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最終話
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アイゼン帝国の最北端。かつては冷たい雪に閉ざされていたその大地は、今や大陸で最も美しいとされる色彩の海に沈んでいた。
フィオーレが長年の歳月をかけて土壌を整え、精霊たちの祝福をその指先から分け与えた場所。そこは、季節ごとに色が移り変わる「虹色の草原」と呼ばれ、帝国の新たな象徴となっている。
「パパ! 見て、あっちに青い蝶々がいるよ!」
高く澄んだ少年の声が、草原の静寂を軽やかに跳ねた。
銀色の髪を風になびかせ、元気いっぱいに駆け出したのは、第一皇子・レオルフだ。その背中を追うフィオーレは、少しだけ息を弾ませながら、柔らかな笑みを浮かべた。
「レオルフ、あまり遠くへ行かないで。転んだら痛いよ」
フィオーレの体は、以前よりもずっと健康的な赤みを帯びている。ヴォルフラムの絶え間ない溺愛と、この豊かな自然が、かつての儚げだった少年を「帝国の母」に相応しい強さと美しさへと変えていた。
フィオーレが立ち止まり、額の汗を手の甲で拭ったその時。背後から逞しい腕が伸び、彼の細い腰をしっかりと抱き寄せた。
「……あ」
耳元に届く、低く心地よい吐息。振り返らなくても分かる。ヴォルフラムだ。
彼は公務の重圧を感じさせない軽やかな足取りで、当然のようにフィオーレの影に寄り添った。漆黒の髪が風に踊り、金の瞳が満足げに細められる。
「レオルフの体力には驚かされるな。俺が軍の演習で見せる機敏さを、あいつは蝶を追うためだけに使い切っている」
「ふふ、ヴォルフラム様の息子ですもの。きっと将来は、立派な騎士様になりますね」
ヴォルフラムは、フィオーレの肩に顎を預け、目の前に広がる景色を眺めた。
足元には、フィオーレが丹精込めて育てた「虹の雫」という名の小さな花々が、七色のグラデーションを成して咲き乱れている。その香りは甘く、それでいて森の奥深くのような清涼感を湛えていた。
「フィオーレ、覚えているか。お前をこの国に迎えたあの日、俺が言った言葉を」
「……はい。拾ってやる、って。乱暴な言い方でしたね」
フィオーレは、懐かしさに目を細めた。
あの日の冷たい風。絶望に震えていた指先。窓さえなかった荷馬車の揺れ。
けれど、そのすべてが、今この瞬間へと続くためのプロローグだったのだと、今のフィオーレは確信している。
「あの時、お前は氷の塊のように冷たかった。……だが、今のお前は、太陽の光を吸い込んだ花そのものだ」
ヴォルフラムの手が、フィオーレの手をそっと包み込んだ。
節くれだった大きな掌。そこから伝わる熱は、数年の時を経ても変わらず、フィオーレの心の奥底までを蕩けさせてしまう。
ヴォルフラムは、フィオーレのうなじに鼻先を寄せ、深く、独占的な呼吸を繰り返した。
「……ヴォルフラム様、レオルフが見ています。もう、パパが甘えん坊だって言われちゃいますよ」
「構わん。この国の全土がお前の手によって春を迎えたのだ。その主である俺が、春を一番に享受して何が悪い」
ヴォルフラムの言葉は、相変わらず不器用で、傲慢で、けれど誰よりも真っ直ぐな愛に満ちていた。
彼はフィオーレの顔を自分の方へ向けさせ、その碧い瞳に自分の金の瞳を映し出す。
至近距離で見つめ合う二人。
草原を渡る風が、二人の髪を一つに縒り合わせ、花の香りをより一層強く舞い上げた。
「……愛している。フィオーレ」
ヴォルフラムが囁くと同時に、彼の唇がフィオーレの唇を塞いだ。
それは、何度も繰り返してきたはずのくちづけ。
けれど、触れるたびに新しく、より深く。二人の魂が、共鳴する聖種の力によって一つに溶け合っていく。
フィオーレは、ヴォルフラムの広い背中に腕を回し、その熱を全身で受け止めた。
自分が「偽物」だと蔑まれていた過去など、もう思い出せないほど。この腕の中こそが、自分の真実であり、世界のすべてなのだ。
「……ん、っ……ヴォルフラム、様……」
離れ際、フィオーレの潤んだ瞳がヴォルフラムを捉える。
ヴォルフラムはたまらないといった様子で、フィオーレの額に何度もくちづけを落とした。
そこへ、一輪の大きな花を抱えたレオルフが、息を切らして戻ってきた。
「パパ! 王様パパ! 見て、一番綺麗なのを摘んできたよ!」
レオルフが差し出したのは、フィオーレが咲かせた奇跡の青薔薇だった。
ヴォルフラムは屈み込み、息子を片腕で抱き上げると、もう片方の腕でフィオーレを抱き寄せた。
「ああ。……一番綺麗な花だな。お前のパパに、ぴったりだ」
三人で寄り添い、虹色の草原を見下ろす。
遠くに見える帝都の街並み。そこでは、かつて不遇だった人々が、今は笑い合い、豊かな実りを分かち合っている。
フィオーレがもたらした春は、もう二度と終わることはない。
空には、祝福の鐘の音が遠くから響いてくる。
捨てられた不憫な第三王子は、今、世界で最も愛される妃となり、未来を紡ぐ母となった。
彼の物語は、ここで一旦の幕を閉じる。
