特別な人

鏡由良

文字の大きさ
216 / 552
特別な人

特別な人 第215話

しおりを挟む
 感情が高ぶって冷静じゃなかった思考が落ち着いたのは、寮父さんが持ってきてくれたホットミルクを飲み終えた頃だった。
 管理人室には僕と朋喜の二人だけで、清掃業者の人達が来たからと寮父さんが出て行って10分ぐらい経っていたはず。
 熱を失ったマグカップをテーブルに置いた僕は、何も言わず傍にいてくれた朋喜に「ありがとう」と感謝を告げた。
 泣きすぎたせいか掠れ声になっちゃったけど朋喜は優しく笑ってくれたし、ちゃんと伝わったみたいだ。
「悠栖と慶史君、遅いね」
「そ、だね……」
 笑顔のまま掛けられる言葉に一瞬表情が強張った気がする。
 でも、それでもなんとか笑って返せたから朋喜の笑顔を曇らせることはなかった。
「二人とも、大丈夫かな? やりすぎてないといいけど」
「! そっちの心配なんだ……?」
「え? それ以外に何かある?」
 傷害事件になるようなことは避けて欲しいんだけど。と肩を竦ませる朋喜のおどけた物言いに、僕はそういう心配ならする必要が無いと視線を落とした。
 虎君はちゃんとした道場にこそ通っていなかったものの、多人数と戦うことに長けている陽琥さんから実戦に耐えうる格闘術を習っていた。
 勿論、習っているからといって必ずしも実力として身につくものじゃないんだけど、虎君のその実力は陽琥さんもプロとして十分やっていけると認めるほどのもの。
 そんな虎君を相手に、慶史と悠栖がどうこうできるとはこれっぽっちも考えられない。きっと二人がかりで飛び掛かっても虎君は事も無げに二人をやり込めてしまうだろう。
 だから、朋喜の心配は無用のもの。二人が怪我をすることはあっても、その逆は絶対に有り得ないから。
「あ……。もしかしたら怪我で動けないのかも……?」
「えぇ? 流石にそこまではないでしょ? 慶史君は日頃の恨みもあるし『無きにしも非ず』だけど、流石に悠栖が止めるはずだし」
 虎君の実力を知っているからこそ、僕は慶史と悠栖が返り討ちに遭って動けないのかもしれないと心配する。
 一方朋喜はやっぱり僕とは違う見解で、苦笑交じりでそういう意味じゃないと僕は僕が思った心配を説明した。
 すると、今度は朋喜が苦笑いを浮かべて……。
「普段のお兄さんなら確かにそうかもしれないけど、今はたぶん、やられたい放題な気がするよ?」
「そんなのあり得ないよ。絶対にあり得ない」
 虎君が慶史と悠栖に―――自分よりもずっと弱い相手に殴られるなんて、そんなの僕には全く想像できないことだ。
 僕は朋喜を恨めしそうに見つめると、「あんまり嫌なこと言って苛めないでよ」って唇を尖らせてしまう。
 朋喜は、言葉には出さなかったけど、虎君が僕を好きだとまだ思っているみたいだった。
 だから、あり得ないことを考えて僕の心を悪戯に揺さぶるんだ。
 少し前に失恋したばかりの朋喜なら誰よりも僕の気持ちを理解してくれると思っていたのに、酷いや。
「……本当、今回の慶史君の判断ミスは致命的だね」
「? 何が?」
「なんでもないよ。こっちの話。僕から言えるのは、早く殻から出てきてね? ってことだけかな?」
 慶史にしては珍しいほどの大失態だと言う朋喜。
 何のことか分からないけど、おそらく僕に関することなんだろうと顔を顰めれば、朋喜は苦笑いを濃くして僕の髪を撫でてきた。
「……僕、殻になんて閉じ籠ってないよ」
「うん。そうだね」
 拗ねて反論するも、慈しむような笑顔を返されるだけ。
 反論するだけ無駄だと察した僕は、居心地の悪さを覚えながらも慶史達が戻って来るのを黙って待つことにした。
 すると、程なくしてエントランスが騒がしくなる。
 聞こえる声は慶史と悠栖のもので、元気そうなその声に大事には至らなかったんだと僕は胸を撫で下ろした。
「戻ってきたみたいだね」
「うん。だね」
「怪我、してなさそうだね」
「! 朋喜っ」
 クスッと笑ったのって、絶対当てつけだよね?
 頬を膨らませて怒る僕に、朋喜は目尻を下げて「よかった」って笑った。
「何が良かったの? 僕、怒ってるんだけど!」
「うん。怒れるほど葵君が元気になったから、よかったって思ったの」
 怒りはとても強いパワーの源だしね。
 なんて、優しく笑ったりしないでよ。さっきまでの意地悪は、僕のためだったの?
 僕は朋喜の優しさにめいいっぱい元気をもらっていたんだって気づいて泣きそうになるじゃない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

男の娘と暮らす

守 秀斗
BL
ある日、会社から帰ると男の娘がアパートの前に寝てた。そして、そのまま、一緒に暮らすことになってしまう。でも、俺はその趣味はないし、あっても関係ないんだよなあ。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

処理中です...