1 / 8
第1話:召喚の儀と二人の不運
しおりを挟む焼けつくような熱気が、肌をじりじりと焦がした。
高い天井を支える大理石の柱が立ち並ぶ王宮の大広間は、通常なら涼しげな空間だっただろう。しかし今日は、四方から集められた二百人もの魔法使いたちの体温と、緊張した吐息によって、まるで蒸し風呂のような状態になっている。
祭壇の中央に置かれた巨大な魔法陣──直径十メートルはあろうかという円形の石板に、複雑な幾何学模様が刻まれている。その溝の一つ一つに、赤い宝石の粉末が埋め込まれ、鈍い光を発しながら、まるで生き物の心臓のように脈打っていた。
俺──アリアス・ヴァルターは、祭壇を囲む魔法使いたちの最前列に立たされ、その異様な光景をただ茫然と見つめていた。
隣に立つ、村で顔見知りの老魔法使いマルクス爺さんが、枯れ木のような指で杖を握りしめながら、不安げにため息をつく。振り返ると、普段の温和な表情とは打って変わって、その皺だらけの顔は青ざめていた。
「また、あの悪夢が繰り返されるのか…」
マルクス爺さんの震え声が、重苦しい空気を破る。その隣では、黒いローブを着た中年の女性魔法使いが、胸元で十字を切るようにして何事かを呟いているのが見えた。
まさか、自分がこんな場所に立たされる日が来るなんて。
十八年という短い人生のうちに、両親と同じ運命を辿ることになるとは思いもしなかった。
五年前、あの忌まわしい勇者召喚の儀で、父も母も、そして百人の魔法使いたちが、魔力枯渇により命を落とした。失敗に終わった召喚の代償は、あまりにも大きかった。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。王宮からやってきた使者が、村の中央広場で巻物を広げ、読み上げた死者の名前。父の名前「エドワード・ヴァルター」、母の名前「エリザベス・ヴァルター」が呼ばれた瞬間、俺の足は崩れ落ち、石畳の上で泣きじゃくった。
あのとき、村の長老が皺だらけの手をそっと俺の頭に乗せてくれた言葉が、今でも胸に残っている。
「アリアス、お前は生き延びるんだよ」
そして今、再び勇者召喚のため、国中の魔法使いが集められた。成人した俺にも、王家の印章が押された拒否権のない召集状が届けられた。羊皮紙に書かれた文字は、まるで死刑宣告のようだった。
出発の日、見送りに来てくれた幼馴染の少女・リリアが、村はずれの丘で涙をためた緑の瞳で俺を見上げていた。彼女の肩まで伸びた茶色の髪が、朝の風に揺れている。
「アリアス……どうか、無事で帰ってきて」
リリアの言葉を受けて、俺は無理に笑顔を作ろうとしたが、唇が震えるばかりだった。
親しい村の人々も皆、家々の窓から、農作業の手を止めて、悲しげな目で俺を見送っていた。勇者召喚の儀で家族を失った者たちが集まり、ひっそりと暮らすこの村では、王族や召喚に対する憎しみに似た怨嗟の声が絶えなかった。
「一体、いつまでこんなことを繰り返すんだ!」
村の鍛冶屋の男が、壁板を拳で叩きながら叫んだ低い声が、今も耳に焼き付いている。
前世の記憶がなければ、俺もただ恐怖に震えるだけだっただろう。日本で暮らしていた頃、漫画やゲームを通じて知った知識から、勇者召喚の儀式がどのようなものかは理解していた。異世界から特別な力を持つ人間を呼び出し、この世界を救おうとする試み──理屈は、わかっているつもりだ。
でも、本当にそれが、両親の命を差し出すほどの価値があるのか。
「頼むから、もう誰も死なせないでくれ…」
心の中でそう叫んでも、誰にも届くはずがなかった。割り切れない想いが、胸の奥で渦巻いていた。
◇◇◇
