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第4話「揺らぐ魔力、揺らがぬ想い」
しおりを挟む季節の変わり目を告げる鋭い冷気が、洞窟の天井から細く流れ込んでいた。風が岩肌を撫でるたび、外の世界の厳しさが肌を刺す。
レオンハルトは焚き火に薪をくべる。火の粉が舞い上がり、その炎の明かりが揺れる中、石のそばに腰を下ろす。目の前には、十五年間、ただ静かに佇む封印の石。そして、その中に眠る人──イグニス。
レオンハルトの視線は、温かく、そして深く石を見つめていた。
「……最近、少しだけ魔力の揺らぎが強くなったように思います」
そう呟いて、レオンハルトは微かに微笑む。
イグニスの魔力が外に”触れて”いる。イグニスが魔力を揺らすと、石の表面がわずかに光る。その微かな反応に気づいてからというもの、少しずつだが、言葉を介さずとも思いを伝えられる手応えを感じていた。それは、彼らだけにしか通じない、誰にも邪魔できない秘密の絆だった。
だが、その”兆し”は、思わぬかたちで──静かに外の世界へと波紋を広げ始めていた。
王都・リュゼルアーク。夜闇にそびえる王城の最奥、厳重に管理された魔術観測室。
「陛下、こちらが封印石の異常値報告書になります」
王城の首席魔術師が、冷厳な声で報告書を差し出す。報告を受け取った王──アルバス・リュゼルアークは、無表情に目を細めた。その目には、わずかな苛立ちが宿っている。
「……魔力活性、だと? 十五年、ぴくりとも動かなかったあの石が?」
アルバスの声には、明らかな不快感が滲んでいた。
「はい。この数日、ほんの僅かですが封印内から微弱な魔力が外部に干渉している形跡が──」
「それで、弟の奴は……どうしている?」
首席魔術師は一瞬躊躇ったが、すぐに冷静な声で答えた。
「定期報告は途絶えたままです。現在、洞窟の封印座標に常駐している可能性が高く──」
報告は淡々と続くが、アルバスの顔は次第に険しくなっていく。
「……やはり、“甘かった”か」
アルバスの指が、椅子の肘掛けを静かに叩いた。その音が、執務室に重く響く。
「あの男の封印を解くつもりはない。だが、このままでは脅威が覚醒する可能性も否定できぬ。万が一にも奴の力がこの王国に災いをもたらす前に、完全な再封印の儀式を行う」
アルバスは一拍置いて、低い声で言い放った。
「あの者にも通達を出せ。速やかに」
「かしこまりました」
首席魔術師は深々と頭を下げた。アルバスの視線は遠く冷ややかで、その奥には、弟に向けた隠しきれない苛立ちと、蔑みすら滲んでいた。
(やはりお前は、愚かな夢に縋るか、レオンハルト。私の邪魔をするというのなら……容赦はしない)
その後、封印の洞窟。
王都からの使者が置いていった厳かな封筒が、レオンハルトの手にあった。その紙はきつく封じられているのに、不思議と中身を読む前から、胸の奥を、ざらりと何かが撫でた気がした。この十五年間、決して彼を裏切らなかった直感が、今また不穏な気配を告げていた。
彼は静かに封を切り、中に納められた一枚の命令書を目にする。そこには、簡潔な言葉で、しかし絶対的な命令が記されていた。
「……再封印の儀式」
その文字を見たとたん、彼の体の温度が何度も下がる感覚がした。心臓が鉛のように重くなり、全身の血の気が引いていく。
「……まだ、何も……あなたと私は、何もできていないのに……」
唇からこぼれた言葉は、か細く震えていた。視線を落としたまま、彼はイグニスの石のそばへ戻る。
その石に、手をそっと置いて──目を閉じた。熱いものがこみ上げるのを必死で抑え込む。
「私はあなたの命を守りたかった。それだけだった。……でも、あなたをこのまま封印したままでいいとは、一度も思っていない……っ」
最後の言葉は絞り出すように震えていた。必死に抑え込もうとしているのに、その表情には隠しきれない苦しみが滲んでいた。
──あの日、兄から告げられた三つの選択肢が、脳裏に鮮明に甦る。あの時の彼は、まだ幼く、ただ無力だった。
イグニスの封印を解く条件は三つ。
「目と喉を潰すか」──永久に光も声も奪うこと。
「奴隷の刻印を刻むか」──魂までも縛り付け、利用価値のある道具とすること。
「粉々にして葬るか」──存在そのものを消滅させること。
どれも、“愛している”なら、人として、到底選べない残酷な手段だった。
そして唯一、彼を守るために選べたのが、封印だった。十五年の時を経て、彼は知る。あの時の選択は、イグニスを封印しただけでなく、彼自身をもこの洞窟に、そしてイグニスへの愛情に、強く強く閉じ込めていたのかもしれない。
でももう、逃げることはできなかった。彼の選択は、今も彼自身の心を縛り続けている。
その夜、イグニスは石の内側で、彼の微かな──けれど確かな気配を感じ取っていた。
焚き火の音が、いつもよりずっと小さい。彼の気配も、どこか遠い。眠りにつく前のひととき、彼の気配はいつもすぐそばにあったはずなのに──今夜は違っていた。
(……なんだよ、お前。今日に限って、やけに静かじゃねぇか)
心の中の問いかけには、もちろん返事はない。だけど、わかる。彼の呼吸が、かすかに揺れていた。その揺らぎに混じる重さが、悲しみと葛藤の中にあることを、はっきりと物語っていた。
──それだけで、察せた。
(あの手紙……お前に、何か嫌なことが届いたんだな)
イグニスが魔力を揺らせば、彼はすぐに気づいてくれる。けれど、今はそれが躊躇われた。自分の存在が、今の彼の負担になる気がして……それがたまらなく苦しかった。
(……悔しいな)
思考ばかりが熱を帯びていく。もどかしさが、胸の奥を爪でひっかくように這いまわる。
(触れることも、抱きしめることもできねぇ。ただ”だいじょうぶ”の一言さえ言えねぇ。──なのに、お前は一人で、あんな顔して……)
(俺は、なんて……無力なんだ)
でも、沈黙は、完全な断絶じゃない。言葉を交わせなくても、心はきっと──繋がっている。
だから、イグニスはそっと魔力を揺らした。ほんの小さな、それでも確かな意志を、封印の内側から石の表面へと届かせる。
弱々しく明滅する光。それは「ここにいる」という合図。そばにいる、と伝える、たったひとつの手段だった。
ちょうどその瞬間、焚き火の光が揺れた。その光に照らされながら、彼が顔を上げる。さっきまでの絶望が消え、代わりに、その瞳にかすかな光が宿っていた。
「……ありがとう、イグニス」
ぽつりとこぼれた声が、胸に触れたように、やわらかく沁みてきた。
「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいます。私は、決してあなたを一人にはしない」
レオンハルトは一度言葉を切り、そして静かに続けた。
「あなたが、私に声をかけてくれた日。あの日が、私のすべての始まりです」
その目は涙も怒りもなく、ただひとつ──静かな強さと、揺るぎない決意を宿していた。
(……なら、俺も)
(俺も、ちゃんと応えてみせる。お前のその覚悟に)
声にならない声を、胸にそっと灯す。彼の想いを、強く、深く、抱きしめるように。
それは、どれほどの困難が立ちはだかろうと、「レオンハルトの隣で生きたい」と願った、イグニスの静かで揺るがぬ決意だった。
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