【完結済】勇者召喚の魔法使いに選ばれた俺は、勇者が嫌い。

キノア9g

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第2話:帰郷と一時の安息

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 目を開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは、顔を歪ませた長老の姿だった。

 普段なら整えられているはずの白い髭は乱れ、目のふちが赤く腫れていて、きっと、ろくに眠っていなかったのだろうことが容易に想像できた。長老の隣には、村の女性たちが心配そうに立っている。その中には、薬草を煎じた湯気の立つ椀を手にした村の薬師の姿もあった。

「アリアス……!」

 長老のかすれた声が震え、その腫れぼったい目から一筋の涙が頬を伝った。傍らに控えていた村人たちも、それぞれに口元を押さえ、ある者は静かに涙を流していた。室内には、安堵と心配の入り混じった重い空気が漂っている。

「……長老」

 喉が焼けつくように痛む。出てきた声が、自分のものじゃないように感じた。唇は乾いてひび割れ、舌も思うように動かない。

「ああ、アリアス……生きて……生きて帰ってきてくれた……」

 長老は信じられないというかのように、もう一度俺の名を呼び、震える手で頬をそっと撫でた。その皺だらけの指先は、まるで壊れ物に触れるように優しく俺の顔を確かめる。そのまま、無事な体を確かめるかのように、強く抱きしめられる。

 毛織物の服から漂う草の匂いと、長老の体温を感じた瞬間、ああ、本当に帰ってきたんだと胸が熱くなった。

 周りの村人たちも安堵のため息を漏らし、なかには小さく拍手をする者さえいた。村の鍛冶屋の奥さんは、手に持っていた手拭いで目頭を押さえている。

「あの、俺……」

 心配かけてごめんと口に出したいのに、喉が詰まって声が出ない。

「無理に話さなくていい。ゆっくり休め」

 長老の言葉には、俺への気遣いだけではない、まだ消えぬ深い悲しみと安堵の色が滲んでいた。その複雑な感情が、俺の胸の中にも、静かに染みこんでいく。

 ――俺は……死ななかったのだ。

 あの儀式の後、俺はどうなったのだろう。最後に覚えているのは、あの勇者の戸惑いを宿した瞳と、遠くから叫ぶ誰かの声だけだった。あの王宮の冷たい床に倒れた後の記憶は、すっかり途切れている。

 瀕死の状態だった俺を、村の人たちが三日三晩交代で看病してくれたと聞かされた。薬師が特別な薬草を煎じ、女性たちが濡れた布で額を冷やし続けてくれたのだという。

 どれほどの時間が経ったのだろう。体は鉛のように重く、魔力を絞られた両腕は、まるで他人のもののようだった。指先を動かそうとしても、思うように力が入らない。

 それでも、俺は確かに帰ってきた。

 この村――大好きな、仲間たちの元へ。


 ◇◇◇

 窓の外からは、鳥のさえずりと子どもたちの声が聞こえてくる。村の近くを流れる小川のせせらぎの音も、いつものように響いている。その穏やかな音が、失われた日常の帰還をそっと告げているようだった。

 体力が戻るにつれて、少しずつ外に出られるようになった。ようやく体を起こせるようになったある日、俺は家の前の小さな庭に出て、太陽の光を浴びた。黄金色の草が風に揺れ、綿毛が空へ舞い上がっていく。

 なんでもない、その穏やかな美しさが、数日前までの悪夢をまるで幻のように感じさせた。

「アリアスお兄ちゃんだ!」

 遠くから子どもたちの声がして、小さな影が数人、土埃を上げながら駆け寄ってくる。一番に飛びついてきたのは、いたずら好きのトールだった。彼の茶色い髪は汗でぺたりと額に張り付き、瞳は、いつも以上に輝いている。その後ろには、控えめで人見知りなマルタが俺の陰に半分隠れるように立ち、双子のレナとリオは手を繋いで俺を見上げていた。
 
