弱者の庭〜引きこもり最強種専用施設の管理人始めました〜

自来也

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第58話 忘れられても、忘れられない

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――コンコンッ

「なんじゃー」

「僕だけど、入っていいかな」

「当たり前じゃ、好きにすると良い」

 部屋に入るといつもの甘い匂いに妖艶な雰囲気、コヨミはお茶を啜りながらいつもと変わらない様子で座っていた。

「あのさ……」

 僕が口を開くと全て分かっていたとでも言わんばかりにコヨミが口を挟む。

「妾は今のままで構わんと言ったはずじゃ、特に外の世界でやりたい事も無いしの」

「でもそれじゃ……」

「それじゃ、なんじゃ?お前は自分の人生を生きて欲しいとでも言うのか?それならこれが妾の人生……いや、狐生?かの。なんの不満も無い良い狐生じゃ」

 分かってはいた。コヨミは今の生活を変えたいわけではない。僕が勝手に納得がいかないだけだ。

「なんて顔をしておる。お主、別に今の妾に特別な感情は無いじゃろ?一時の感情に流されているにすぎん。お主はお主の役割を果たせば良かろう」

 僕の役割。管理人としてミレーユとアリエルを送り出す……それももう終わりに近づいている。

――しかし納得がいかない理由は……。

「じゃあなんで昔話をしたの?あんな話を聞かされて気にならない方がどうかしてる」

 思わず声が強くなる。それでもコヨミは静かに笑って、湯呑みを口元へ運んだ。

「お主に残しておきたかっただけじゃ。妾が何を想ってここに居るのか、それだけは伝えておきたかったのじゃよ」

「残すって……まるで最後みたいに言うなよ」

「最後ではない。ただ、区切りじゃ」

 柔らかな声。それが余計に胸を締めつけた。
 彼女は笑っているのに、そこには寂しさが滲んでいる。

「アルキよ、妾がお主に寄せる思いは、恋や愛などという安い言葉では括れぬ。その顔、その喋り方……お主を見ているだけで温かい気持ちになれる……それだけで妾は十分じゃよ」

「でも僕は君がこの庭に縛られているのが嫌なんだ」

「妾は縛られておらぬ。自らここを選んだのじゃ」

 そう言って微笑むコヨミの姿が、余計に遠く見えた。
 その微笑みは、世界の終わりを見届けてきた者のように穏やかで、そしてどこまでも悲しい。

「……コヨミ。庭の管理の力、僕に譲ることはできないの?」

 一瞬、空気が変わった。
 香の匂いが薄れ、静寂が訪れる。

「できぬことはない。だが、してはならぬことじゃ」

「なんで?」

「どうなるか分からんからじゃ、お主は管理人としてこの世界に来ておる。もし譲渡した後にお主が転生させられてしまったらこの庭は維持できん。つまりお主はもうこの世界に戻って来られないという事になる」

