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27.好きな人と推し(響子)
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最近、好きな人ができた。
出会いは最悪だった。雨の日の濡れた路面でスリップして転んだ衝撃で一瞬頭が混濁した私は、応急処置に駆け付けてくれた彼をあろうことか痴漢と勘違いして思い切りビンタしてしまったのだ。かなり痛かっただろうに、彼をそのことを全く問題にせずに私の身体を気遣ってくれた。
いい奴だな、というのが第一印象だった。
転んだ衝撃で愛車のゴリラのエンジンが掛からなくなってしまった。私はバイクに乗るのは好きだけど、機械的な部分のことはぜんぜん理解してないから、原因も何も分からず途方に暮れてしまった。とにかく、最寄りのバイク屋まで押して行かなくちゃいけないけど、ちょうど場所が峠の上り坂の途中で、一番近いバイク屋は峠を越えた数km先にしかない。
とりあえずそこまで押して行くことにして、心配して一緒にいてくれたモンキー乗りの彼をそこまで付き合わせるわけにもいかなかったので、気にせず先に行ってと促して先に行かせた。
彼のモンキーのエンジン音が遠ざかり、降りしきる雨の音だけが聞こえる中、私は汗だくになりながらゴリラを押して坂を登っていった。転んだせいで身体中が痛いし、ゴリラは重いし、雨と汗で不快だし、なんかもう踏んだり蹴ったりで悲しくなって泣いてしまった。そこに坂の上のトンネルにモンキーを置いた彼が助けに戻ってきてくれた。泣き顔を見られた恥ずかしさでつい悪態をついてしまったけど、心底嬉しくてホッとした。
その後、お互いに自己紹介して、彼──宮本佑樹が、あの私の恩人でもある宮本沙羅先輩の弟だと知った。さすがは沙羅先輩の弟だけあってお人好しだなと納得したし、私はつくづく宮本姉弟に助けられるんだな、とちょっと可笑しくなった。
坂の上のトンネルまでゴリラを運びこんで、ここからは下り坂だから佑樹には先に行ってもらおうと思ったのに、当の佑樹は携帯工具を取り出して私のゴリラの不調の原因を調べ始め、あっという間に原因を特定してあっさり直してくれた。
再びエンジンが動き始め、調子よくアイドリングするゴリラを前に爽やかに笑う佑樹の姿に──恋に落ちる音がした。異性を好きになるなんて今まで経験したことなかったけど、こんなの、絶対好きになるに決まってる。
私は自分がかなりの美少女であることは自覚している。でも、それはどちらかといえばコンプレックスになっている。目立ちすぎる外見というのは時に厄介な人間を引き寄せ、本当に仲良くしたい人間を遠ざける。実際、私には仲のいい友だちと呼べる相手はいない。友だちと呼ぶのはおこがましいけど、本当に気兼ねなく仲良くしてくれたのは沙羅先輩ぐらいだ。
この見た目に惹かれてこれまでたくさんの男子に告白されたけど、一度として私がいいなって思う相手はいなかったし、それどころか嫌な思いをさせられたことも少なくなくて、私はすっかり男性不信になっていた。自分が誰か男子を好きになるなんてこの先絶対ないだろうと思ってたし、なんなら私は同性の方が好きなのかも、とさえ思っていたけどそうじゃなかった。本当に素敵な男子と出会えてなかっただけだった。
最初の出会いこそ最悪だったけど、おかげで佑樹に、初めて仲良くなりたいと思える男子に出会えたから、このご縁を自然消滅させずに大切にしたいと思った。学年も学科も校舎も違うから普段の学校生活では基本的にお互いに会うことはない。偶然なんか期待せずに自分から行動しないと佑樹の特別にはなれない。
だから製菓実習で作った自慢のクッキーを持って昼休みに佑樹に会いに行った。そこで私はもう一人と衝撃的な出会いをした。
大倉香奈。陸上界の期待の超新星。中学女子の100㍍走記録保持者。私の中学の後輩だった古市明日香のライバル。そして私の推し。
私は大倉香奈のファンで、彼女の出場する大会には状況が許せば必ず応援に行っていた。あの、彼女の最後となった県営総合競技場での競技会も。
明日香によって転倒させられ、自力で立つことも出来ずに担架で運び出される彼女の涙を私は見た。そして、それが彼女を見た最後で、大倉香奈はビックリするほど呆気なく陸上界から引退してしまった。突然の推しロスは私の心にぽっかりと穴を空けた。
