徒花伐採 ~巻き戻りΩ、二度目の人生は復讐から始めます~

めがねあざらし

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第十三話「仮面の奥で微笑む者」

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 まるで不意を衝かれたかのように、クレイアのまつ毛が静かに震えた。

 「……え」

 その微細な揺れに、僕は心の奥でふたたび仮面越しの笑みを浮かべる。
 今の彼女にはきっと、自分が受けた衝撃が顔に出ているなど、想像すらできていないだろう。

 「王太子殿下より、“好きにして良い”とお言葉が──確かに、そうおっしゃいました」

 語尾を丁寧に落としながら、僕はあえて一歩だけ、クレイアに近づく。
 侍女も衛兵も固唾を呑んで見守っている。誰も言葉を発さない。音ひとつない空気の中で、クレイアの指先だけが、かすかに袖の縁を握り締めていた。

 「ですが……セラ様、それは……少し……」

 クレイアがわずかに体を折り、か細い声で口を開く。
 その声音にはまだ、理性の手綱がある。だが、その奥には――否定しきれぬ感情が滲んでいた。

 「私はただ……姉妹の管理は私に任されておりましたし、急にそのような──」
 「“任されていた”? それは王太子殿下から、ですか?」

 すぐさま言葉を差し挟む。
 やわらかに、けれど逃げ場のないように。
 視線は逸らさず、声の抑揚は一定に保ったまま。

 「……っ、にょ、女官の管理は私の仕事で……っ」

 そこに正しい返事はない。あるはずもない。
 彼女は“命令を受けていた”わけではなく、“勝手に采配していた”に過ぎないのだから。
 女官といえど立場が少し難しいものを。
 その管理の杜撰さは彼女だけの責任ではないが、そこに漬け込んで勝手にしていたのは彼女の悪意だ。

 「では、クレイア様は……殿下のご命令に逆らうということですか?」

 まるで問いかけるように、あくまでも“穏やかに”。
 僕の声に殺気はない。だが、道は一本しか残されていない。
 クレイアの顔が、ふっと引き攣る。

 「そんなことは……ありません。ただ、私は……ただ……」

 選ぶ言葉が見つからずに、彼女の喉がかすれる。
 その沈黙のなかに、彼女の敗北が刻まれていく音がした。

 「僕は別に、あなたと言い争うつもりはありませんよ。クレイア様」

 再び、少しだけ肩を竦めてみせる。

 「殿下には殿下のお考えがある。それを僕は尊重しているだけです。──姉妹は、僕がお預かりします」

 微笑みながら僕は言い切った。
 風のない廊下で、クレイアの衣擦れだけが乾いた音を立てた。

 「……っ、わかりました。私は、これで──」

 そのお辞儀は、あまりにも雑で。
 まるで、今にも怒りを床に叩きつけそうな脚の運びで、彼女は背を向けた。

 (やれやれ……)

 僕は心の中で、乾いた吐息をついた。

 (クレイアはあんな簡単な感じだったか?……買い被っていたかな? それとも、あれも演技のうちだろうか……)

 慢心はしない。油断はしない。
 彼女はああ見えて、後ろから刺してくるタイプだ。堂々と正面から剣を振るうような人間ではない。

 (まあ、予定通りには動いてくれたから、良しとしよう)

 そのときだった。控えの扉がかすかに開き、小柄な影が顔を覗かせた。
 それは──シュウ・リンだった。
 

 乱れのない髪、整えられた裾。けれど、その身じろぎ一つ一つに、隠しきれない緊張が宿っていた。
 彼女の足は迷いがちで、けれど諦めたような勇気を引き連れて、ゆっくりとこちらへ向かってくる。

 「……セラ様、でしょうか」

 こちらの言葉で問いかけてくる。けれどその声は、わずかに訛っていた。
 僕は静かに頷く。そして、口元に柔らかな笑みを浮かべながら、璃晏の言葉で問いかけた。

 『はじめまして、リン。僕はセラ。君と君のお姉さんの、これからの“主”になる者だよ』

 驚きに目を見開いた彼女は、反射的に一歩だけ後ずさる。
 その動きには恐怖というより、本能的な“警戒”があった。

 (……当然だ)

 子どもであるとはいえ、彼女もまた璃晏の外交の中に放り込まれた存在だ。
 見ず知らずの人間に心を許すほど、幼くはない。
 僕は、少しだけ声の調子を変える。
 低く、静かに。けれど、届くように。

 『怖がらなくていい。すぐに僕を信じなくても構わないよ。だけど──僕は、君たちを害しはしない。約束する』

 リンの目が揺れる。
 まだ疑念は拭えない。けれど、“言葉を受け取った”目をしていた。

 『……姉さんにも、そう言いますか?』

 問い返す声はかすれていたが、そこには“確認”という意志があった。

 『うん。もちろん。』

 僕は一歩、彼女に近づく。
 急すぎないように。威圧にならないように。

 『このまま、ここにいても……君たちは、誰かの手で都合よく使われるだけかもしれない』
 『……』

 リンは何も言わなかった。ただ、小さく唇を噛む。

 『だったらいっとき、僕の家に来てみるのはどうかな? お姉さんと一緒に。一緒の部屋にするよ。あくまで“仮”でもいい。しばらく居場所を変えるだけでも、少しは楽になるかもしれないから』
 『……そんなことを言って、もし嘘だったら?』

 疑いの言葉は、思ったよりもしっかりした声だった。
 その目は、年齢に不相応なほど冷静だった。

 『それでも、君達を傷つけるようなことはしない。お姉さんにも同じ。……それだけは、信じてほしい』

 ひと呼吸、間が落ちる。
 そして──小さく、静かに、彼女は頷いた。

 『……わかりました。姉さんに、伝えてきます』

 言葉は璃晏語のまま。
 だがその響きには、微かながら“信頼の芽”が混じっていたように聞こえる。

 『ありがとう、リン。君がいてくれて助かる』

 その一言に、彼女は初めて──ほんの少しだけ、口元を緩めた。

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