「それでも、君が自由になるなら——」

「馬鹿者!」

 初めてコヨミが声を荒げた。
 九尾の尾がざわりと広がり、部屋の空気が震える。

「意味が無いのじゃ、お主が居なくなってしまったら何の意味もないのじゃ……」

 その言葉に、僕は息を呑んだ。
 コヨミが、震えていた。

「……コヨミ」

「妾はお主の記憶の外に居ても構わぬ。お主が笑ってくれればそれでいい。それが妾の願いじゃ。愛よりも深く、執着よりも静かな想いじゃ」

 その声が、かすかに震えていた。
 涙ではなく、風のように。
 それでも確かに、胸に沁みた。

 僕は何も言えなかった。ただ、そっと手を伸ばして、彼女の尾に触れた。
 その柔らかさと温もりが、言葉よりも多くのことを伝えてくれる気がした。

 彼女がどれほど、この場所を想っているか。

 けれど、どうすることもできない。

――でも何か……僕の思い違いなら別に良いのだけど……。

「コヨミ、なにか無理してない?」

 ふと言葉が口をついて出た、これまでの話で見せたコヨミの表情には悲しみや寂しさがあった。確かに当たり前の事だとは思うけど……。

「む、無理などしとらんわい!」

 意表を突かれたのか明らかな動揺、コヨミは平静を装いお茶を一口啜った。

「何をバカな事を、妾が無理じゃと?多少の寂しさはあるが概ね満足じゃと伝えたはずじゃ」

「多少って……本当は、すごく寂しいんじゃないの?」

 コヨミの手がぴたりと止まった。
 湯呑みの中で波紋が静かに揺れ、部屋の中の空気が少し冷たくなる。

「……妾はな、アルキ。何度もこうして“卒業”を見送ってきたんじゃ」

「……」

「皆そうじゃ。妾と少し仲良くなっては、外へ出ていく。妾はここに残る。それが当然であり、役目じゃと信じておった」

 コヨミはゆっくりと視線を落とす。
 その尾が静かに床を撫で、弱々しい音を立てた。

「でもな……どれだけ覚悟しても、慣れることなどない。毎回、心が削がれるようなんじゃ」

「……」

「お主が来た時も、最初はまた同じ繰り返しと思っておった。なのに……妾はまた、期待してしもうた」

 コヨミは唇を噛みしめる。

 狐の瞳が、にじむように揺らいでいた。

「転生を重ねて……お主は妾の事を覚えておらん。分かっておる。前世の男と今のお主は違う人間じゃ。けれど妾は……同じように笑うその顔を見るたび、心が勝手に疼くんじゃよ」

 その声は、今にも崩れそうだった。

「……それでも、妾は怖い。役目がなくなったら、妾はどうすればいい?この庭は妾の全てなんじゃ……」

 その瞬間、僕の胸が熱くなった。
 ようやく――本心が聞けた。

「……コヨミ。だったら、この庭を外に作ればいい」

 彼女が顔を上げる。

 狐の瞳が大きく見開かれた。

「外に……?」

「そう。この場所と同じような施設を、外の世界にも作ればいい。弱者が安心して暮らせる庭を。コヨミが守ってきたものを、僕らで広げていけばいいんだ」

「……できると思うのか?」

「できるさ。僕らがそのきっかけを作るんだ」

 コヨミはしばらく黙り込んだ。
 湯呑みの中の茶が冷めていく音が、やけに静かに響く。

「……妾が外に出たら、この庭は消える」

「分かってる」

「お主も転生させられる。戻って来られぬのじゃぞ?」

「それでも構わない」

 はっきりと言葉にした。
 コヨミの瞳が大きく揺れた。

「……どうして、そんな顔で言えるのじゃ」

「僕はもう、君が知っている“お主”じゃないから」

 一瞬、時が止まったようだった。
 コヨミの肩が、かすかに震える。

「……分かっておった。気づいておった……けれど……」

 言葉が詰まった。
 次の瞬間、コヨミの瞳が潤み、次の瞬間、堰を切ったように涙が零れ落ちた。

「嫌じゃ……!そんな風に言うな……!その顔で……そんな風に……!妾の知っておるお主が……おらんのは、分かっておるのに……!」

「……」

「妾は、忘れられることに慣れておらんのじゃ……忘れられるたびに、心が削がれていく……!」

 その姿に、胸が締めつけられた。

 そっと近づき、コヨミの肩に手を置く。
 小さな身体が震えていた。

「でもね、コヨミ。僕は……今の君をいっぱい知ってるよ」

「……な、にを……」

「面倒見が良くて、細かい事に気が付いてくれて、さりげなく元気のない子を励まして。尻尾で撫でる時、優しく力を抜く癖がある。……僕は、そういう君を知ってる」

 コヨミが小さく息を呑む。

「たとえ前の僕を知らなくても、今の君をちゃんと見てる。だから……君が外に出ても、僕の中からは消えないよ」

 静かに、コヨミは頷いた。彼女は震えた声で口を開く。

「……アルキ。妾はどうすれば良い?」

「今まで通りでいいよ」

「え?」

「ミレーユとアリエルが卒業するまでは、いつもみたいに過ごそう。朝ごはんを食べて、笑って。最後の日が来るその時まで、みんなで一緒に過ごそう。色々考えながらね」

 コヨミの尾が、かすかに揺れた。
 その揺れは、涙を隠すようにゆっくりと沈んでいった。

「……妾は、そういうお主が一番困る」

「え?」

「妾の心を、また温めてしまう……離れづらくなるじゃろうが……」

 笑いながら言ったその声は、まだ震えていた。


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