そんな彼女が普通の女子として佑樹のクラスにいて、しかも佑樹の彼女だった。推しに再会できた喜び。推しの前で限界化しちゃいけないという理性。推しの彼氏が私の好きな人だという衝撃。佑樹と仲良くなりたい。でも推しにも嫌われたくないという気持ち。色んな感情がごちゃ混ぜになって盛大に空回って、最終的に佑樹の友だちになろうという提案に救われた。
これまでろくに話したこともないような男子から一方的に告白されるばかりで、まずは友だちからというのは体のいい断り文句でしかなくて、そのようにして振った相手と実際に友だちになるわけでもなかった私にとって、本当の意味で友だちから始めるというのは目から鱗だった。仲良くなるためには付き合うしかないと考えていた私はずいぶん人間関係の距離感がバグっていたらしい。
佑樹の彼女であり私の推しである大倉香奈が嫌がるなら私は身を引かなくちゃと思っていたけど、彼女は私が佑樹のことを好きだと間違いなく気づいているのに、私が彼のそばにいることを許してくれて、私とも友だちになろうとしてくれた。やはり私の推しは優しい。好き。
私がしていることはどう見ても付き合っているカップルに割り込む横恋慕でしかなくて、決して誉められることではなく、本当は私の方から身を引くべきなのは分かっている。
けど、好きな人と推しと一緒にいられるこの関係は思った以上に居心地が良すぎて、校内に他に親しい友だちがいないこともあって、私はついつい二人の優しさに甘えてしまってズルズルと関係を続けて夏休みになってしまった。
夏休みが始まって数日。寂しさを我慢できなくなった私は佑樹に電話をかけた。
──プルルルル……プルルルル……
数回の呼び出し音で通話が繋がる。
『はい。こちら三重県警。事件ですか? 事故ですか?』
佑樹のこういうノリ好き。
「……すいません! あたし、人をバイクで撥ねてしまったんです! ……ってなんでやねーん!」
『おお! ノリツッコミ。さっすが響子さん。ええ反応やなぁ!』
「……祐樹はあたしをなんだと思ってるんだい? ……ま、いいや。暇してるんだったらちょっとツーリングに行かないかい?」
さりげなさを装いつつドキドキしながら誘ってみる。
『暇ではないなー。今しがたバイト終わりで家帰ってきたとこやで、これから妹の昼飯作らないかんし、あとで香奈ちゃんも来るし』
「そ、そうか。今ちょうど伊勢に向かってるとこだから都合が良ければと思ったんだがすまなかった」
ガッカリしながら通話を終えようとしたが……
『ん? 今から伊勢に来んの? そんならちょっとうちに寄らん? 響子さんのゴリラ、アイドリングがだいぶ弱っとるやん。キャブの調整したるで』
「え? いいのかい? 行っていいなら是非お邪魔したいのだが」
『ええよー。うちのマップ情報送るわ。閉店した二階建ての喫茶店だから見たらすぐ分かると思う。着いたら玄関の鍵開いてるから中に声かけてや』
「わかった!」
通話を切って小さくガッツポーズをする。その後佑樹が共有で送ってくれた地図情報を頼りに佑樹の家に向かう。あわよくば知れたらいいなとは思っていたけど、佑樹の家の場所をあっさり教えてもらえてめちゃくちゃ嬉しい。
そして到着した佑樹の家は、県道に面したお洒落な二階建ての元喫茶店だった。一階が店舗スペースで二階に住居スペースがあるタイプ。
駐車場にゴリラを停め、玄関のガラス扉を開けて中に向かって呼び掛ける。
「ご、ごめんくださーい!」
すぐにトントントンと階段を降りてくる足音が近づいてきて、私服姿の佑樹が駆け寄ってくる。
「やあ、響子さんいらっしゃい。ゴリラをここから中に入れてくれる?」
「わ、わかった」
ゴリラを押してスロープを上がり、佑樹が開けてくれているドアをくぐって中に入ると、喫茶店の雰囲気は残しつつもさながら整備工場の様相を呈していて、さまざまな工具類や部品が雑然と置かれ、揮発したガソリンや塗料の匂いが空気に混じっていて、すっかり見慣れた佑樹のモンキーと、初めて実物を見る旧車のゴールドメッキモンキーがあった。
トントントンと店の奥の階段を降りてくる足音。そちらに目を向けるとビックリした顔で固まっている推しにしてライバル。初めて見るオーバーオール姿とポニーテールが可愛いなと思いつつ、当たり前に佑樹の家に上がっていることにちょっと動揺する。