やがて、祭壇の奥から白い法衣をまとった大司祭が現れた。その後ろには、金の刺繍が施された紫の衣装を着た王族らしき人たちが続く。最後に王と王妃が並んだ。
大司祭が魔法陣の前に立ち、両手を天に向けて高々と掲げる。その瞬間、広間全体に静寂が訪れた。
「古の盟約に従い、今ここに勇者を召喚せん!」
大司祭の宣言とともに、魔法陣の光が徐々に強さを増していく。赤い宝石の粉末が、まるで溶岩のように煮えたぎり始めた。
後方の魔法使いたちは、まるで見えない糸で操られる人形のように、一斉に祭壇へ向けて両手をかざし、魔力を注ぎ始めた。
俺の左隣にいる若い女性魔法使いが、それを見て顔を青ざめさせている。
「う……くそ……!」
後方で呻き声を漏らす者もいる。中年の男性魔法使いが額に脂汗を滲ませ、杖を支えにして必死に立っていた。
魔法陣の光がさらに強くなり、広間全体が真昼のような明るさに包まれる。
俺たちの番が来た。
祭壇に向かって両手を掲げた瞬間、体の中から何かが一気に流れ出ていくのを感じた。それは、これまで大切に育んできた、微かな魔力だった。
「やめろ…!」
逃げ出したくても、足が床に張り付いたように動かない。祭壇の石は、まるで巨大な掃除機のように、俺の魔力を際限なく吸い上げていく。
隣の若い女性魔法使いが悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちた。彼女の茶色い髪が床に散らばり、その瞳は虚ろになっている。
「お母さん…!」
観客席の方から、小さな子どもの声が虚しく響いた。声のする方を見ると、小さな影が手すりにしがみつき、倒れた母親らしき人の名前を呼び続けているのが見えた。
周囲では、同じように苦悶の表情を浮かべた魔法使いたちが、バタリ、バタリと音を立てて倒れていった。まるで、咲き誇った花が、嵐に打たれて無残に散っていくかのようだった。
観客席から誰かが叫んだ。
「また、失敗するのか!」
俺の体も限界が近かった。立っているのがやっとで、視界が歪み、足元が揺らいで膝が石床に崩れ落ちた。冷たい大理石の感触が、頬に伝わってくる。それでも、体から魔力が奪われ続けていく。
「もう、だめだ――」
そう思った瞬間、周囲から信じられないような歓声が上がった。
「来るぞ! 勇者様だ!」
眩い光が、祭壇の中心で爆発した。あまりのまぶしさに、思わず腕で目を覆う。隣で倒れかけていたマルクス爺さんが、震える声で言った。
「本当に……現れたのか……?」
やがて光が収まると、そこに人影が立っていた。
信じられない光景だった。光の中から現れたのは、この世界の誰とも異なる──俺の”元の世界”と同じ格好をした人間だった。
黒いスーツに革靴。ネクタイはやや緩められ、シャツの袖は少し汚れている。手には茶色の革のバッグと、片方にはコンビニのビニール袋。袋の中には、弁当らしきものが入っているのが見える。
「え…? ここは…?」
二十代前半ぐらいの男性が、きょろきょろと周囲を見回しながら呟いた。その表情は、まるで電車を乗り間違えたサラリーマンのような当惑ぶりだった。
歓声はさらに大きくなり、王族らしき者たちが歓喜の涙を流して男に駆け寄っていく。王の靴が、石床を踏み鳴らす音が響いた。
「よくぞ、この世界においでくださいました!」
王が深々と頭を下げる。その光景を、意識が薄れゆく中で、俺はただぼんやりと眺めていた。
「これで、世界は救われる!」
大司祭がそう叫び、両手を天に向けて掲げた。
人生って、本当にままならない。
俺は一体、誰を責めればいいのだろう? こんな目に遭わされても、耐えることしかできない非力な自分たちを? それとも、こんな儀式を強行し続ける王族を? それとも──あの何も知らない勇者を?
