竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ

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第二十二話

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 温室の最深部に溜まっていた重たい泥を掻き出し終えた時、そこには鏡のように磨き上げられた円形の石舞台が姿を現した。
 かつて皇后オルテシアが祈りを捧げたと言われる場所だ。天井の強化ガラスからは、午後の柔らかな光が幾筋もの光の帯となって降り注ぎ、空気中に舞う塵を金色に縁取っている。

「……終わったな」

 ヴァレリウスは大きく息を吐き、手にした巨大なスコップを床に置いた。
 彼の白いシャツは泥と汗で肌に張り付き、逞しい胸筋のラインを露骨に浮き彫りにさせている。額からは汗が滴り、その一滴が床に落ちる前に、彼の放つ熱気で微かな蒸気となって消えた。

「はい。お疲れ様です、陛下。……見てください、あの子たち」

 エリアンが指差した先。
 掃除を終え、新鮮な水と適切な温度を手に入れた温室の植物たちが、一斉に葉を震わせていた。
 特に、中心にある『金焔の硝子薔薇』は、ヴァレリウスが近くに立つだけで、その金の熱を吸い上げて、さらに鮮やかな緋色へと色付いていく。

 ふと、温室の空気が変わった。
 ピリピリとした静電気のような刺激が肌を刺し、微かなオゾンの匂いが立ち込める。
 石舞台の中心から、一条の青い光が真っ直ぐに天井へと伸びた。

「これは……?」
「地脈が、整った音です。……陛下、あそこに」

 エリアンに促され、ヴァレリウスが舞台の端に歩み寄る。
 すると、石の隙間から、これまで見たこともないほど透明な青い花が、音もなく咲き始めた。
 花びらはまるで薄い氷を削り出したかのように儚く、中心からは冷たい白霧が溢れ出している。

「……『蒼天の氷蓮(そうてんのひょうれん)』。伝説の、熱を平らげる花だ」

 ヴァレリウスの金の瞳が、驚愕に揺れた。
 この花は、膨大な魔力と、それを完全に制御できる「安定した土壌」がなければ、一瞬で枯れ果てると言われている。
 竜の熱に焼かれ続けたこの城で、これほど清らかな命が芽吹くなど、二十年前には考えられなかったことだ。

 花から溢れ出した白霧は、生き物のようにヴァレリウスの足元に絡みつき、彼の膝から腰へと這い上がっていく。
 ジュウ、と微かな音がし、ヴァレリウスの肌を覆っていた刺々しい熱が、霧に触れた場所から急速に鎮まっていった。

「……涼しい。いや、これは、凪だ」

 ヴァレリウスはその場に膝をつき、自分の掌を見つめた。
 いつもなら、指先から漏れ出る魔力が空気を歪ませているはずだ。けれど今、彼の周りには、春の朝凪のような穏やかな静寂だけが横たわっている。
 
「陛下。……お顔が、とても穏やかですよ」

 エリアンがヴァレリウスの隣にそっと跪いた。
 エリアンの銀色の髪が、花の放つ青い光を反射して、月の雫のように輝いている。
 
「お前が……。お前が、この場所を蘇らせたからだな」
「いいえ。私がしたのは、埃を払っただけです。この花を咲かせたのは、陛下の命の力ですよ」

 エリアンはそう言うと、ヴァレリウスの泥で汚れた手に、自分の手を重ねた。
 
 その瞬間。
 ヴァレリウスの胸の奥で、何かが静かに、けれど決定的な音を立てて崩れ去った。
 
 二十年。
 自分は「化け物」として、誰にも触れられぬよう、孤独の檻の中で自分自身を焼き続けてきた。
 けれど、目の前のこの青年は。
 魔力を持たないはずの、この小さな薬師は。
 当然のように自分の隣に座り、泥だらけの手を握り、自分の熱を「命の力」だと肯定した。

「……エリアン」
「はい」
「……お前は、本当に……」

 ヴァレリウスは言葉を詰まらせた。
 伝えたい言葉は、山ほどあった。感謝。驚嘆。そして、胸の奥をチリチリと焼く、これまで知らなかった奇妙な痛み。
 けれど、口から出たのは、あまりにも不器用な問いかけだった。

「……今夜も、例のハーブ水を作ってくれるか。……二倍の量でだ」

 エリアンは一瞬、きょとんとして瞬きをした。
 それから、花の蕾が綻ぶような、眩いばかりの笑顔を見せる。

「もちろんです。三倍でも、四倍でも、陛下が望むだけ作りますよ。……だって、私はあなたの専属薬師ですから」

 専属薬師。
 その言葉に、ヴァレリウスは胸を突かれたような衝撃を覚えた。
 単なる「身代わりの花嫁」ではなく、自らの意思でここに留まり、自分を癒すと決めた存在。

「…………。そうか」

 ヴァレリウスは握られたエリアンの手を、ゆっくりと、けれど強く握り返した。
 重なり合った手のひらから伝わる、エリアンの規則正しい脈動。
 それは、火山の地鳴りよりもずっと力強く、ヴァレリウスの魂をこの地上へと繋ぎ止めていた。

 温室中に満ちる、青い花の香りと白霧。
 二人の間にある熱は、もうお互いを焼き尽くすものではなかった。
 
「あ。陛下。……まだ、池のヘドロが少し残っています。あちらも片付けないと、せっかくの花が可哀想ですよ」
「…………。貴様は、この余韻をぶち壊す天才だな」
「えっ? 何か変なことを言いましたか?」

 キョトンと首を傾げるエリアンに、ヴァレリウスは深く、深い溜息をついた。
 けれど、その口元は、これまでにないほど柔らかく綻んでいる。

「……何でもない。……やるぞ、エリアン。指示を出せ」
「はい! では、あちらの岩を退けてください。力仕事は陛下にしか頼めませんから!」

 二人の笑い声が、温室のガラス天井に反響して空へと消えていく。
 
 奇跡の花が咲いたその日。
 竜の皇帝と銀の薬師の関係は、主従でもなく、伴侶という形骸化した言葉でもなく、一つの「不可欠な片割れ」として、静かに、けれど確実に結ばれようとしていた。

 温室の掃除は、まだ終わらない。
 けれど、その先に待つ未来は、かつてのどの皇帝も見たことがないほど、瑞々しく、緑豊かなものになるに違いなかった。
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