いや、まあ彼女なんだから居てもぜんぜんおかしくないんだけど、なんというか胸がちょっとざわざわするよね。
「え? 響子さん?」
「やあ。かなっち数日ぶり。佑樹が私のゴリラをメンテしてくれるって言うから寄せてもらったよ」
「そうなん?」
「うん。響子さんのゴリラのアイドリングの低さが前から気になっとってさ。ちょうど今日伊勢に来るって言うから寄ってもらったんさ。すぐに終わる作業やしね。香奈ちゃんのモンキーはキャブごと新品に換えたから、キャブの整備の仕方は教えとらんし、ちょうどいい機会やなーと思って」
「む。私のゴリラはかなっちの教材なのかい?」
別に不快だったわけではないけど、わざとむくれた振りをすると佑樹がちょっと困ったように肩を竦める。
「そう言わんといてさ。ただで整備してやるんやでWin―Winやろ? むしろ響子さんが得してるまであるで?」
「ありがとう。ではよろしく頼む」
「……チョロいな」
「なんだとー!」
「冗談。そんならやってこか。まずは現状確認な」
佑樹が私のゴリラのイグニッションキーを回してONにして、ニュートラルランプの点灯を確認してからキックペダルを踏み込む。
──ドルンッ トットットット……
「この通りエンジンのかかりはええけどアイドリングの回転数がめっちゃ低くてぶっちゃけエンスト寸前なんよな。このままアクセルを吹かさずにアイドリングさせとくと……」
──トットットット……トットッ……トッ……プスン
「あ、エンジン止まっちゃった」
「こうなるわけや。原因はアイドリング中に気化器に燃料を供給するノズルの詰まり。せやで響子さんは普段の信号待ちとかの一時停止でも常にアクセルを少しだけ吹かしてエンストせんようにしとるやろ?」
「まあね。むしろそれが普通だと思ってたんだけど」
「その状態はだいぶ普通ではないで。まあとりあえずキャブを外してばらすから見とってや」
佑樹がタンク下の燃料コックを閉め、タンクとキャブレターをつなぐ燃料チューブを外し、キャブレターとエンジンを連結している部品を外し、あっという間にキャブレターだけを外してしまった。
【作者コメント】
初めての響子視点。普通に生きたい人にとってあまりにも容姿が整いすぎているというのも厄介事の元になるので大変だよねって話。
出会いは最悪だった。雨の日の濡れた路面でスリップして転んだ衝撃で一瞬頭が混濁した私は、応急処置に駆け付けてくれた彼をあろうことか痴漢と勘違いして思い切りビンタしてしまったのだ。かなり痛かっただろうに、彼をそのことを全く問題にせずに私の身体を気遣ってくれた。
いい奴だな、というのが第一印象だった。
転んだ衝撃で愛車のゴリラのエンジンが掛からなくなってしまった。私はバイクに乗るのは好きだけど、機械的な部分のことはぜんぜん理解してないから、原因も何も分からず途方に暮れてしまった。とにかく、最寄りのバイク屋まで押して行かなくちゃいけないけど、ちょうど場所が峠の上り坂の途中で、一番近いバイク屋は峠を越えた数km先にしかない。
とりあえずそこまで押して行くことにして、心配して一緒にいてくれたモンキー乗りの彼をそこまで付き合わせるわけにもいかなかったので、気にせず先に行ってと促して先に行かせた。
彼のモンキーのエンジン音が遠ざかり、降りしきる雨の音だけが聞こえる中、私は汗だくになりながらゴリラを押して坂を登っていった。転んだせいで身体中が痛いし、ゴリラは重いし、雨と汗で不快だし、なんかもう踏んだり蹴ったりで悲しくなって泣いてしまった。そこに坂の上のトンネルにモンキーを置いた彼が助けに戻ってきてくれた。泣き顔を見られた恥ずかしさでつい悪態をついてしまったけど、心底嬉しくてホッとした。
その後、お互いに自己紹介して、彼──宮本佑樹が、あの私の恩人でもある宮本沙羅先輩の弟だと知った。さすがは沙羅先輩の弟だけあってお人好しだなと納得したし、私はつくづく宮本姉弟に助けられるんだな、とちょっと可笑しくなった。
坂の上のトンネルまでゴリラを運びこんで、ここからは下り坂だから佑樹には先に行ってもらおうと思ったのに、当の佑樹は携帯工具を取り出して私のゴリラの不調の原因を調べ始め、あっという間に原因を特定してあっさり直してくれた。
