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第6話:婚約者の真実
しおりを挟む領主館に通うようになって数日が経った。
本来なら、僕が爵位を継ぐはずだった。しかし、記憶を失った状態で、その務めを果たせるのだろうか。その間、代わりに執政を担ってくれていた方がいたと聞いている。けれど、そろそろ僕が正式に領主となる準備をしなければならないらしい。
とはいえ、失われた記憶が戻るわけではない。
(本当に僕に領主なんて務まるのか?)
不安を抱えながらも、周囲に促されるまま、僕はこの館で過ごしていた。
(ここにいれば、僕のことを知る人に会えるかもしれない)
そう思いながらの滞在でもあったが、得られた情報は少なかった。
「ご両親を亡くされ、正式に爵位を継ぐ前に王都へ移られた」
「レオン様は、病を患い療養されていた」
──その程度のことは、断片的に聞いていた。
けれど、僕がどんな人物だったのか、どんな想いで生きてきたのか。それを語れる者は少なく、領主館での生活は手探りの連続だった。
今日も少し気分を変えようと、館の庭園を歩いていた。そんなとき、不意に声をかけられる。
「おや、これはこれはレオン様。お久しぶりでございますな」
振り向くと、見覚えのない貴族の男が穏やかに微笑んでいた。年の頃は五十代半ばだろうか。上質な仕立ての衣を身に纏い、立ち居振る舞いからも高位の人物であることが窺えた。
(……誰だ?)
「……申し訳ありませんが、どなたでしょうか?」
僕がそう尋ねると、男は目を丸くしたが、すぐに何かを察したように頷いた。
「なるほど。噂は本当だったようですな」
「……?」
「私はエリオット・バークレー。あなたの父上とは親交がございました。幼い頃のあなたの姿も存じておりますよ」
「父の……」
記憶のない僕にとって、親しかったというその事実すら実感が湧かない。
「お元気そうで何より。カイル殿も、あなたのそばでしっかり支えておられるようですね」
「……え?」
思わず聞き返した。
「カイルが……僕のそばで支えて?」
「ええ、あなたの婚約者として当然のことでしょう」
「……っ!」
心臓が、大きく跳ねた。
「カイルが、僕の婚約者なのですか……?」
バークレー卿は、不思議そうに眉を寄せた。
「ご存じなかったのですか?」
「……僕は、記憶を失っていて……」
「おや、伝えられていなかったのですか。それは……」
彼は一瞬言葉を選ぶように沈黙し、それから静かに言った。
「ですが、ご安心ください。あなたの婚約は変わらず続いておりますよ」
その言葉に、僕は息を詰まらせる。婚約者は……カイル?
だとしたら──
「……ルシアンは?」
思わず口に出していた。
「ルシアン・ヴェルナー殿のことですか?」
「ええ。僕の婚約者は……ルシアンじゃないんですか?」
バークレー卿は、少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに首を横に振った。
「いいえ。ルシアン様は、あなたの婚約者ではありません」
「……!」
思考が、一瞬止まった。
(ルシアンが、僕の婚約者じゃない……?)
なら、あの「婚約者だ」と言ってくれた言葉は?僕を甘やかしてくれた態度は?僕のそばにいようとする、あの執着は──?
(嘘だったのか?)
「レオン様?」
バークレー卿の声が遠くに聞こえる。
僕は、急いでその場を後にした。
◇
すぐにルシアンの部屋へ向かった。
「ルシアン」
彼は机に向かい、魔法陣が描かれた書物を広げていたが、僕が入ってくると静かに顔を上げた。
「レオン?」
いつもと変わらない穏やかな声。しかし、今の僕にはその声音すら嘘のように聞こえた。
「聞きたいことがあります」
「……なんだい?」
「僕の婚約者は、カイルなのですか?」
ルシアンの指が、わずかに動きを止めた。その一瞬の間が、答えだった。
「……なぜ、そう思う?」
「答えてください」
ルシアンの瞳が、ふっと揺れる。
「レオン……」
その時、扉が勢いよく開いた。
「もう嘘はやめろ」
鋭い声とともに、カイルが入ってきた。
「カイル……?」
僕がそう呟くのと同時に、彼はルシアンを強く睨みつけた。
「お前が何をしようと、もう隠し通せるものじゃない」
「……」
「レオンの婚約者は、俺だ」
カイルは、はっきりと言った。
ルシアンは何も言わなかった。
けれど、その沈黙が何よりも雄弁だった。
「……ルシアン?」
僕は、かすれた声で問いかけた。
「本当に、あなたは……僕の婚約者じゃないんですか?」
ルシアンは、ただ唇を噛みしめる。
「……答えてください」
ルシアンの手が、ぎゅっと拳を作るのが見えた。
そして、絞り出すように言った。
「……ごめん」
僕の胸の奥で、何かが砕けた。
「……ふざけないで」
低く呟いた僕に、ルシアンが顔を上げる。
「ごめん、って……それで済むと思ってるんですか?」
「……」
「あなたは僕を……騙していたのですか?」
ルシアンの青い瞳が、かすかに揺れた。
でも、否定はしなかった。
それが、答えだった。
「──最低」
ルシアンの表情が、苦しげに歪む。
「もう、僕に近寄らないでください」
そう言い残し、僕は部屋を出た。
ルシアンの「待って」という声が、背後で掠れたように響いた。
でも、振り返ることはできなかった。
僕の知っているルシアンは、全部嘘だったのかもしれない。
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