「父さん……母さん……」
小さく呟いた言葉は、王宮の喧騒の中へと、かき消されていった。
最後に見えたのは──光の中で戸惑いを浮かべる、その男の顔。黒縁の眼鏡をかけた、どこか懐かしさを覚える表情に、胸が締めつけられる。
「一体……何が……?」
勇者らしき男が、コンビニ袋を握りしめながら困惑している。その姿は、まるで俺がかつて日本で見た、終電を逃して途方に暮れるサラリーマンそのものだった。
ふいに、遠い故郷の匂いがした気がした。
そして俺の意識は、完全に闇の底へと沈んでいった。
130
あなたにおすすめの小説
ギャルゲー主人公に狙われてます
一寸光陰
BL
前世の記憶がある秋人は、ここが前世に遊んでいたギャルゲームの世界だと気づく。
自分の役割は主人公の親友ポジ
ゲームファンの自分には特等席だと大喜びするが、、、
当て馬系ヤンデレキャラになったら、思ったよりもツラかった件。
マツヲ。
BL
ふと気がつけば自分が知るBLゲームのなかの、当て馬系ヤンデレキャラになっていた。
いつでもポーカーフェイスのそのキャラクターを俺は嫌っていたはずなのに、その無表情の下にはこんなにも苦しい思いが隠されていたなんて……。
こういうはじまりの、ゲームのその後の世界で、手探り状態のまま徐々に受けとしての才能を開花させていく主人公のお話が読みたいな、という気持ちで書いたものです。
続編、ゆっくりとですが連載開始します。
「当て馬系ヤンデレキャラからの脱却を図ったら、スピンオフに突入していた件。」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/239008972/578503599)
イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください
婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。
零壱
BL
自己肯定感ゼロ×圧倒的王太子───美形スパダリ同士の成長と恋のファンタジーBL。
鎖国国家クルシュの第三王子アースィムは、結婚式目前にして長年の婚約を一方的に破棄される。
ヤケになり、賑やかな幼馴染み達を引き連れ無関係の戦場に乗り込んだ結果───何故か英雄に祭り上げられ、なぜか嫁(男)まで手に入れてしまう。
「自分なんかがこんなどちゃくそ美人(男)を……」と悩むアースィム(攻)と、
「この私に不満があるのか」と詰め寄る王太子セオドア(受)。
互いを想い合う二人が紡ぐ、恋と成長の物語。
他にも幼馴染み達の一抹の寂寥を切り取った短篇や、
両想いなのに攻めの鈍感さで拗れる二人の恋を含む全四篇。
フッと笑えて、ギュッと胸が詰まる。
丁寧に読みたい、大人のためのファンタジーBL。
他サイトでも公開しております。
君さえ笑ってくれれば最高
大根
BL
ダリオ・ジュレの悩みは1つ。「氷の貴公子」の異名を持つ婚約者、ロベルト・トンプソンがただ1度も笑顔を見せてくれないことだ。感情が顔に出やすいダリオとは対照的な彼の態度に不安を覚えたダリオは、どうにかロベルトの笑顔を引き出そうと毎週様々な作戦を仕掛けるが。
(クーデレ?溺愛美形攻め × 顔に出やすい素直平凡受け)
異世界BLです。
婚約破棄された悪役令息は従者に溺愛される
田中
BL
BLゲームの悪役令息であるリアン・ヒスコックに転生してしまった俺は、婚約者である第二王子から断罪されるのを待っていた!
なぜなら断罪が領地で療養という軽い処置だから。
婚約破棄をされたリアンは従者のテオと共に領地の屋敷で暮らすことになるが何気ないリアンの一言で、テオがリアンにぐいぐい迫ってきてーー?!
従者×悪役令息
絶対に追放されたいオレと絶対に追放したくない男の攻防
藤掛ヒメノ@Pro-ZELO
BL
世は、追放ブームである。
追放の波がついに我がパーティーにもやって来た。
きっと追放されるのはオレだろう。
ついにパーティーのリーダーであるゼルドに呼び出された。
仲が良かったわけじゃないが、悪くないパーティーだった。残念だ……。
って、アレ?
なんか雲行きが怪しいんですけど……?
短編BLラブコメ。
本当に悪役なんですか?
メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。
状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて…
ムーンライトノベルズ にも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる