ弱な自分には、彼らに抵抗する力などない。捕まってしまえば、どうなるか——想像するだけで、背筋に冷たいものが走った。絶望が蓮の心臓を締め付ける。
男たちの足音が廊下に響き、部屋の前で止まった。蓮の部屋の扉が開く。
その時だった。
男たちが蓮に手を伸ばそうとした、まさにその瞬間——
室内に、これまで感じたことのない強烈な圧力が満ち始めた。空気そのものが重くなったように感じられ、肌には目に見えない何かがまとわりつくような不快な感覚が走る。
そして。
静かに、しかし確実に、ゼルフィードが姿を現した。
いつの間にか、蓮の背後に立っている。
その表情は、いつもの無感情なもとは明らかに異なっていた。眉間には深い皺が寄り、閉じられていた紫の瞳がわずかに開かれ、冷たい光を湛えている。その顔は初めて明確に「不機嫌」に歪んでいた。
ゼルフィードは蓮に近づこうとする男たちを、ただ冷たい視線で見据えている。だが、その全身からは言葉にできないほどの威圧感が放たれ、周囲の空気がピリピリと震えているように感じられた。
蓮に危害が及ぶ予兆を感じ取ったのだろうか。あるいは、自分の「所有物」に見知らぬ者が勝手に手を触れようとしたことに、ただ苛立ちを感じているだけなのか。ゼルフィードの感情の真意は分からない。
しかし、その行動は迅速だった。
次の瞬間——ゼルフィードは信じられない速さで動き出した。
男たちが反応するよりも早く、彼は蓮の腕を掴むと自分の背後へと引き寄せる。まるで、大切なものを隠すかのように。守るかのように。
そして男たちに向けられたゼルフィードの視線は、氷のように冷たく、底知れない殺気を孕んでいた。言葉を発することはない。ただ、その存在そのものが侵入者たちに圧倒的な恐怖を植え付ける。
男たちは突然の異様な雰囲気に、動きを止めた。ゼルフィードの纏う尋常ではない圧力に、本能的な危険を感じ取ったのだろう。彼らの顔から先ほどの粗暴さは消え、代わりに明らかな畏怖の色が浮かんでいる。
ゼルフィードは無言のまま、男たちを一瞥した。その冷徹な眼差しは、まるで獲物を定める猛獣のよう。
次の瞬間——男たちは悲鳴を上げながら我先にと邸宅の外へ逃げ出した。彼らの背中からは、恐怖そのものが滲み出ているようだった。
ゼルフィードは逃げていく男たちの背中をしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと視線を下ろし、自分の背後にいる蓮に目を向けた。
その瞳には、まだ愛情と呼べるような温かい光はない。だが蓮を守ろうとしたその行動は、単なる「放置」の延長線上にあるものとは明らかに違っていた。まるで、自分の管理下にあるものを他者に奪われることを強く拒否するような——そんな「所有」の意思が、そこには確かに感じられた。
男たちが恐怖を抱いて逃げ去った後、ゼルフィードは無言で蓮の傍らに立った。そして何の躊躇もなく、蓮の頭を掴むように引き寄せ、自分の身体の陰に隠すように抱きしめる。
その抱擁は、優しさや安堵といった感情とはかけ離れていた。むしろ大切なものを閉じ込めるような、強く、決して逃がさないとでもいうような力強いもの。ゼルフィードの体温は相変わらず低いが、その腕の中にいると、なぜか蓮は安心感を覚えた。
それは彼が自分を守ってくれたからなのか。それとも、彼の所有欲の中にほんのわずかな庇護を感じ取ったからなのか——
ゼルフィードは蓮の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。
「……離れるな」
その声は有無を言わせぬ圧力を含んでいた。命令であり、同時に彼自身の切実な願いのようにも聞こえる。
蓮はゼルフィードの腕の中で、ただ静かに頷いた。この奇妙な主の傍こそが、今の自分にとって唯一安全でいられる場所なのだと——半ば諦めにも似た感覚で受け入れ始めていた。
月明かりが差し込む静かな邸宅で、二人はしばらくの間、その体温を分け合うように佇んでいた。ゼルフィードの腕はまるで鎖のように蓮を強く抱きしめ、決して離そうとはしない。
蓮はその束縛感の中に複雑な感情を抱きながら、静かに夜を迎えるのだった。
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