『相川蓮翔』

くろだ

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7月28日 火曜日

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夕方までのバイトを終えて、外で待っている明くんの元に行こうとしていた。

背後から「相川くん、次で最後なんだって?寂しくなるなぁ」と田山さんの声。

振り返って笑う余裕もなく「はい、そうですね」とだけ答え、その後会話がなかったので頭を下げて店を出る。

店の駐車場に立っている明くんの隣に車が停まっていた。
運転席から身を乗り出すように話しかけている女性。
陽に透ける髪も、整った横顔も、大人の余裕を纏っていて、思わず足が止まった。

――綺麗な人……彼女かな?
胸がぎゅっと縮まる。
顔がうまく動かず、明くんの元に進めずにいた。
そのとき、女性がふっとこちらを見て、目が合った。

「……あら?」

笑みを浮かべた瞬間、明くんもこちらを振り返り、目を細める。

「蓮翔」

名前を呼ばれて、慌てて歩き出す。
車の前まで来ると、明くんが軽く顎で示した。

「紹介する。姉さんの凛」
「えっ……あ、はじめましてっ!」
 
胸の奥が一気に解けて、慌てて頭を下げる。
――彼女じゃ、なかった。
お姉さんは、僕を上から下まで一度眺めて、くすっと笑った。
 
「ふぅん……これが。近くで見ると、ほんと可愛いね」
「っ……!」
 
頬が一瞬で熱くなる。
大人の女性を近くで見て、会話することなんてなかった。

「姉さん」
 
明くんがすっと間に入る。声が少し低く、どこかぶっきらぼう。
 
「やめろよ」

その口調に、お姉さんは楽しそうに肩をすくめる。
 
「はいはい、相変わらず怖いな」

僕はうまく言葉を返せず、2人を交互に見ることしか出来なかった。
そんな自分に気づいてさらに恥ずかしい。

「送ろうか?」とお姉さんが車から笑みを浮かべると、明くんは一歩前に出て「帰るわけないだろ」と短く返す。
普段の余裕ある声じゃなく、素がこぼれたみたいな少し口悪い言い方。
――……かわいいな。

お姉さんは「じゃあまたね」と軽く手を振り、車を走らせて去っていく。
静けさが戻った道で、明くんがちらりと僕を見下ろす。

「……どうしたの?」
 
いつも聞く、優しい明くんの声に戻っていた。
 
「え、いや……」
 
何も言えずに俯くと、すぐに猫の鳴き声がして、茂みから小さな影が飛び出した。

「……あっ」
 
足元にすり寄ってきた猫に手を伸ばす。
頬を緩めた僕を見て、明くんもふっと笑った。
胸の奥では、さっきの彼女じゃなかったという安堵と……そして、明くんの少し口悪い声が、いつまでも残っていた。

猫がすり寄ってきて、僕はしゃがみ込みながらその柔らかな毛を撫でた。
小さな喉のゴロゴロが、さっきまでの緊張を少しずつ解いてくれる。

「……お姉さん、すごく綺麗な人だね」

思わず漏れた言葉に、明くんが横で口角を上げた。

「へぇ。じゃあ俺と比べて――」

わざとらしく言いかける声。
その響きに胸が一瞬ざわついたけど、僕はすぐに首を振った。

「比べないよ」

猫を撫でながら、自然に言葉が続いていた。

「明くんは……僕にとって誰かと比べられる人じゃないから」

自分でもよくわからない。
ただ心の奥にあった本音が、ぽろっとこぼれたみたいに。
顔を上げた瞬間、明くんと目が合った。
彼は一瞬驚いたように目を細めそして、堪えきれないみたいにふっと笑った。

「……蓮翔って、ほんと面白い」

僕は首をかしげる。
けれど胸の奥では、猫の体温よりもずっと熱いものが広がっていた。
――今、なんで笑ったんだろう。
わからないけど、笑ってくれたのが嬉しくて、頬が熱くなる。
猫と一緒に歩き出した帰り道。
夕暮れの空の下で、明くんの横顔はどこまでも眩しく見えた。
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