再びエンジンが動き始め、調子よくアイドリングするゴリラを前に爽やかに笑う佑樹の姿に──恋に落ちる音がした。異性を好きになるなんて今まで経験したことなかったけど、こんなの、絶対好きになるに決まってる。
私は自分がかなりの美少女であることは自覚している。でも、それはどちらかといえばコンプレックスになっている。目立ちすぎる外見というのは時に厄介な人間を引き寄せ、本当に仲良くしたい人間を遠ざける。実際、私には仲のいい友だちと呼べる相手はいない。友だちと呼ぶのはおこがましいけど、本当に気兼ねなく仲良くしてくれたのは沙羅先輩ぐらいだ。
この見た目に惹かれてこれまでたくさんの男子に告白されたけど、一度として私がいいなって思う相手はいなかったし、それどころか嫌な思いをさせられたことも少なくなくて、私はすっかり男性不信になっていた。自分が誰か男子を好きになるなんてこの先絶対ないだろうと思ってたし、なんなら私は同性の方が好きなのかも、とさえ思っていたけどそうじゃなかった。本当に素敵な男子と出会えてなかっただけだった。
最初の出会いこそ最悪だったけど、おかげで佑樹に、初めて仲良くなりたいと思える男子に出会えたから、このご縁を自然消滅させずに大切にしたいと思った。学年も学科も校舎も違うから普段の学校生活では基本的にお互いに会うことはない。偶然なんか期待せずに自分から行動しないと佑樹の特別にはなれない。
だから製菓実習で作った自慢のクッキーを持って昼休みに佑樹に会いに行った。そこで私はもう一人と衝撃的な出会いをした。
大倉香奈。陸上界の期待の超新星。中学女子の100㍍走記録保持者。私の中学の後輩だった古市明日香のライバル。そして私の推し。
私は大倉香奈のファンで、彼女の出場する大会には状況が許せば必ず応援に行っていた。あの、彼女の最後となった県営総合競技場での競技会も。
明日香によって転倒させられ、自力で立つことも出来ずに担架で運び出される彼女の涙を私は見た。そして、それが彼女を見た最後で、大倉香奈はビックリするほど呆気なく陸上界から引退してしまった。突然の推しロスは私の心にぽっかりと穴を空けた。
そんな彼女が普通の女子として佑樹のクラスにいて、しかも佑樹の彼女だった。推しに再会できた喜び。推しの前で限界化しちゃいけないという理性。推しの彼氏が私の好きな人だという衝撃。佑樹と仲良くなりたい。でも推しにも嫌われたくないという気持ち。色んな感情がごちゃ混ぜになって盛大に空回って、最終的に佑樹の友だちになろうという提案に救われた。
これまでろくに話したこともないような男子から一方的に告白されるばかりで、まずは友だちからというのは体のいい断り文句でしかなくて、そのようにして振った相手と実際に友だちになるわけでもなかった私にとって、本当の意味で友だちから始めるというのは目から鱗だった。仲良くなるためには付き合うしかないと考えていた私はずいぶん人間関係の距離感がバグっていたらしい。
佑樹の彼女であり私の推しである大倉香奈が嫌がるなら私は身を引かなくちゃと思っていたけど、彼女は私が佑樹のことを好きだと間違いなく気づいているのに、私が彼のそばにいることを許してくれて、私とも友だちになろうとしてくれた。やはり私の推しは優しい。好き。
私がしていることはどう見ても付き合っているカップルに割り込む横恋慕でしかなくて、決して誉められることではなく、本当は私の方から身を引くべきなのは分かっている。
けど、好きな人と推しと一緒にいられるこの関係は思った以上に居心地が良すぎて、校内に他に親しい友だちがいないこともあって、私はついつい二人の優しさに甘えてしまってズルズルと関係を続けて夏休みになってしまった。
夏休みが始まって数日。寂しさを我慢できなくなった私は佑樹に電話をかけた。
──プルルルル……プルルルル……
数回の呼び出し音で通話が繋がる。
『はい。こちら三重県警。事件ですか? 事故ですか?』
佑樹のこういうノリ好き。
「……すいません! あたし、人をバイクで撥ねてしまったんです! ……ってなんでやねーん!」
『おお! ノリツッコミ。さっすが響子さん。ええ反応やなぁ!』
「……祐樹はあたしをなんだと思ってるんだい? ……ま、いいや。暇してるんだったらちょっとツーリングに行かないかい?」
さりげなさを装いつつドキドキしながら誘ってみる。