 彼らの笑顔が、俺の失わずに済んだ命を祝福してくれているように思えた。

「元気になったんだね!」

 トールが嬉しそうに顔を覗き込んでくる。その小さな手が、俺の腕をぺたぺたと触って確かめている。

「うん、まだ走ったりはできないけどね」

 そう言って笑いかけると、子どもたちの顔がぱっと明るくなった。

「今日もお話してくれる?」

 トールが身を乗り出してくる。

「ああ、もちろん。今日はね、不思議な力を持った少年が、仲間と一緒に悪者を倒すお話にしようか」

 庭の大きな樫の木の根元に腰を下ろし、子どもたちに囲まれながら、誰も知るはずのない前世で読んだ物語を語っていく。この世界向けに、少しだけ脚色を加えて。

「その少年はね、普通の子だったんだけど、ある日突然、すごい力が宿るんだ。そしてその力を使うたびに、すごく疲れちゃうんだって」

 子どもたちは円を作って座り、瞳を輝かせながら聞いている。

「まるで、魔法みたいだね!」

 リオが小さく呟く。

「でも、その子は仲間を助けるために頑張るんだよね!」

 レナが目を輝かせる。マルタは真剣な表情で耳を傾け、トールは興奮して身振り手振りを交えていた。

 彼らの反応を見ていると、話しているこちらまで楽しくなってくる。

 夕暮れ、オレンジ色の空が村を包み、風が涼しくなってきたころ、ふと気づけば、リリアが俺の隣に座っていた。彼女の茶色の髪は夕日に照らされて輝いているが、目は赤く腫れ、頬には乾いた涙の跡が残っている。
 
 彼女もまた、ずっと俺の無事を案じていてくれたのだろう。その手には、村の花で作った小さな花束が握られている。

「本当に……生きて帰ってきてくれて、よかった」

 差し出された小さな手をそっと握り返すと、彼女は力なく笑った。その手は冷たく、細い指が震えている。

「心配かけたね」

 そう言うと、リリアは俯いたまま、小さく呟いた。

「……勇者のせいで、またたくさんの人が死んだ……」

 その声には、押し殺しきれない怒りと悲しみが滲んでいた。

 彼女もまた、五年前の召喚で家族を失ったひとりだ。あのとき、泣き腫らした目をして必死で孤独に耐えている少女の姿を、俺は今も忘れられない。

 子どもたちの笑顔が戻り、村に穏やかな日常が流れ始めても――俺の心には、数日前のあの儀式の記憶が色濃く残っていた。

 勇者――俺の前世と同じ世界から来た、あの男。

 彼は今、王宮で英雄として讃えられているのだろうか。

 それとも、あの場にいた魔法使いたちを犠牲にした存在として、誰かの怒りや憎しみに晒されているのだろうか。

「リリア」

 風が髪を揺らす中、俺はそっと問いかけた。

「……勇者は、今、どうしてるんだろうな」

 彼女は眉をひそめ、花束を握る手に力を込めながら、冷たい声で答えた。

「そんな奴のことなんて、考えたくもない。私たちの家族を奪ったのよ。英雄だなんて、冗談じゃない」

 その言葉に、胸が痛んだ。でも、それがこの世界の現実なのだ。

 俺たち魔力提供者がどう扱われ、何を犠牲にしてきたのか――誰よりも、リリアが知っている。

「……あれは、日本人だったよな」

 ぽつりと呟いた。誰にも届かないような、小さな声で。
 
 遠くの空を見上げて、ふと考える。

 勇者は、俺たちの言葉を理解できているだろうか。

 この世界の空気に、もう慣れているのだろうか。


 ◇◇◇

 夕食の香りが漂ってくる。どこかの家から、母親が子どもを呼ぶ声が響いた。子どもたちの笑い声が、庭の向こうから届く。

 ささやかな幸せが、今ここにある。それが壊れないで欲しいと、心から願った。

 だが――心の奥には、まだ消えない波紋が残っている。

 あの日の儀式。あの男の瞳。

 それは静かに、水面に落ちた一滴の雫のように、心の奥底へと波紋を広げ続けていく。

 いつか、それが大きな波となって――俺たちの平穏を呑み込んでしまうのではないか。

 そんな不安が、静かに、俺の胸を蝕み始めていた。

 夜の帳が降りる中、村の家々に明かりが灯り始める。その温かな光を見つめながら、俺は静かに立ち上がった。
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