けれど、虹の咲くこの丘で、家族の幸せな笑い声は、これからも永遠に響き続けていくのだ。
アイゼン帝国の春は、これからも、ずっと。
フィオーレが長年の歳月をかけて土壌を整え、精霊たちの祝福をその指先から分け与えた場所。そこは、季節ごとに色が移り変わる「虹色の草原」と呼ばれ、帝国の新たな象徴となっている。
「パパ! 見て、あっちに青い蝶々がいるよ!」
高く澄んだ少年の声が、草原の静寂を軽やかに跳ねた。
銀色の髪を風になびかせ、元気いっぱいに駆け出したのは、第一皇子・レオルフだ。その背中を追うフィオーレは、少しだけ息を弾ませながら、柔らかな笑みを浮かべた。
「レオルフ、あまり遠くへ行かないで。転んだら痛いよ」
フィオーレの体は、以前よりもずっと健康的な赤みを帯びている。ヴォルフラムの絶え間ない溺愛と、この豊かな自然が、かつての儚げだった少年を「帝国の母」に相応しい強さと美しさへと変えていた。
フィオーレが立ち止まり、額の汗を手の甲で拭ったその時。背後から逞しい腕が伸び、彼の細い腰をしっかりと抱き寄せた。
「……あ」
耳元に届く、低く心地よい吐息。振り返らなくても分かる。ヴォルフラムだ。
彼は公務の重圧を感じさせない軽やかな足取りで、当然のようにフィオーレの影に寄り添った。漆黒の髪が風に踊り、金の瞳が満足げに細められる。
「レオルフの体力には驚かされるな。俺が軍の演習で見せる機敏さを、あいつは蝶を追うためだけに使い切っている」
「ふふ、ヴォルフラム様の息子ですもの。きっと将来は、立派な騎士様になりますね」
ヴォルフラムは、フィオーレの肩に顎を預け、目の前に広がる景色を眺めた。
足元には、フィオーレが丹精込めて育てた「虹の雫」という名の小さな花々が、七色のグラデーションを成して咲き乱れている。その香りは甘く、それでいて森の奥深くのような清涼感を湛えていた。
「フィオーレ、覚えているか。お前をこの国に迎えたあの日、俺が言った言葉を」
「……はい。拾ってやる、って。乱暴な言い方でしたね」
フィオーレは、懐かしさに目を細めた。
あの日の冷たい風。絶望に震えていた指先。窓さえなかった荷馬車の揺れ。
けれど、そのすべてが、今この瞬間へと続くためのプロローグだったのだと、今のフィオーレは確信している。
「あの時、お前は氷の塊のように冷たかった。……だが、今のお前は、太陽の光を吸い込んだ花そのものだ」
ヴォルフラムの手が、フィオーレの手をそっと包み込んだ。
節くれだった大きな掌。そこから伝わる熱は、数年の時を経ても変わらず、フィオーレの心の奥底までを蕩けさせてしまう。
ヴォルフラムは、フィオーレのうなじに鼻先を寄せ、深く、独占的な呼吸を繰り返した。
「……ヴォルフラム様、レオルフが見ています。もう、パパが甘えん坊だって言われちゃいますよ」
「構わん。この国の全土がお前の手によって春を迎えたのだ。その主である俺が、春を一番に享受して何が悪い」
ヴォルフラムの言葉は、相変わらず不器用で、傲慢で、けれど誰よりも真っ直ぐな愛に満ちていた。
彼はフィオーレの顔を自分の方へ向けさせ、その碧い瞳に自分の金の瞳を映し出す。
至近距離で見つめ合う二人。
草原を渡る風が、二人の髪を一つに縒り合わせ、花の香りをより一層強く舞い上げた。
「……愛している。フィオーレ」
ヴォルフラムが囁くと同時に、彼の唇がフィオーレの唇を塞いだ。
それは、何度も繰り返してきたはずのくちづけ。
けれど、触れるたびに新しく、より深く。二人の魂が、共鳴する聖種の力によって一つに溶け合っていく。
フィオーレは、ヴォルフラムの広い背中に腕を回し、その熱を全身で受け止めた。
自分が「偽物」だと蔑まれていた過去など、もう思い出せないほど。この腕の中こそが、自分の真実であり、世界のすべてなのだ。
「……ん、っ……ヴォルフラム、様……」
離れ際、フィオーレの潤んだ瞳がヴォルフラムを捉える。
ヴォルフラムはたまらないといった様子で、フィオーレの額に何度もくちづけを落とした。
そこへ、一輪の大きな花を抱えたレオルフが、息を切らして戻ってきた。
「パパ! 王様パパ! 見て、一番綺麗なのを摘んできたよ!」
レオルフが差し出したのは、フィオーレが咲かせた奇跡の青薔薇だった。
ヴォルフラムは屈み込み、息子を片腕で抱き上げると、もう片方の腕でフィオーレを抱き寄せた。
「ああ。……一番綺麗な花だな。お前のパパに、ぴったりだ」
三人で寄り添い、虹色の草原を見下ろす。
遠くに見える帝都の街並み。そこでは、かつて不遇だった人々が、今は笑い合い、豊かな実りを分かち合っている。
フィオーレがもたらした春は、もう二度と終わることはない。
空には、祝福の鐘の音が遠くから響いてくる。
捨てられた不憫な第三王子は、今、世界で最も愛される妃となり、未来を紡ぐ母となった。
彼の物語は、ここで一旦の幕を閉じる。
けれど、虹の咲くこの丘で、家族の幸せな笑い声は、これからも永遠に響き続けていくのだ。
アイゼン帝国の春は、これからも、ずっと。
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