『暇ではないなー。今しがたバイト終わりで家帰ってきたとこやで、これから妹の昼飯作らないかんし、あとで香奈ちゃんも来るし』
「そ、そうか。今ちょうど伊勢に向かってるとこだから都合が良ければと思ったんだがすまなかった」
ガッカリしながら通話を終えようとしたが……
『ん? 今から伊勢に来んの? そんならちょっとうちに寄らん? 響子さんのゴリラ、アイドリングがだいぶ弱っとるやん。キャブの調整したるで』
「え? いいのかい? 行っていいなら是非お邪魔したいのだが」
『ええよー。うちのマップ情報送るわ。閉店した二階建ての喫茶店だから見たらすぐ分かると思う。着いたら玄関の鍵開いてるから中に声かけてや』
「わかった!」
通話を切って小さくガッツポーズをする。その後佑樹が共有で送ってくれた地図情報を頼りに佑樹の家に向かう。あわよくば知れたらいいなとは思っていたけど、佑樹の家の場所をあっさり教えてもらえてめちゃくちゃ嬉しい。
そして到着した佑樹の家は、県道に面したお洒落な二階建ての元喫茶店だった。一階が店舗スペースで二階に住居スペースがあるタイプ。
駐車場にゴリラを停め、玄関のガラス扉を開けて中に向かって呼び掛ける。
「ご、ごめんくださーい!」
すぐにトントントンと階段を降りてくる足音が近づいてきて、私服姿の佑樹が駆け寄ってくる。
「やあ、響子さんいらっしゃい。ゴリラをここから中に入れてくれる?」
「わ、わかった」
ゴリラを押してスロープを上がり、佑樹が開けてくれているドアをくぐって中に入ると、喫茶店の雰囲気は残しつつもさながら整備工場の様相を呈していて、さまざまな工具類や部品が雑然と置かれ、揮発したガソリンや塗料の匂いが空気に混じっていて、すっかり見慣れた佑樹のモンキーと、初めて実物を見る旧車のゴールドメッキモンキーがあった。
トントントンと店の奥の階段を降りてくる足音。そちらに目を向けるとビックリした顔で固まっている推しにしてライバル。初めて見るオーバーオール姿とポニーテールが可愛いなと思いつつ、当たり前に佑樹の家に上がっていることにちょっと動揺する。
いや、まあ彼女なんだから居てもぜんぜんおかしくないんだけど、なんというか胸がちょっとざわざわするよね。
「え? 響子さん?」
「やあ。かなっち数日ぶり。佑樹が私のゴリラをメンテしてくれるって言うから寄せてもらったよ」
「そうなん?」
「うん。響子さんのゴリラのアイドリングの低さが前から気になっとってさ。ちょうど今日伊勢に来るって言うから寄ってもらったんさ。すぐに終わる作業やしね。香奈ちゃんのモンキーはキャブごと新品に換えたから、キャブの整備の仕方は教えとらんし、ちょうどいい機会やなーと思って」
「む。私のゴリラはかなっちの教材なのかい?」
別に不快だったわけではないけど、わざとむくれた振りをすると佑樹がちょっと困ったように肩を竦める。
「そう言わんといてさ。ただで整備してやるんやでWin―Winやろ? むしろ響子さんが得してるまであるで?」
「ありがとう。ではよろしく頼む」
「……チョロいな」
「なんだとー!」
「冗談。そんならやってこか。まずは現状確認な」
佑樹が私のゴリラのイグニッションキーを回してONにして、ニュートラルランプの点灯を確認してからキックペダルを踏み込む。
──ドルンッ トットットット……
「この通りエンジンのかかりはええけどアイドリングの回転数がめっちゃ低くてぶっちゃけエンスト寸前なんよな。このままアクセルを吹かさずにアイドリングさせとくと……」
──トットットット……トットッ……トッ……プスン
「あ、エンジン止まっちゃった」
「こうなるわけや。原因はアイドリング中に気化器に燃料を供給するノズルの詰まり。せやで響子さんは普段の信号待ちとかの一時停止でも常にアクセルを少しだけ吹かしてエンストせんようにしとるやろ?」
「まあね。むしろそれが普通だと思ってたんだけど」
「その状態はだいぶ普通ではないで。まあとりあえずキャブを外してばらすから見とってや」
佑樹がタンク下の燃料コックを閉め、タンクとキャブレターをつなぐ燃料チューブを外し、キャブレターとエンジンを連結している部品を外し、あっという間にキャブレターだけを外してしまった。
【作者コメント】
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